「ディストラクション・ベイビーズ」が「粘膜人間」と「天使の囀り」「イカゲーム」

あるバラエティー番組で、ある俳優さんの演技がすごかったということで、アマプラで「ディストラクション・ベイビーズ」を見ましたよ。

なんというか、よくわからない人間(あれを人間と表現して良いものかどうかわかりませんが)についていろいろ考えてしまうような演技だったです。

実際にいそうな感じというか、で、最近読んだ小説が「天使の囀り」と「粘膜人間」というホラー小説なんですけれども、どっちもめっちゃ怖いというかグロテスクというか残酷な描写がものすごくて、特に粘膜人間の中で女の子を拷問する薬品「髑髏」というのがあるのですが、もう、読んでいて目を背けたくなるような描写なんですよ。

そういう残酷なシーンに抵抗ある人は読まないほうがいいです。

で、残酷な表現といえば、今ちょっと話題になっているらしいネトフリの「イカゲーム」なんですけれども、そっちがもう全然残酷に感じられないくらい、そのくらい「粘膜人間」はゴアな小説なわけですよ。

映像よりも文学のほうが残酷な描写はすごいので、人というのはどこまで残酷な考えを思いつくことができるのだろうかとか、考えてしまうわけです。

以前読んだことのあるケッチャムの「隣の家の少女」という、それはもう残酷かつ可愛そうな小説があるのですが、もしかしたら人はどこまでも残虐になることができるとか知っていたほうがいいのかもしれない(自衛のためにも)と思ったりもするのでした。

普通に暮らしていれば、そうそう残虐なことには出会わないとはもうのですが、世の中にはサイコパスな人は実際にいて、事実ものすごくひどい事件も起きています。

いつ自分や自分の家族に、そういうひどい体験が襲いかかってくるかわかりません。

世の中には人外な存在というのは確かにいて、もし自分の周りにそういう存在がなければ、それは単に運が良かっただけなんではないか、そういうふうに考えておくほうが正解だと思うのです。

 

EverNoteが本当に早くなった

こちらのブログを参考にしてやってみたら、本当に早くなりました。

多分端末ごとにログアウトしておくことで、同期に時間を取られることがなくなって早くなるのでしょうね。

ログインするたびに同期する必要もでてくるのかもしれませんが、投稿専用とかにモバイル端末は割り切った使い方をするといいのかもしれない。

IT機器はサクサク動くというのがやはり一番のキモだと思っています。

 

品評会

品評会というのは英語でFairと言うんですね。

で世の中にはきっといろいろな品評会というのがあるのだろうなぁなんてことを考えたので、いろいろ検索したんですよ。

でミミズの品評会とかも世の中にはあるのかもしれないと思って検索してみました。

なんか、ミミズのレースというのがあって、絵筆でミミズをくすぐって競争させるというイベントのようですな。

世界にはまだ自分の知らないイベントやらお祭りがたくさんあるので、なんか考えてみるのも面白そう。

 

リトルモンスターズ

自分のTwitterタイムラインでよかったという感想がちらほら見れたので、アマプラでみました。

ホラー映画なんだけれども、そんなに怖くなかったです。でもゴアシーンはけっこう徹底していて内臓ベローンとかって、けっこうし生臭いのでやはりそういうのが苦手な人は見ないほうがいいかもしれません。

保育士さんはキレると怖い

ヒロインのキャロラインさんは保育士さん。「保育士」の仕事にすごいプロ意識を持っています。「絶対に子どもたちを守る」という、ちょっと怖いくらいの熱意に圧倒されます。
やはりプロというのははそのくらいの自意識をもって業務に当たらなければならないのだなと思います。

いい加減な気持ちのままだと多分生き残れないのかもしれません。

映画ではゾンビウイルスなんですけれども、今現在、現実の世の中ではウイルスの危機から、保育士さんは園児を守る義務があるわけで、同じように日々見えない敵と戦っていらっしゃるわけですよ。

頭が上がりませんな。

個人的にゾンビ映画はよく見る

パニックムービーやゾンビものホラー映画はけっこう見ています。見ることで、大抵の逆境は想定内に収まるようになりますし、なんか怖いことがあっても「あぁ、こういうのってあの映画であったなぁ」なんて言う感じでけっこう心が落ち着くというものです。このあたり、漫画家の荒木飛呂彦先生も著書で同じようなことを言われています。

優先順位と信念

想定外の状況や災害に巻き揉まれたときに、やはり強いのは信念のある人なのかもしれない。
一番良くない選択肢は「とりあえず今をなんとかしてやり過ごそう」というのかもしれない。
ヒロインの場合は「子どもたちを守るため」に自分はどう行動するべきなのがベストなのか、ということで、行動しているように見えます。
もちろん、映画だからご都合主義な演出もありますけれど、大事なのは信念にそってブレのない高田王をするというのが大事なんだろうなと思います。

廃棄処分

在庫の250の雨水マスの蓋に破損箇所があった。
数は5枚。

入荷したときからあった傷なのか、それとも在庫中に棚から落ちて破損してしまったのか、それはわからない。

機能的には使えるのだけれども、商品としては価値がない、売り物にならないし、入荷時期が何ヶ月も前なので、今更返品というわけにもいかない。

そんなわけで、廃棄処分することにした。

もったいないなぁとは思うけれども、不良品を売るわけにはいかないのだ。

Wilhelm scream

ネトフリの『ハリウッドを斬る。映画あるある大集合』を見た。
その中に「ウイルヘルムの叫び」についての話があって、そういうクリシェというか映画業界の内輪ネタがあるということを初めて知った。
けっこう映画通の間では有名な話なんだろうと思う。勉強になった。

ちなみに「クリシェ」というのはフランス語で常套句とか決まり言葉みたいな意味があるらしい。小ネタとかありふれたネタとかそういう感じだろうか。
クリシェをクリシェと理解するためには教養というかそれなりに深い知識が必要だったりするように思う。

わりと部品や資材の使い回しとか共有化というのは、建材業界でも多くて、一見ライバル会社だと考えられている商品が
実は同じ工場で生産されている。
なんてことも少なくないのだ。

会社は違うけれども、この部品は別のメーカーの商品にも使えるよ、ということはあんがい多かったりする。

そういうのは実際に現場で機械をいじっているとわかったりするので、そのあたりのノウハウをもってる職人さんは、やはり頼りになる。
そういう部分の蓄積が途切れないようにすることが大切だと思う。

マネジメントの機会

例えばどんなことでもいいからミッションを設定してもらう。

会社の経営理念の実践や達成のために、いろいろな目標を設定する必要が出てくるわけなんですけれども、できるだけその目標を細分化というか因数分解して、プロジェクトとして明文化する。

例えば掃除で
「毎朝30分、掃除をすること」が今現在できていないので、3ヶ月後に「できる」「「やっている状態」にする。

とか

例えば整理整頓で
「カタログを整理整頓し、すべてのカタログをスキャンして電子化する」というプロジェクトを立ち上げるとか・

業務用の自家用車・トラックの運転計画を文章化データ化して残すようにするとか、

今現在はできていない、やっていない業務を実行するためにリーダーシップをとってマネジメントすることを業務としてというか、職務分掌として明文化しておくことで、マネジメントの機会として、業務に取り入れて行くことができるかもしれない。

自発的に「やってみたい」ということが必要なのだとしたら、それは日常的な業務に余裕がないとできないように思う。

ある程度の暇があるというか、ちょっと手持ち無沙汰な時間帯が一日の1割以上あるというような。

いっぱいいっぱいだったり、毎月の残業時間が何百時間もあるような企業だと、そもそも自発的に仕事なんてやろうと思わないと思うのだ。

例えば「マネジメント」といっても、自社の中で「こうした方がいいのではないだろうか」とか「こうやったほうがいいのに」ということがあれば、それはリーダーシップをもって自分が率先して、その上で他人とか同僚を巻き込んで行けば、それはそれでマネジメントの経験にもあるとは思う。

ただ、自発的にやってるのと、ブラック企業的なというか洗脳しているっぽい働かされ方っていうのも紙一重な部分があるのかもしれない。

自発的にやっているのは大事なんだけれども、それが洗脳とかモラハラとかではなくて、本当に自分がやりたいからやっているというのは、最終的には主観によってしか判断できないとも言えるので、そのあたりの匙加減というかバランスのとり方というのは、経営者によって上手い下手があるというか、どういうふうに判断されるかは最終的にと人となりというか個人的人格に左右されるのかもしれない。

ただ、なんだかんだ言っても最終的には自発的にやってる人間のほうが圧倒的に成長スピードが早いというのは、間違いない事実だとは思ってる。

天井クレーン

天井クレーンがあったほうがいいと思いながらも、ではいま現在の事業所で年間に何時間稼働しているのかなと考えたときに、実際の稼働時間が10時間とかだったら、それはもしかしたらいらないのかもしれない。
コストが掛かりすぎというか、毎日でも利用するものであるならば、何百万円も費用をかけて設置するのも効率がいいのだけれど、年間10時間ぐらいだとすると、例えば、それを人力でやっていると仮定して、延べ人数✕作業時間✕日数が5年で償却すると考えたときに200万円のクレーン設置費とか、点検費諸々のコストで結局350万円くらいのコストだと考えると、5年で割って1年あたり約70万円。で、年間の利用時間が10時間だとすると、1時間あたり7万円の経費がかかる。

で、人件費計算でいうと、一人2000円/時の手当を10人に支払ったとしても1時間あたりの経費は2万円なので、とてもではないが元がとれない。

年間の利用時間を4倍の40時間で見積もるととんとんくらいだろうか。

クレーンを設置するよりか、ちょっとの時間だけ人手を割い荷降ろしをしたほうがいいのかもしれない。

うむ、けれども、人力でやるともしかしたら10倍くらいの時間がかかるということもあるよね。

人手だと、モノの積み下ろしに30分とか1時間かかっていた作業が、機械を利用することで5分で終わるということになるなら、それはそれで話は別だ。

短縮される時間で比較しないと、合理的な選択肢にはならないということだね。

費用対効果は、時間をどのくらい効率化できるか、時間あたりの仕事量がもっとも多いかたちで比較しないといけない。

手作業の部分はあまり比較しても意味がない。

ボトルネックはどこなのか、そのボルツネックを機械化するだけでm仕事のスピードが3倍とか5倍に、あるいは10倍になるなら導入したほうが正解なのかもしれない。

というか、いろいろ制約があって、引越先候補の倉庫に天井クレーンが取り付けできないっぽいのと、トラックが中まで入れなさそうっていうのが、結構ネックになってる。

なんか発想の転換も必要な気がする。

そもそも論とかで考えることも大切なんだけれども、面積がすっごく広いので、そもそもクレーンを使う必要がないのでないか?という考え方もあるのだ。

ユニック車も昔は持っていたけれども、ないならないで、なんとかなってるし、
4t車も使うことがなくなったので、随分前に処分した。使用頻度が月に2~3回とかなら、なくてもいいのかもしれない。
どうしても必要だ、あったほうがいい!って思うなら後付するのもありのような気がする。

昭和56年と耐震基準

建築基準法の耐震基準が昭和56年に導入されたのでそれ以前に立てられた建物というのは、基本的には解体して新しい基準に合うようにしかできないのが現実としてある。

で、素人大家さんとかが、そういう古い物件を安い価格で手に入れて、住宅に変更して、賃貸すればいいみたいなことをするのだけれども、基本的にそれは建築基準法違反だったりすることもあるみたいなので、注意が必要だ。

古民家の利用にしてもいろいろ例外で文化的な価値があるから例外も認めるとか、そういうこともあるみたいだ。

例えば1900年代に建築された古いレンガ倉庫を改築してショッピングモールにするというような運用は現行の法律に照らし合わせるとかなりハードルが高いと言えそう。

 

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