「地域No.1工務店の圧倒的に実践する経営~DXで生産性最大化、少数精鋭で高収益!~」を読んだ。

株式会社あいホーム代表取締役の伊藤謙さんの本を読みました。

これからお客様に選んで頂くために、企業はどうやって信頼や評判を積み重ねていくのがいいのか、悩むことは多いと思います。
そういうときにどうすればいいのかヒントがいくつもあります。

一つ一つを確実に実行していけば、間違いなくお施主様に選んでもらえるようになるだろうなと思うので、お客様にオススメしようと思いました。

ちなみにこの中で、「ホームページの表示速度が大事ですよ、わが社の数字と比べてみてほしい。」とあったので比べてみたら91点だったので、嬉しかったです。

 

働く場所と過す場所

時代はリモートワークですよ!もうオフィスなんかいりませんよ!というような声が大きいのですけれども、実際は働く場所というのは欲しいわけです。
例えば朝の8時から夕方5時までオフィスに居るとして9時間ですよ。
自分の場合は朝7時30分から夕方は6時くらいまでいるので、約10時間を会社で過ごしているわけです。
10時間ゆうたら600分ですな。
で、配達とか銀行へ行ったりとかで、だいたい平均すると1日に135分くらいを外で過ごしています。それを引くと1日のウチ400分から500分くらいはデスクワークしているわけです。
スキャンスナップと23インチのモニター2台、ワイヤレスキーボード、左手用トラックボール、電話(一日3回くらい話します)、タイマーと時計。GTD用のファイリング、これらの組み合わせで仕事を回しているのですが、この席はとにかく自分が使いやすいようにカスタマイズしきっているので、例えばリモートデスクトップでPCに接続したとしても、同じ生産性というのは見込めないような気がします。
ちなみに1日は1440分ですから1日の1/3くらいは会社で過ごしているわけですよ。
そう考えるといい椅子にするとか、机をいい感じにするとか、空調をよくするとか、事務所の環境を良くすることにお金を使うのはコスパがいいだろうなと改めて最近強く思うわけです。

リモートワーク用の機器にお金をかけるよりも性能の良いデスクトップPCに変えて普段の仕事を処理するスピードを上げていくほうが戦略としては正しいのかもしれません。

「仕事場」はやはり必要だと思うのです。
自宅に書斎や自分の部屋、スペースがあって、例えば自分の場合、写真のような環境が構築できるなら、リモートワークしてもいいかもしれませんが、「その場」にいることでモチベーションが上がったりとか、業務そのもののスピードが上がるなら、もうそのままでいいのではないかと思ったりするのです。

むしろ作業中の来客や接客、急な電話応対などに作業が中断されないような仕組みを作るほうが何十倍も大事だなと思ったりもするのです。

そんなわけで、今これを買おうかなーと思っていたり。

IT投資

「IT投資 売上比率」でググってみたところ、目安としては2~5%くらいが妥当な数字なんですよ。

例えば年商が1億円の企業であれば200~500万円くらいが妥当ということでしょうな。1000万円とかだと、そりゃかけ過ぎですよということになりそうです(もちろんCG作成会社とか、IT化系の企業だともっと比率は高くなるでしょうけれど)

自分としてはそのシステムを入れなかったら、あと何人くらい人が必要だろうか?とまずは考えたりします。
例えば、売上伝票、納品書、請求書、入金管理、在庫の受発注、在庫数管理、発注管理などを、うちの会社ではコンピューターを使って行っていますけれども、もし、同じ作業をパソコンなしで行う、つまりはすべて手書き+計算機での計算で行うとしたら、あと何人必要だろうか?とか考えるわけです。
そうかんがえると、3人位必要だなとか、2人くらい必要かも、と思うので。

あとは、その人件費を回収するのと、PCの予算を回収するのとどっちが短いだろうか、と考えると、断然PCを入れたほうが早いわけですよ。

例えば、ウチの会社でもしPCがなかったら、あと3人くらい事務員さんがいないと、請求書を作ったりできないと思います。

 

 

 

会議っていう会議を実はしていない

金子商会は社員数が8人の小さな会社だ。
社長であるところの自分
常務であるところの弟
経理をしている社長の奥さん
事務やお客様の電話応対、たまに配送するスタッフが3人
配送メインのスタッフが2人
の合計8人なのだ。

週休二日制にするために平日にローテーションを組んで、日常的には7人で業務を回している。
つまり8人の内一名は常に会社に出てきていないということですな。

で、月に2日ほど、8人全員が出社する日があって、そのときに合わせて会議というかミーティングをしている。
今月の売上金はいくら、グラフにするとこう、今後はこんな感じになりそうなので、こういうことをしていくよ。連絡事項はこれこれこうです。
みたいな感じで夕方の5時から20分くらいを毎月1回行うわけですよ。

で、売上を知るためだけなら、その数字を書かれた紙を回覧なりすればそれでいいんじゃないか?ってことで、一時期月の会議を行っていなかったときが3ヶ月くらい合ったんだけれども、なんか、これはよくないな、ということで、今は月に一回ミーティングを行っています。

会議の目的はなんなのかっていうときに、
経営理念の浸透とか、経営状況を俯瞰してみたりとか、この先の戦略をどうしていこうと思っているのかとか、こうやっていこうと思うとか、そのために誰々にこういうことをしてほしいなんてことを伝えたりするわけで、日頃の雑談だけだと不確かなところを補完するという感じでやっている。

明確に数値化できる高価があるわけではないけれども、月商とか数字で単に発表するのではなくて、経営者が直接説明するのは、やっぱり大事だと思ったりするのだ。

うーんでも、一人ひとりに動画を送ったりとか、ブログとかツイッターとかTeamsとかで絡んだりするのもありかもしれない。

銀河鉄道の夜 

銀河鉄道の夜には【初期型】というのがあって、ブルカニロ博士が登場するタイプがある。

ブルカニロ博士は、主人公のカンパネルラに伝える言葉がいいのだ。

「おまえは化学をならったろう
水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑いやしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできているといったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、いろいろ議論したのだ。
みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
けれどももしおまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえ決まれば、もう信仰も

化学とおなじようになる。」

いやーいいっすね。

 

スペースを消せ

販売管理システムから仕入先の住所録をCSVで吐き出して別のアプリの住所データに移し替えをするんだけれども、どうもレイアウトがおかしい。

原因は氏名とか住所のデータに全角スペースが含まれていたからだったのです。

ぱっと見、スペースというのは見えないので結構悪さをしますよね。

置換機能を使ってスペースをすべて削除

事なきを得たのでした。

しかし、こういういつもやってる定形データーや雛形が使えないと元通りにするのに時間を食ってしまいますね。

バックアップしておくの大事ですね。

世の中の9割の仕事はワクワクもキラキラもないという現実

世の中には勝ち組になれる才能を持っている人がいる。
一方、勝ち組になれる才能がイマイチ弱い人もたくさんいる。
自分の考えだとそういうのはもうなんというか生まれ持ってきた気質というか性格や気性に決定されることがほとんどなんだろうなと考えています。

勝ち組になれる人は、

例えば、学校の運動会ではいつもリレーのアンカーで学年で一番足が早かった。
文化祭のときには学校始まって以来のイベントを企画してバンドのボーカルとしてステージを彩った。
都内でも指折りの進学校に入学したが面白くなかったので途中で転校した。
そういう学校でも目立つタイプだったり、集合写真を撮るときには常に中心に位置するタイプ、人好きで、根っからポジティブ、精神的にも肉体的にもマッチョなタイプ。
オリンピックに出場したり、甲子園で活躍したり、東大へ進学したり、いわゆる大手企業にサクサク内定が決まったり、海外へもガンガン出ていくタイプ。
逆に、ものすごく内向的で人付き合いも苦手だけれども、秀でた並外れた才能やこだわりを持っている人もいる。
身長も187センチ位あって、リーバイスのジーンズなんかもそのまま履ける。

一方、勝ち組になれる才能がイマイチな人は多い。

学校のマラソン大会があれば、順位は後ろから数えたほうが早い。
学校の通知表は3ばかりで、4が2つくらい。
部活は全国大会はおろか予選一回戦敗退がデフォルト、むしろ校内予選すら通過することなく、大会出場経験もない。
集合写真を撮るときは端っこが定位置。
家の近くの公立中学校へ通い、高校進学は地域で行われた実力テストの偏差値レベルに合わせて受験したものの、不合格だったので、第2希望の私立高校へ入学。
ものすごく内向的なんだけれども、秀でた才能もなく平凡で特技も趣味もこだわりもこれといってない人も多い。
身長は160センチくらいで、ジーパンの裾は15センチくらいカットする。

自分はこのタイプです。

勝ち組・負け組という表現はつかいたくないので、前者を「イケイケタイプ」、後者を「その他大勢タイプ」としよう。

で、いきなり結論なんだけれども、世の中の成功本とか成功譚というのは、「イケイケタイプ」の人のものがほとんどだ。そういうイケイケタイプの人の真似を「その他大勢タイプ」の人がやっても、大抵はうまく行かない。

立派なライオンになれるのはライオンの子どもだけなのだ。
ティモンとプンバァはどうあがいてもプライド・ランドの王にはなれないし、なる必要もない。そもそもプライド・ランドの住人ですらないし。

話がそれた。

世の中の9割の仕事はワクワクもキラキラもしていない。
建築やインフラ関係の末端の仕事は地味で達成感も少ない。
この意思決定に何百万の人の運命が乗っかっている!なんてことはない。
赤と青のリード、どちらかを切らなければならない!どうする俺?
というような緊迫した出来事があったとしても、正解をしても何事も起きず、間違ったとしても、せいぜい停電が長引いてビルのオーナーに小言を言われるくらいだったりする。
毎日の仕事は代わり映えもなく、ただ繰り返される。
それでもたまに返されるお客さんの笑顔や「たすかったよ」「ありがとう」というような言葉に嬉しさを感じたりする。
ちょっとキラキラした感じもするが、イケイケタイプの上場企業やグローバル企業に比べれば蛍火と太陽光くらいの差があるのだ。

自分が生きている世界はプライド・ランドではないのだ。

使命感をもった者を必要とせず、ただ淡々と暮らしを積み重ねていく。

そこそこ幸せだったり、毎日ではないにしても、月に一度、二三ヶ月に一回くらいは大笑いするいっときがふいに訪れたりするのだ。

PDCAを鬼速で回して、クレイジーで、7つの習慣を身につけてライフハックしまくり人生に革命を起こし、思考を現実化するのだ!っていう生き方もそれはそれでいいとは思うのだけれど、
あぁ、そういう生き方もいいですよね、がんばってくださいとは思うのだけれども、
そうじゃない生き方も間違いではなくて、「その他大勢タイプ」のプライド・ランド以外の住人にとっての幸せはちょっと違う場所の案外近いところにあるのだと思ってます。

ワクワクもキラキラもないですけれども、けっこう楽しいもんですよ。

間違ったとき

人は間違いとかミスをしてしまう。
失敗するということですね。
そういう失敗をしてしまったときにどう対応するのかっていうのはいろいろある。

相手が失敗したときに自分はどんな態度を取るのだろうか
見ないふりをする
指摘する
ここぞとばかりに責め立てる
嫌味を言う
慰める
イライラをぶつける
バカにする

自分が失敗したときに自分はどんあ態度を取るのだろうか
ごまかす
いいわけをする
素直に認める
改善策や代替案を提示する
人のせいにする
自分のミスを認めない
イライラをぶつけて発散する

ミスの規模や実害、影響の範囲、相手の立場、人間関係によって態度に変化があるかもしれない。

失敗をしたときの態度とか所作というのは一本筋を通して置きたいと思う。
失敗の大きさや相手との関係性の違いで、自分が取る態度に変化がないようにしたいと思います。

相手が間違っていたときは、指摘せず、責めない。
自分が間違っていたときは、素直に認める。

難しいですね。

記録すること

日誌をつけることはもう10年ぐらい続けているのです。
なんとなくレベルアップしていないあぁといか停滞している感があって、そんなときKindle unlimited で『佐々木さん、記録って何の役に立つんですか?』を読んだので、これかもしれないということで、何種類かアプリをダウンロードして、これが一番使いやすいかもと思ったのが。

タイムスタンプログ というものです。

でも広告が消せないのがちょっと鬱陶しい。

タスクマがいいかもしれない。

でも自分には過剰かもしれない。

他にもいろいろあるので、試してみる。

「もったいない」と感じたら捨てる

「もったいない」という言葉は”Mottainai”という毎日新聞社の登録商標なんだそうですよ。なんだか日本の美徳のような誇りを感じなれるような言葉になっております。
ものを大事に使うっていうのはそれはそれで大切なことです。感謝の気持を持ってキチンと使うと気持ちがいいものです。
それでも最近思うのですがこの「もったいない」という感情が出たときに、それは同時に「現状を変えたくない」という欲求も同時にあるように思うのです。

で、最近は「もったいない」と感じたら躊躇なく捨てるという方向で生活やら仕事を変えていくのがいいのではないかなと考えるようにしています。
PCがまだ動くからWindows Vistaのままでいい、
20年前に買ったエアコンで十分、
一回しか着てないけどいないオシャレなワンピース、
そういうものを持ち続けるとき「だってもったいないから」っていう理由が一番にくるようなら、「捨てる」というのが正解のような気がするんです。

「捨てる」というのに抵抗があるなら「なくしてしまう」と言いかえるといいでしょう。

食べ物の場合は「もったいないなぁ」と感じたら「なくしてしまう=食べてしまう」ということでもOKです。

なんとなくですが日本経済の閉塞感を生み出している原因の一つとしてこの「もったいないという美徳」があるのではないかな、なんて感じております。
自分も、口癖みたいについ「もったいない」と言ってしまうのですが、そう言ってしまったときは「なくても別に困らないのでは?」と考え直すチャンスなんではないだろうか?
「もったいない」もののほとんどは「なくてもいいもの」だと思うのです。

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