新しい生活様式と3秒ルール

マスクが届きまして、同封されていたチラシに「新しい生活様式」の実践のお願いがありました。

とりあえず一番言いたいことはこれなんだろうと思います。

新しい生活様式っていうのは、一体何なんだろうということで、自分なりに考えてみると、

「熱があったり具合が悪い気分が悪いときは働かないで休む」

ということを徹底しろということなんだろうなと思います。

「熱が出たら事務所にくるな」と、そういうことがちゃんと徹底できる職場環境にしましょうということですよ。

具合が悪くなったり気分が悪くなったら、早めに早退するのが当たり前という空気を醸し出さなければなりませんよと、そういうことなんだろうと思います。

今どき「ちょっと熱があるからって仕事を休まれたら困る」みたいな経営しかできていないような企業はアカンですよと、そういうことであろうと思いますよ。

年間休日が120日以上、有給消化率が100%で当然というか、そういう会社になれないと商売続けていけなくなるよと、そういうことなんだと思います。

それから人海戦術的なセールスとかアポ取り手段をしている企業、あとやたら「集客」「集客」といって人数を集めることに血眼になっている企業は、これから先やっていけないのであろうなとそう思うのです。

それからこまめに手が洗える環境も大事なのかなと思います。

とにかく不潔だったり、環境を清潔に保ちにくい職場は敬遠されていくのだろうなと考えています。

マスクは「運動時のマスク着用による身体へのリスクを考慮して、学校の体育の授業におけるマスクの着用は必要ありません・・・」とか言ってるし、今ひとつ効果があるのかどうかわからないのでそこまで普及するものなのかどうかよくわかりません。

夜の飲食店、いわゆるバーとかクラブとかスナック、キャバレーという大人の社交場とかは、年内はちょっと行けそうにない気がします。

会合とかがあっても一次会で帰るとかそういう雰囲気なんですよ。

雰囲気というか同調圧力というか嫁ストップというか、人が密集するようなお店は行ったらアカンのだろうなぁと、そんなふうに思っています。

 

フェイスシールドとかは新しい生活様式の中には入って来ないような気がするんですけど、そうなんですかね?

それからソーシャルディスタンスって日本で表現すると「社会的な距離・隔たり」ってことなんだけど英語圏のsocialっていうのは社交界というか上流階級的な特別のっていう意味合いがあって、なんというか私のごとき下々の者には関係ないでゲスよ、みたいな感じを覚えるのです。

だいたい「社交界にデビューすのですよオホホ」みたいなことって自分にはほぼ関係なくて「そーしゃる」とか言われても関係ないがなというのが本当に感じるところなんですよ。

「社交界」なんていうのは自分にはほぼ関係ないと思っています。

そんなわけで、なんというか野太くウイルスとかバイキンとかに負けないようにというか、多少のことではお腹を壊したり、体調を崩したりしないように潔癖に走るのではなく自己免疫力を高めつつ、落ちたものでも3秒以内なら拾って食うというスタイルで、他人はどうであれ、生きていきたい。

あと、横文字が出てきたときは、英語辞典引いたり日本語に言い直してみたり、ちゃんと定義を深いとこまで考えて自分の行動に落とし込まないとバカを見るので、そこをしっかりと共通認識できているか確認して職場に取り入れましょう。

ロードマップとかガバナンスとかステップとかモニタリングとかガイドラインとか日本語で200文字以内で説明できるようにしておきたいものです。

 

フォートナイトが始められない

ステイホームだし、興味があってフォートナイトをダウンロードした。

でかいね、アプリのサイズがすごいでかい。

パソコンにインストールしてみようと思ったのですけど、容量が足りなかったのでPC版は断念して、仕方がないのでiPhone版をダウンロードしてインストールしました。

起動してアカウントを登録して、さてやってみるかなと、最初のチュートリアルを見るのですが、長い、うーむ長すぎる!

といってもまぁ3分くらいだとは思うのですが、なんか操作方法とかなれるまでに時間がかかりそう。

このあたりはスプラトゥーンに比べると親切ではないなぁなんて感じながら、しばらく見ていると襲いかかってくる「時間浪費感」

「あぁ、これは時間をそうとうかすめ盗る奴だ」という気持ちを抑えきれない。

ので、そっと画面を閉じてしまってからはや2週間が経過しております。

フォートナイトの世界ってどんな感じなのか見てみたいのですが、「最後の一人になるまで戦う」という(あってる?)そのゲームルールがそうも苦手、というかそういう全員で殺し合うというバトルロイヤルな世界観はなんかめんどくさそうで、敬遠してしまうのですよ。

実際の世界がバトルロイヤルなわけなので、ゲームの中でまでそういうことしたくないあなぁという気持ちです。

建築だけに集中するとかそういうウルティマオンライン的な楽しみ方はできたりしたらいいのだけれども、なんかできそうもない感じ、実際どうなのかね?

 

ゲームにしても趣味にしてもスポーツにしてもエントリーコストって低いに越したことはないぁと、そういうことを考えてしまいました。

低いのは大事だけれども、低いだけで全然おもしろくない、といういうのもあかんでしょうし、バランス大事ですよ。

 

 

 

 

次に同じことがおきたらどうする?

とりあえず自分のGWは今日で終わりです。

明日・明後日お仕事で土日はお休みいただく予定ですよ。

今年の連休はまぁどこに出かけるでもなく家でゆっくりというかダラダラと過ごしておりました。本もあまり読めなかったです。

そのかわり家の掃除とか進みましたな。

で、カレンダーというか暦。

古代エジプトで毎年ナイル川が氾濫するのにカレンダーが役立ったと言うことです。

人間は周期によっていろいろな予測や対策をすることができます。そういう意味では文明社会にとって暦というのは切っても切れない関係なのでしょう。

暦があるから、来年の今頃はこうしよう、とか、3年後にああしようなんて予定を立てられるわけです。

で、地震とか台風というのは、なかなか平準化できない。

毎年必ず起こるし世界全体での合計値を見れば、一定数で予測が可能なんですけれども、被害が局地的なので「それがどこで起きるのか」というのは予測できない。

予測できないから対応するコストがかかるということになります。

カレンダーにしても天気、その日が晴れであるかどうかまでは予測できませんが、平均を取ると、この月は雨が多い、とか、このあたりから雪が積もるなんてことを予測して対応をとることができる。

確率の問題です。

地震も台風も起きる確率はゼロではない、ただ自分の身にふるかかるような災害につながるかどうかはわからない。

住んでいる場所にもよるし、ただ、頻度を考えると耐震構造の家にするとか、暴風の工夫をするとか豪雨に備えるとか、リスクに見合ったコストを掛けて、実際にそれがおきたことに対処し、工夫するのが人という生き物だと思います。

 

感染症にしてもワクチンを作ったり、公衆衛生の知識を高めたり行動を変えることで、次に備えるということはできる。

 

肝心なのは「次に同じことがおきたときにどう対応するのが正解なのか?」

そのことがある程度わかるのに1年2年では短いということです。

最低でも10年、同じような感染症が何度かおきて、そのたびにいろいろな対応をとってどのやり方が正しかったのか、どのやり方が間違っていたのか、いろいろな答え合わせをしていかなければいけない。

今日は「正解だ」とされている手法が半年後には「間違いだった」ということになり、さらに5年後には「やはりあのやり方が正解だった」ということになることもたくさん見られると思います。

正解にたどり着くためには一世代分の知識や行動の更新が必要なのではないかと思います。だから25年から50年くらいかけて、次の正解を見つける時代になるのだろうと思っています。

「まぁなるようになる」

諦めに似ているかもしれませんが、けして諦めているわけではないです。

たぶん、孫の世代から「うちのじいちゃんはアホなことしてたな」と笑われるような失敗もたくさんするのでしょう。

でも「その失敗があったこらこそ今の自分達がいる。」そんなふうに孫たちが話している未来を想像するのは案外いいものです。

 

「そんな先のことよりも、今とにかくなんとかしないと」そういう困っている状況もある。

なんというか頭に銃を突きつけられて「AかBかどっちか選べ」みたいな状況もある。

もしくは「Bしか選べない」とか。

「とにかく選択肢がないんだ」と。

 

でも自戒を込めて言いたい

「選択肢がないのは自分の知識不足が原因」

知っておくべきこと、やるべきこと、やっておくべきだったこと、だからこそ自分を救うのは自分でしかないのだと、覚悟を決めること。

 

子供に「どうして勉強しないといけないの?」そういう質問をされたときに、

「人生の選択肢を増やすためだよ」という返しをしています。

「勉強しないと選択肢がどんどんなくなっていくんだ」それは確かに自分自身の実感であり反省でもあります。

「もっと勉強しておくんだった」と思うのは選択肢があまりないときです。

これから先の時代は「選択の機会」「決断の機会」がこれまでの時代よりも増えると思います。

選択や決断するときに役立つのは、知識と経験です。

今は知識と経験を増やす時期なんだくらいに考えて、あたらしい生き方のカレンダーや地図を作ってる最中なんだと考える。

新しいカレンダーが必要で、

それを作っていくのは自分であなたで他の人々で、

そのためにネットをうまいこと使って、知恵を合わせて、うまいことやっていくしかないと思いますよ。

変わったのは世界ではなく「自分の見方」と「自分の感じ方」なのだと思います。

春の陽気になか、家の中から窓の外を見るとき、ひばりの声が聞こえたり、風が入ってきたり、鼻がムズムズしたりするのを体感すると、世界はいつもどおりなんだなと思います。

人生は長い、変化を楽しもう、まずは何を始めよう?

そうやって新しい日常を楽しんでいこうと思います。

来年どうなってるか予想することはできません、状況がもっと悪化しているかもしれない。

けれども10年後20年後は、たぶん良くなっていると思います。

それは信念です。

未来を作るのは予想ではなく信念なのだから。

信念がありゃなんとかなります。

もちろんそれを突き通すために正しい知識や戦略が必要なんで、使えるものは全部使いましょう。

 

なんか図書館は使えるようになるみたいですし。

 

あと地上波TVは見なくていいと思います。とくにワイドショーとか。

昭和の日

ええ、以前は「天皇誕生日」っていう名前だったんですよ。

で、しばらくの間は「みどりの日」っていう名前で、ちょっと前に「昭和の日」っていう名前に変わりました。

今年は水曜日だったので連休にならず、中途半端な感じになってしまって申し訳ありません。

祝日として恥ずかしいです。

GWの一日目として、役割を果たしきれていないなと思われていると思ってました。

ところがなんとなく雰囲気が違うような。

全国のお子様たちは、なんだか随分と長い休日で「今日が祝日だっていうことを忘れていた」なんて声も聞こえてきます。

5月の2日3日も営業予定だったりする企業さんもいるんですよね。

ゴールデンウィーク、長い企業では4月25日から5月6日とか10日までやるところもあると聞きます。

4月の25日が初日だとすると、4月29日の立場がまた危うくなる気がしないでもありません。

そもそも「昭和の日」ってなんなんでしょうか?「明治の日」とか「大正の日」とか「平成の日」とかないのに「昭和の日」だけ残す意味がいまいちわかりません。

祝日法の定義だと「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ための日だということです。

昭和がどういう時代だったのかしっかりと勉強して反省して、将来のことをしっかり考えましょうね、

そういう日にしなくてはいかんのです。

本とか読んでますか?まんが日本の歴史の近代史とか読むだけでもいいのではないでしょうか?

あと映画ですな。

やはり「この世界の片隅に」はいいのではないでしょうか?

そんでもって実写版の「夕凪の街 桜の国」も見るのはどうでしょう?

あとは大島渚の「少年」とかね。

大島渚さん、すごいっすよ。なんかもう難しいですけど。

いろいろと今見ると古いかもしれませんけど、昭和の日なので、そういうのもいいかなと思います。

 

旅行したい

今年は海外旅行どころか国内の旅行もできなくなってしまうのでしょうか?

だとするとやだなぁ、旅行できないのはつらい、出張という名の旅行も今年はなしということになってしまうのか、うむむ、それはものすごくつまらない。

「いろいろなところにいってみたい」というのは、人間が月を目指したように、本能に近い部分もあるとおもうのですよ。

自分は、家でこもって何時間も映画を見るのが好きであり、平気でもあるのですが、それと同じくらい旅行するのも好きなのです。

初めての街をプラプラとあるき面白そうなお店を覗いてみたり、なにかあったら食べてみたりするのです。

そういうことが、どうもできそうにない。

こういう状態がどのくらい続くのか本当にわかんないです。

来週には終わる、とは全く思えないし、ひと月後には落ち着いているかというと、それもまたなんとなくですが無理そうな感じ。

7月にはなんとかなるかなぁという気がしないでもないですが、大きめのイベントとか地域のまつりとかは中止になっているのろみると、まだまだなんだろうなと思います。

そんな感じで8月も我慢していそう。

9月、そう9月の行楽シーズンにはなんとなく普段が戻ってくるのかもしれんという気がしますが、そういうムードで人が街に出ていった結果、また感染が増えたりして緊急事態宣言が再発したりして、結局お正月までそのムードが続いたりするのはありよりのアリなんだろうなと考えたりしています。

中国はけっこう回復しているのかな、微博とか見ていると患者さんはまだそれなりにいるみたいだし、普段どおりという感じはしません。

自分は日本国内の下関という小さな地域で生活していて、日常生活で海外を意識することはほぼないのですが、世界は自分が考えている以上に繋がっていて、日本だけがウイルスを抑え込んだからといって、心理的な状況は変わらないのだろうなと考えています。

ようするに、世界中で「コロナ禍」が収まらない限りは不景気感が続くと思います。先に落ち着いたからその国が経済的に有利だ、なんてことはなく、なんだかんだいっても世界が足並みを揃えて問題に対処していく必要があるののだろうなと思ってます。

衛生状態のあまりよくない国でウイルスが蔓延していると、たとえそれが遠く離れた地域だとしても、日本の経済に影響を与えるはずです。

そう考えるとWHOにお金を出さないという考え方は正しくはないのではないかなぁと思うのですが。「自分の国だけ」のことを考えるのは悪手ではないでしょうか?自国内の感染がおちついても、世界のどこかでアウトブレイクが起きたままだと、人の心理はそこに合わせてしまうと思うのです。

世界のどこかで感染者がいて苦難にいるとき、「もしかしたら」と不安になるのが人間です。

心や情報の鎖国はできないのですから、ことコロナウイルスを克服するときに「自分だけでも」とか「自国だけでも」という戦略は目的として意味を持ちません。

なんとなく世界が分断してしまいそうに見えてしまいますが、僕は、こういう状況だからこそ誰もが「分断してはいけないのだ」と考える、そう考えはじめることを期待していますし、そう信じています。

いろいろな差別や陰謀論とかが見られますけれども、そういうことを乗り越えて安心して旅行できるように行動していきたいと思います。

もしも自分が自民党の広報担当だったとしたら

総理の動画ですが、思いついたんですけれど、

家事をしているところをアップしたらよかったのかなと思いました。

タイムラプスで一日を三倍速くらいの動画にするのです。

朝食の準備、朝食、朝食の後片付け、洗濯、洗濯物を干す、合間にビデオチャットでちょっと仕事、部屋の片付け、浴槽の掃除、庭の草むしり、トイレの掃除、窓拭き、部屋の掃除機かけ、雑巾掛け、土間を掃く、ゴミ箱の片付けやゴミ袋のセット、合間にスマホでちょっと仕事、昼食の準備、昼食、昼食後の後片付けと皿洗い、近所のスーパーで食材とトイレットペーパーなどを買い物、洗濯物の取り込み、洗濯物を畳んでタンスの引き出しへ入れる、ちょっとテレビを見るけれども、電話がかかってくる、夕食の準備、夕食、夕食の後片付け、お風呂の準備、ちょっとジョギングとか筋トレ、入浴、風呂上がりに缶ビールを飲む・・・、みたいな感じでの動画にするのです。

実際にいつもしているかどうかは、ここでは関係ありません。

出社せずに自宅勤務していたり待機している人によりそっているのであれば「仕事に行ってないからと言ってゆっくりなんてできないよね」という気持ちに共感すると思うんですよ。

そうすることで奥様の支持も得られると思います。

「安倍首相だって、家にいるときは家事してるんだから、あなたもやって当然でしょ!」と言えるわけですよ。

一国の首相が家事を当然のようにこなしていれば、それはそれで良いメッセージになると思うし、日頃していなかったとしても、下手くそながらも、こういうときくらいは家事をするのが当然感も出すことができます。それはそれで良いメッセージになると思います。

 

とりあえず、大企業の人とか、人事とか採用の人とか、中小企業の社長さんとかは、そういう動画を作ってアップするのもいいかもしれません。

子供の宿題をみたり、風呂に入れたり、風呂上がりの着替えを手伝ったり、こどもの寝かしつけをするとか、そういうところを日頃伴侶にまかせているならば、「今日くらい自分がやるから君は動画撮ってて」なんつって全部自分がやったらいいです。

その上で「いつもありがとう」と感謝の気持ちをプラスするのもいいかもしれません。

読書メモ





先月読んだ本とか聞いたオーディブルとかです。

30代の頃は松下幸之助さんの本を読んだり戦後のいろいろな成功譚を聞くたびに「そういうなにもない時代と違って平成はなにもかもあるからなぁ」なんて斜に構えていたりしていました。

けれどもそうではないのだな、コロナショックや株価の暴落や社会のいろいろな変化に立ち会うにつれて、チャンスはいつの時代にも転がっているのだと思えるようになってきました。

とはいえ逆風といえば逆風ですが、無風状態よりもおもしろいのではないかと思ったりもしています。

戦後の混乱期に生まれた企業が大きく育ったように、今この時期だからこそ変われる気がするのです。

ジュラ紀の哺乳類のように弱々しく小さな動物がその後の環境変化を生き残ることができたように、大きな環境の変化が起きるときは身体が小さいというのはやはりメリットだと思います。

85歳まで現役でいようと考えるなら、残り30年以上もあります。

20代でビジネスを初めて50代で一山当てる、そういうふうに考えるとなんとなくワクワクしてくるのですよ。

もう一度いろいろなことにチャレンジすることができる、そんなことを考える週末の土曜日なのでした。

 

 

 

 

日曜日の朝です。

朝食を食べ終えて、歯磨きして顔を洗って着替えて、ちょっと部屋に掃除機をかけて、今ブログを書いているところです。

マイクロソフトアカウントで家のPCを起動してグーグルアカウントでクロームにログイン。

これで会社のPCと同じ環境でブログを書き込みできます。

インターネットの登場で情報のバックアップや動機がすごく楽になりました。

本当に楽になりました。1980年代の同期といえばブリーフケースくらいしか方法がありませんでした。

ブリーフケース便利だったのか?

あまり便利じゃなかったような気がします。容量も少ないし、パソコンそのものを同期するというものではなく、データやファイルを同期するというか、アナログなgitというか、非常に使いづらかった記憶があります。

さっき調べてみたらWin7までは搭載されていたんですね、ということはけっこう使う人が多かったのでしょうか?

Win10で使いたいという人もいたりすので使い方しだいなのかもしれません。

「データを人に渡す」というときに、フロッピーディスク(今の若い人はしらないかもしれません)にコピーして手渡すのと、クラウドにアップして共有するのとでは、仕事の進め方や仕組みを変えたほうがいいと思います。

あのころはリモートワークやテレワークは本当に大変だったしお金もかかりましたが、今は工夫すればスマートフォン一台あれば可能です。

実際、今のスマートフォンの性能は当時のパソコンの機能を遥かに凌駕しています。

休日の過ごし方も変わってくるし仕事のオンオフの線引も曖昧になってくる、ますます時給換算できないことが増えてくるのだと思います。

まとめ

新しい技術を使うことで仕事の組み立てや進め方を変えることができる。

ITは現在している仕事の効率を変えるのではなく、仕事そのものを変えるために使うのが正しい、のかなと思っています。

 

ということで、三日目の更新でした。