ブラック・パンサーはリーダーが組織にとって大きな方向転換をするタイミングの勉強になると思った話。

先日、映画ブラックパンサーを見に行きました。

世の中が科学技術によってそのあり方が大きく変わろうとしている時代に、ワカンダという国の王様になってしまった若者は悩むわけですよ。

「ホンマに今までのままでええんかいなぁ?」

外の世界に送り込まれた同胞は、世の中を見て思うわけですよ。

「今までのままではいかんのではないか?」

人と人の繋がり方が変わってきている時代に、今までと同じやり方ではたしていいのだろうか?

その姿勢や行動は正しいのか?

もっと違う方法があるのではないか?

世の中のあり様が、すっかり変わってきて、今まで正しかったことが揺らいでしまい、判断や対応を誤ってしまうとすべてを失ってしまう、そういうリスクが大きくなっている今日このごろなわけです。

まず大きな変化としては「うそ」「ごまかし」「かくしごと」が難しい世の中になってきたということですな。

そこで取ることのできる戦略は「正直であること」しかなくなって来てる。

そして「筋を通す」「仁義を切る」こともますます厳格になっていくのかなと思います。

とはいえ、どんなに時代が変わっても、本質とか目的は変わらないわけですよ。

「ワカンダの人が幸せに暮らす。」そのためには「迫害されている同胞もみな幸せでないとダメだ。」

キリスト教がいうところの「隣人」の定義が電話のなかったころとは大きく違ってきているわけで、「みんな」という主語についてももっと深く考えないといけないよな、なんて思ったわけです。

ゴーストスクワッド


井口昇監督の「ゴーストスクワッド」を見にいきました。

井口監督の作品で見たことがあるのは、「片腕マシンガール」「電人ザボーガー」「ヌイグルマーZ」「ゾンビアス」の四つしかまだ見ていませんのでファンとは呼べない自分なのですが、ツイッターで井口監督をフォローしていて、なんか面白そうなのと、タイミングよく東京へ出張する用事もあったので、渋谷アップリンクという小さな映画館に足を運んだのでした。

当日はけっこうな雨が降っていました。

前日と当日、20キロくらい歩いて疲れていましたし、映画館の中は暖房も効いて、椅子もゆったりしたタイプだったので、眠ってしまうかもしれない。

そう思っていたのですが、上映中一度も眠たくなることもなく、しっかりと最後まで見ることができました。

眠たくならなかったということですよ。

不条理な殺され方をした少女の復習が相手の生命を奪うことではなく、ある「救い」と「許し」だったことが、見終わった後になんというか心に染み込んでいきまして、いい映画だったと思います。

 

上映後、監督と、神門みのりさん、そして雑誌映画秘宝の田野辺尚人さんのトークショーもありました。

 

パンフレットを購入。

 

監督とみのりんのサインをしてもらいました。

 

しかし、こういうミニシアター系の映画って山口県に住んでると見ることが難しいので、amazonビデオとかhuluで見られるようになったらなぁ、と思ったり、でも大きいスクリーンで見るのもいいよな。

 

書籍が株券化する未来を考えてみる。

「漫画の海賊版許すまじ」というニュースがあったのでいろいろ考えてみた。

要は、著作者に利益が還元する仕組みがないのが問題だよね。

ということは利益が還元する仕組みがあればいいということで、いろいろ考えてみたら、ちょっと怖くなってきたのでいろいろ書き出しておく。

書籍の価格は著作者が決める。これは無料でもいいし1冊が100万円でも1億円でもいい。決めるのは自由でその価格で買う人がいればいくらだってかまわない。

出版数(いわゆる初版)はこれも著作者が決める。いきなり10万部でもいいし、1冊だけでもいい。

で当然ながら

アマゾン・マーケットプレイスで売買もできる。

販売価格が2000円の書籍を20万円で売るのも、逆に販売価格が5万円の書籍を30円で売るのも自由だ。

で、肝心なのはこのアマゾン・マーケットプレイスでの販売価格の何%かが、必ず著作者に還元されるような仕組みになっていればいいのではないか?

1冊200万円の電子書籍を10冊だけ販売して、

マーケットプレイスでの還元価格を30%とかに設定する。

マーケットプレイスでは同じ書籍が200円だったり250万円だったりとにかくいろんな価格で流通する。

200円で売り買いされれば60円が著作者に、

250万円で売り買いされれば75万円が著作者に、アマゾンから振り込まれるようになるのだ。

当然、投機的なスジの取引を行うものも出てくるだろうし、作者の望まない価格で取引されてしまい、読んでほしい人が手に入りにくい状況も産まれるかもしれない。

そんなときは、部数を増やせるようにするのだ。

著者の再販します宣言で取引価格の暴落みたいな事態もあったりするのだと思う。

「せどり」とかが一巡して新しいマネタイズの仕組みが出版業界に入ってくるかもしれない。

キンドルは21世紀の証券取引所になるのかもしんない。

お正月とかどうしたいか?

今年の正月は、「紅白」も「わらってはいけない」も録画だけして結局ほとんど見なかった。

何をしていたのかというとアマゾンプライムでひたすら鋼の錬金術師のシリーズをすべて見るという、そういう三が日でした。

うーむ、あまり有意義とは言えません。

あとは娘達と2018年の予定を立てたりとか、嵐の番組を見ているのを横目にしながら、猫と遊んだりしていました。

あと元日はスターウォーズを見に行きましたよ。

音がでかかった。

来年は山ごもりと言うかテントでも張って、夜空の下焚き火を囲んで、お酒をチビチビしたいなぁなんてことを思った。

独身のころは冬キャンプとかしてたんですが、もう15年くらいやってない。

とりあえず来年はもうしないとキメたことをここに書いておく。

雑煮は作らない(おもち食べるの俺だけだし・実家とか親戚の家で食べるから)

紅白とか正月的な番組は見ない。(地上波は生で見ない)

年賀状は書かない。

袋入りのもちは買わない(鏡餅があるので)

あと三社参りを元日の夕方にしたのは正解だった。

駐車場とかスムーズに停められたので楽だったし、実家の挨拶もこの日に済ませたので、あとが楽だった。

ソロモンの偽証

映画「ソロモンの偽証」を見た。

原作の小説は未読なんですが、面白かったです。原作も読んでみたくなった。

どんなストーリーなのか前知識ゼロで見たので、そこも良かったのかなと思います。

ちょっと変わった法廷ドラマという感じのミステリー作品というよりは青春映画だなぁと思いました。

前後編合わせて4時間を超える長編映画ですが、時間の長さを感じさせない展開で楽しめました。

ですから謎解きのような展開を期待している人にはちょっと肩透かしをくう内容なのかもしれません。

中学生にとっての生きる意味とかそういうことをいろいろ考えてしまいましたよ。

自分の娘も、この映画に出てくる子どもたちと同じ年齢なのですが、幼いようでも実際はたぶんいろいろなことを考えているのだろうなあと思います。

人は生きていく上で白黒ハッキリさせないといけないことがでてくる。

それをグレーなままにしておくことが「大人になる」ということなのかもしれないのだが、

ある時点で白黒つける、ケジメがついていないと、あとの人生でなにか決断を迫られたときに、つねに自信が持てなくなってしまうことはあるような気がする。

「あのときああしたらよかった」という後悔の念がつよければ、自分の行動になんらかの影響を与えるのだけれぼ

「あのときああしたらよかった、かもしれないけど、まぁべつにしなくてもよかったかもしれない」

なんてまま大人になってしまうと、いつまでたっても決断のできない人間になってしまうのだ。

納得できないことを受け入れる器量だ。

けれどもその器量を大きくする、人間の器を大きくしようと思ったら、

白黒きっちりつけて、前に進んで行くしかないのだろうな、とそんなことを思い出す。

「まぁいいか」

「別にたいした問題じゃない」

そういって慰めた過去から逃れられないまま大人になるのは、それはそれで辛いことなのだ。

その辛さを見つめた上で

偽証は怖い

とも思う。

でも、真実の証言も大切。

力を持つのは結局本当のことだと思うし、嘘は隠せない、悪さはごまかせない世の中になっていくのだと思う。

#metooのツイートを見ながら、
なんというか、世の中変わり始めたなぁと思う。

維新150周年

150年かけて増えてきた人口が150年かけてもとにもどるということなんだろうなーと単純にそう思うだけなんですよ。

ただ明治維新の頃とか社会の年齢構成は全然違って、それはもうお年寄りばかりになってるのか?っていうと
そうでもないという気がする。

50年くらい未来までの人口推計はかなり正確らしいのだが、100年になると不確定要素が多すぎて信憑性がかなり低くなる。

例えば、お隣中国の深センなんて、この十数年でものすごく人口がふえているのだが、そういうことが50年後の日本で起こらないとは限らない。

ただ、50年後の人口推計については、かなり確実な未来なので、今後2~30年後くらいまでは、その数字を基本と言うか土台として人生計画を立てる必要があるのは間違いないと思う。

国土交通省のグラフはかなり正確なものだけれども、2050年以降は推計に巾があるようにみえる。

もちろんものすごい災害や日本沈没のようなインシデントがあるかもしれないけれど、そういうことは考えても仕方がない。

とりあえず、今中学生の娘が自分の今の年齢になる35年後はけっこうリアルな情報を得ていると思うので、とりあえず今は今できることをやっていくのが正解なのだ。

ただ世界全体の人口についてはアジア・アフリカで今後もジャンジャン増え続けるのでどうなんだろう大丈夫なんかな、とも思う。

プラネテスを観た


アマゾンビデオでプライム指定が入っていたので、イッキ見しました。

プラネテスの舞台は2075年ですから今から約60年ほどの未来、
作品の公開は2003年ですから今から15年ほど前になります。
そして原作のスタートは1999年のことでした。
パトレイバーでもそうなんですけれども、当時なかったものはそのころの未来予想にはなくて、
携帯電話(パトレイバー)とか薄型テレビ(ブレードランナー2049)とかSNS(プラテネス)はそれぞれの未来に出てきません。

今からだったらドローンが未来世界でどのように扱われるかなんですけれども、ドローン的なものは、1990年代のSFでもけっこう出ていたような気がします。

これはドローンそのものがラジコン飛行機であったり無人偵察機であったりとその概念自体が以前から存在していたということですね。

8Kや立体映像などのテクノロジが今より一般化するとまたちがった概念が産まれるかもしれませんな。

映画「ブレインストーム」みたいな脳に直接イメージを送信するような装置とか出てくるとまた違うかもしれませんし、小説のオルタード・カーボンのような人間の魂がデータ化されてる未来にはまた違った概念が生まれてるかもしれません。

いずれにしろ20年後とかの未来においてテクノロジーというのは、「まったく違う普通」の上に成立していくのだろうなと思います。

まぁその上で変わらない原則のようなものはあり続けるのでしょうけれど。

echo dotが来た。

スマートスピーカーというやつですね。

一番安いので基本的な機能は全部使えるみたいで、値段の違いは音質の違いくらいしかないとの判断で、置き場所も考えるとちっこいほうがいいかなぁということで、これにしましたよ。

まだ、箱からだしてません。

今夜あたりセッティングしてみようと思ってます。

それはそれとして、先日やっと「ブレードランナー2049」を見に行きました。

頭の中ではずっと前作のサントラが流れておりました。

でたまたまなんですけど、邦画の「クリーピー 偽りの隣人」を直前に見てしまったので、このシーン見るとなんというか、サイコパスなのは人間なのかレプリカントなのかよくわからなくなってしまいましたよ。

映画の中でジョイというAIのホログラフな女の子が出てくるのですが(これがめちゃカワイイ)
「アレクサもあと30年くらいすると、こうなるのかなぁ」
なんてことを思ったりしました。

前作は舞台が2019年の11月なので、二年後の世界ですよ。

実際にはレプリカントは世の中にはいませんし、空飛ぶ自動車も実用化されていないので、現実は追いつけなかったのは残念ですが、音声入力や音声検索については2年後には追い付けそうな気がします。

あと立体英道についてはアスカネットさんが頑張ってらっしゃるので来年は実物をぜひ見に行きたいと思っております。

辛くて美味しい

先週、ちょっと韓国は釜山まで行ってきました。

料理の味付けで違うところは、やたらと辛いところですな。

辛いものは好きなんですけれども、大抵の料理にトンガラシが入っているのです。

この辛さのせいで、食事が合わないという人の話もよく聞きます。

トンガラシに入っているカプサイシンはダイエットにもいいという話。

確かに辛いものを口にすると汗が出てきますし、たしかに痩せて行けそうな感じ。

外食産業で海外進出するときは、なんだかんだで、現地の舌に合わせて味付けを変えることが必要と聞いたことがあります。

ローカライズがうまくいくと成功するらしいです。

 

韓国のロッテリアとかやっぱり味付けがちょっと違いますし。

 

でも自分は日本の味になれているので

やはり日本のもののほうが好きだったりします。

味覚というのは育った土地の影響がやはり強いと思います。

 

でも、いろいろな国に合わせたチェーン店の食べ物を食べるというのも旅行の醍醐味ですな。

 

日本のマクドナルドでもクレジットカード払いが今月の20日からできるようになってます。

 

けっこういろんな店でカード決済ができるので、これは日本でも進んでほしいなぁと思います。