ソーシャルネットワークと履歴書とポートフォリオ

ライフジャーナルとかライフログとか、日々の活動をキロスすることと、ブロックチェーンによる改竄防止の技術と結びついていったり、相互レビューのシステムによって信頼関係や信頼強度が数値化される世の中になるかもしれません。

この人は信頼できる
この人の仕事はよい(よかった)
またこの人と一緒に仕事がしたい

そういう評価が可視化されるようになるのかもしれない。

プライバシーとかとの兼ね合い。

人がみな可視化を望んでいるわけではないということもある。

給与や報酬のオープン化というのもある?
仕事を出す受けるの関係性に置いて平準化していくような仕組みは正義なのか。

インボイスや消費税の関係もあって、この数年間のうちにますます差が広がっていく。

履歴書や会社紹介のAPI化が進む。
レポートや日報が日々重なって行く、公共の財産になる。

情報の共有が進む

 

そもそも外国人の単純労働者が日本に来るのかどうか、10年後はもしかしたら日本に働きにくる人なんていなくなってしまうのは?

なんていうことも考えられる。

 

2001年はどんなだったか?

明日から夏休みに入るので本を読んだりとかいろいろな考えを書き出してみたり、あと金子商会ニュースの8月号のネタを書き出したりする予定。

具体的には20年後はどんな感じな変化が起きているのかとか。
で、これは20年前の2001年の社会と2021年の社会を比較することでなんか変化が予想できるかもしれないなと思ったり。

比較点として、さらに20年前の1981年とさらにその前の1961年も比較すると面白いかもしれない。
1961年は電話はもうあるから通信速度という概念は数値化できているはず。
だから通信速度はどうだったのか、世界情勢はどんな感じだったか。
人の収入とか死亡率とか平均寿命とか日本や中国のGDPだとか、いろいろな数字を俯瞰して2041年頃は少なくともこんな感じの世の中にはなっているだろうな、というような予測は立てることができるような気がする。

量子通信とかなんだかよくわかんないけど最先端の技術というのはまだまだたくさんあるみたいだし20年後はやはり想像のつかないような世の中にはなっているのかもしれない。

こことか読んでみたりして、そういえばあのころはこんなだったなぁなんてことを思い出しながら過去の延長線にはない未来を想像したいと思う。

ただ2003年頃には携帯電話が端末になる未来は見えていたし、SNSのような音楽のレコメンドもでてくるだろうなとか予測はしていたように思う。

 

 

8月号のネタを書き出していくメモ

デジタルツインとか2050年以降のネット環境は現実の人生観をどう変えてくのか。
人体の拡張や各種センサーのインプラント化によっての認知の変容がおきたり。

コレまで見えなかったこと聞こえなかったこと感じなかったとこの認知が進む。
紫外線を見ることができるとか、超音波が聞こえるようになるとか、地磁気を認識できるようになるとか。

人体感覚や触覚の外部化装置化プラグインというかプラグオンというか人類の認知拡張が低コストで爆発的に起きる。

意思疎通の仕方が変わっていくかもしれない

非言語野での情報交換を介さないコミュニケーションや情報・感情の表現の可能性について考える。

感情をダイレクトに共有することが果たして可能なのか、

ライフログをより一層高品質にすることで、追体験の質が変化していく。

光刺激による意思疎通

言葉の代わりにQRコードのような画像の点滅やパネルのようなマトリックスによって超高速高密度な意思疎通も行えるようになる一部の人間達。

人は「音(言葉)に置換した形」でしか表現や疎通を行うことに特化されている。

例えば、一枚の写真を見せて相手に「意思」を伝えることはできない。

画像では「相手に何をしてほしいのか」は伝わらない。文字にするか言語化しないと意思の疎通はできない。

 

文字というかいわゆる「言語」にしないと意思の伝達というのはできないのだけれど、例えばVR空間ピクセルのデザインで意思疎通を直接行うことだってできるようになるかもしれない。
生まれたときからQRコードのようなものを使って意思疎通を行えることができるように脳が対応していくかもしれない。

VRであるかどうかわからないけれども、ネットに繋がった状態で言語でなく何らかの電気シグナルで意思の疎通を行うことに抵抗のない脳神経の構成を持っている人のコミュニケーションのあり方というか。

 

PKディックの短編集でもそういう小説があった(タイトルは忘れてしまった)ような気がする。

自閉症(?)の人物が、ものすごく高速で世界を認知しているので、多くの人はその自閉症の人の認知している世界を理解できないみたいな、そういうお話だったような記憶がのこっている。

あと映画「コンサルタント」のジャスティーンという女性がいるのだけれども、彼女はネットを介してコミュニケーションをすることができるし、特殊な能力もあるという設定で。もしかしたらネット空間で非言語系のコミュニケーションをする能力があるとしたら、リアルでは、彼女のような人物になるのかもしれないとか考えてみたり。

例えば今朝あなたが見た夢は、自分自身にとっては言語を介さない表現ではなかったか?

「見た夢を思い出すことができる」ということは、同じ夢を他人と共有できると仮定したときに「言語を使わないで意思を伝達した」ことになるのではないか。

VRアバターが見た夢はそれは言語野を介さないコミュニケーションとして成り立つのではないだろうか。

デジタルツインの見た夢は新しい進化のシナリオの一歩目であるとは言えないか。

言語は人間だけに与えられたものなのか、言語があたえられたからこそ人間として進化したのか。

「言語が可能にしたもの」ではなく「言語を可能にしたもの」生物言語学とか
https://www.toyo.ac.jp/uploaded/attachment/20413.pdf

生まれたとき、あるいは生まれる前からインプラントなど電脳化によって攻殻機動隊のように電脳化だとと、頭脳が直接ネットワークされる未来に置いて、人の意思は言語を使わないで意思伝達を行えるようになるのか、人類の脳はそれに対応できるようになるのか、それは果たして可能なのか?

全員がトゥルーマンだったら

トゥルーマン・ショーという映画がある。1998年の公開だから、今から20年以上昔の作品だ。

そんな作品だから今の若い人は見たことがなかったり知らなかったりする人も多いだろうと思う。これから書くことは見たことがある人との会話前提なので、全くわからない人にはわかんないかもしれないけど、自分の考えをまとめるために書くのでそれはそれでいいのだ。

Youtubeが誕生したのは2005年なので「個人の生活をブロードキャストする」という概念は1998年にはまだ薄かった。
コーヒーポットの公開が1991年でネットを使ってブロードキャスティングなんていうのは人々の間にアイデアとしては現れていなかったと思う。

もし、すべての人がトゥルーマンのようにその生活をオープンにしていたら、どうだとろうか、そりゃ隠し事はできないし、秘密はもてないし、恥ずかしいことも見られちゃうのはどうかと思うけれども、ある程度自分で情報の公開範囲をコントロールするとしたらどうだろうか。

此処から先はちょっとカメラをオフしますね

というようなモードもちゃんとあるとして、、で、そういう人の生活とか考え方とか行動をそれなりに共有できるのが当たり前になっていると、人の認知コストとか信頼コストとか関係構築コストとかが低くなるのではないかしらと思うのだ。

SNSがより協力でインフラとしての機能とか性能とか性格とかが重要かつ巨大な力をもつとしたら、それはやはり個々の人間が、できるだけたくさんの情報をログとして残していくかどうかにかかっていると思う。

自分の信頼を担保するために自分の考え方や行動や成果をネットの世界にログ化していく。

そうゆう正解の果てになにが生まれるのだろうか、そういうことを考えてみる。

五十代で高校生の頃の恋愛を引きずるのはありなのか

ネトフリでの配信で見ました。
「25年間ずっと好きでした」というのは福山雅治だからゆるせるのであって、一般中年のオッサンが同じことしても多分気持ち悪がられると思っておいたほうがいいのではないかなと思った。

あと庵野さんと岩井さんは「式日」とかでもコンビニなっていて、仲がいいのだろうなーなんてことを想いながら見た。

自分ごとなんだけれども50をすぎると、高校生的な恋愛というか「告白を伴う関係性」とか「思いを伝えたいの」というような恋愛小説にありがちな「人をスキになる」というような映画を見てもあまりピンとこなかったりする。
青春映画の中で主人公が「君のことを一生愛することを誓います」「俺が死ぬまで君を守りたい」とかいうシーンを見ても、16・7の坊やがなにぬかしてんだかとかバカバカしいなぁという気持ちの方が先に立ってしまって感情移入できなかったりするのだ。
自分でカネを稼ぐこともできない高校生で君が好きだの愛しているだの言ってもそれは結局、ただの性欲なんだろうなとしか考えられない汚れちまったオッサンになってしまったわけですよ。

人生百年時代になると「老いらくの恋」とか「焼けぼっくいに火がつく」みたいな恋愛事情も少なくなくなっていくのでしょうけれども、高校生のときみなたいな気持ちになることはないのだろうなと思った。

 

 

棚卸

情報の整理とアイデアを書き出す。

棚卸という名の整理整頓
チェック要素
在庫管理を行うのはもちろんそれにつながる情報も棚卸の一部だと考える。
置いている場所 番地コード、棚コード
個数、状態も把握できるようにしておく。
デジタルツインとしての在庫イメージも持っておく。
製品の状態、清掃状態、棚そのものの清掃が完璧か、置き場所は正しいか、品物を出すときの動線は最大限短くなっているか。
使用頻度はどうか、動きはどうか、仕入先のデータ、販売先のデータへのアクセスが可能で且つ2クリックいないで到達可能か。

棚卸のマニュアルを動画で作成する。1分以内の内容にまとめる。もしくは100秒以内にまとめる。

マニュアル作成のサービスとかはある「マニュアル 動画 作成」とかでググると出てくる。

実際に作ってyoutubeにもアップする。

入社する前に見ておいてねみたいなこともあり。

マニュアルをいろいろ動画にするのもいいかもしれない。

ロープワークとか、掃除のやり方とか、カタログの整理整頓について、車両の安全管理。挨拶、電話応対。毎年新人さん向けに作るようにする。研修を受けた人自身が更新するようにすると、常にバージョンアップされるのではないだろうか。

 

 

 

報告は素早く

発注ミスとかでドカッと在庫が入ってから初めてミスに気がつくということはよくあります。
そんなときほどミスを隠したりしないで可能な限り素早く情報を共有するのが正解ですよね。

 

メーカーや仕入先への返品も入荷直後だったりするとなんとか対応してもらえることもあります。
これが黙っていたり隠していたりとほったらかして付きを跨いだり、3ヶ月ぐらい過ぎてしまうと「今頃言ってもどうしようもできないですよ」になってしまうので早いうちに対応しましょう。

ツイッターなどでよく見られる以下の光景も、隠さずにした対応がはやかったからこそですよ。
ごまかすのはよくないですな。

 

 

 

恐怖人形

心霊ホラーかと思ったら、物理で殴る復讐猟奇殺人事件の映画でした(ネタバレ)

復讐相手に心のそこから反省し自分の犯してしまった罪を悔い改めるために「呪い」をトッピングするというのはアリかもしれないなぁと見終わって考えたりした。
世の中には、反省しない人はいるのだけれども、幽霊が怖いとかおばけが怖いとか心霊現象とか呪いは駄目だっていう人は案外少ない。

どうなんだろうか?

サイコパスやソシオパスな人というのは、信心深くはないような気がする、信心深くはないけれども、幽霊とか心霊現象は信じたりするのだろうか?そのあたりの統計的なものってないような気がする。

映画なんかだと、サイコパスな人っていうのは、幽霊とかゾンビが平気なキャラクターとして描かれることが多いような気がする。
そういうサイコパスなキャラクターに対して幽霊的な心霊現象的な呪いの演出で反省を促すというのは、果たして可能なのだろうか?

もしくは会社経営に呪術的なテクニックを取り入れるというのはありなのだろうか?自分はそういうのはやろうとは思いませんけれども。

 

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