今日はあきらめました。

さて、ブログ書こうかなと思いPC の前に座って電源を入れたところ、更新しますか?ということで、まあ、すぐ終わるだろ、と思い更新かけてみたところ、2時間が経過。

ぜんぜん終わりそうにないです。

今回の更新プログラムのインストールは、無茶苦茶時間がかかるみたいなので、仕事が終わってからする様にしましょう。

 

成長したくない、というか変化がとにかく嫌だという人もいる

自己啓発の本とか売れているっぽい気がする。

実際に出版業界の人から直接聞いたわけではないのだが、書店の店頭とか平積みを見ていると、売れ筋のラインアップなのであろうというふうに読み取れる。

売れているからと言って、そういう本を、すべての人がすべての人類が読んでありがたがるのかっていうと、そういう自己成長とか努力とかスキルアップとか、別にいいっす、遠慮しておきますよという人が少なからずいるのだ。

成長したくないわけではない、とにかく現状を変えるのが嫌なのだ。変化がとにかく苦手で、現状維持したくてたまらない、同じことを繰り返したい、そういう人がけっこうな数いる。

仕事ができないわけでもなし、依頼したことはきちんと丁寧にこなす事ができる。ただ変化したくないだけなのおだ。同じ環境にとどまりたい、じっとしていたい、待っておくのが一番、自分からはけして動かない、そういうモチベーションというか生存戦略をとっているのだと思う。

人類は多様性を武器に種全体を反映させてきた。

人類すべてが成長志向、イケイケドンドン、当たって砕けろ、とにかく前へススメ!みたいな性質しかなければ、ここまでの繁栄はなかったであろう。

恐れたり、怖がったり、ビビったり、とにかく消極的に、じっとしていたい、自ら動いたりリスクを取りに言ったりすることはけっしてない、そういう性質を持つ人も一定数いたからこそ、絶滅しなくてすんでいるのだと思う。

何かを維持したり、サービスをとにかく安定させたりする仕事もある、世の中には、地味で変化に乏しく、もしくは変化を良しとしないルーチンワークがあるのだ。

そしてそういう業務を必要とするのは、インフラストラクチャーの分野にやはり多いのであろう。

創意工夫することは無論ゼロではないのだが、とにかく決めたことを忠実に淡々とこなす、地味で目立たず注目されない、しかし、それがないと誰もが困ってしまう。そういうお仕事だってあるのだ。

アフターコロナの世界でも人はご飯を食べ、風呂に入り、うんこをして、眠ったりするのである。

インフラのお仕事は、そういう人の根本的な本質的な生活の質を底上げするのだ。

マニュアル通りに決めたれたことを決められたとおりに遂行するのも大事なお仕事なのだと思う。

 

変化しない人も、世の中には必要なのではないかな。

サボってるのはバレてますよ。

テキトーなところで手を抜いたり、休憩時間を長めにとってり、雑談したり。

まぁ仕事は効率よく行うことが大事なのであり、途中で邪魔されないように集中するためにも、とりあえず時間のメリハリは必要で、そのたまには一日中張り詰めた糸のように神経を尖らせておくのはなく、適度なタイミングでゆるめることも必要なんだろうなということはわかる。

その上で、あぁ本当にこの人は仕事を頑張っているな、とか

頑張っている感は出そうとしているけれども、ホントはそうでもないな、とか

頑張っているかもしれないけど、方法がちょっと間違っているな、とか

人それぞれ、アピールの仕方もあるし、報告のやり方や濃度も変わってくる。

組織経営においては人を評価するというのはけっこうむづかしいと考えられている、そして本当に難しいよなと、思う。

人によって評価されたいポイントが違うし、ものさしも違ってくる。

会社としてはポイントやものさしを明文化して、一つの指標を元に、行動や習慣を「できている」「できていない」で評価する。

 

「できている」ことが多ければ評価は高くなるし、「できていない」ことが多ければ評価は低くなる。

でもう一つの評価の軸としては

「やってる」「やっていない」の評価だ。

本人は「やってる」というふうに思っていても、周りから見ると、そのやってることがどこかズレていて、忙しいと仕事を自分は頑張っているのだと思っているのではあるけれど、実際は評価には反映されなかったりする。

上司とかマネージャーは「なにを期待しているのか」「どんな結果を出してほしいのっか」を明確に定義しないといけない。

「なにを期待しているのか」は「業務命令」だったり「仕事の依頼」「委任」に明記されていないと意味がないし、その仕事をしたことで得られる成果や、フィードバックされるメリットの形で伝えることが大事なのだろう。

「ひまそうだから頼むよ」というのはあまりいい言い方とは言えない、これは失敗した伝え方なんだろうと思う。

他にも「時間がありそうだからおねがい」というのもあまり良くない気がする。

相手を思いやっているようで、どこか嫌味じみた言葉遣いになっているような印象がある。

あと他人がサボっているように見えたりズルしているように思えたり、そんなふうな気持ちになるのは、わりと自分がサボりたいからとか、サボっているのをごまかそうとしているだけ、ということも結構ある。

自分んお仕事ややることに集中していると、チームの他のメンバーがサボっているように思えてくることも多い。

人のことが気になる人は、ようするに暇な人なのだ。

 

継続は力なり

芸人の波田陽区さんが紙切り習得に挑戦している。

第1回目はこんな感じ

2回目はこう

41回めはこう

ドラゴンボールの魔人ブウは一番最近のですから明らかに上達しているのがわかります。

100日とか1000日とか続けると相当レベルアップするに違いないですよね。

とりあえず自分もiPadでイラストの練習を始めてみます。

15分だとこなんもんだ。

アプリの操作方法をよくわかってないのでちょっとづつなれていこうと思う

 

 

 

言葉について考える「規律」

こういうツイートがあったので考えてみる。

ここで言う「規律」は英単語にすると「Discipline」「Rules」「Order」「Law」と候補があがってくる。

それぞれ「規則」「ルール」「決まり」など微妙に意味が違ってくるのだけれども、日本語のそれぞれとは重なる部分があったり、違ったりするところがある」

「規則正しい生活」だと「Regular Life」だったりする。

ちなみに「Discipline life」だと「躾の生活」という意味になる。

「ルールを守らせる」と「躾ける」だとまた意味合いが微妙に違う気がする。

このあたり企業文化とかコンプライアンスとか今話題の「新しい生活様式」とか、言葉の意味をよく考えて定義し直してみると、世の中がどう変わっていくのか感じ取れるように思える。

「規則」や「ルール」は住んでいる環境によって変わってくる。

四季があって水が豊富で、海にも山にも違い環境。

都会で地面がほとんどなく、コンクリートばかりの環境。

年に雨が降るのが非常に稀で土地がほぼ砂漠の環境。

高温多湿で一年中雨が降ってばかりの環境。

ヒトが集団で生きていくときに前提条件となるのが環境で、

「規律」は当然その環境によってデザインされる。

 

社員数が三万人の大企業と、従業員が7人の零細企業だと「規律」は変わってくるし、それに伴って必要な躾も変わってくる。

会社がどんどん成長して人数が増えていくようになれば「規律」や「規則」が変わってくるのは当然だと思う。

 

自分が所属する集団の「規律」が、他の集団では守る価値のない決まりになってしまうのは、よくあることだし、本社と支社や支店によって「規律」は変化していく。

それぞれの環境に合った「規律」のあり方が求められるのだと思う。

業界によって「規律」のあり方は違う。

建築業界と医療業界、IT業界、それぞれの業界に即した「規律」が存在するし、そのぞれの業界でも集団の大小によって「規律」のあり方は変わってくる。

ある業界でうまくいってる要素としての「規律」をそのまま取り入れても効果がなかったり、あるいは逆に勢いとか能力を悪くしていしまう「規律」もあるのだろう。

「規律」は時と場合、環境、目的、とれる手段や手法、様々な技術やインフラによって、最適解が異なってくる。

そして、その「規律」を決めるのはやはりリーダーの役目なのだ。

リーダー、企業にとっては経営者が「規律」を明確にする必要がある。

会社の「規律」がどうあるべきかは、定期的に見直す必要があるのだろう。

今は、特に外部環境が大きく変わる時代だ。

「規律」を見直しつつ、絶対に変えてはいけない「規律」は何かを明確にしよう。

ちなみにうちの会社の規律はけっこう緩い。

 

来季とか5年後とか

アメリカの大統領選挙が11月に行われる(たぶん)トランプ大統領が再選を果たすかどうかは、今の所わからない。

全く予想がつかないです。

オバマ元大統領とトランプ大統領ではやっぱり方向性が全然違うなーという気がします。

オバマ元大統領は

「(暴動などではない)別のやり方でやりましょう。

私達の声が重要ではないと考えるのをやめて、投票しよう。

大統領だけでなく、自分たちが誰に投票しているのかを知ることだ。

そして、それが私達が彼らをうまくやる方法だ。」

とツイートしています。

一方トランプ大統領はトム・コットン上院議員候補のツイートに

YES! と応えているわけです。

「無政府状態、暴動と略奪は 今夜中に終わらせるべきだ。

地元の法執行機関が圧倒されていて支援を必要としているなら

アンティファのテロリストどもが第101空挺師団と対決している時、どれだけ耐えれるかみものだ。

我々は、この破壊行為に対してゼロ・トレランス(無寛容)を持つべきだ。」

次の4年間を誰が大統領をやるのかによって世界がどう変わるのか、本当にわからない。

 

自分はいわゆる陰謀論を唱える人とはちょっと距離を置きたいと考えているのですが、このトムコットンさんにしてもトランプ大統領にしても陰謀論的な発言が多いので、なんだかなぁと感じています。

 

「デトロイト」のころと今


映画「デトロイト」をアマプラで見ました。

1967年が舞台の映画なんですけれども、半世紀を過ぎてもまだまだ変わっていないのだろうなと、そういうことを感じさせる事件が今現在進行形でおきています。

社会や制度が変わるのには長い時間が必要なんだなと思います。

ただ、今回は暴動とかあっても、なんというかいろいろなことが可視化されて、今までとは違う状況を生み出すようなそんな気もします。

映画「デトロイト」では警察官は無罪になっているのですが、今回は無罪ではないっぽい感じですし、なにしろ映像とかそのときの状況が世界に配信されたりと、50年前とは違う展開を見せています。

例えば、今回映画「デトロイト」のような状況が起きたとして、モーテルにいた人たちがみなスマホを持っていて、現場中継していたとしたら、違う結果になっていたと思います。

「グラン・トリノ」「グリーン・ブック」「ミシシッピ・バーニング」など人種差別をテーマにした映画は多いです。

どの映画の舞台にもスマホはもちろんSNSは存在していません。

最近はSNSの描写を劇中に取り入れる映画も増えてきました。

自分は映画というのは、時代の象徴を先取りする部分もあると思っています。

「ゲット・アウト」という映画があります。

この映画もテーマには人種差別があるのですが、キーアイテムとしてスマートホンとSNSが交わっています。

主人公はスマホがあったおかげで助かったとも言えると思います。

twitterが誕生したのは2006年。まだ15歳のサービスですから、いろいろ足りない部分もあるかもしれません。

それでも、世界は良くなっているんじゃないかなと感じたりもしています。

映画「デトロイト」を見終わったときの無力感ややるせなさが何ヶ月後にはなくなっているといいなと思います。

 

 

 

 

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