サークル

Netflixでサークルという映画を見ました。

気がついたら部屋に閉じ込められていて、なんかわけわからないうちに殺されたり、殺したり?するという、最近ありがちな設定の映画だったんですよ。

ワンシチュエーション映画というか、ほぼ舞台劇に近い感じの演出で物語は進んでいきます。

(以下ネタバレになるかもしれません)

その部屋では約2分に一回、誰が死ぬのかを決める投票のようなことが行われます。
投票のような、というのは、なんだかルールがよくわからないのですよ。

映画を見ている自分にもよくわからないし、もちろん劇中の人物たちにとってはもっと分からない。

なぜ死ぬのか、どういうことをすれば殺されてしまうのか、推測の域をでないで、次々に人が殺されていってしまいます。

考えてみるとものすごく不条理なんですけれども、ものすごく平等に死が与えられるのですよ。

善人に対しても悪人に対しても、差別主義者に対しても、男に対しても女でも、老人でも若者でも子どもでも妊婦でも、

もう全く差別することなく、平等に死が与えられてしまう。

自分で選択できているのかできていないのかも実際はよくわかりません。

選択できているように見えるだけで、その死はただの偶然のタイミングでもたらされているだけなのかもしれない。

で、見終わって考えたんですけれども、

現実の人生も同じだなということです。

なにやったって、どうしたって死ぬときは死んでしまうと、劇中のセリフではないですけれども
「最終的には全員死ぬ」のですよ。
一人残らず死は平等に訪れるわけです。

例えばこの映画の最後にでてくる場面の「何か存在」が10万年くらいの寿命があったりするとして、そうすると人の一生というのは、彼らにとっての2分くらいに当たるわけですよ。

もし人生があと2分しかないのと
あと20分しかないのと
あと2時間しかないのと
あと20時間しかないのと
あと20日しかないのと
あと20週しかないのと
あと20ヶ月しかないのと
あと20年しかないのと

もしかしてあと200年あるのとでは、どう生き方が変わってくるのだろうなとか、そういうことを考えたりしたわけです。

いずれにせよ死んでしまうのですが、どういう生き方をするのかは、映画の中でも言われています。
“You’re gonna have to decide for yourselves. I can’t do it for you.”

八日目の蝉

八日目の蝉は映画が良かったので、原作も読みたいなぁと思っていた。

で,映画の終わり方と原作では違っているらしくて、めっちゃ気になっていたんである。

オーディブルで残り46分のところまで聞き終えたのが今さっき。

どういうエンディングになるのか今すごくドキドキしている。

「生みの親より育ての親」とか「血は水よりも濃い」とか、どっちが正解やねん、というようなことは人生にはつきもので。

人の価値観とか生きる上での意味なんていうのは、それこそ正解なんてなくて、人の数だけ答えがあるといえるし、人の数だけ間違いがあるとも言えるんじゃないかなって思う。

例えば親が死んだときに泣けるかどうか考える。

例えば、12歳のときに親が死ぬのと、76歳のときに親が死ぬのでは

その悲しみの感じ方とか感情の動き方というのは当然違うと思う。

血の繋がりがあるという意味での親が死ぬのは、生物学的には母親で一度、父親で一度になる。

けれども育ての親であるとか自分の成長に関わった人の死というのは、人によって違うとは思うけれども、たぶん複数回はあるのだろう。

もしかすると実の親が死んだときよりも、あの人がいなくなったことのほうが悲しくて寂しくて辛いということはよくあるのかもしれない。

自分を育ててくれたのは師匠でした、っていう落語家の人だとか、
あんなのは親じゃねぇ、とか、親子の価値観というのは、道徳の教科書的な形だけのものではないと思う。

家族のカタチも変わってきていて、LGBTであるとか、血の繋がりがないけれど親子なんですよ、というようなことが普通になっていく世の中のようでもあるし、なんというか、遺伝系列的な親であるとか繋がりであるとかが重要視されているのは案外近代になってからなのかもしれないなぁなんて思うこともある。

人の思いとか優しさとか、幸せになってほしいという願いとか、そういう、なんというか「私とあなたのつながり」にいろいろな形があるのだろうと、そういうことを考えたりするのだ。

本を読み終えた(聞き終えた)ときに、なにか今までとは全然違う、親と子のありかたとか、つながりもあるのだなと気がつくのかもしれない。

 

八日目の蝉

ストレンジャー・シングス

シーズン1からシーズン3までは配信終了していて、各シーズンごとにそれなりにエンディングを迎えているのが良いです。

80年代に高校生くらいだった世代の自分には結構ストライクなドラマです。

ホラージュブナイルでそれほど怖くはないです。どっちかというとコメディな感じするする。

少年少女がワーワーキャーキャーいいながら化け物と戦ったり悪いソ連兵と戦ったりする合間に少能力少女が出てきたりとかするのです。

シーズン4は2022年(来年)の夏に配信予定ということなので、今から見始めても十分間に合う、というか、むしろ丁度いいのではないだろうか。

子育てして思うのは
「子どもがなにかに巻き込まれたりしないだろうか?」とか「なにか事件を起こしたり、加害者になったりしたらどうしよう?」とかそういう不安とか心配がある。
それは学校生活の中で起きる些細な出来事であるかもしれないし、いじめたりいじめられたりとか、人間関係のこじれだったり、交通事故だったりするかもしれない。

なにか事件が起きたり、現実として受け止められないような事柄が起きたときに、人がなにか事象を信じるためには、周りの状況とか人の意見とか、世間体とか社会常識とか、いろいろな要素があるのだけれども、

結局はものごとを「信じる」「信じない」を決めるのは最終的には自分自身で、その決定権は自分にしかないのだ。

いわゆる「信念」というのは「あきらめ」と表裏一体であり、諦めない限りはどんな方法であっても、人から信念を奪うことはできないのだなぁと思う。シーズン1シーズン2シーズン3とそれぞれ主人公になる人物は違うのだけれども、それぞれがそれぞれの信念に基づいて行動している。

人は信念があればこそ、大胆に行動することができるのだ。

このドラマには「未知の世界」というサブタイトルが付いていて(たぶん日本語版だけ)、そんな「未知の世界」知らない世界=何が起こるのか全くわからない=状況が読めない=過去の経験や知識が役にたたない世界では、結局「信念」をもっている人間が一番強いのかもしれないというか、強いのだ。うん。

で、その信念というのは、誰かを救いたいとか守りたいとか、そういうのが一番強ういのかなということで、なんだかんだ言っても、家族とか、好きな人がいるっていうのは大事なんだろうなと思った。

 

Incubation Period

ネトフリで「ディストピア-パンドラの少女-」を見ました。

人の脳が菌糸に感染して、人肉を食べるゾンビになってしまったという世界でなんかいろいろあるという映画だった。
ここではあらすじには触れないです。

ちなみに原題は「The girl with All the Gifts」なんか深い意味とか、伏線がありそうな感じがしたので少し調べてみたり、原作は2014年に出版されてるみたい。

メラニー役のセニア・ナニュアはイギリスのアクターで2002年生まれだから撮影したときは13歳。

とてもしっかりしたお嬢さんだなぁと見ていて思った。

DUNE見るならどこがいい?

映画館 家からの距離 定員 上映形態
シネマサンシャイン下関 8キロ 106
チャチャタウン小倉 28キロ 310
リバーウオーク(T-ジョイ) 29キロ 151
小倉コロナワールド 35キロ 4DX
イオンシネマ戸畑 42キロ THX 507
ユナイテッド・シネマなかま16 46キロ 休館中
TOHOシネマズ福津 80キロ 249
ユナイテッド・シネマ トリアス久山 82キロ 255
ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13 97キロ IMAX上映・4DX

家からの距離と画面の大きさが反比例している。

IMAXで見たいのだが、いかんせん遠いんだよな~。

「ディストラクション・ベイビーズ」が「粘膜人間」と「天使の囀り」「イカゲーム」

あるバラエティー番組で、ある俳優さんの演技がすごかったということで、アマプラで「ディストラクション・ベイビーズ」を見ましたよ。

なんというか、よくわからない人間(あれを人間と表現して良いものかどうかわかりませんが)についていろいろ考えてしまうような演技だったです。

実際にいそうな感じというか、で、最近読んだ小説が「天使の囀り」と「粘膜人間」というホラー小説なんですけれども、どっちもめっちゃ怖いというかグロテスクというか残酷な描写がものすごくて、特に粘膜人間の中で女の子を拷問する薬品「髑髏」というのがあるのですが、もう、読んでいて目を背けたくなるような描写なんですよ。

そういう残酷なシーンに抵抗ある人は読まないほうがいいです。

で、残酷な表現といえば、今ちょっと話題になっているらしいネトフリの「イカゲーム」なんですけれども、そっちがもう全然残酷に感じられないくらい、そのくらい「粘膜人間」はゴアな小説なわけですよ。

映像よりも文学のほうが残酷な描写はすごいので、人というのはどこまで残酷な考えを思いつくことができるのだろうかとか、考えてしまうわけです。

以前読んだことのあるケッチャムの「隣の家の少女」という、それはもう残酷かつ可愛そうな小説があるのですが、もしかしたら人はどこまでも残虐になることができるとか知っていたほうがいいのかもしれない(自衛のためにも)と思ったりもするのでした。

普通に暮らしていれば、そうそう残虐なことには出会わないとはもうのですが、世の中にはサイコパスな人は実際にいて、事実ものすごくひどい事件も起きています。

いつ自分や自分の家族に、そういうひどい体験が襲いかかってくるかわかりません。

世の中には人外な存在というのは確かにいて、もし自分の周りにそういう存在がなければ、それは単に運が良かっただけなんではないか、そういうふうに考えておくほうが正解だと思うのです。

 

リトルモンスターズ

自分のTwitterタイムラインでよかったという感想がちらほら見れたので、アマプラでみました。

ホラー映画なんだけれども、そんなに怖くなかったです。でもゴアシーンはけっこう徹底していて内臓ベローンとかって、けっこうし生臭いのでやはりそういうのが苦手な人は見ないほうがいいかもしれません。

保育士さんはキレると怖い

ヒロインのキャロラインさんは保育士さん。「保育士」の仕事にすごいプロ意識を持っています。「絶対に子どもたちを守る」という、ちょっと怖いくらいの熱意に圧倒されます。
やはりプロというのははそのくらいの自意識をもって業務に当たらなければならないのだなと思います。

いい加減な気持ちのままだと多分生き残れないのかもしれません。

映画ではゾンビウイルスなんですけれども、今現在、現実の世の中ではウイルスの危機から、保育士さんは園児を守る義務があるわけで、同じように日々見えない敵と戦っていらっしゃるわけですよ。

頭が上がりませんな。

個人的にゾンビ映画はよく見る

パニックムービーやゾンビものホラー映画はけっこう見ています。見ることで、大抵の逆境は想定内に収まるようになりますし、なんか怖いことがあっても「あぁ、こういうのってあの映画であったなぁ」なんて言う感じでけっこう心が落ち着くというものです。このあたり、漫画家の荒木飛呂彦先生も著書で同じようなことを言われています。

優先順位と信念

想定外の状況や災害に巻き揉まれたときに、やはり強いのは信念のある人なのかもしれない。
一番良くない選択肢は「とりあえず今をなんとかしてやり過ごそう」というのかもしれない。
ヒロインの場合は「子どもたちを守るため」に自分はどう行動するべきなのがベストなのか、ということで、行動しているように見えます。
もちろん、映画だからご都合主義な演出もありますけれど、大事なのは信念にそってブレのない高田王をするというのが大事なんだろうなと思います。

Wilhelm scream

ネトフリの『ハリウッドを斬る。映画あるある大集合』を見た。
その中に「ウイルヘルムの叫び」についての話があって、そういうクリシェというか映画業界の内輪ネタがあるということを初めて知った。
けっこう映画通の間では有名な話なんだろうと思う。勉強になった。

ちなみに「クリシェ」というのはフランス語で常套句とか決まり言葉みたいな意味があるらしい。小ネタとかありふれたネタとかそういう感じだろうか。
クリシェをクリシェと理解するためには教養というかそれなりに深い知識が必要だったりするように思う。

わりと部品や資材の使い回しとか共有化というのは、建材業界でも多くて、一見ライバル会社だと考えられている商品が
実は同じ工場で生産されている。
なんてことも少なくないのだ。

会社は違うけれども、この部品は別のメーカーの商品にも使えるよ、ということはあんがい多かったりする。

そういうのは実際に現場で機械をいじっているとわかったりするので、そのあたりのノウハウをもってる職人さんは、やはり頼りになる。
そういう部分の蓄積が途切れないようにすることが大切だと思う。

GOD’S POCKET in 2025

ゴッズポケットに戻ったミッキーは84歳。

結局レオンが死んだあとすぐに、妻のジニーとは離婚した。

痴呆が進んだジニーは地域の保護施設でレオンが作家のリチャードとの間にできた子どもだったと作り話をしている。

ミッキーもすっかりボケてしまって、自分の名前すらおぼつかない。
ただ、この年まで長生きしているのは、なにかの罰かもしれないと思っている。

2025年のゴッズポケットは、相変わらず犯罪者が多いが、人口は1980年代の1/3まで減少していて、住民の平均年齢は58歳になっている。
若者はいるにはいるが、地元に残っているのは男はヤク中のろくでなし女は売春婦しかいない。

地域の知的水準は低いままで、ITリテラシーは低いままだ。
動画共有サイトやSNSをダラダラと消化するだけで、スマホじゃ生産性とは無縁のツールになっている。
使用料金が高すぎて結局は使わなくなってしまうのだ。

インターネットが社会問題を解決するというのは、この町で生きていく彼らにとっては幻想というよりむしろ戯言に近い。
「うまいことを言って俺らを利用しようと思っているんだろ?」

VRもXRもコストが高すぎる。毎月の使用量が30ドルならパブでビールを飲むほうがまし。

300ドルあるなら馬券を買う。

確実に言えるのは、ゴッズポケットは40年前よりも確実に悪くなっている。
それだけは間違いない。

ミッドサマー

ネトフリで配信が始まったので、早速鑑賞しました。
へレディタリーと並ぶ傑作らしく、自分のTwitterのタイムラインではなかなか評判がよく興味があったのです。
近所の映画館でも公開されていたので見に行くつもりだったのですが、あっという間に公開終了してしまったので残念に思っていたのです。

なんというか、トラウマを抱えたときに、思いもよらなかった価値観とか考え方によって救われたりすると人は案外簡単に洗脳状態になってしまうのかなと思います。
とはいえ、ほぼどのようなカルトであっても過去の思想の焼き直しだったりすると思っています。映画、特にホラー映画だと、とことん異常な考え方の人間が出てきたり不条理や悪意が表現されているので、なんというか耐性ができると思うのです。

「へレディタリー」「ミッドサマー」「マーターズ」「エンジェルダスト」「けものがれ、俺らの猿と」「ホステル」「フィンランド式残酷ショッピングツアー」「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」とかの映画あと漫画なんかで清水玲子さんの「秘密」とか「ジャック&エレナシリーズ」とか、あとは古典とか思想書や哲学書なんかも一通り読んでおくだけで宗教のありがたい話の殆どは「はぁそうですか」で終わってしまうので、なんというか本を読まないといかんなぁと、この年になっても思うのです。

 

 

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