「先生、値下げするべきでしょうか」
28歳の経営者、佐倉美咲は、伝説的なカリスマ経営者として知られる黒崎宗一郎に相談を持ちかけた。美咲はファンシーショップを起点に、美容品や生活雑貨、小口の物流サービスへと事業を広げてきた。
従業員は三人。小さいが、自分の判断ひとつで会社の命運が変わる規模だからこそ、経営の重みを日々感じていた。
「近所に大手の販売店ができたんです。商品の品ぞろえも豊富で、うちより安い。常連のお客様まで、少しずつそちらに流れています。このままでは売上が落ちる一方です。こちらも価格を下げて、対抗するしかないのではないかと思いまして」
黒崎はすぐには答えなかった。
「君は、なぜ商売をしているんだ?」
「それは、利益を出すためです」
「では、利益が出なくても、売上さえ維持できれば満足かね」
「いえ、それでは困ります」
「ならば、売上を守るために利益を捨てるという判断は、慎重に考えなければならないな」
美咲は口をつぐんだ。顧客が離れるのは怖い。値下げをしなければ、もっと離れるかもしれない。しかし、値下げをすれば利益が減る。その程度のことはわかっていた。わかっていても、競合店の看板を見るたびに、何か手を打たなければという焦りが募るのだった。
「いいかね。商売には、必ず比較対象が必要だ。君は今、大手販売店の価格を基準にしている。しかし、本当に比較すべき相手は、そこにいる競合店だけではない」
「ほかに、何があるのでしょうか」
「投資信託を知っているか?」
美咲は意外そうに顔を上げた。
「投資信託、ですか?」
「そうだ。君が会社に投じている資金を、仮に金融市場で運用したらどうなるか。まず、それを考えるんだ」
黒崎は、机上の紙に数字を書き始めた。
「たとえば、君が会社に2000万円の資金を投じているとしよう。もちろん、すべてが現金とは限らない。在庫や売掛金、設備などに姿を変えているかもしれない。それでも、君の資本が事業に拘束されていることに変わりはない」
「はい」
「仮に、その200万円を年率五%で運用できたとすれば、単純計算で一年に100万円の収益だ。実際の投資信託は元本保証ではないし、毎年5%の利益が出るわけでもない。しかし、比較のための基準としては使える」
「つまり、会社で100万円以上の利益を出せばいいのでしょうか」
「まだ早い。そこに君自身の労働が入っている」
黒崎はペンを置いた。
「君は毎日、商品の仕入れを考え、在庫を管理し、顧客の問い合わせに応じ、従業員を指導し、資金繰りをしている。その労働に対する報酬は、きちんと確保できているかね」
「役員報酬は取っています。でも、会社に利益を残したいので、同じ仕事を別の会社でしていた場合よりは少ないかもしれません」
「そこだ。君が毎日働いて、役員報酬を抑えた結果、会社に100万円が残ったとしよう。それを、何もしなくても得られるかもしれない投資収益と同じだと考えてはいけない。君の労働を安く見積もっている可能性があるからだ」
美咲は、これまでの決算書を思い浮かべた。売上は前年より伸びている。利益も一応は出ている。だが、忙しさに比べて、手元に残るお金は少ない。売上が増えるほど仕事が増え、仕事が増えるほど人手が必要になり、人手が必要になれば固定費が増える。いつの間にか、売上を伸ばすこと自体が目的になっていた。
「では、どう考えればいいのでしょう」
「まず、商売を資本の運用として見ることだ。いくら資金を投じ、どれだけの利益を生み出しているか。そのうえで、君自身の労働に見合う報酬を差し引き、残った利益を評価する」
「それが、投資信託との比較になるわけですね」
「そうだ。さらに、商売には金融投資にはないリスクもある。取引先の倒産、売掛金の回収不能、商品の陳腐化、在庫の滞留、従業員の雇用責任。そうしたリスクを引き受けるのなら、それに見合う利益が必要だろう」
「でも、投資信託のように資金を運用するだけでは、会社は成長しません」
「その通り。だからこそ、事業には投資信託を上回る価値が求められるんだ」
黒崎は、今度は美咲の目を見た。
「商売には、顧客との関係がある。独自の仕入れルートがある。専門知識がある。物流網がある。長年の信用がある。将来、大きな利益を生む可能性もある。そうしたものは、単年度の利益だけでは測れない。しかし、将来性があると言うのなら、その根拠を数字で説明できなければならない」
「数字で説明できない将来性は、希望にすぎないということですか」
「希望を持つのは自由だ。だが、希望に会社の資金を預けるのなら、その代価を理解しておくべきだな」
美咲は苦笑した。耳の痛い話だった。新しい事業を始めるとき、彼女はいつも「これから需要が増えるはずだ」と考えていた。実際に需要が増えた商品もある。しかし、思ったほど売れず、倉庫に残った商品も少なくなかった。
「先生、では、近所の大手販売店に対抗するための値下げは、やめたほうがいいのでしょうか」
「値下げそのものが悪いわけではない。問題は、値下げによって何が起きるかを計算しているかどうかだ」
黒崎は、具体例を挙げた。
「1万円で販売している商品がある。仕入原価は8000円。粗利は2000円、粗利率は20%だ。これを9000円に値下げすると、粗利は1000円になる。粗利率は約11.1%だ」
「半額近くになってしまうんですね。粗利率は半分ではありませんが、粗利額は半分です」
「そう。値下げ前と同じ粗利額を確保するには、販売数量を2倍にしなければならない。ところが、大手に対抗して値下げしたからといって、販売数量が2倍になる保証はない。むしろ、数量が変わらなければ、利益は半減する」
「売上が維持できても、利益は大きく減るわけですね」
「さらに、売上が増えれば配送や受注処理の負担も増える。値下げによって利益が減ったうえに、仕事まで増えるかもしれない。これでは、忙しくなるために商売をしているようなものだ」
美咲はうなずいた。競合店の価格を見て、反射的に値下げする。それは経営判断というより、不安に押されて行動しているだけだったのかもしれない。
「では、どうすればいいのでしょうか」
「商品を分けるんだ。価格で比較されやすい商品、専門知識が必要な商品、緊急時に価値が生まれる商品、ついで買いを誘う商品。それぞれ役割が違う。すべての商品で競合店より安くする必要はない」
「価格競争をする商品を絞る、ということですか」
「そうだ。安くすることで顧客を呼び込み、ほかの商品やサービスで利益を得られるなら、戦略として成立する。しかし、安く売ること自体が目的になったら危険だ。顧客が君の店を選ぶ理由は、価格だけなのか。それとも、相談できること、必要な商品がそろうこと、迅速に届けてくれること、困ったときに頼れることなのか。そこを見極めなさい」
美咲は、ファンシーショップを始めたころのことを思い出した。客の好みに合う商品を探し、廃番になった品を見つけ、少量でも取り寄せる。そうした細かな対応が、常連客を増やしてきたのだった。大手販売店は価格と品ぞろえで勝っている。しかし、すべての顧客が、それだけを求めているわけではない。
「もうひとつ、忘れてはいけないことがある」と黒崎は続けた。
「会社全体の利益だけでなく、商品ごとの利益を見なさい。よく売れているのに利益がほとんど残らない商品もあれば、販売数量は少なくても十分な利益を生む商品もある。さらに、長期間在庫を抱える商品は、資金を拘束する。粗利率が高いから優秀だとは限らないし、粗利率が低いから不要とも限らない」
「年間の粗利額と、在庫回転率を合わせて見るのですね」
「その通り。そして、最後に会社全体を評価する。資本はいくら必要なのか。経営者の労働に見合う報酬は確保できているか。リスクを引き受けた結果、どれだけの利益が残るのか。それが投資信託などの代替手段に比べて十分なのか。そこまで考えるんだ」
美咲はしばらく考え込んでいた。
「もし、どれだけ工夫しても、投資信託を上回る利益が出せないとしたら?」
「事業を縮小するか、撤退することも選択肢になる」
「自分が育てた会社を、やめるのですか」
「会社を続けること自体が目的なら、そうなるだろうな。しかし、君の目的は会社を存続させることなのか。それとも、資本を使って価値を生み出し、豊かな人生を築くことなのか」
美咲は答えなかった。会社を始めたころは、自分の店を持つことが夢だった。顧客が増え、従業員を雇い、事業が広がるにつれて、会社を大きくすることが新しい目標になった。いつの間にか、事業を続けることそのものが、目的にすり替わっていたのかもしれない。
「もちろん、撤退には費用もかかる。従業員や取引先への責任もある。将来の成長可能性を捨てることにもなる。だから、単純に今年の利益が投資信託より低いというだけで、すぐにやめるべきではない。しかし、改善の見込みが乏しいのに、過去に投じた資金や時間が惜しいという理由だけで続けるのも間違いだ」
「過去に投じた資金は、もう戻らないかもしれない。それより、これから資金をどう使うかを考えるべきなのですね」
「そうだ。経営者は、過去の決断を正当化するために未来を犠牲にしてはいけない」
黒崎の言葉は、厳しかった。しかし、美咲には、それが単なる冷徹さではないこともわかった。利益の出ない事業を惰性で続ければ、やがて従業員の生活も、取引先との信用も、会社そのものも危うくなる。撤退を避けることが、必ずしも責任を果たすことにはならないのだ。
「先生。投資信託をベンチマークにするというのは、会社をいつでもやめられる覚悟を持つことでもあるんですね」
「いい理解だ。ただし、投資信託に勝つために、無謀なリスクを取る必要はない。大切なのは、比較することをやめないことだ。事業の利益率、投下資本、労働時間、リスク、将来性。それらを冷静に見て、自分の商売が何を生み出しているのかを問い続けることだ」
美咲は、競合店の価格表ではなく、自社の決算書を見直そうと決めた。どの商品を値下げするかを考える前に、どの商品が会社を支えているのかを調べる。利益を生まない仕事を減らし、自分たちにしか提供できない価値を見つける。改善できない事業については、撤退も含めて判断する。
商売は、売上を競う競技ではない。資本と労働を使い、利益と価値を生み出す営みである。そして、経営者には、その営みを続ける理由を説明する責任がある。
投資信託は、何もしなくても必ず儲かる魔法の装置ではない。元本割れもするし、未来の利益を約束してくれるわけでもない。それでも、資本を別の場所に置くという選択肢を示してくれる。自分の事業に資金を投じることが、本当に合理的なのかを問い直すための基準点になる。
美咲はしばらく黙っていた。
「私の会社には、三つの事業があります。雑貨店と美容商品、それに小規模な物流業です。今までは、全部を続けることが会社を守ることだと思っていました」
「それぞれ、いくら儲かっている?」
「雑貨店は売上こそありますが、近くに大型店ができてから利益が落ちています。美容商品は規模こそ小さいけれど、固定客がついていて、利益率も高い。物流業は利益率こそ低いものの、雑貨店と美容商品の配送も担っています」
「ならば、三つを同じ物差しで測ってはいけない。だが、三つとも同じように甘やかしてもいけない」
黒崎は続けた。
「雑貨店は、値下げ競争をしてまで守る価値があるのか。品ぞろえや接客、独自の商品で大型店と違う価値をつくれるのか。できないなら、縮小や撤退も選択肢だ」
「美容商品は?」
「利益率だけでなく、在庫が何日で現金に戻るか、広告費を差し引いていくら残るかを調べる。利益を生み、資金の回転も速いなら、そこに経営資源を集中する理由がある」
「では、物流業は利益率が低いから、やめるべきでしょうか」
「それはまだ早い。物流業単体の利益だけではなく、物流があることで美容商品の配送費が下がるのか、顧客への対応が速くなるのか、外部の運送会社に頼むより会社全体の利益が増えるのかを計算するんだ。ほかの事業を支える効果も含めて判断する。ただし、『必要だから』という言葉を、赤字を放置する言い訳にしてはいけない」
美咲は、初めて三つの事業を別々のものとして考えた。
会社を構成する事業は、すべてが主役である必要はない。利益を稼ぐ事業、将来の成長を担う事業、ほかの事業を支える事業。それぞれの役割を明らかにし、その役割に見合う成果が出ているかを確かめればいい。
そして、どの事業にも共通する問いがある。
「この事業に資金と時間を投じることは、ほかの選択肢よりも合理的なのか」
投資信託なら、日々の仕入れも、従業員の採用も、値下げ交渉も必要ない。もちろん価格変動のリスクはある。それでも、経営者が自ら事業を営む以上、資金だけでなく、自分の時間、判断力、責任まで投入している。その負担に見合う成果を求めるのは当然だ。
「私は、会社を大きくすることばかり考えていました。でも、本当は、何を残し、何に集中し、何を手放すかを考えることが経営なのですね」
「そうだ。事業を始める勇気と同じくらい、事業をやめる判断にも勇気がいる。過去に投じた金や時間は、続ける理由にはならない。これから投じる資金と時間が、どこで最も大きな価値を生むのか。それを考えるんだ」
美咲は、値下げの判断をいったん保留することにした。まずは三つの事業について、売上高だけではなく、粗利益、営業利益、在庫、必要資金、経営者自身の労働時間、そして他事業への貢献を調べ直す。大型店に対抗できる商品やサービスがあるのかも検証する。そのうえで、伸ばす事業には資源を集中し、改善できない事業には縮小や撤退を含めた判断を下す。
会社を守るとは、すべての事業を守ることではない。会社全体が生み出す価値を守ることなのだ。
事業家として生きるならば、投資信託という「何もしないベンチマーク(基準点)」を常に頭に置き、「それを明確に上回る利幅を取るか、さもなくば撤退するか」という厳しい眼差しを持ち続けることが求められる。
※この文章はAIが書いたものに少し修正を入れました。

アマプラで、映画「8番出口」を観ました。