生まれ変わってもよろしく

この連休は大雨警報も出たしということで家にこもってネトフリのドラマ「生まれ変わってもよろしく(全12和)」を一気見しました。

この前見た「プルガサリ」とか「マイ・デーモン」とプロットは同じでジャンルとしては輪廻転生物ですね。

こういうあらすじは自分も嫌いではないです。

「前世が◯◯だったので、今の自分はこうなっている」というような人生観というか死生観というか運命論ですね。

同じようなプロットのお話が多いのは、なんだかんだで視聴率が取れるのかもしれません。

日本のアニメも異世界転生とかチートスキルものとか、基本プロットは同じで、アレンジを加えているのが多いですよね。

プロットが同じだと安心して見られるし、大きく外れることはないですし、物語としては十分に面白いのだ。

プロットが大きくずれてしまうと物語として破綻してしまったり「そうはならんだろう」というツッコミのもとに駄作になってしまうことも多い。

 

昔の映画で「晴れた日に永遠が見える」というのがあって、まぁ古くから生まれ変わりというのは、よくあるテーマだったのだ。

 

生まれ変わったらとか輪廻転生というのは、「今の世の中では結ばれなかった二人が、遠い未来に結ばれる」ということである。

 

社会の規範とか常識とかモラルなんていうのは、時代によって変化するものだから、昔は許されなかった恋でも、今の世の中では全然問題ない、というようなことのメタファーなのかもしれない。

一方、昔は許されていたけど、現代の日本じゃだめっていう物語もある。

源氏物語なんて舞台が現代だったらコンプライアンス違反だらけなのだ。

昔の舞台だからOKなのであって、現代人が光源氏と同じような行動を取れば炎上間違いなしなのだ。

 

モラルとか社会的な常識とか、人生観、恋愛観は30年に一回くらい見直したほうがよいのだろうなーと思う。

好きとかきらいとか、恋愛行動とか、人を愛することのセリフとか、そういうのは時代によって変わってきているのだ。

自分が中学生・高校生だったころと、三十年たってしまった現在では恋愛観とかは多分違うのだと思うのだよ。

 

60近いおっさんとしては、令和の恋愛観とか死生観についてアンラーンしていかんといけないので、そういうことが学べるドラマとか映画とかあったら勉強していきたいのだ(自分がだれかと恋愛するためとか、そういうのではない。

陰口

仏教には「四悪口」という、言ってはいけないこととして、4つの言葉が挙げられています。

1. 妄語(もうご)
嘘をつくこと、真実でないことを話すこと
2. 悪口(あくご)
他人を悪く言うこと、誹謗中傷すること
3. 粗悪語(そあくご)
粗暴な言葉、乱暴な言葉、品のない言葉を使うこと
4. 綺語(きご)
意味のないことを言うこと、人を惑わすような言葉、お世辞や媚びること

これらの言葉を避けることで、自分自身の心を清め、周囲の人々との良好な関係を築くことができるとされています。

また、仏教では、言葉は行動と同じように、大きな影響力を持つと考えられています。
四悪口を避けることは、自分自身だけでなく、周りの人々にとっても良い影響をもたらす、重要な教えです。

2番目の悪口の中には「陰口」も含まれています。

基本的には陰口というのは、本人がいないところで、その人の批判や非難をするというものですね。

同じ会社の後輩の山田くんがある日「Aさんが、こんなことをしていた。どうかと思うよ」というようことを僕にに話したりするわけですよ。

自分が「へぇそうなんだ、困っているみたいだから山田くんの代わりに僕が本人に伝えとこうか?
『山田くんがいやがってたらから、そういうことしないほうがいいよ』って。
本人がいないところで言っても本人は気が付かないよ」
といような返しをしたときに。

「いや、そんなこと言わなくてもいいです」
と山田さんが拒否する時は、

それは陰口で悪口なので、自分はスルーしたいと考えます。

「あと、Aさんには、私が言ってたなんて言わないでください」
なんてセリフが出た日には、それは、間違いなく陰口なので、聞かなかったことにします。

陰口ダメ、絶対!

心の中はどうなってるの?

行動分析学

行動分析学入門とパフォーマンス・マネジメント

2022年と23年に「行動分析学入門」「パフォーマンス・マネジメント」の2冊が第2版に改訂されたのだ。

会社の新人さんが入るたびに読み直したり、仕事上なにかの指示を社員に依頼したり、仕事の内容を伝えるときに、どうするのがいいのか、そういうことの参考というか指針として役立つのがこ2冊なので、なにかあるたびに読み返していた。

行動分析学を学べる和書が充実した今、なぜ本書を改訂したのでしょうか。
最も大きな理由は本書の特徴の一つであったアキジという登場人物です。
「あたしは男に生まれてきた女」という目次にあったようにアキジはトランスジェンダーで、本書に登場する他のキャラクター同様、研究論文に基づいて創作した架空の人物でした。
アキジは男性らしくふるまうことを期待される社会の中で男らしいしぐさを学んでいきます。本書の主人公の一人である行動分析家の平野豪が、アキジからの要請に応え、行動変容を支援していくという物語になっていました。
しかし、時代は大きく変わりました。
性的指向や性自認には多様性があること、個人の尊厳を守るために、それをそのまま認めることが社会として望ましいと認識されるようになりました。
アキジは男性らしくふるまう必要はないし、女性に対して性的魅力を感じなくていいし、何よりも、他者がそのように強制すべきではないと考えられるようになったのです。
「男に生まれてきた女」は、本人が望む限り、「男に生まれてきた女」や「女」として、あるいはそのような型にはめられることなくそのままで、不安や心配なく堂々と生きていけるように世界の方を変えるべきであると、社会の価値観が大きく転換したのです。
(本書巻頭「読者の皆さまへ」より抜粋)

この30年の間に行動分析学に関する書籍は本当に多くなりましたし、多くのビジネス書でも取り扱うことの多い概念として定着しています。

行動分析学入門の前書きの中で
「個人のセクシャリティを社会に受け入れられやすいように変更する行動修正も可能だし、社会を変革していくパフォーマンス・マネジメントも可能だろう」という一文があります。

「行動修正」と「パフォーマンス・マネジメント」は個人と社会の関わりというコインの裏表で、どちらにも精通しておく必要があるのだと私は思っています。
すべてが個人の責任だ、いや社会の仕組みが悪いからだ、ついどちらか一方のせいにして、問題解決を探ろうとしてしまいがちなんですが、個人が変わること、社会(会社や仕組み)が変わること、どちらの視点も同じくあり大事だと思うのです。

私は社会のルールや規範、モラルと言ったものは時代とともに変遷していくものだと認識しています。

いつまでも学び続けることでしか、世の中はよくなっていかないと思いますし、自分自身も成長していけないだろうと考えています。

会社が変わる人づくり

 

会社が変わる人づくり

青年会議所の時代にお世話になった先輩が本を出されていたことを先日知ったので、読みました。

地方の中小企業が採用に苦労しているのが当たり前のこの時代に、株式会社コプロスさんはコンスタントに新卒採用されております。

ポイントになるのは「環境整備」と「人を増やす人材戦略」

詳しい説明は本に書いています。

環境整備やっぱり大事ですよね。

ベンチマークで見学させてほしいと思ったりします。

金子商会もそれなりに整理整頓はしているつもりなんですけれども、まだまだぜんぜん足りないと感じています。

社員もどのくらい整理整頓清掃を追求できるのかっていうのが実感できていない部分もあると思うのですよ。

同じ建築業界ですから、整理整頓の実例を見るとやっぱい効果があるんじゃないかとおもうわけです。

Youtubeでの情報発信やXやTikTokなどでの動画配信もされています。

 

@copros_recruit コプロスって入社したらどのくらい資格が取れんるんですか? A.色々取れます笑 資格は社内に教習機関もあるし 資格以外にも様々な社内教育制度が充実してます! 詳しくは説明会にて待ってます😉 コプロス 採用 で検索 #下関市 #山口 #コプロス #新卒採用 #就活生 #25卒と繋がりたい #企業公式相互フォロー #よいおとしを ♬ お勉強しといてよ(原曲歌手:ずっと真夜中でいいのに。)[ガイド無しカラオケ] – 歌っちゃ王

幸せ?

「海のはじまり」と「みなに幸あれ」はタイトルだけ見てるとなんだか、共通しているっぽい気もしなくはないのですが、古川琴音さんが出演していること以外はまったく共通点はないです。

まぁでもどちらも幸せとはなにかとか、家族愛とはなんだろうとか、身内の幸せを願うこととか、自己犠牲であるとか、思いやりであるとか、献身とはなんであろうかとか、いろいろと考えるのもいいのではないだろうか。

 

生きていくうえでの価値観が変わるとき。

「みなに幸あれ」の世界に目黒蓮くんが入っていくというのもホラー映画としては面白いかもしれないな。

そっちの世界では、妊娠したことで、なんというか、古川さんの実家に二人して挨拶しにいくと、

「この家族なんか変だ・・・」

というような違和感を目黒蓮くんが感じてホラーワールドにみたいな展開とかあるかもしれない。

有村さんもゾンビ映画に出たりしているからホラーの素養があるよなーなんて空想しながら見る。

 

ある日を堺に、あるいはなにか経験や事件によって、それまでの価値観であるとか、生きるうえでの優先順位が変わってしまうようなことがある。

子供から大人になるときにどうしても価値観を変えなければ行けなかったり、なんらかのコミュニティーに属し続けるためには、大切なものを捨てなくては行けなかったりする、そういうふうに物語を変換するのもアリな見方の映画化もしれない。

映画の中では、実家の人たちのしていることは、近代的な価値観からするとひどく時代遅れだったり、コンプライアンスとして全然駄目ってことは、実際あったりするわけですよ。

例えば夫の実家へ帰ったときに、男尊女卑的な扱いをされて辟易するとか、そういうのはよく記事としては見るし、小説や映画のプロットとして多いし、実際の事実な部分もあるのだ。

価値観とか理念とかいうのは、それぞれのコミュニティーで違うし、郷に従う必要性っていうのは、それはあるのだよね。

 

 

 

 

TVドラマ「海のはじまり」を見た

怒ったり、腹を立てたり、イライラしているときって、ほとんどの場合、原因をよく知らないことに起因している気がします。

何かに気持ちが揺り動かされたとき、実はそのことについてよく知らなかったり、理解していなかったりします。あとから事情や知らなかった理由を聞くと、「なんだ、そうだったのか。それなら早く言ってくれればよかったのに」と感じ、当時は相手を責めてしまっていたことに気づきます。

結局、自分は全能ではないし、すべての状況を知ることはできないと常に意識する必要があります。知ることができる情報や環境、データのうち、実際に自分の脳に入力できる部分や認知できる部分はほんの数%に過ぎません。

物語が終わったときや何かが過ぎ去ったときに、「本当はそうだったんだ」と思い、その時初めて、自分がいろいろな要素や出来事を知らないまま、怒ったり、腹を立てたり、落胆したりしていたことに気づきます。そしてこう言ってしまいます。「知っていれば責めなかったのに」「言ってくれればよかったのに」と。

批判したり非難したのは他ならぬ自分自身だったのに、自分が怒りを感じたのは、「お前が真実を話さなかったからだ」と思い、また怒り出してしまう。そんなことを繰り返していては、怒りのループから抜け出せません。

カッとなったり怒りを感じたときには、本当にその人や状況についてよく知っているのか、自分自身に問いただすことが大切です。相手の名前や育ってきた環境、好きなドラマ、どんな子供だったのか、性格や悩み事は何か、何か事情があるのかもしれないと考えることが重要です。

自分の心のポケットにチェックリストを持っていて、それらがすべてチェックできたうえで、それでもまだ怒りが続いているなら、そのとき初めて何らかの反応を示せばいいのではないかと思います。

最近、SNSやさまざまなメディアで「怒りは伝播しやすい」という情報がありますが、相手についてよく知るだけでも違うのではないでしょうか。いろいろな事情があって、最終的にはみんな良い人だったのに、すれ違いや勘違い、伝える努力が足りなかったなど、様々な事情があるものです。

日々の生活で腹が立ったり悲しかったり、怒りを感じたりすることはあると思いますが、丁寧にもつれを一本一本解くようにして、自分が知らないことを認識し、その時の感情に流されずにもっと対象を知ろうとすることで、もっと優しくなれるのではないかと思います。

LLMのハルシネーションとミュンヒハウゼン症候群とか虚言症

AIとの話

### ミュンヒハウゼン症候群の脳の特性

ミュンヒハウゼン症候群の人は、しばしば病気を偽装するなどして他人の注意や同情を引こうとする傾向があります。研究によると、以下のような脳の特性が見られることがあります:

1. **前頭前皮質の異常活動**:この部分は意思決定や計画、社会的行動の制御に関与しています。異常活動があると、虚言や欺瞞的な行動が生じることがあります。
2. **報酬系の過剰活性化**:脳内の報酬系(例えば、ドーパミン系)は、嘘をついたときや他人の注意を引いたときに過度に活性化することがあります。
3. **自己認識の歪み**:自己評価や自己認識の面で問題があり、他人からの承認を得るために嘘をつくことがあります。

### LLMのハルシネーション問題への適用

ミュンヒハウゼン症候群の脳研究がLLMのハルシネーション問題の解決にどのように役立つかを考えてみると:

#### 類似点の探求

1. **誤情報の生成**:虚言とLLMのハルシネーションはどちらも誤った情報を生成するという点で共通しています。これを理解するために、どのような脳の活動やアルゴリズムが誤情報を生み出すかを比較することができます。
2. **動機の欠如**:LLMは動機を持たずに誤情報を生成しますが、虚言症の人は特定の動機(例えば、注意を引くため)を持っています。この違いを理解することで、LLMがなぜ誤情報を生成するのかをより深く理解できるかもしれません。

#### 違いの探求

1. **アルゴリズム的解決策**:ミュンヒハウゼン症候群の治療には心理的アプローチが必要ですが、LLMのハルシネーション問題はアルゴリズム的な改善が必要です。例えば、より精度の高いデータセットや新しい訓練方法を開発することが考えられます。
2. **フィードバックループ**:虚言症の人はフィードバック(他人の反応)に基づいて行動を修正することがありますが、LLMもユーザーからのフィードバックを受けてモデルを改善することができます。

#### 可能なアプローチ

1. **脳の研究からのインスピレーション**:脳の研究で得られた知見をもとに、LLMの誤情報生成メカニズムを解析し、誤情報生成を減らすための新しいアルゴリズムやアプローチを考えることができます。
2. **認知バイアスの導入**:虚言症の人が持つ認知バイアスを研究し、それに基づいてLLMに誤情報生成を防ぐためのバイアスを導入することが考えられます。

### 結論

ミュンヒハウゼン症候群の脳研究から得られる知見は、LLMのハルシネーション問題の解決に役立つ可能性があります。特に、誤情報生成のメカニズムや、それを防ぐための新しいアプローチの開発において、脳研究のインスピレーションが重要な役割を果たすかもしれません。

手取りを1割増やそうとすると、いくら昇給しなければならないのかAIに聞いてみました。

混ぜるな危険

本文にはなにも関係ないAIに書いてもらったイラスト

 

小川さやかさん『「その日暮らし」の人類学』を読んだ。
今日はその感想を書こうと思う。

その前に最近見た映画だったり、小説やオーディブル・漫画について書こう。
昨年の暮から見た映画や小説で今回の記事に関連するというか発想につながった作品は以下の4つ。それぞれ関連するXへのリンクをおいておきます。

杉咲花さん主演の「市子」

のんさんが朗読する湊かなえの『未来』

 

川上未映子さんの『黄色い家』

usagiさんの漫画『地元最高』

『市子』『未来』『黄色い家』『地元最高』これらの作品について共通に言えるのはどれも

  • ロクな大人がいない
  • 登場人物の多くが貧困層
  • なんらかな犯罪行為が日常的になっている
  • 教養がない、あるいは低学歴
  • 感情のコントロールができない
  • 短絡的で考えが浅い
  • 思考能力が低い
  • 努力をすることができない人間が多い

これらの作品を読んで頭の中に浮かんだこととかモヤモヤすることとかを書き出して整理してまいます。

わかりやすい文章にはまとまっていませんし後日加筆修正もすると思いますのでごめんなさい。先に謝っておきます。

以下、思ったことや感じたこと、考えたことを思いつくままに書き出します。

日本は文化的にもレベルが下がっているのかどうかよくわからない。下がってきているように思うけれども、最近の中学校の教育課程とか見ると、むしろ自分が子供の頃の1970年代よりはかなりレベルが上っているように思う。
例えば素因数分解は昔は中学校3年で習っていたのに今は中学校一年で習うようになっているし。
多分、今の中学生は自分のころの中学生よりもかなりレベルが高い勉強をしていると思う。

時間の使い方が上手い人もいるけど、下手な人もたくさんいる。計画を立てたり実施したり、良い習慣を身につけるために生活を工夫したりすることができないというか、「そういうことをするのは無駄だ」どいう認識を持っている人は結構多い。あまりよくない言い方だけれども「努力についてあまり価値を感じていない」「世の中は所詮運だ」という人はいる。

労働に対する価値観については民族とか人種とかによって違いがあるとかではなくて、それはあくまで個人の性格やその人の置かれた環境によるものだ。
生まれた環境によって(もちろん環境が100%ではない)性質や感情の指向性によって考え方が自責ではなく他責になってしまう人はいる。

他責思考であることが、正しい(あるいは合理的な)生存戦略であるという環境というか状況はけっこうあるのかもしれない。

どうしても努力したり、計画を立てたり、良い習慣を身につけるために何らかの行動を制限したり行ったりすることが苦手だったりできない人が確かにいる。
それは日本だけでなくて世界的に広く分布している。

時間の使い方が下手というよりも、むしろ時間という概念をもっていないまま毎日を生きているような人もいるのではないか。

ものごとを中断したり、なにか目的のために途中で辞めるなどの選択肢をとることができない人もいる。

環境的に集中できない状況に置かれている(常に何らかの脅迫的な状況にあったり、あるいは貧困のために選択肢が極めて少なかったりする)

そういうような不安とか、マスメディアが煽るような日本の貧困化を体現するようなセンセーショナルな事件もあったりする。

で、そういうことを感じているところに、この「その日暮らしの人類学」を読んだのです。

人類ってもともといろんな考え方や行動様式とか習慣とか哲学とかあるいは信仰とかもっていて、

多分、日本で一般に正しいと言われる生存戦略というのは、その戦略が生存戦略として有効であるとされています。

ここで言う生存戦略というのは、例えばアマゾンの「自己啓発のランキング」なんかに登場するようなやつです。

曰く「夢を持つ」「PDCAを回す」みたいなやつですね。

けれども、多くの人は「PDCA、なにそれおいしいの?」っていう状態ですし、目標管理なんてしていません。その日その日をまぁなんとかやりくりして生きているわけですよ。

そこに小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学』が飛び込んできたわけです。

もしかしたら「黄色い家」に出てくる黄美子や花の母親やトロスケ、「未来」の章子、そして「地元最高」のシャネルちゃんや紅麗亜グループの面々の生き方が正解の世界線というのも確かにあるのかもしれない。

なんてことを考えたわけですよ。

その日暮らしの人類学の中で、アフリカで勃興しているサファリコムのM-Pesaについて書かれているのだけれども、このサービスが世界中で使われるようになる未来とか(そう遠くない未来20年とか30年とか)想像すると

想像すると、想像がつかないわけですよ。

ここにAIとかが入ってくるわけですよ。同時通訳とかそういうことが可能になってきて少額決済も普通になって、海外送金とかものすごくお手軽にできるようになったりとか、
とにかくものすごいスピードでいろいろなことが変化していくのは間違いないと、
で、その時、自分はどういう生き方をするのが正解なのかとか、そういうことがわからないのですよ。

 

でもわからないながらも結局は、「今を生きる」しかないわけで、まさしく
Living for today(その日暮らし)な生き方を是とする人が増えていくのかもしれない日本でもとか、思っているところです。

 

ブレイバーン

第二話がもうぶっ飛びすぎてついていけない。(たぶん来週も見ると思う)

AIに描いてもらったけれどこういう感じではない。

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