陰口

仏教には「四悪口」という、言ってはいけないこととして、4つの言葉が挙げられています。

1. 妄語(もうご)
嘘をつくこと、真実でないことを話すこと
2. 悪口(あくご)
他人を悪く言うこと、誹謗中傷すること
3. 粗悪語(そあくご)
粗暴な言葉、乱暴な言葉、品のない言葉を使うこと
4. 綺語(きご)
意味のないことを言うこと、人を惑わすような言葉、お世辞や媚びること

これらの言葉を避けることで、自分自身の心を清め、周囲の人々との良好な関係を築くことができるとされています。

また、仏教では、言葉は行動と同じように、大きな影響力を持つと考えられています。
四悪口を避けることは、自分自身だけでなく、周りの人々にとっても良い影響をもたらす、重要な教えです。

2番目の悪口の中には「陰口」も含まれています。

基本的には陰口というのは、本人がいないところで、その人の批判や非難をするというものですね。

同じ会社の後輩の山田くんがある日「Aさんが、こんなことをしていた。どうかと思うよ」というようことを僕にに話したりするわけですよ。

自分が「へぇそうなんだ、困っているみたいだから山田くんの代わりに僕が本人に伝えとこうか?
『山田くんがいやがってたらから、そういうことしないほうがいいよ』って。
本人がいないところで言っても本人は気が付かないよ」
といような返しをしたときに。

「いや、そんなこと言わなくてもいいです」
と山田さんが拒否する時は、

それは陰口で悪口なので、自分はスルーしたいと考えます。

「あと、Aさんには、私が言ってたなんて言わないでください」
なんてセリフが出た日には、それは、間違いなく陰口なので、聞かなかったことにします。

陰口ダメ、絶対!

心の中はどうなってるの?

行動分析学

行動分析学入門とパフォーマンス・マネジメント

2022年と23年に「行動分析学入門」「パフォーマンス・マネジメント」の2冊が第2版に改訂されたのだ。

会社の新人さんが入るたびに読み直したり、仕事上なにかの指示を社員に依頼したり、仕事の内容を伝えるときに、どうするのがいいのか、そういうことの参考というか指針として役立つのがこ2冊なので、なにかあるたびに読み返していた。

行動分析学を学べる和書が充実した今、なぜ本書を改訂したのでしょうか。
最も大きな理由は本書の特徴の一つであったアキジという登場人物です。
「あたしは男に生まれてきた女」という目次にあったようにアキジはトランスジェンダーで、本書に登場する他のキャラクター同様、研究論文に基づいて創作した架空の人物でした。
アキジは男性らしくふるまうことを期待される社会の中で男らしいしぐさを学んでいきます。本書の主人公の一人である行動分析家の平野豪が、アキジからの要請に応え、行動変容を支援していくという物語になっていました。
しかし、時代は大きく変わりました。
性的指向や性自認には多様性があること、個人の尊厳を守るために、それをそのまま認めることが社会として望ましいと認識されるようになりました。
アキジは男性らしくふるまう必要はないし、女性に対して性的魅力を感じなくていいし、何よりも、他者がそのように強制すべきではないと考えられるようになったのです。
「男に生まれてきた女」は、本人が望む限り、「男に生まれてきた女」や「女」として、あるいはそのような型にはめられることなくそのままで、不安や心配なく堂々と生きていけるように世界の方を変えるべきであると、社会の価値観が大きく転換したのです。
(本書巻頭「読者の皆さまへ」より抜粋)

この30年の間に行動分析学に関する書籍は本当に多くなりましたし、多くのビジネス書でも取り扱うことの多い概念として定着しています。

行動分析学入門の前書きの中で
「個人のセクシャリティを社会に受け入れられやすいように変更する行動修正も可能だし、社会を変革していくパフォーマンス・マネジメントも可能だろう」という一文があります。

「行動修正」と「パフォーマンス・マネジメント」は個人と社会の関わりというコインの裏表で、どちらにも精通しておく必要があるのだと私は思っています。
すべてが個人の責任だ、いや社会の仕組みが悪いからだ、ついどちらか一方のせいにして、問題解決を探ろうとしてしまいがちなんですが、個人が変わること、社会(会社や仕組み)が変わること、どちらの視点も同じくあり大事だと思うのです。

私は社会のルールや規範、モラルと言ったものは時代とともに変遷していくものだと認識しています。

いつまでも学び続けることでしか、世の中はよくなっていかないと思いますし、自分自身も成長していけないだろうと考えています。

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