用意と準備

用意と準備、よく似た言葉で日頃はあまり区別せずに使っているような気がしますが、微妙な違いがあるのだなと考える。

例えば「準備運動」とは言いますが、「用意運動」とは言いません。

「用意周到」とは言いますが、「準備周到」とは言いません。

「準備万端」とは言いますが、「用意万端」はあまり使われてません(誤用かもしれません)

「準備」というのは「次になにをするのか(行動)が明確になっている」ことなのだと考えています。

一方、「用意」というのは「次になにをするのかが明確ではなにが、なにがおきても対応できるようにしておく」という感じで使っている気がします。

 

例えば、何かやらなければならないことがあるときに。

「〇〇の準備はできてる」

「◯◯の用意はできてる」

だとそれに対する距離感が違うような感じがします。

 

「登山の用意はできてますよ」と「登山の準備はできています」だと、どっちが高い山に登るのだろう、と考えたときに、「準備」の方が山が高いような感じがする。

「試合の用意をする」と「試合の準備をする」もどんな試合なのか、勝てそうなのか負けそうな試合なのか、全国大会なのか、町内会なのか、

意気込みとかそういうのによって、やらなくてはいけない行動が「用意」なのか「準備」なのか変わってくるような気がする。

「用意」というのは実際の行動とか道具とか手順を必要としているわけでなく「今、手元にある手段」でなんとかしてしまうことができる。

「準備」は「今、手元にない手段」が必要だったり、実際にものを揃えるとか、手順を明確にしておくとかする必要がある。

 

あと、指示する側やリーダーが「準備しておこう」と言っても、指示を受ける側は「用意しておこう」くらいのニュアンスで理解していると、違った結果になったり、予定していたような成果が得られなくなってしまう。

 

 

「明日の準備をしないとな」

「明日の用意をしないとな」

そう頭の中で考えたときに何が思い浮かぶのだろう。

「来年の準備をしないとな」

「来年の用意をしないとな」

思い浮かべる景色はどんな感じなんだか、その違いを確かめるのも面白い。

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