次に同じことがおきたらどうする?

とりあえず自分のGWは今日で終わりです。

明日・明後日お仕事で土日はお休みいただく予定ですよ。

今年の連休はまぁどこに出かけるでもなく家でゆっくりというかダラダラと過ごしておりました。本もあまり読めなかったです。

そのかわり家の掃除とか進みましたな。

で、カレンダーというか暦。

古代エジプトで毎年ナイル川が氾濫するのにカレンダーが役立ったと言うことです。

人間は周期によっていろいろな予測や対策をすることができます。そういう意味では文明社会にとって暦というのは切っても切れない関係なのでしょう。

暦があるから、来年の今頃はこうしよう、とか、3年後にああしようなんて予定を立てられるわけです。

で、地震とか台風というのは、なかなか平準化できない。

毎年必ず起こるし世界全体での合計値を見れば、一定数で予測が可能なんですけれども、被害が局地的なので「それがどこで起きるのか」というのは予測できない。

予測できないから対応するコストがかかるということになります。

カレンダーにしても天気、その日が晴れであるかどうかまでは予測できませんが、平均を取ると、この月は雨が多い、とか、このあたりから雪が積もるなんてことを予測して対応をとることができる。

確率の問題です。

地震も台風も起きる確率はゼロではない、ただ自分の身にふるかかるような災害につながるかどうかはわからない。

住んでいる場所にもよるし、ただ、頻度を考えると耐震構造の家にするとか、暴風の工夫をするとか豪雨に備えるとか、リスクに見合ったコストを掛けて、実際にそれがおきたことに対処し、工夫するのが人という生き物だと思います。

 

感染症にしてもワクチンを作ったり、公衆衛生の知識を高めたり行動を変えることで、次に備えるということはできる。

 

肝心なのは「次に同じことがおきたときにどう対応するのが正解なのか?」

そのことがある程度わかるのに1年2年では短いということです。

最低でも10年、同じような感染症が何度かおきて、そのたびにいろいろな対応をとってどのやり方が正しかったのか、どのやり方が間違っていたのか、いろいろな答え合わせをしていかなければいけない。

今日は「正解だ」とされている手法が半年後には「間違いだった」ということになり、さらに5年後には「やはりあのやり方が正解だった」ということになることもたくさん見られると思います。

正解にたどり着くためには一世代分の知識や行動の更新が必要なのではないかと思います。だから25年から50年くらいかけて、次の正解を見つける時代になるのだろうと思っています。

「まぁなるようになる」

諦めに似ているかもしれませんが、けして諦めているわけではないです。

たぶん、孫の世代から「うちのじいちゃんはアホなことしてたな」と笑われるような失敗もたくさんするのでしょう。

でも「その失敗があったこらこそ今の自分達がいる。」そんなふうに孫たちが話している未来を想像するのは案外いいものです。

 

「そんな先のことよりも、今とにかくなんとかしないと」そういう困っている状況もある。

なんというか頭に銃を突きつけられて「AかBかどっちか選べ」みたいな状況もある。

もしくは「Bしか選べない」とか。

「とにかく選択肢がないんだ」と。

 

でも自戒を込めて言いたい

「選択肢がないのは自分の知識不足が原因」

知っておくべきこと、やるべきこと、やっておくべきだったこと、だからこそ自分を救うのは自分でしかないのだと、覚悟を決めること。

 

子供に「どうして勉強しないといけないの?」そういう質問をされたときに、

「人生の選択肢を増やすためだよ」という返しをしています。

「勉強しないと選択肢がどんどんなくなっていくんだ」それは確かに自分自身の実感であり反省でもあります。

「もっと勉強しておくんだった」と思うのは選択肢があまりないときです。

これから先の時代は「選択の機会」「決断の機会」がこれまでの時代よりも増えると思います。

選択や決断するときに役立つのは、知識と経験です。

今は知識と経験を増やす時期なんだくらいに考えて、あたらしい生き方のカレンダーや地図を作ってる最中なんだと考える。

新しいカレンダーが必要で、

それを作っていくのは自分であなたで他の人々で、

そのためにネットをうまいこと使って、知恵を合わせて、うまいことやっていくしかないと思いますよ。

変わったのは世界ではなく「自分の見方」と「自分の感じ方」なのだと思います。

春の陽気になか、家の中から窓の外を見るとき、ひばりの声が聞こえたり、風が入ってきたり、鼻がムズムズしたりするのを体感すると、世界はいつもどおりなんだなと思います。

人生は長い、変化を楽しもう、まずは何を始めよう?

そうやって新しい日常を楽しんでいこうと思います。

来年どうなってるか予想することはできません、状況がもっと悪化しているかもしれない。

けれども10年後20年後は、たぶん良くなっていると思います。

それは信念です。

未来を作るのは予想ではなく信念なのだから。

信念がありゃなんとかなります。

もちろんそれを突き通すために正しい知識や戦略が必要なんで、使えるものは全部使いましょう。

 

なんか図書館は使えるようになるみたいですし。

 

あと地上波TVは見なくていいと思います。とくにワイドショーとか。

トフラー先生の本

「富の未来」原題は”Revolutionary Wealth”だから「未来」というのとは、ちょっとニュアンスが違う。

「革命的な豊かさ」とか「画期的な富」とかそういう意味。

日本語版が出版されたのが2006年。

なんと15年近く前だ。

トフラー先生が亡くなったのが2016年。

この連休はこの本を久々に読み返そうと思います。

なんか違うというところもあるかもしれないし、そこから見える未来もあるように思える。

先生が広めた概念で「情報オーバーロード」というのがある。

人間は処理しきれないほどたくさんの情報にさらされると、かえって判断力が鈍ってバカになってしまうよという警告だ。

SNSは本当に情報過多で、自分自身がどんどんバカになっていくような気分になってくる。

だから連休はアクセスしないようにして、あえて本を読んだり、庭でバーベキューをしたりして、ネットから距離をおいて行こうと思う。

ちなみに明日まで仕事です。

世間はゴールデンウイークで、いろいろなお店が自粛して休業しておりますが、弊社はほぼ通常運転で、なんだか申し訳ない気持ちです。

コロナ騒ぎでやっぱり不安なのかツイッターとかフェイスブックとか見る時間が増えているので「こりゃいかんな、他にやることを設定しなくてはいかん」なんてふうに思うのですよ。

未来の衝撃も合わせて読んでみたいなと思っています。

 

 


クレクレ星人にならないように気をつけたい

「今月は決算なので助けてください」

「数字が足らないのでなんとかしてくれませんか」

「売上ノルマがキツいので協力してください」

と仕入先の営業マンからお願いされることがよくある。

とりあえず、笑顔で「まぁいいよ」とか「わかったよ、なんか強力しよう」と答えるし、実際に注文をいれることもあるんだけど、根っこの気持ちとしては

「知らんがな」

というのが正直なところである。

仕入先やお客様とは持ちつ持たれつだから、お互いにムリを聞いたり助け合ったりすることも必要だとは思う。

けれども相手を尊重しているかどうかが大事だ。

「この前たすけてもらったから、今度はうちが助ける番ですよ」というのは、ほぼないと思ってる。

こちらが注文するときは、そういうのはほぼ期待していないです。

「助けてください、お願いします、買ってください」というような言い方のときは、お客様のことなんて1ミリも考えていない。

自分の都合を押し付けているだけなのだ。

自覚があるならまだいい。自覚があれば「買ってくれないなんてなんてひどいやつだ」なんて思ったりしない。

「かってくれないなんてひどい」っていうセリフが思い浮かぶとしたら、それは自分が都合を押し付けている証拠なのだ。

「たすけてください」「なんとかしてください」というときに、だれも助けてくれない、それは自分に責任があるのだと思って反省しなくてはいけないと思う。

というか、「困ってるんです」「マジヤバイかもしれない」というときに、周りの方から「たすけてあげるよ」「なにか力になれることない?」

そう言われるような経営をしとかないといかんのだろうなと、今まさに思う。

すっげー助けてもらってる会社と、なんかぜんぜん反応をもらえていない会社と何が違うのか、岡目八目だとよくわかる。

うちの会社は助けてもらえるだろうか?なんてことは考えるのはよそう。

なんとか自分でするからいいですよ、そういう姿勢を貫いていきたい。

心意気とか覚悟とか、そういうのは経営者だけのものなんだろうとも思う。

もちろん社員一人ひとりがそういうことに共感しているば組織としてはかなり強いのだどうと思う。

けれども、社員や取引先に対して、面と向かってそういうのは願ってはいかんのだろうな、と思う。

「助けてくれ~」「買ってくれ~」「◯◯してくれ~」とういうクレクレ星人にならないように気をつけようと思う。

見えると行動が変わる

強く押すメガネの人のツイートがバズってました。

インパクトありますよね。実際に口をすっぱくして「手を洗いなさい」というよりも、こういう視覚的なものに訴えたほうが人の行動は変わりやすいものです。

今回の週末は家で過ごすことについてもマットデイモンの「コンテイジョン」とか妻夫木聡さんの「感染列島」とかダスティンホフマンさんの「アウトブレイク」を地上波でガンガン流すと、結構外出しないのではないかと思ったりしましたが、どの映画もちょっとやりすぎなのでかえってパニックを引き起こしそうなのでそれはやめたほうがいいのであろうと思います。

3月2日から全国の学校が臨時休校の要請を受けて実際に休みになっています。そして5月6日までは休みということで、2か月近く学校に行けない日々が続いています。

うちにも子供が二人いますが、あんまり勉強していません。うーん、大丈夫なんでしょうか?とりあえず自習といっても、まぁしないですよね。

もし自分が中学生だったり高校生だったりしたら、たぶんゲームばっかししているんじゃないかなと思いますよ。

今だったら、ネットとかありますから家でyoutube見たりツイッターしたり、ネットワークゲームしたりに時間を使うのではないかと思います。

でも、そのうち飽きるんじゃないかなぁとも思います。

たぶん、親が禁止しないで、やりたい放題やってると、3か月したら飽きちゃうと思うのですよ。

なんか、むだだ、これは役に立たないって、自分で気が付くポイント、臨界点にたぶん達するのが75日目くらいにくるのではないでしょうか?

家にこもるていうのは、自分はわりかし平気なんですよ。映画とかずーーーーーとみているのとかぜんぜんつらくない、むしろ幸せですよ。一日中アマプラやらネトフリ見ていられるとか最高じゃん!と。

でも、そういうのをよく感じない人もけっこういて、連れ合いが映画とか見ない人だと、なんか「映画見てるのはなにもしていない、ぼーっとしているだけだ」みたいな感じでイラつかせてしまうみたいなので、お皿洗ったり、ちょっと部屋の掃除をしたりするんですね。

ただ、子供たちがいまいち危機感を感じていないので「感染列島」「アウトブレイク「コンテイジョン」をこの週末に一緒に見て、もうちょっと危機感を持ってもらいたいと思う次第です。

 

 

メディア接触時間を減らそう

SNS

コロナショック以降、明らかにSNSを見る時間が増えている。

なんかついSNS画面を見てしまうのです。

この感覚はあれだ、311の東日本大震災のときの感じに非常に似ている。心が落ち着かなくて刻一刻と変化する状況から目を離せないという、それでいて見たから自分の行動になにかつながるのかといえば、ほとんどつながらない。

ただ、時間だけがダラダラと過ぎていく感じ。

あのときの反省としては、見る時間をコントロールする。

本を読んだり映画を見たりすることに時間を使うようにする。

そうしたほうが絶対にいいと思っています。

あとテレビのニュースとかワイドショーは基本的に見ない。

そうやってメディアに踊らされないように自分をコントロールするほうがいい、と考えております。

とはいえ、ついつい見てしまうのですよ。

今日も結構見てしまいました。

特にPCブラウザでつい見てしまうので、これではいかんなということで、一時的にサイトブロックの拡張機能を使ってフェイスブックとツイッターを一時的に見られなくします、っていうかしました。

スマホとタブレットは見られるようになっていますが、こちらもスクリーンタイムを使って1日あたりの使用時間を20分程度に設定しています。

本を読んだり映画を見たり、人と話をするのに時間を使おうと思いますよ。

何よりも自分自身と向き合う時間を大切にしていなかったので、意識して行動しないといけないなと反省。

臭いものには蓋をすればいい…ものでもない。

防臭弁

「臭いものに蓋」ということわざがある。江戸いろはかるたの一つ。

これは「根本的な解決を図らずに、一時しのぎの手段で他人にしられないようにする」という意味で、批判的な表現につかう。

一旦は収まるかもしれませんが、あとにまわすことで結局は大きな失敗につながる。

その場しのぎとか、口先でなんとかごまかしたり、そういうのはやはり良くない。

でもまぁ、そういう正論は誰にだって言えるわけで、かっちょいいことを書くほどの人間ではないのですよ。

言い訳したりとか、自分をごまかしたりとかして、炭水化物を食べたり禁煙を中断したりするわけです。

先月風邪を引いてしまったので筋トレも中断してしまっております。やらないといけませんね。

それにしてもコロナウイルスの感染が止まりませんね。

ヨーロッパやアメリカでも外出禁止とか移動禁止とか、ほとんど戒厳令下のようなことになっております。

 

日本は収まったというか、もう終わりそうな感じがあるんですけれども、なんとなく第二波というか、もう一発感染者の増加があったりするんではないかと思っていたりします。

特に、都心部、下関みたいな田舎はそう関係ないかもしれないのですが、人口が何百万人もいるような都市は危ないかもしれないとか考えたりしています。

杞憂に終わればいいんですよ、杞憂で「まぁ心配するほどのことじゃなかったねー」って終わるのが一番いいんでしょうね。

 

終わってみないとわからない

初めて経験すること、例えば初めて外国旅行をして、地図もない言葉もわからない、自分の現在地も不確かで、方位もよくわからないし、目的地もどんくらい離れているのかわからない。

そういう状況の中で、リーダー(この人もよくわかっていない)が「あっちだ、いっやこっちだ」とか言うわけですけど、従っても大丈夫かどうかわからないわけですよ。

一応リーダーの曾祖父さんが一〇〇年前にこの町に来たことがあるってことで、その知識を元に判断しているわけなんですが、

その知識古すぎるんじゃない?

ということで、あまり頼りにならないのは、誰がやってもいっしょなのかなという気がします。

自分が下した判断に都合の悪い物証が出てきたとして、くさいものに蓋ではないですが、「見なかったことにしよう」「なかったことにしよう」というのは一番まずい悪手だと思います。

事実に向き合う、その時その問、最善を尽くす。

自分でよく考えて行動するしかないのだなと、そういうことを思うのです。

春分の日

今日は春分の日ですが、弊社は祝日も午前中は営業しており当番社員が二名ほど出社しています。

世間では三連休の一日目という方も多いと思います。

現場作業を祝日に行うお客様はけっこう多いです。

半日だけでしかも配達なしで店頭渡しのサービスなんですが、それなりに売上もあります。

世間はコロナショックで大変なのですが、いまのところ現場は通常通り動いています。

しかーし!

TOTOのウォシュレットが納期未定になるなどで、着工予定が伸びる現場もちらほら見えてきました。

いまのところいつまでに通常通りになります、とは言えない状態なので、4月からは仕事が止まる、売上が減少するというリスクが高まってきました。

資金繰り、資金計画しっかり書き出して早めに対応しておかないといけませんね。

イタリアはコロナウイルスのせいで町中から人の姿が消えているようですが、一刻も早くこの状況が終わってほしいです。

 

時短の科学

「科学とは再現性があること」と言ったのは誰だったか忘れましたが科学的なアプローチというのは外してはいけないなと思うのです。

うちみたいな零細企業にとって「労働時間を減らせば生産性が上がる」というのはほぼ嘘です。

「労働時間を減らせば売上が減る」

これが事実ですよ。間違いないです。

営業日を減らしたり営業時間を少なくしたら間違いなく売上は減ります。

レストランや居酒屋、ホテルなど「サービス」で売上を出している企業であれば100パーセント間違いなく数字は低下します。

金子商会は土曜日も営業していますし、祝日も午前中は営業しています。

お客様であるところの水道工事店さんは盆・正月・GWは仕事をされないようなのでお休み頂いています。日曜日も休みです。

で、来年の休日カレンダーを作成しているのですが、年間休日を計算したところ125日になりました。

で、今年と同じように5日間の有給休暇日を指定しているので130日休みになってます。

で、こちらの本にも書いていたのですが、

「忙しいときに効率よく少人数で対応することが生産性向上ではないのか?」という質問に対して

「それは違います」と即答で返ってくるのがもう100%同意なのです。

「忙しくないときに従業員の手が空いている時間、つまり『手待ち時間』をどう減らすかが、生産性向上につながる。

経営者がコントロールすべきなのは、忙しい時間帯ではなく、ひまな日や時間帯なのです。」

とりあえず有給休暇を消化してもらったりインフルエンザで出社できる社員が半数になってしまったときが、それを見極めるチャンスなので、カゼの流行するこの時期、社内のシフトや業務の因数分解をするといいんではないかなと思ったりしました。

10月22日のこと

10月22日は「即位礼晴天の義」ということで、学校やお役所などの公共機関が休みです。

当然、保育園も休みということで、共働きの人はどうしようかなと悩むところだと思います。

うちの会社は「営業」することにしました。

一応、祝日は二人が当番で出社して午前中のみ店頭渡しに対応。

社長であるところの自分と、常務が出勤します。

配達不可という、いつもの祝日営業と同じあつかいということになります。

お客様であるところの水道工務店の職人さんは祝日は基本的に仕事をする方が多いのです。

祭日とか祝日とか関係ない日給月給の世界ですから仕方がないのかもしれません。

今年限りのことですし、いっしょにお祝いをしてゆっくり家族で過ごすもいいかなとも思いましたが、そもそも「祝日だから休む」という考え方の方が少ない業界です。

ただ、その分

「雨が降って仕事にならないから休む」とか

「現場の段取りの関係でやることがないので休む」など

「みんなが休むから休む」というのではなく「休みたいから休む」というのは「あり」でもあるのが職人さんの業界です。

もちろん、働かなければその日の売上はなし、ということなので、休んでばかりでもいかないのですけれど。

まぁ、自分も祝日に休まないで平日に休暇とったりしているから、まぁいいかと思っています。

とりあえず、来週の火曜日は出勤しないで、映画が安い日なので朝から映画を見に行く予定ですよ。

和顔愛語

「和顔愛語」という言葉がある。

仏教の教えで「和やかな表情で、思いやりのある優しい言葉遣い」という意味。

いつもイライラして、自分の不機嫌を周りにばらまくよりも、にこやかにやさ引く周りに接したほうがいいんですよ、という意味だ。

人生、うまく行かなかったり面白くなかったりするようなことがあると、つい周りに八つ当たりしてしまうことがある。

それは、自分を慰めてほしかったり、いたわってほしかったりすることの、欲求表現の一つなんだろう。

けれども、自分が苛つくことで周りに対処してもらおうとするのは、精神的にはあまり成長していないといえる。

「自分はこんなにつらいのだからおもんばかれ!」

といったところで、それは鬱陶しいだけであり、不機嫌をばらまくのは公害と一緒でいいことなんてないのだ。

不機嫌をばらまいたところで、最終的には軽蔑されるのがオチである。

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