日常を積み重ねていく

湾岸戦争とかノストラダムスの大予言とか、いろいろな驚異とか出来事だとか事件だったり、911のようなテロだったり、阪神淡路大震災や東日本震災だったり、いろいろな出来事が起きていて、その都度自分になにができるだろうか、なんてことを考えたり、

「こんなことをしている場合なのか?」
とか
「もっと他に大事なこと、やるべきことがあるんじゃないのか?」

みたいな違う日常や変化への対応みたいなことを、当事者ではない自分が感じたり考えたりするのだけれども、自分の体験で言えば、当事者でない限り(被災地に住んでいたり、戦地になってしまったりしない限り)は、普段どおり、日常的なこと、それから習慣を大切に地味に続けていくのが結局は正解なような気がする。

世界が終わるだの、中国が攻めてくるだの、核の灰が降り注いで日本には住めなくなるだの、当事者じゃない人が、心配事を煽ったりするのだけれども、慌てず騒がず、毎日の習慣を続けていくことも正しいのではないかなぁと考えるのだ。

ある人はそれを正常性バイアスだとか生存者バイアスだとか言って、焦ってしまったりするのだけれども、
感情的になってたり、声を荒らげていたりする場所には、なんとなく正解はなかったなぁというのがこれまでの経験だったりする。

もちろん愚者は経験に学ぶとか、賢者は歴史に学ぶとか、そういういろいろな事象もあるけれども、そういうものの多くは、様々な要素が出揃って初めて言えることであり、頂きの見えない登山者にとって、今の上りが、今の下りが、本当のものなのかどうかはわからないのだ。五里霧中だし。

ちょっとした晴れ間に頂きが見えたり見えなかったりするわけですし。

とにかく、不安な気持ちもあるのだけれども、学生は勉強するべきだし、大人であれば仕事をきちんとこなして、やってきたことをキッチリやるのが正解だと思うし、結局、それをやることしかできないのだ。

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