認知

外界を知るために人間は知覚を使う。

言い換えると知覚することによってしか人は外界と関わりを持てない。

知覚できないことは人間は認知できないのだ。

VRによって人は本来知覚できなかったことが、知覚できるようになるということだ。
例えばHMDに空気の流れを重ねることによって、風を知覚できるようになったり、X線の映像を重ねたり、紫外線による画像を重ねて視覚として刺激を取り入れることで、物事をそれまでとは違った切り口で観るようになる。

例えば蝶は紫外線が見えているので、花の見え方が人間のそれとは違うのだけれども、VRによって紫外線を人間が観ることができるようになると、それまでとは違った現実の解釈や世界の理解の仕方をするようになる。

五感が拡張された状態になるのだ。

メタバースは、そういう様々な知覚のレイヤーを視界に重ねることで、現実世界を拡張する。さまざまなイメージを現実と同じように取り扱うことができるようになる。

見えなかったことが見えるようになったり、感じなかったことを感じることができるようになったときに、どのような変化が起きるのかを観察して考えるのだ。

 

 

meta

つまりこう?

メタバースの世界ではみんなが猫ちゃんになってもう一つの人生を生きるのだ。

違う、そういうことではないのだと思う。

「ヒトにとって世界を認知するチャンネルがもう増える」というアプローチでものごとを考えてみよう。

ヒトは世界を認知するときには五感を使う。

つまり、「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触る」「味わう」の五つを使用するわけですよ。

VRというのは何なのか?って考えるときに、その五感を拡張する手段っていう考え方が一つはある。

「めっちゃ遠くにあるのに見える」
「めっちゃ遠くにあるのに聞こえる」
「めっちゃ遠くにあるのに嗅げる」
「めっちゃ遠くにあるのに触れる」
「めっちゃ遠くにあるのに味わう」

遠くっていうのは距離的なことだったり、時間的な隔たりだったりするのだ。

「そこにいなければ認知することができないことが、認知できる」

「認知の拡張」という意味でのVRの側面がある。

それとは別に、

「世界を認知するチャンネルが増える」という、もう一つのVRの側面について考えてみると、メタバースというのは、それがセカンドライフとかSOAと違うことに気がつく。

バイアスの可視化
錯視の共有
エピステモロジーにおける不可知領域の変化

「情報化された世界に飛び込んだときに、ヒトの認知がどう変わるのか、そんでもって認識に対してどんな影響を与えるのか?」
そんなことを考えてみると、おもしろいかもしれない。

 

 

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