うちの女性社員の間で、
「一人で飯屋に入れるかどうか」というようなというような話があり。
「吉野家はムリ」ということだった。
女性が一人で吉野家にランチで行くというのは、なんかハードルが高いらしいのである。
おっさんとしては、そんなもん食べたいのなら食べればいいのに、としか思わないのだが、自己イメージとかなんかあるらしい。
「一人で牛丼を食う女」というイメージがなんとなくよくないのかな。
というか「オッサンが食べるとこ、それが牛丼屋」というような規格が彼女らのところにあるのであろう。
ちなみにマクドナルドは一人でも行けるそうなので、世の中のブランドイメージというのは、どこまでそういうイマジナリーウォール(空想上の壁)をいくつも超えた先にあるのであろうと思う。
で、なんらかのパッケージングやらネーミングでそれらの壁を超えたところに何らかのビジネスチャンスが転がっているのかもしれない。
ただ、牛丼屋が女性客を取り込もうとするのは、戦術としては間違っている気がする。牛丼はオッサンや汗臭い肉体労働者のモノであり、家族連れすらどちらかといえば遠慮しておいたほうがいいような食だと思うのだ。
お昼時、短い時間で、ガッツリ腹一杯になる、というニーズの具現化したものが牛丼なのだと思う。
間違っても女性向けメニューとかつくってはいかん。
作るんだったら別店舗にするとか、別ブランドでするとか、そういうのがいいのかもしれない。
ただし、うちの女性社員を見るに、「お昼時、短い時間でガッツリ腹一杯になる」というニーズを持っている人はいない。
「ガッツリ腹一杯になりたい」とは肉体的に精神的に欲していないっぽい。
どちらかというと肉体労働しているわけでもないし、事務職の社員はお昼ごはんやできるだけカーボンオフかつ低カロリー低脂肪を求めているのが現状だ。
お蕎麦屋さんはなんとかその壁を越えようとしているのかもしれない。
佐藤栞里さんが、ものすごく頑張っている。
というか本人にはがんばっているという気持ちはなく本当に単に好きなだけなのだと思うけれども、テレビとかで食べっぷりを見るに、
「あぁ、女性が一人で蕎麦をすするのはアリよりのアリなのではないか」
という思わせるだけの絵力があるように感じる。
女性のひとりランチ、牛丼屋はなしだけれども蕎麦屋はアリ。
その分水嶺が今なのだ。
蕎麦屋にとって今がチャンスなのだ。
蕎麦をテーマにした漫画はオッサン向けのものしかない。
今がチャンスなのだ、蕎麦屋に一人で女性が入れるようになるグッドのタイミングなのだ。
ただしそれは、メニューの女性化とかなんというか盛り合わせを変えるとか、そういうのはなしだ。やってはいけない。
あくまでも今の蕎麦の食べ方をそのまま、女性が一人でランチするのを全肯定するそういう筋を通さなければいけないと思う。
つまりケツネコロッケのお銀を佐藤栞里主演でドラマ化するのだ。
すなわち『女立喰師列伝』のリブートだ。
監督は押井守で。