そういうわけでシン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきました。
自分はテレビ放送があった当時はもう社会人になって地元に帰ってきておりましたので、なんといいますか、そろそろオタク的なコンテンツから若干距離を置きはじめてはいたころで、何回か本放送を見たのですがサハクィエルのあたりで脱落してしまったのです。
その後レンタルビデオで最終話まで見て正直「なんだこりゃ?」という記憶が残っていたのだな。
その後、劇場版を見たりしてエバンゲリオンというコンテンツを楽しんでました。
今回の新劇場版もまったく違うものになりそうで「あれでしょ、Qの予告編とかも本編では出ないんでしょう」と思ってたらそのとおりでした。お約束でよかったです。そういうの大事。
実際、エバンゲリオンにハマっていたのは、自分よりも一回り下くらいの年代で、同年代で見ているという人はいなかったような気がします。
さてそんなテレビ放送が終わって25年。
今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版は当時碇シンジと同じ年齢だとすると現在39か40歳になっているんだと思うのですよ。
自分はもう今年54になるんですけれども。
まぁこの年齢になって確信するのは、大人とか子供とかって、結局相対的なものでしかないのかなってことですな。
年の離れた人間が二人いたら、若いほうが子供、年取った方が大人の役割をする。
それは相対的なもので文句を言っても仕方がないのだな。
先に生まれたほうが大人になってしまうし、そうなってしまっているからこと大人の方が大人の役割をしないといけないルールになってはいる。
あと冷凍睡眠とかオルタード・カーボンっぽい肉体の再生とか、記憶のバックアップとか、義体化が進むと、大人とか子供の概念や役割が変わっていきそうな気がする。
ある日、自分の前に現れた子供が曽祖父だったり、自分の娘の結婚相手が、自分の父親だったりする未来もあったりするのだ。
現実問題として、LGBTとかの標準化で、親子関係というものはこれから先あやふやな複雑な関係にほどけていくような気がする。
そんなわけでラストシーンで大人になったシンジくんといちゃつくのはカヲル君だろうかとか思ったら違った。