トゥルーマン・ショーという映画がある。1998年の公開だから、今から20年以上昔の作品だ。
そんな作品だから今の若い人は見たことがなかったり知らなかったりする人も多いだろうと思う。これから書くことは見たことがある人との会話前提なので、全くわからない人にはわかんないかもしれないけど、自分の考えをまとめるために書くのでそれはそれでいいのだ。
Youtubeが誕生したのは2005年なので「個人の生活をブロードキャストする」という概念は1998年にはまだ薄かった。
コーヒーポットの公開が1991年でネットを使ってブロードキャスティングなんていうのは人々の間にアイデアとしては現れていなかったと思う。
もし、すべての人がトゥルーマンのようにその生活をオープンにしていたら、どうだとろうか、そりゃ隠し事はできないし、秘密はもてないし、恥ずかしいことも見られちゃうのはどうかと思うけれども、ある程度自分で情報の公開範囲をコントロールするとしたらどうだろうか。
此処から先はちょっとカメラをオフしますね
というようなモードもちゃんとあるとして、、で、そういう人の生活とか考え方とか行動をそれなりに共有できるのが当たり前になっていると、人の認知コストとか信頼コストとか関係構築コストとかが低くなるのではないかしらと思うのだ。
SNSがより協力でインフラとしての機能とか性能とか性格とかが重要かつ巨大な力をもつとしたら、それはやはり個々の人間が、できるだけたくさんの情報をログとして残していくかどうかにかかっていると思う。
自分の信頼を担保するために自分の考え方や行動や成果をネットの世界にログ化していく。
そうゆう正解の果てになにが生まれるのだろうか、そういうことを考えてみる。