旅行したい

今年は海外旅行どころか国内の旅行もできなくなってしまうのでしょうか?

だとするとやだなぁ、旅行できないのはつらい、出張という名の旅行も今年はなしということになってしまうのか、うむむ、それはものすごくつまらない。

「いろいろなところにいってみたい」というのは、人間が月を目指したように、本能に近い部分もあるとおもうのですよ。

自分は、家でこもって何時間も映画を見るのが好きであり、平気でもあるのですが、それと同じくらい旅行するのも好きなのです。

初めての街をプラプラとあるき面白そうなお店を覗いてみたり、なにかあったら食べてみたりするのです。

そういうことが、どうもできそうにない。

こういう状態がどのくらい続くのか本当にわかんないです。

来週には終わる、とは全く思えないし、ひと月後には落ち着いているかというと、それもまたなんとなくですが無理そうな感じ。

7月にはなんとかなるかなぁという気がしないでもないですが、大きめのイベントとか地域のまつりとかは中止になっているのろみると、まだまだなんだろうなと思います。

そんな感じで8月も我慢していそう。

9月、そう9月の行楽シーズンにはなんとなく普段が戻ってくるのかもしれんという気がしますが、そういうムードで人が街に出ていった結果、また感染が増えたりして緊急事態宣言が再発したりして、結局お正月までそのムードが続いたりするのはありよりのアリなんだろうなと考えたりしています。

中国はけっこう回復しているのかな、微博とか見ていると患者さんはまだそれなりにいるみたいだし、普段どおりという感じはしません。

自分は日本国内の下関という小さな地域で生活していて、日常生活で海外を意識することはほぼないのですが、世界は自分が考えている以上に繋がっていて、日本だけがウイルスを抑え込んだからといって、心理的な状況は変わらないのだろうなと考えています。

ようするに、世界中で「コロナ禍」が収まらない限りは不景気感が続くと思います。先に落ち着いたからその国が経済的に有利だ、なんてことはなく、なんだかんだいっても世界が足並みを揃えて問題に対処していく必要があるののだろうなと思ってます。

衛生状態のあまりよくない国でウイルスが蔓延していると、たとえそれが遠く離れた地域だとしても、日本の経済に影響を与えるはずです。

そう考えるとWHOにお金を出さないという考え方は正しくはないのではないかなぁと思うのですが。「自分の国だけ」のことを考えるのは悪手ではないでしょうか?自国内の感染がおちついても、世界のどこかでアウトブレイクが起きたままだと、人の心理はそこに合わせてしまうと思うのです。

世界のどこかで感染者がいて苦難にいるとき、「もしかしたら」と不安になるのが人間です。

心や情報の鎖国はできないのですから、ことコロナウイルスを克服するときに「自分だけでも」とか「自国だけでも」という戦略は目的として意味を持ちません。

なんとなく世界が分断してしまいそうに見えてしまいますが、僕は、こういう状況だからこそ誰もが「分断してはいけないのだ」と考える、そう考えはじめることを期待していますし、そう信じています。

いろいろな差別や陰謀論とかが見られますけれども、そういうことを乗り越えて安心して旅行できるように行動していきたいと思います。

もしも自分が自民党の広報担当だったとしたら

総理の動画ですが、思いついたんですけれど、

家事をしているところをアップしたらよかったのかなと思いました。

タイムラプスで一日を三倍速くらいの動画にするのです。

朝食の準備、朝食、朝食の後片付け、洗濯、洗濯物を干す、合間にビデオチャットでちょっと仕事、部屋の片付け、浴槽の掃除、庭の草むしり、トイレの掃除、窓拭き、部屋の掃除機かけ、雑巾掛け、土間を掃く、ゴミ箱の片付けやゴミ袋のセット、合間にスマホでちょっと仕事、昼食の準備、昼食、昼食後の後片付けと皿洗い、近所のスーパーで食材とトイレットペーパーなどを買い物、洗濯物の取り込み、洗濯物を畳んでタンスの引き出しへ入れる、ちょっとテレビを見るけれども、電話がかかってくる、夕食の準備、夕食、夕食の後片付け、お風呂の準備、ちょっとジョギングとか筋トレ、入浴、風呂上がりに缶ビールを飲む・・・、みたいな感じでの動画にするのです。

実際にいつもしているかどうかは、ここでは関係ありません。

出社せずに自宅勤務していたり待機している人によりそっているのであれば「仕事に行ってないからと言ってゆっくりなんてできないよね」という気持ちに共感すると思うんですよ。

そうすることで奥様の支持も得られると思います。

「安倍首相だって、家にいるときは家事してるんだから、あなたもやって当然でしょ!」と言えるわけですよ。

一国の首相が家事を当然のようにこなしていれば、それはそれで良いメッセージになると思うし、日頃していなかったとしても、下手くそながらも、こういうときくらいは家事をするのが当然感も出すことができます。それはそれで良いメッセージになると思います。

 

とりあえず、大企業の人とか、人事とか採用の人とか、中小企業の社長さんとかは、そういう動画を作ってアップするのもいいかもしれません。

子供の宿題をみたり、風呂に入れたり、風呂上がりの着替えを手伝ったり、こどもの寝かしつけをするとか、そういうところを日頃伴侶にまかせているならば、「今日くらい自分がやるから君は動画撮ってて」なんつって全部自分がやったらいいです。

その上で「いつもありがとう」と感謝の気持ちをプラスするのもいいかもしれません。

読書メモ





先月読んだ本とか聞いたオーディブルとかです。

30代の頃は松下幸之助さんの本を読んだり戦後のいろいろな成功譚を聞くたびに「そういうなにもない時代と違って平成はなにもかもあるからなぁ」なんて斜に構えていたりしていました。

けれどもそうではないのだな、コロナショックや株価の暴落や社会のいろいろな変化に立ち会うにつれて、チャンスはいつの時代にも転がっているのだと思えるようになってきました。

とはいえ逆風といえば逆風ですが、無風状態よりもおもしろいのではないかと思ったりもしています。

戦後の混乱期に生まれた企業が大きく育ったように、今この時期だからこそ変われる気がするのです。

ジュラ紀の哺乳類のように弱々しく小さな動物がその後の環境変化を生き残ることができたように、大きな環境の変化が起きるときは身体が小さいというのはやはりメリットだと思います。

85歳まで現役でいようと考えるなら、残り30年以上もあります。

20代でビジネスを初めて50代で一山当てる、そういうふうに考えるとなんとなくワクワクしてくるのですよ。

もう一度いろいろなことにチャレンジすることができる、そんなことを考える週末の土曜日なのでした。

 

 

 

 

日曜日の朝です。

朝食を食べ終えて、歯磨きして顔を洗って着替えて、ちょっと部屋に掃除機をかけて、今ブログを書いているところです。

マイクロソフトアカウントで家のPCを起動してグーグルアカウントでクロームにログイン。

これで会社のPCと同じ環境でブログを書き込みできます。

インターネットの登場で情報のバックアップや動機がすごく楽になりました。

本当に楽になりました。1980年代の同期といえばブリーフケースくらいしか方法がありませんでした。

ブリーフケース便利だったのか?

あまり便利じゃなかったような気がします。容量も少ないし、パソコンそのものを同期するというものではなく、データやファイルを同期するというか、アナログなgitというか、非常に使いづらかった記憶があります。

さっき調べてみたらWin7までは搭載されていたんですね、ということはけっこう使う人が多かったのでしょうか?

Win10で使いたいという人もいたりすので使い方しだいなのかもしれません。

「データを人に渡す」というときに、フロッピーディスク(今の若い人はしらないかもしれません)にコピーして手渡すのと、クラウドにアップして共有するのとでは、仕事の進め方や仕組みを変えたほうがいいと思います。

あのころはリモートワークやテレワークは本当に大変だったしお金もかかりましたが、今は工夫すればスマートフォン一台あれば可能です。

実際、今のスマートフォンの性能は当時のパソコンの機能を遥かに凌駕しています。

休日の過ごし方も変わってくるし仕事のオンオフの線引も曖昧になってくる、ますます時給換算できないことが増えてくるのだと思います。

まとめ

新しい技術を使うことで仕事の組み立てや進め方を変えることができる。

ITは現在している仕事の効率を変えるのではなく、仕事そのものを変えるために使うのが正しい、のかなと思っています。

 

ということで、三日目の更新でした。

 

 

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