『移民の子どもたちはどこへ行くのか——アイデンティティ危機からイスラムへ』

アメリカのエスニック・ルーツ:物語としての構成

序章 失われた故郷への郷愁——プロローグとしてのアメリカ

アメリカ大陸の「発見」から現在までを、一つの大叙事詩として捉える。

ヨーロッパからの逃亡者たちが新大陸に上陸した瞬間から始まる物語。

ここでは、アメリカ自体が「エスニック・ルーツを失った人々が集う場所」という根本的な設定を確立する。

第一章 ヨーロッパからの亡命者たち——根を切られた者の新世界

ピューリタン革命の敗者たち、アイルランド系飢饉難民、ポーランド系ユダヤ人、イタリア系労働者など、各々がヨーロッパにおいて何らかの理由で「根を失った」または「根を失わせられた」人々であったことを描く。

彼らにとってアメリカの約束とは、「新しいエスニック・ルーツを創造する機会」であった。

しかし同時に、それは「古いエスニック・ルーツの放棄を意味した」。

第二章 先住民族の悲劇——最初のエスニック・ルーツの抹消

アメリカ大陸の真の主人公たちであるネイティブ・アメリカンの物語。

彼らは深く根ざしたエスニック・ルーツを持ちながら、外来者による「野蛮化」のレッテルと同化政策によって、その根を強制的に切られた人々である。

ここに、アメリカというプロジェクトの根本的な矛盾が露呈する。

第三章 黒人奴隷制と根の奪取——二重の喪失

アフリカから強制移住させられた黒人奴隷たちの悲劇。

彼らはアフリカのエスニック・ルーツを失わせられ、同時にアメリカにおいても市民的アイデンティティを獲得することが許されなかった。

この二重の根の喪失が、アメリカにおける最初の「アイデンティティ・ボイド」を創造したのである。

第四章 大坩堝の神話——メルティング・ポットの虚構と現実

20世紀前半から中盤にかけてのアメリカが創造した「メルティング・ポット」の物語。

すなわち、すべてのエスニック・グループが一つのアメリカ的アイデンティティに融解するという理想。

しかし現実には、WASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)の支配的文化への一方的な同化強要であったこと、そしてそれに抵抗した者たちの物語を描く。

第五章 モザイクへの転換——エスニック・アイデンティティの再興と祖国訪問

1960年代から1970年代にかけてのアメリカにおけるエスニック復興運動(ethnic revival)。

根を失った人々の子孫たちが、祖国への思郷や民族的誇りを求め始め、ブラック・パワー、シカノ・ムーブメント、アイリッシュ・アメリカンの民族的復活などが起こる。「メルティング・ポット」から「モザイク」への転換の物語。

第六章 アイデンティティ・ポリティクスと新たな断片化

現代アメリカの多元主義的状況。

各エスニック・グループが自らの根を求め、祖国との連続性を主張する運動。しかし同時に、このプロセスは新たな対立と分断をもたらす。

ヨーロッパ系、ラテン系、アジア系、中東系など、複数の「ルーツ」が競合する状況。

第七章 移民の波とアイデンティティの再構成

1965年以降の新しい移民法によってもたらされた、ラテンアメリカ系、アジア系、アラブ系移民の急増。

彼らは前の世代の移民と異なり、より強固なエスニック・アイデンティティを保持したまま、アメリカに統合しようとする。

ここに、従来の「同化」という物語が崩壊していく過程が描かれる。

第八章 9.11以後のムスリム・アメリカ——新たなアイデンティティ・ボイド

2001年以降、アラブ系・イスラム系アメリカ人が経験した、新たな形のアイデンティティ危機。

「アメリカ人」としてのステータスが揺らぎ、同時に「ムスリム」としてのアイデンティティが国家的脅威として再構成された。

ここで、宗教が新たな「ホームランド」としてのポジションを獲得する過程。

第九章 イスラム教の台頭——精神的ホームランドの出現

アメリカにおけるイスラム教の拡大と、特にアフリカ系アメリカ人やエスニック・ルーツが曖昧な若者たちによるイスラム改宗の増加。

Nation of Islam、Sunni Islam、急進化したIS支持者集団など、多様なイスラム的実践とアイデンティティの形成。

イスラム教が、エスニック・ルーツの空白を埋める「普遍的な宗教共同体」として機能する物語。

第十章 分断される物語——2020年代のアメリカ

現代のアメリカの複数の物語が並行して存在する状況。

民族的多元主義を肯定する立場、伝統的なアメリカニズムへの回帰を求める立場、そしてより根本的に「アメリカとは何か」という問い自体が崩壊しつつある状況。

分断されたアイデンティティの時代。

エピローグ 未完の物語——未来への問い

アメリカが未だ解決していない根本的な問いたち。

すなわち、「多くの起源から来た人々が、単一の国民アイデンティティを共有できるのか」「宗教や民族が国民ステータスに優位して現れた場合、国家の統合性は維持されるのか」「根を失った人々が、真の『ホーム』を見出すことができるのか」


アメリカのエスニック・ルーツの物語を、単なる「成功の物語」ではなく、根の喪失と再構成の戦いという、より深い寓話として提示するものです。

各章が一つの「民族的トラウマ」または「アイデンティティ危機」を扱う形で、アメリカの歴史全体を、エスニック・ルーツをめぐる葛藤の物語として読み直すことが可能になります。

「落日」湊かなえ

Audibleで配信されていた湊かなえさんの「落日」を聞き終えた。
朗読は北川景子さん。
小説が刊行されたのは2019年、2023年に北川さん主演でドラマ化もされているんですね。これは知りませんでした。今度見てみようと思ういました。

俳優ののんさんが朗読したのも湊かなえさんの「未来」という作品でした。これもすごく良かった。

湊かなえさんの作品は、時間軸がけっこう長いです。子供の頃から始まって事件がが起きて、しばらくたってからの景色が綴られる。

シーンが前後する、未来と過去、そして現在が積み重なって折り重なって、景色が変わっていくような物語になってて、最初にいい印象でなかった人物が、すごく愛おしい存在であったことに気がついたり、よかれて思ってやっていたはずのことが、それだけはやってはいけなかったことだったりするような、その時その時で、善と悪、正と誤、愛と憎などが入れ替わっていく。

伏線や予感が散りばめられているのですけれども、登場人物たち、物語を同時に経験している自分は、そのことに気がつくのはずっと後になってからなんですよね。

そして実際の人生の中では、その本当のこととか、ある人の気持とか、伝えたかったこと、わかってほしかったことが、相手に届いたのか、受け止めてもらえたのかは、あんがいあやふやだったりする。

親兄弟や夫婦であったとしても、本当の気持ちや想いが相手に「自分が考えているように」伝わっているかどうかは、本当のところ確かめるすべはないのかもしれない。
本人に聞くのがもちろん、一番いいのだろうけれども、本当に思っていることや感じていることを話してくれるかどうか、その保証はないわけで、相手が嘘をついていないにしても、お互いが傷ついてしまわないように、真実を隠していたり本当の気持ちを表現しなかったりすることもあるわけで。

 

テレビのニュースなんかで、殺人事件とか、犯罪のことや犯人のこと、どんな事情があったのか、あることないこと流れているときに

「本当の気持ちを知りたい」
「真実はどうだったのか知りたい」

なんてことを思ったりするのだけれども、
ほとんどの事件は(運がいいことに)自分の近くでおきたことではなく、どこの誰かまったく知らない地域や町に住んでいる人で、本当のこと、真実とか知ることができないし、知る意味もなかったりする。

それでも、もし同じことが自分におきてしまったら、自分がやってしまうとしたら、どうなんだろうか。

自分は、自分のほんとうの気持ちは誰かに思うように伝わるのだろうか?

そんなことを考えるのだ。

 

 

落日は再生時間が11時間13分と長いです。毎日1時間聞いても11日かかるのですが、家事をしながらとか、通勤時間や、仕事の移動時間を使って、なんとか二週間くらいで聞き終えることができました。通勤や通学時間が毎日30分以上あるなら、オーディブルはとてもいいのではないかと思います。

 

 

ルック・バック サユリ

映画を見ましたよ。

殺されることの不条理はどうすればいいのだろうかなんてことを考えます。

死ぬことは避けられないし、人は必ず死んでしまうし、死から逃れられる人はいないわけだよね。

それでも、自分の思うように生きたり、自分ではどうしようもない困難とか環境で生きることができなくなりそうな時に、どう抗うべきなのかを考えたりするのだけれど、結局は死は受け入れるしかないし、どうせいつか死ぬのだけれども、どうせなら生きていこうという意志でしか、今を生きることはできない。

いろいろと理由を付けて死を受け入れようとするのだけれども、たぶんどんな理由であっても、同じで、受け入れることはできたりできなかったりするのが現実だろう。

ある人にとっては救いになるのかもしれないけれど、誰かにとってはそれはただの呪いなのかもしれん。

悪霊とか怨霊というのは、実際のところは物理的には存在しない。
毛虫とかゴキブリと同じように悪霊や幽霊が存在するのかっていうと、同じようには存在していないっていうのが現実なのだろう。

さてこの映画、両方とも原作も読んでいて、どちらも微妙に演出が原作と映画では違っているのだけれども、どちらも良いのだ。
補完しているというか、原作もよいし、映画もよい、追加したり違っている部分もあるが、それがまた良いのだ。

漫画と映画では、そのメディアの性質上、それぞれに合った脚本の違いはあるのだと思う。時間的制約だってあるのだろう。

できるだけのことをそこで行うっていうのが、実際はけっこう大変で凡人の自分には「それだけをやる」というのは徹底できていないのだ。

 

ちなみにヘッダーのポスターはAIに描いてもらった

オススメマンガ ベスト20

発想源というメールマガジンの記事で「勝手にセレクション」という記事があって感銘を受けたので、少しずつリスト化していこうと思うので、まずはマンガから、とりあえず順序はあとでつけるのでいくつか書き出していこう。
この10年くらいは新しい作品をあんまし読んでないし、ジジイなので古い作品になってしまう。

今読んでもたぶん、面白いよっていうのをいくつか書き出してみます。

  • 清水玲子 「ジャック&エレナシリーズ」
  • 柴田昌弘 「赤い牙シリーズ」
  • 手塚治虫 「火の鳥」
  • 森薫 「乙嫁語り」
  • 外薗昌也  「ラグナ通信」
  • ますむらひろし 「アタゴオル」
  • 高橋葉介 「夢幻紳士シリーズ」
  • 樹なつみ 「朱鷺色三角 」
  • 佐々木淳子 「ダークグリーン」
  • 安孫子三和 「みかん絵日記」
  • 日渡早紀 「記憶鮮明」
  • 山口貴由 「覚悟のススメ」
  • ふくやまけいこ 「エリス&アメリア ゼリービーンズ」
  • 聖悠紀 「超人ロック」
  • 坂口尚 「石の花」
  • 星里もちる 「怪獣の家」
  • 遠藤淑子 「エヴァンジェリン姫シリーズ」
  • 吉田秋生 「BANANA FISH」
  • 岩明均 「寄生獣」
  • 外薗昌也 「犬神」
  • 園田健一 「砲神エグザクソン」
  • 鬼頭莫宏 「なるたる」

言語哲学と出会ってから4光年と分けて考えたり区別したり

「言語哲学が始まる」「人工頭脳入門シリーズ1-14」「発達障害グレーゾーン」を続けて読んだ。というか併読した。

脳という機械がどのように世界を認識しているのか、認知とはなにか、判断とはなにか、そして心とはなにかみたいなことを考えるのだけれども、そのあたりの仕組はどうなっているのか、というのはまだ本当のところよくわかっていないそうなのだ。

そもその世界とはなにかとか、認識するとはなにか、認識とはなにか、「よくわかる」とは?そもそも「わかる」とはなんなのか?実際のところの定義や仕組みというのは、道半ばというのが、哲学の世界にしても社会学の世界にしても量子力学の世界にしてもよくわかっていない。

AIによって世界が変わるとかその影響が世界中あらゆるところに現れるのだ!というようなことが言われているのだけれど、人間が飯を食ってうんこして寝て起きてセックスして子作りするという、そういう原始的生物的営みはこれからもずっと続いていく。

そんな折、昨年から話題になっていた「出会って4光年で合体」を読んだ。

ポリコレとかそういうのを乗り越えたところに人間の本質があるのかもしれない。綺麗事のためには、汚いものや不気味なもの恐ろしいもの、愚かなもの、そいういうものも分け隔てなく有りするというか、存在を許すことが必要なのかもしれないとか思ったりする。

認知したものに対して自分の生命にとってそれは、プラスに働くものかマイナスに働くものか瞬時に判断してしまうのは、人の業であり、その業から逃れることが仏様の言ってる大切なこなのだ、いわゆる認知はしても反応すんなっていう話。

とはいうものの反応はしますよ。

怖いとか、好きとか嫌いとか、うへぇとか、言葉にならなくても「感じ」てしまうことは反応ですよね。

反応は個人個人が違うし、いわゆる性癖とか価値観というは、それぞれの脳の回路の作りの違いなんだからしょうがないのだと思う。

人の脳は差別するようにできてるのだから仕方ない。

当然差別するのはよくないけれども、だからって「差別する気持ち」「差別する反応」を消すことはできない。

差別とか区別とか違いとか、線引とか、仕分けとか、分類、判別、分岐、分離、選別、対比、分節、分解、分界、対立、分極化、双極化、両極化、棲み分け、判然、弁別、分岐、

AとBどっちにするかどっちを選ぶか、どちらかを選べばどちらかは選べないのだから、

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