ざんねんな努力

川下和彦 たむらようこさんの「ざんねんな努力」を読み終えましたよ。

習慣の力を利用するとものごとはうまく行きやすい

結果に繋がりやすいんですよ。

と、そりゃそうだ良い習慣が大事だってのはわかる。

 

じゃぁどうすれば良い習慣っていうのは身につくのか?

そこんところがわかんないんですよー!

という自分にはとってもわかりやすかった。

より習慣を身につけるためのコツややり方が書いていて、こうすれば続けやすいのだな、ということが物語形式で書いている。

たぶん、このコツはできそうだけど、こっちは難しそうということもある。

どれか一つでも身につければだいぶちがうのではないだろうか。

 

リモートワークとかで出社しないことで、この習慣が崩れちゃってる人もけっこういるのだろうなと思ったりもしています。

オフィスだとできるけれども、家だとなんか、進み具合が良くないとか、集中できないとかそういうこともあると思う。

あと曜日でやることをキメるというのもけっこう合ってるかもしれない。

人によっては、曜日でキメるよりはとにかく毎日やるというのが合う人もいるかもしれない。

 

でも一番重要なのは、決断する回数をとにかく減らすということですな。

これは最初の方で出てきますので、たぶん大事なことなんだろうと思います。

今日は何を着ようとか、昼ごはんは何を食べようとか、そういうことは本当にどうでもいいので、買い物に付き合うのは本当に疲れるし嫌だなと思っていることを家族に伝えたい。

 

終身雇用から終身縁故へ

昨日のエントリーの続きというわけでもないのですが、

「終身縁故」というキーワードを思いついたのでググってみたところこのようなブログが引っかかってきて、思いの外、似たようなことを考える人は少ないなぁなんて気がしました。

で、この井上さんがノートを書き始めていて、

普段はフリーランス的な仕事。2021年1月、コロナ融資で信用金庫様からお借りした500万円を全額ぶち込んで貸しスタジオ運営に乗り出す。果たして食べていけるのか。

ということで面白いことをしているなぁと思った次第です。

でまぁ、話を戻します。

終身縁故っていうのは、なんというか「ある会社に在籍したことがその会社を離れたあともずっと関係性が続く」ということで、もうすでにそういうことを実践している会社があるなぁと。

◯◯出身の起業家、とか◯◯出身の経営者で検索するとわかりやすいです。

リクルートさん、DeNAさんあたりだと、サジェストで表示されるので、もうすでに終身縁故ということが、第三者にも認知されていると言っていいでしょう。

他の会社でも、元◯◯とか◯◯出身というような経営者さんがいっぱいいる会社は終身縁故企業だと言えるのではないかなと思います。

そういう会社は多少給料が低かったり就業時間が長かったりしてもそれは将来に対する先行投資でも納得できる部分があるように思います。

大抵の上場している大企業さんなんかは言っても「元◯◯勤務」というような肩書が通じたりするので「縁故創造企業」であると言えるでしょう。

週休2日のシフト制で、給与額は大学院卒・大卒が16万6000円、短大・専門卒が16万1000円。各種保険の他、寮費2万6000円、食費3万9600円、講座受講費の2万8000円が給与から天引きされる。そういうなんかすごい安い給料で働いても縁故創造企業であるならそれはよしだと思うのですが、

検索したら縁故創造企業っぽくないので、上場企業だから縁故創造企業だとは限らないのだなぁと思った今日このごろです。

で今後はこの「縁故創造企業」というのは中小零細企業でも出てくるのではないかなと思います。

◯◯研究所出身とか株式会社◯◯商店出身とか、そういうの。

地方にも起業家を生み出す能力を持ってる中小企業というのが増えているような気がする。

そういう縁故力のある会社にするために日々営業努力するっていうのは、結局はいいものを作るとかお客様に喜んでもらうとか、そういう地味でパットしない日々の努力なんだろうなと思うのでございます。

あと◯◯出身のエンジニアとか◯◯出身の技術者とか◯◯出身のプログラマーというのもありだと思います。

人材輩出企業とかいう言い方もあるみたいですね。

一周回って終身雇用

株式会社自分自身とか、有限会社自分商店みたいなイメージで、

「自分のマネジメントは自分がやるぜ!」というような形での雇用を目指すべきだし目指したいなぁと考えているのですが、それをみんながみんなに求めてしまうのはムリがあるのだろうなぇとも思う。

世の中自分にことを自分で決めたがらない性質の人もけっこうな数いる。

判断をしたくない。

なにもしたくない。

できれば楽に。

努力とかめんどい。

いわゆるグリットのない人ですな。やる気スイッチが壊れているというか、ない人。

そういう人も少なくない。少なくないというか世の中の殆どの人は成功目指してコツコツと自己研鑽に励むとかしない。

自己研鑽の本なんて売れても100万部くらいですよ。

100人に一人くらいしか読んでないわけです。

 

全員が強いわけではなく、ギャンブルしたり、めんどくせぇと仕事をサボったりするダメ人間なわけですよ。

自分だって、ついついツイッターを見る時間がのびのびになってしまうダメ人間なわけです。

でも人間社会というのはだいたいそういう人間が作っているというか大部分を構成しているので、社会の仕組みとしてはそこに合わせて設計していかないとなかなか難しいのだろうな。

だからこそ会社内で資格を取得させたり目標管理をしてもらったりするのも大事なんだろうな。

「この会社に入ったことで、こうこうこういうスキルを身につけることができました。」なんてふうに言ってもらえるような場になることも、中小企業にとっては大事なことで、

なにか身につけるモノを提供できるような会社にならないと、これから先はどう考えたって魅力がなくなっていきそうだ。

例えば、ちょっとしたことでもいい。

商品の名前を覚える。

ウェブで検索を効率的に行える。

ブラインドタッチで入力スピードがけっこう早くて正確。

エクセルで簡単な関数を利用して表計算を楽に設計することができる。

ネットワーク設定ができる。

ホームページをFTTPを利用して管理することができる。

そういうなにか他の会社でも役立つようなスキルを身につけることができるかどうかなんだろうな。

中国のこと

今年のニュースの1月号のネタの一部だったんだけどスペースの関係でカットしたので、とりあえず転記

中国のダイナミズム・・・とか

先日、ザハ・ハディド・アーキテクツという設計事務所が中国の深セン市のタワービルのコンペで勝利したことを伝えました。ザハ・ハディドといえば東京オリンピックが開催される予定だった最初の国立陸上競技場を設計したところですよ。予算にケチがついて変更され結局今のデザインに変更されたのは記憶に新しいところです。

このタワービルは収容人数が三十万人ということで下関市とほぼ同じ人間が毎日行き来するという話です。なんというかもう規模が桁違いですね。中国の勢いは止まりそうにありません。そんな流れで二〇二二年二月の冬季北京オリンピックが行われる予定です。一年後にはコロナ騒ぎも収束されているか微妙なところですが、まだ人の移動にはいろいろと制限が掛けられそうに思われます。

オリンピックやコロナ対策が政治利用されることは間違いないので中国が開催しても他国がコロナを理由に参加しない(言ってみればボイコット)ことも十分考えられます。開催されども参加せずという動きがあるかもしれません。そのとき日本はどのような立場を取るのか、世界各国がどう行動していくのかを見極める地政学上の踏み絵になるかなと思っています。

日清戦争以降の中国ではなく鄭和の大公開が行われた1400年台明朝の中国、日本史でいうと勘合貿易を行っていた室町時代のような日中関係を想定するほうがちょうどいいかもしれません。

「隣人に対して敬意を払う」そういう姿勢というか態度を大事にしていきたいと考えています。

 

敬意とは相手をよく見るよく知るということです。

相手の何を知っているのか?というとほとんど知らないのです。

大概の差別や偏見は無知からくるものです。

中国の歴史や文化について自分はほぼ何も知らないのと一緒ですので、偏見にとらわれることなく学んでいきたいと思っています。

大切なことは相手に対して敬意を払うということです。本をたくさん読んだり中国の映画をたくさん見たりして相手についてもっと知ろうと

150年掛けて人口が減っていく

このグラフが国土交通省から発表されて今年でちょうど10年目になります。

基本的には2021年の予想推移も同じようなものだと思います。

多少の誤差はありますけれど、だいたい2100年くらいには、日本の人口は明治維新のころに戻るのだろうなということですね。

2100年というのは今年からだとまあ80年位先の話です。

今年生まれた赤ん坊が80歳になるころですな。

もしくは今中学校3年生の子どもが95歳になるころですよ。

その頃には日本の人口は今の三分の一くらいになっているわけで、何もしなくても三密が維持できるくらいの人口密度になるのだなぁと思ったりしております。

土地の値段も下がってくるかもしれない。

100年かけて値上がりしてきた坪単価が100年かけて下がっていく(戻っていく)かもしれないあなぁなんてことを考えたりしています。

生活様式も人口の現象に合わせて戻っていくかもしれないです。

持ち家率とかも100年前の数字に戻っていくのかもしれない。

とにかく分母である総人口が減っていくというのは、いろいろな影響が出てくることには間違いない。

 

検索力を高める

いやー忙しいね。

先週末の凍結の影響でまだまだ修繕現場が多くててんてこ舞いですよ。

ニュースレターの作成が全然進んでいませんです。締切は20日なんですけれども進捗率が5%くらいなので、やばいです。間に合わないかもしれません。

とりあえずこのブログのある意味ニュースレターの下書きみたいなもんですので、ザクザクと書き出してみようと思っています。

昨日は三つのトランスについてちょろっとメモ書きしたわけですよ。

そういう変化のある時代にどういう能力が必要なのか、どうゆう能力を伸ばしたらいいのかっていうときに、やはりそれは検索力というか推論力というか知識とか教養に裏付けされた「考える力」ってやつですな。

それはやはり表現力とかであり、言語化する能力なんかもしれません。

言語化するときには語彙力というのはある程度必要な感じもするのですが、ネットでググることで、語彙力不足というのはカバーできるような気がします。

 

例えば、自分がやっている発想方法としては、英語にして検索し直すとか

類語で検索するとか、対義語で検索するとか、検索エンジンを使って検索するわけですよ。

 

例えば帰納法とか演繹法って言葉があります。

これって英語でなんていうのか知らないので検索するわけです。「帰納法 英語」とかで調べれば一発ですよ。

帰納法は英語で INDUCTION METHOD

演繹法は英語で DEDUCTION METHOD

ということがわかります。

帰納-演繹という漢字表記だと直感的に対義語に見えないのですが、英語にすると対になってるのがピンときます。

検索力を高めるのは、この”INDUCTION”という概念が大切でこれには「誘導」という意味がふくまれているのだとか、そういうことがわかってくると、高まってきます。

するとこういうコラムが見つかったりして読むわけですよ。でリンク先に本が紹介せれたりしていると買って読んだりするので、アマゾンの毎月の請求金額が何万円とかなったりするわけで、どうしてくれるんだ。基本的には3000円くらいの本だったらほぼ衝動的に買ってしまうので、いかんなぁ積ん読してしまうのだが、まぁほしいときに買うのが本のいいところですよ。

話がそれた。

でまぁそういうふうに知識の不足分というのはある程度カバーできてしまうので

「やりかたを知らないからできません」

とか

「やったことがないのでわかりません」

とか

「わからないのでやりません」

なんていうのが、単にやらない理由をめんどくさがっているだけじゃんよというのがバレバレになっているので、

わからないなら調べればいいし、

とりあえずやってみればいいじゃん、人に聞く前に自分で調べて、かつやってみなさいよ、というかそういうふうに自然になんの抵抗もなくスイスイと行動にうつしていくというか実践する力というのがあればそれだけでいいのだなと思う。

調べればわかるという時代だからじゃあ暗記系の勉強はしなくてもいいのか?っていうとそうでもない、

「うろ覚え力」と自分は呼んでいるのだけれども、

「そういえばアレなんていったっけ?30年くらい前のアメリカの映画で主人公が言ったセリフが I’LL BE BACKだっけ、そのときに、あれがあーしてこーして」みたいな形で、知りたい語彙に近づいてく感覚。

ちゃんとは覚えてはいないのだけれどもググれば思い出せるみたいな、

そういう、ネットによって語彙力や推論力を補完することができる力

それが「うろ覚え力」なわけです。

うろ覚え知識がめっちゃあると検索力が高まると言えるのではないでしょうか

幅広い教養や知識をなんとなくうろ覚えしていることで検索力というのは確実に高くなると思うのですよ。

ちなみに「うろ覚え」は英語だとFAINT MEMORYとかVAGUE RECOLLECTIONというそうな。

これも英語辞書や語源を調べてみると

漠然としたとか あやふやなとか 想起とか 記憶とかでてきて、

MEMORYとRECOLLECTIONだとちょっとニュアンスが違うんだなぁふむふむなんてことを思うわけですよ。

RECOLLECTIONを検索するとRECALLなんて単語をクロームが表示してくれたりして、そういえばトータル・リコールっていう映画が会ったなぁ原作はPKディックだったよね。みたいなことが想起されるわけですよ。

あれだ映画はガンガン見たほうがいいと個人的には考えています。

なんというか記憶に残りやすいし「うろ覚え力」を鍛えてくれると思うんですよ。

あるいは「想起力」というのも知識とか教養が多くないと発揮できないわけで、掃除のやり方とか雑巾の絞り方とか、美味しいすき焼きはどうやって作るのかとか、そういう知識も必要で、

知識をみにつけるには、実際にすき焼きを作ってみたり餃子を作ってみたりすることが必要なわけですよ。

だからなんでもやってみるとか体験してみることがホンマに大事なので、世の中未体験なことばっかりなので、なんでもかんでもやってみたい。

でなにが言いたいかというと

新感染半島を見に行きたいということです。

三つのトランスに絞る

これから先20年くらい、2050年くらいにはいろんなことが変わるのだろうなぁという予感めいたことを1月号のがんばれ設備店さんで書こうと思うので、本番前にこちらへ書き散らかす。

DXというワードがけっこう目につくようになってきたように思う。

緊急事態宣言も出たことだし、テレワークだとか7割出勤を減らすだとかでDX

つまりはデジタル・トランスフォーメーションとかいうやつだな。

デジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものにするとか、

働き方改革にデジタル技術を導入して効率を上げてしまおうという、そういうときに使うのがDX

でこのトランスフォーメーションの”トランス”という言葉にもっと集中して考えたい。

先日、ネトフリで梨泰院クラスってドラマを見終わったのですな。うむ面白かったですよ。一気に見てしまいました(おすすめ)でここではそのドラマの話は置いておいて、その中でトランスジェンダーの登場人物がいてはるわけですよ。

トランスジェンダーというのは、途中で自分の性別を変える人みたいな意味で、

生まれたときの戸籍上の性別は男だったけれど、心は女で、手術するしないは、別にして、あとで女として生きていくとか、逆に生まれたときの性別は女だったけれども、心は男で、手術するしないはべつにして、途中で男として生きていくという。

昔の言い方で今はおすすめできない日本語としてはオカマとかオナベとかのことですな。

で、この「トランス」という言葉がけっこうあって、未来を考えるときに概念としていい感じになりそうでいろいろ調べていてけっこう面白そうな言葉がたくさん見つかる。トランスは「変わる」というよりは「乗り越える」とか「超えてあっち側へ行く」というニュアンスがあるので

トランスネイション=所属する国家を変わる・乗り越えていく

トランスナショナル=所属する民族を変わる・乗り越えていく

トランスジェンダー=性別を変わる・乗り越えていく

トランスレイシャル=人種を変わる・乗り越えていく

トランスヒューマニズム=人間を超えていく。

あとトランスインフルエンスとかトランスボーダー・トランスディメンション・トランス・ワールドとかいろいろある。

 

でトランスポートという言葉があって、これは輸送するという意味になってる。

スペルは”transport”   “trans”は「超えていく」”port”は「運ぶ」というのが語源

「trans+動詞」で新しい何かがイメージできるかもしれない。

トランスコミュニケーションという言葉もあるみたいなので、そっちも調べてみようかなと思ったりしている。

トランスヒューマニズムはなんかアヤシイ感じの人が使っているみたいな感じがあるので、あんまり近づかないでおこうという印象。

「暇だったら手伝って」と言ってはいけない理由

週末に積雪がかさなり、道路や水道が凍結したりで、この連休明けはけっこう忙しくバタバタしておりました。

自分の仕事が立て込んだり、依頼ごとが次々に持ち込まれたり、やっている先から次の打ち合わせメールが届いたりと、忙しくて焦っているとき、人の手助けがあれば助かるってことがあるかと思います。

自分が忙しくてバタバタしているのに、対面にいる同僚や後輩はなんだか時間がありそうに見えます。

そんなときに、

「暇だったら手伝ってほしい」みたいなことを言うことがあります。

この「暇だったら」というのはイコール

「忙しかったら手伝わなくていいですよ」というようなニュアンスで言ったつもりになりがちなのが日本語の特性なんですけれども、それは同時に「僕には今君はヒマそうに見えるんだ」というメッセージを伝えてしまうのですな。

そういうときは「暇そうだから」というのはくっつけなくて良くて、ただ単に

「手伝って」と相手に伝えればそれでOKなのだと思いますよ。

同じように

「何もしていないなら手伝って」

「時間があるならやってよ」

「することないなら片付けてよ」

「しごとしてないならコレやっておいて」

「遊んでるなら掃除して」

なども全部同じ。それぞれ「手伝って」「やってよ」「コレやっておいて」「掃除して」だけでOKなのだな。

「何もしていないなら」「時間があるなら」「することないなら」「しごとしてないなら」「遊んでいるなら」と条件付けしたあとで依頼や頼み事をしてしまうと、言われた方はペナルティーを受けているような気分になるのです。

「君は何もしていない」→だから「手伝わなければならない」

「君は遊んでる」→だから「掃除をしなければならない」

「◯◯ならば✕✕しなさい」というのは受け手に対して罰を与えているような印象を植え付けてしまうわけだな。

 

こういう言い方って子どもに対してもついついやりがち

曰く

「遊んでいるなら勉強しなさい」

「暇なら勉強しなさい」

「YouTube見ていないで宿題をしろ」

こういう言い方をされると、子どもの脳は無意識のうちに勉強することや宿題をすることを「罰を受けている」と認識してしまうので、ますます勉強嫌いになってしまうわけですな。

 

依頼や提言、アドバイスを相手に伝えるときには、その文章が「条件付き」になっていないように気をつけないといけないと思うのです。

そうは言っても難しいですし、自分もつい言ってしまいます。

それでも

「◯◯なら◯◯せよ」「◯◯だから◯◯しろ」というように「だから」「なら」「であるなら」という言葉を使わないようにしたいものです。

iPadでメモを書く

こどもの宿題の手伝いをしているときに紙がなかったので、仕方なくiPadのメモ機能を使ってみたいんですよ。

google Keep というアプリなんですけど。

これがすごく使いやすかったんですよ。

自分のiPadはちょっと古いのでiPadPencilも第一世代のものなんですけれども、字が書きやすいです。

もっと早く使っておけばよかったな。

ペンシル。

以前は指とか、こんなの↓

使っていたんですけれども、正直「あまり使えないなぁ」と思っていたのですが、やっぱり値段が高いだけあって、純正のiPad Pencil いいですね。

そらからアプリのgoogle Keepというサービスなんですけども、書いた瞬間にPCサイトと同期するので、メモの共有がすごい楽です。

 

272

「272」これは今年見た映画の本数です。あとアニメとかドラマは1シーズンで1本でカウントしてます。まだ途中の呪術廻戦とかは含まれていないです。「約束のネバーランド」はシーズン1で1本です。

年間目標は300本なので、ちょっと足りなかったなー。

ロードショーで見に行ってよかったのは「糸」と「劇場版ヴァイオレットエバーガーデン」「異端の鳥」「パラサイト」「罪の声」

アマプラとかネトフリで印象に残っているのは「東京残酷警察」「殺人漫画」「コールドスキン」「残酷で異常」「武器人間」「Mama」「やるっきゃ騎士(中村倫也主演)」「若おかみは小学生」「黒い箱のアリス」「ガンホー」「ライト/オフ」「ひみつのアッコちゃん」「アンパンマンいのちの星のドーリィ」「死霊館 エンフィールド事件」「かくしごと(全12話)」「彼女の人生は間違いじゃない」「見えない目撃者(主演吉岡里帆)」「少女邂逅」「シェフ 三ツ星フードトラック」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「KUBO 二本の弦の秘密」「ミスミソウ」「悪の華」

「ストリート・オブ・ファイヤー」は今年は4回見てます。なんか見たくなる映画です。

「若おかみは小学生」も3回くらい見ました。

「アンパンマン いのちの星のドーリィ」は2回見ました。これはアマゾンプライムビデオで購入しているのでいつでもどこでも見られるくらい実は好きな映画です。

「彼女の人生は間違いじゃない」

「見えない目撃者(主演吉岡里帆)」

「少女邂逅」

「シェフ 三ツ星フードトラック」

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」

この5本はもう一回見たいなーと思います。

 

冬休みは「約束のネバーランド」「新解釈・三国志」「天外者」「ビルとテッドの時間旅行」を見に行く予定です。

Nonさんの「私をくいとめて」は1月15日にから公開なので、できれば初日に見に行きたいです。それまでに原作読んでおこうかな。

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