会議っていう会議を実はしていない

金子商会は社員数が8人の小さな会社だ。
社長であるところの自分
常務であるところの弟
経理をしている社長の奥さん
事務やお客様の電話応対、たまに配送するスタッフが3人
配送メインのスタッフが2人
の合計8人なのだ。

週休二日制にするために平日にローテーションを組んで、日常的には7人で業務を回している。
つまり8人の内一名は常に会社に出てきていないということですな。

で、月に2日ほど、8人全員が出社する日があって、そのときに合わせて会議というかミーティングをしている。
今月の売上金はいくら、グラフにするとこう、今後はこんな感じになりそうなので、こういうことをしていくよ。連絡事項はこれこれこうです。
みたいな感じで夕方の5時から20分くらいを毎月1回行うわけですよ。

で、売上を知るためだけなら、その数字を書かれた紙を回覧なりすればそれでいいんじゃないか?ってことで、一時期月の会議を行っていなかったときが3ヶ月くらい合ったんだけれども、なんか、これはよくないな、ということで、今は月に一回ミーティングを行っています。

会議の目的はなんなのかっていうときに、
経営理念の浸透とか、経営状況を俯瞰してみたりとか、この先の戦略をどうしていこうと思っているのかとか、こうやっていこうと思うとか、そのために誰々にこういうことをしてほしいなんてことを伝えたりするわけで、日頃の雑談だけだと不確かなところを補完するという感じでやっている。

明確に数値化できる高価があるわけではないけれども、月商とか数字で単に発表するのではなくて、経営者が直接説明するのは、やっぱり大事だと思ったりするのだ。

うーんでも、一人ひとりに動画を送ったりとか、ブログとかツイッターとかTeamsとかで絡んだりするのもありかもしれない。

世の中の9割の仕事はワクワクもキラキラもないという現実

世の中には勝ち組になれる才能を持っている人がいる。
一方、勝ち組になれる才能がイマイチ弱い人もたくさんいる。
自分の考えだとそういうのはもうなんというか生まれ持ってきた気質というか性格や気性に決定されることがほとんどなんだろうなと考えています。

勝ち組になれる人は、

例えば、学校の運動会ではいつもリレーのアンカーで学年で一番足が早かった。
文化祭のときには学校始まって以来のイベントを企画してバンドのボーカルとしてステージを彩った。
都内でも指折りの進学校に入学したが面白くなかったので途中で転校した。
そういう学校でも目立つタイプだったり、集合写真を撮るときには常に中心に位置するタイプ、人好きで、根っからポジティブ、精神的にも肉体的にもマッチョなタイプ。
オリンピックに出場したり、甲子園で活躍したり、東大へ進学したり、いわゆる大手企業にサクサク内定が決まったり、海外へもガンガン出ていくタイプ。
逆に、ものすごく内向的で人付き合いも苦手だけれども、秀でた並外れた才能やこだわりを持っている人もいる。
身長も187センチ位あって、リーバイスのジーンズなんかもそのまま履ける。

一方、勝ち組になれる才能がイマイチな人は多い。

学校のマラソン大会があれば、順位は後ろから数えたほうが早い。
学校の通知表は3ばかりで、4が2つくらい。
部活は全国大会はおろか予選一回戦敗退がデフォルト、むしろ校内予選すら通過することなく、大会出場経験もない。
集合写真を撮るときは端っこが定位置。
家の近くの公立中学校へ通い、高校進学は地域で行われた実力テストの偏差値レベルに合わせて受験したものの、不合格だったので、第2希望の私立高校へ入学。
ものすごく内向的なんだけれども、秀でた才能もなく平凡で特技も趣味もこだわりもこれといってない人も多い。
身長は160センチくらいで、ジーパンの裾は15センチくらいカットする。

自分はこのタイプです。

勝ち組・負け組という表現はつかいたくないので、前者を「イケイケタイプ」、後者を「その他大勢タイプ」としよう。

で、いきなり結論なんだけれども、世の中の成功本とか成功譚というのは、「イケイケタイプ」の人のものがほとんどだ。そういうイケイケタイプの人の真似を「その他大勢タイプ」の人がやっても、大抵はうまく行かない。

立派なライオンになれるのはライオンの子どもだけなのだ。
ティモンとプンバァはどうあがいてもプライド・ランドの王にはなれないし、なる必要もない。そもそもプライド・ランドの住人ですらないし。

話がそれた。

世の中の9割の仕事はワクワクもキラキラもしていない。
建築やインフラ関係の末端の仕事は地味で達成感も少ない。
この意思決定に何百万の人の運命が乗っかっている!なんてことはない。
赤と青のリード、どちらかを切らなければならない!どうする俺?
というような緊迫した出来事があったとしても、正解をしても何事も起きず、間違ったとしても、せいぜい停電が長引いてビルのオーナーに小言を言われるくらいだったりする。
毎日の仕事は代わり映えもなく、ただ繰り返される。
それでもたまに返されるお客さんの笑顔や「たすかったよ」「ありがとう」というような言葉に嬉しさを感じたりする。
ちょっとキラキラした感じもするが、イケイケタイプの上場企業やグローバル企業に比べれば蛍火と太陽光くらいの差があるのだ。

自分が生きている世界はプライド・ランドではないのだ。

使命感をもった者を必要とせず、ただ淡々と暮らしを積み重ねていく。

そこそこ幸せだったり、毎日ではないにしても、月に一度、二三ヶ月に一回くらいは大笑いするいっときがふいに訪れたりするのだ。

PDCAを鬼速で回して、クレイジーで、7つの習慣を身につけてライフハックしまくり人生に革命を起こし、思考を現実化するのだ!っていう生き方もそれはそれでいいとは思うのだけれど、
あぁ、そういう生き方もいいですよね、がんばってくださいとは思うのだけれども、
そうじゃない生き方も間違いではなくて、「その他大勢タイプ」のプライド・ランド以外の住人にとっての幸せはちょっと違う場所の案外近いところにあるのだと思ってます。

ワクワクもキラキラもないですけれども、けっこう楽しいもんですよ。

「もったいない」と感じたら捨てる

「もったいない」という言葉は”Mottainai”という毎日新聞社の登録商標なんだそうですよ。なんだか日本の美徳のような誇りを感じなれるような言葉になっております。
ものを大事に使うっていうのはそれはそれで大切なことです。感謝の気持を持ってキチンと使うと気持ちがいいものです。
それでも最近思うのですがこの「もったいない」という感情が出たときに、それは同時に「現状を変えたくない」という欲求も同時にあるように思うのです。

で、最近は「もったいない」と感じたら躊躇なく捨てるという方向で生活やら仕事を変えていくのがいいのではないかなと考えるようにしています。
PCがまだ動くからWindows Vistaのままでいい、
20年前に買ったエアコンで十分、
一回しか着てないけどいないオシャレなワンピース、
そういうものを持ち続けるとき「だってもったいないから」っていう理由が一番にくるようなら、「捨てる」というのが正解のような気がするんです。

「捨てる」というのに抵抗があるなら「なくしてしまう」と言いかえるといいでしょう。

食べ物の場合は「もったいないなぁ」と感じたら「なくしてしまう=食べてしまう」ということでもOKです。

なんとなくですが日本経済の閉塞感を生み出している原因の一つとしてこの「もったいないという美徳」があるのではないかな、なんて感じております。
自分も、口癖みたいについ「もったいない」と言ってしまうのですが、そう言ってしまったときは「なくても別に困らないのでは?」と考え直すチャンスなんではないだろうか?
「もったいない」もののほとんどは「なくてもいいもの」だと思うのです。

脱・アットホーム企業

昨日は久々の中小企業家同友会例会に出席。
グループ討論とかしたわけです。
討論の柱は「社員が生きがいや働きがいを感じる会社とは?」というテーマだったんですよ。
で、一番最初に「金子さんの会社ではどう考えますか?」と降られたのですが。

「へそ曲がりかもしれないのだけれど、最近はこう考えてます。
社員は『生きがい』とか『やりがい』とかを会社に求めるな、と。
『やりがい搾取』という言葉もあるんだけれども、会社に依存しないようにするのが大事なのではないか。」
「会社と依存関係にならないようにしてほしいな」とか
「大事なのは会社を使って自分自身が成長することで、5年か10年くらいしたらもっと大きな会社に転職するとか、例えば金子商会の仕入先やメーカー、あるいはもしかしたら、売上高が何倍もある同業他社に引き抜かれるとか、そういうふうにしつつ、金子商会の仕組みを少しずつ成長させるというか、変化させるとか、刺激を与えるとかそういう関係性でありたい。」
「たとえば暖簾分けのようか形で独立してもらうというのもアリかもしんない。」

「いわゆるアットホームな会社ではありたくない。バーベキュー大会をするとか、しょっちゅう飲み会があるとか、就業時間外の委員会活動とかクラブ活動とかで夜遅くまで勉強会をするとか、そういうのはいっさいない会社でありたいな」

とまぁそういうことを発言するくらい、空気が読めていないのですけれども、フェイスブックとかで、いろんな会社が情報発信しているのですが、
「社員の誕生日にサプライズでプレゼントwww」
「節分で恵方巻きをスタッフみんなで食べましたwwww」
「スタッフは人財です、まさしく宝物www一番大事ですぅwww」
というようなピースサインで笑顔の写真を見るたびに思うんですよ。
職務分掌に上がってこない、労働条件通知書に記載されていない業務というか、そういう仕事が多そう。
ジョブ・ディスクリプション?なにそれおいしいの?という空気が蔓延している職場にしか見えないんですよ。

そういうアットホームな企業経営というのは、アリかもしれないしアプローチとしては有効な部分もあるのかもしれないのですが、なんか、
「私も我慢しているのだから、あんたも耐えるのが当然」だとか「有給休暇を使うと使っていない人が大変だから使わない」とか
そういう我慢の連鎖というか辛抱の螺旋を受け入れざるをえないような職場だと結局は長続きしないような気がするんですよ。

だから「おたがいさま」とか「自分が休みたいときは休みますよ」とか「有給休暇を申請するのに理由とかいらんですよ。ゲームの発売日だから休みます、でも問題なし」

そんなわけで

「社員自身の中に自らの『生きがい』や『やりがい』を持った上で、それを補完するような会社経営をしたい」なんつーことを考えるわけです。

大卒の人が入るか?

配管工とか大工とか設備関係の現場の職人さんだと大卒の人は珍しい。
というか少ない。どちらかというと学歴不問なので高校卒業してこの業界に入ったとか、高校中退してこの業界に入ったとかいう人が多い。

給料もそれなりにいい例えば23歳くらいの職人さんだと、23歳の大卒社会人1年目の人よりも給与は高かったりする場合もある(17で業界に入って5・6年目で、それなりに現場を任せられるようになっているレベルの人)

15年ぐらいすると独立して自分で個人事業主になる人もけっこういる。

経費諸々ブッコミで年収1000万くらいだろうか。

三十代後半で事業主になって自宅兼事務所を建て名実ともに「一国一城の主」になる。

ウチの会社のお客さんは、そういう人が多い。

ただ年収3000万円とか1億円とかの人はいない。(年商の人はいます)

でも年収1000万円クラスはわりといる。(経費コミですよ、車両とか光熱費とかそういう経費は収入に換算したとしてです)

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