ノマドランド


近所の映画館でやっていたので見に行った。
映画というよりもドキュメンタリーと言ったほうがいいような作品。

いろいろと考えるところがです、自分の中でも答えが一つに定まらないというか、選ぶのも幸せなのかどうかも結局は自分次第なんだろうなというような考え方に落ち着く。

ノマドとかワークキャンパーとか、一昔前で言うとフリーターとか、いわゆる定職につかず、自由気ままに暮らすというか、資本主義的な成功価値観とは少し違ったところで暮らしている人々の物語。
今回、アメリカでこういう暮らし方をしているという人について興味が出たので、原作本の「ノマド 漂流する高齢労働者たち」というのを買って読んでいるところです。
ホームレスじゃなくてハウスレスな生き方。
好きでやっている人
しかたなくやっている人
いつでもやめられる人
いつでもやめられると思っていたのにやめられなくなってしまった人
やめられなくなってしまう原因はいろいろある。社会環境の変化とか、生活様式の変化とか、単に年齢を重ねてしまったとか、怪我をしたり病気になってしまったりとか。

人は、いつでも違う生き方ができる、今とは違った生き方を選択することができる。そう考えられるうちは幸せを感じると想う。
そこには希望があるからだ。
「まぁ、今は大変だけれど、まだ終わりじゃない」
そういう未来が見えているなら人は幸せなんだと想う。

アルバイトではなくてフリーターっていっても本質的なものは一緒だったりするし、家事手伝いは無職だし、シャアハウスは貧乏長屋っていうことだし、呼び名は違っても、その本質は同じなんだろうと想う。
本質は同じであるからこそ観念に左右される。
同じ状態でも人によっては幸せこのうえない場合もあるし、不幸で不幸で辛抱たまらない状態の人だっている。
見る人によって違うのだろう。

amazonでワークキャンパーとして労働することは、好きでやっている人にとっては天国かもしれないが、しかたなくやっている人にとっては地獄なのかもしれない。

そこが天国なのか地獄なのか決めるのは、そこにいる人々の考え方という長い箸の寓話。

インターネットは遥か彼方のビットを取り寄せることができる長い長い箸みたいなもの。

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