類は友を呼ぶ

たぶん3人ぐらいは
「自分ならもっとうまくやれる(やってる)。」
そして30人ぐらいは
「自分も殺してほしい」
って思ってる人がいるんじゃないかなと思う。

これが特殊な事件であることはよくわかるけど
たぶん同じような事件は昔からあったし、
(たとえばヘブンズ・ゲートの事件とか)
これからも続いていくと思う。

それこそ、安いアパートの一室ではなく、森の中の洋館だったり、ホラー映画のノリでヤバイやつとか絶対ある。(ような気がする)
ITがもたらしたのはコミュニケーション効率なんだから、
需要があって供給があればそれはそれで結びつきやすい。
たぶん、同じ事件というか事例は、今も現在進行形で進んでいると自分は考えてしまう。

個人的には、一対一は「最小の宗教コミュニティ」だと思うのだ。
もしかしたら名前のない宗教未満のコミュニティーがどんどん生まれているのかもしれない。

宗教や信仰も細分化しカスタマイズされていくのが今の時代なのだ。

TWITTER社やfACEBOOK社は今回の事件などが取る方法はいくつかある。
ユーザー一人ひとりの投稿を検索、データ化して、それこそ今流行りのAIを利用したりして発言の傾向からアカウントを凍結したりとか、そういうことも増えていくと思う。
「社会的な使命として我が社は自殺幇助・殺人行為を助長するような発言アカウントはみとめません」
みたいな、「死ね」とか「殺す」とか、そういう単語が出てくるとアカウントが凍結されるのはどんどん出て来る。
「蚊を殺した」で凍結みたいな誤爆もしばらくはあるだろうけれど、そのあたりは改善が進んでいくのだろう。

自分の身近な人が、そういう誘蛾灯のような人物に近寄らないようにするためには、どうするかを考えたほうがいい。
でもうつ気味の人からネットを取り上げればいいとか、そういう単純な話でもないと思う。
でも、類は共を呼ぶというように、ネットっていうのは、その時に持っている感情とか思想を強化していく作用が強い。
個人的には、しないほうがいいし、自分や自分の家族がうつ気味になったらネット環境を遠ざけると思う。

誕生日

先日は長女の誕生日でした。

サプライズとか友達を呼んでパーティーとか、そういうのはなく、まぁケーキを食べるくらいの地味な誕生日でした。

ケーキも運び方が悪かったのか、形が崩れてしまいインスタ映えもしていませんよ。

自分の実家はあまり誕生日だとかそういう記念日的なことをしないというか、クリスマスとかもそんなになかったような気がします。

小学生の頃は一応なんかちょろっとしていたような気がしますが、中学校・高校のころは

「ああ、そういえば昨日誕生日やったなぁ」とそういう感じの家庭でした。

だからといって虐待とかネグレクトだったような印象はありません。

誕生日を祝うという発想自体が薄かったような気がします。

あと、誕生日だからめでたいという意識がそんなになかった。

「そういうのなんかめんどう」という意識は今でもあって、その証拠というかSNSでも自分の誕生日は非公開にしてます。

FaceBookなんか見てるとほぼ毎日のようにだれかの誕生日なんですけど、

ほとんどスルー、おめでとうとかコメントも入れないし、最近はイイねもつけていないという。

それでなにか困るのかっていうと別に困らない。

まぁ、そんなに社交的じゃないです。

経営者としては多分マイナスなんでしょう。

でも、苦手なんですよ。

壊れたスマホとバックアップ

今朝、スマホを落としてしまった。

見事に破れてしまいましたよ。

データは大丈夫だったのですが、画面タッチしても反応しなくなってしまいました。(マウスを挿せば使えるのであとでデータを移動する予定です。)

破損保証に入っていたのとポイントが溜まっていたので無料で新品と交換できて良かったです。

二日間代品でちょっと不便。

カバーを付けておけばここまで破壊することもなかったかもしれません。

手荷物の体積が増えるのは嫌だったのでずっとカバーなしで使っていたのですが、
カバーをつけておけばよかったと後悔しております。

新しいのが来たらカバーを買おうかなと思っております。

スマホって高級品ですよね。

単品で購入すれば10万円くらいします。

月々の通話料にプラスされているので感覚的には高価なモノという意識が低いのですが、
値段が貼るものであることには違いありません。

思うに、取り扱い方が雑だったのだなぁと反省しております。

単発イベントは消費なんだろうな

この土日は地域で行われたイベントでうどんコーナーの手伝いをした。

うどん一杯250円である。

600杯分仕入れて200杯近く余ってしまった。

ちょうど台風22号が接近していて、大雨と風も強かったので、いつもの半分もお客さんが来てなかったように思う。

まぁ、販売者の給料はないので、ギリギリ赤字ではなかったのかもしれないけれども、利益も当然出ていないのだろうなと思う。

こういううどんコーナーとか、夏祭りなんかで模擬店を出すと、

わりと儲かった気分になる。

なんでかっていうと人件費が発生していないのと、税金が発生しないからだ。

だから、こういう経験だけの人がお店を開いたりすると大抵失敗する。
商売の肝は人件費だ。

企業の機能として「顧客の創造」と「雇用の創造」がある。

そんでもって、この二つを結びつけるのが利益だ。

利益がないところには「顧客」も「雇用」も生まれない。

その二つを産まない事業は、おままごとといっしょなんだと思う。

きっかり設けるためには利益を出す。

人を雇用したら、利益のない事業は続いていかない。

あと、こういう一過性のイベントで『自社の商売がやれなくなる』というような商売は、これからの時代生き残るのはちょっと厳しくなると思う。

利益って本当に大事だと思う。

「利益とは経営者の覚悟を数値化したもの」という考え方がある。

「他社とおなじ品目の商品であるなら、他社の倍の価格でお客様に購買していく方法を考える。そこで設定される販売価格はその企業経営者の覚悟だ。

「1000円のものを2000円で買ってもらう、そのためには○○しなければいけない!だから○○するのだ!」

そういう覚悟をもってがんばっていきたい。

問う、想像する

もしあなたが絶体絶命の状況になって、残り時間が1時間あるとしたら、どんなことをしますか?

アインシュタインは言いました。

「最初の55分は適切な質問を探すのについやすだろう。」

そのくらい「質問を探す」「問を立てる」ことは重要だと思います。

自分は小説やマンガの中でもSF(サイエンス・フィクション)が好きです。

ハヤカワ文庫にはよくお世話になっています。

SFマンガには、普段の生活をしていたら、まず立てることのないような「問い」が溢れています。

今回紹介するのは清水玲子さんの「ミルキーウェイ」という少女漫画です。

ジャックとエレナという二人の人形ロボットが主人公の物語は、独特の問いを投げかけてきます。

「ロボットに感情があるとしたら人間との違いは何なのか?」

「宇宙にたった一人残されても永遠に生きられるロボットに伴侶は必要なのか?」

「『本物の恋愛』は人間にしかできないのか?」

「170年後の未来から自分の人生を見られるとしたら?」

200年300年というスパンで物事考えてみる。

宗教観や死生観の違う世界から物事を考えてみる。

例えば「人肉を食べて死者を弔う、食葬がベースの世界で生きることとはどういうことなのか?」

そういう特殊な世界に思考を置くことで、自分の「問いのはば」が広がる。

そういう実感があります。

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