「シビル・ウォー」と「デッド デッド デッド デーモンズ デデデデ デストラクション」

永遠に続くと思っていた日常が終わることを望むことは、それが失われて気がつくのかもしれない。
変化のない日常や毎日繰り返されるちょっとした不快感や満足が失われていく感覚。不満が積み重なっていくこと、思い通りにならないこと。希望が失われること
失敗したり嫌な出来事ばかりが続いていくこと
続いていくと予想されること。
「どうしてこうなってしまったんだろう」という後悔の念
溜まっていく不安な気持ち。

そしてやってくる世界の終わり。

一方、アメリカでは大統領が憲法で禁じられているはずの三期目大統領となり、内戦状態に突入していた。

無政府状態になったアメリカをカメラマンが仲間と大統領にインタビューするためにニューヨークからワシントンまで旅をする。
アメリカの言う正義についていろいろな視点があることがわかる。誰にでも共通するような正解はない。

 

この二つの作品には、「今ある世界が終わってしまったあとに続く日常」が綴られていて、それはとても残酷な世界だったりする。

この世の中を良くするっていうのは、一人ひとりにとっては、結局は日常の積み重ねの先にしかなくて、その変化の量はとてもわずかなものでしかないのだけれど、例えば友達を守りたい気持ちだとか、親子のちょっとした会話だったりするのかもしれない。

シフトマシン(意識の並行次元移行装置)は、きっと世界を変えることはできないけれども、一人の人生をよりよくしていくのかもしれない。

そして思うのです。

自分ももしかしたら違う世界で起きた記憶をなくした状態で、この世界で目が覚めたのかもかもしれない。

これまで話したことのない友達に話しかけるだけで世界が変わるのかもしれない。

例えば、娘に朝、ちょっと話を振ってみるとか。そういうことでも、いまよりもっと良い世界になるのかもしれない、そんな気持ちになったりもするのだ。

ずんだッチの時間軸で小比類巻くんはどんな人生を送っているのだろう、最後に出てくるこの男性は小比類巻くんなんだろうか?

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