ソロモンの偽証

映画「ソロモンの偽証」を見た。

原作の小説は未読なんですが、面白かったです。原作も読んでみたくなった。

どんなストーリーなのか前知識ゼロで見たので、そこも良かったのかなと思います。

ちょっと変わった法廷ドラマという感じのミステリー作品というよりは青春映画だなぁと思いました。

前後編合わせて4時間を超える長編映画ですが、時間の長さを感じさせない展開で楽しめました。

ですから謎解きのような展開を期待している人にはちょっと肩透かしをくう内容なのかもしれません。

中学生にとっての生きる意味とかそういうことをいろいろ考えてしまいましたよ。

自分の娘も、この映画に出てくる子どもたちと同じ年齢なのですが、幼いようでも実際はたぶんいろいろなことを考えているのだろうなあと思います。

人は生きていく上で白黒ハッキリさせないといけないことがでてくる。

それをグレーなままにしておくことが「大人になる」ということなのかもしれないのだが、

ある時点で白黒つける、ケジメがついていないと、あとの人生でなにか決断を迫られたときに、つねに自信が持てなくなってしまうことはあるような気がする。

「あのときああしたらよかった」という後悔の念がつよければ、自分の行動になんらかの影響を与えるのだけれぼ

「あのときああしたらよかった、かもしれないけど、まぁべつにしなくてもよかったかもしれない」

なんてまま大人になってしまうと、いつまでたっても決断のできない人間になってしまうのだ。

納得できないことを受け入れる器量だ。

けれどもその器量を大きくする、人間の器を大きくしようと思ったら、

白黒きっちりつけて、前に進んで行くしかないのだろうな、とそんなことを思い出す。

「まぁいいか」

「別にたいした問題じゃない」

そういって慰めた過去から逃れられないまま大人になるのは、それはそれで辛いことなのだ。

その辛さを見つめた上で

偽証は怖い

とも思う。

でも、真実の証言も大切。

力を持つのは結局本当のことだと思うし、嘘は隠せない、悪さはごまかせない世の中になっていくのだと思う。

#metooのツイートを見ながら、
なんというか、世の中変わり始めたなぁと思う。

ウォーキング・デッド

先月からついに手を出してしまった。

この手のドラマはついつい「あともう一本見てから寝よう」となってしまう恐れがあったので、

できるだけ近づかないようにしていたのだが、

先にこれを見てしまった。

あやはり元ネタをみていないとわからないのである。

なぜ息子の名前を間違うのか、どうして主人公はあんな話し方なのか、

そういう部分のツッコミは、「ウォーキング・デッド」のシーズン1と2を見ていないとわからないのである。

しかたがないではないか。

パロディ映画を見たときはやはり元ネタに敬意を表すためにもしっかりと鑑賞しなければならないのは義務なのだ。

で、このウォーキング・デッドシリーズですが、今日の時点でシーズン6の第6話の途中まで見ている。

アマゾンビデオなので、スマホで見たりパソコンで見たりしている。

FireTVはまだ持っていない。

それを買ってしまうとなんだか時間が取られ過ぎそうな気がするので

猿になってしまいそうなので自制している。

見て思うのは、ソマリアとかちょっと前のコソボとか、日常的にテロが起きていてほぼ無政府状態の地域というのは、こんな感じなのかもしれないということだ。

現実にはバイターもウォーカーもいないけれども、

無政府状態に置かれてる総督いるのかもしれない。

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