IT投資

「IT投資 売上比率」でググってみたところ、目安としては2~5%くらいが妥当な数字なんですよ。

例えば年商が1億円の企業であれば200~500万円くらいが妥当ということでしょうな。1000万円とかだと、そりゃかけ過ぎですよということになりそうです(もちろんCG作成会社とか、IT化系の企業だともっと比率は高くなるでしょうけれど)

自分としてはそのシステムを入れなかったら、あと何人くらい人が必要だろうか?とまずは考えたりします。
例えば、売上伝票、納品書、請求書、入金管理、在庫の受発注、在庫数管理、発注管理などを、うちの会社ではコンピューターを使って行っていますけれども、もし、同じ作業をパソコンなしで行う、つまりはすべて手書き+計算機での計算で行うとしたら、あと何人必要だろうか?とか考えるわけです。
そうかんがえると、3人位必要だなとか、2人くらい必要かも、と思うので。

あとは、その人件費を回収するのと、PCの予算を回収するのとどっちが短いだろうか、と考えると、断然PCを入れたほうが早いわけですよ。

例えば、ウチの会社でもしPCがなかったら、あと3人くらい事務員さんがいないと、請求書を作ったりできないと思います。

 

 

 

会議っていう会議を実はしていない

金子商会は社員数が8人の小さな会社だ。
社長であるところの自分
常務であるところの弟
経理をしている社長の奥さん
事務やお客様の電話応対、たまに配送するスタッフが3人
配送メインのスタッフが2人
の合計8人なのだ。

週休二日制にするために平日にローテーションを組んで、日常的には7人で業務を回している。
つまり8人の内一名は常に会社に出てきていないということですな。

で、月に2日ほど、8人全員が出社する日があって、そのときに合わせて会議というかミーティングをしている。
今月の売上金はいくら、グラフにするとこう、今後はこんな感じになりそうなので、こういうことをしていくよ。連絡事項はこれこれこうです。
みたいな感じで夕方の5時から20分くらいを毎月1回行うわけですよ。

で、売上を知るためだけなら、その数字を書かれた紙を回覧なりすればそれでいいんじゃないか?ってことで、一時期月の会議を行っていなかったときが3ヶ月くらい合ったんだけれども、なんか、これはよくないな、ということで、今は月に一回ミーティングを行っています。

会議の目的はなんなのかっていうときに、
経営理念の浸透とか、経営状況を俯瞰してみたりとか、この先の戦略をどうしていこうと思っているのかとか、こうやっていこうと思うとか、そのために誰々にこういうことをしてほしいなんてことを伝えたりするわけで、日頃の雑談だけだと不確かなところを補完するという感じでやっている。

明確に数値化できる高価があるわけではないけれども、月商とか数字で単に発表するのではなくて、経営者が直接説明するのは、やっぱり大事だと思ったりするのだ。

うーんでも、一人ひとりに動画を送ったりとか、ブログとかツイッターとかTeamsとかで絡んだりするのもありかもしれない。

銀河鉄道の夜 

銀河鉄道の夜には【初期型】というのがあって、ブルカニロ博士が登場するタイプがある。

ブルカニロ博士は、主人公のカンパネルラに伝える言葉がいいのだ。

「おまえは化学をならったろう
水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑いやしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできているといったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、いろいろ議論したのだ。
みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
けれどももしおまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえ決まれば、もう信仰も

化学とおなじようになる。」

いやーいいっすね。

 

スペースを消せ

販売管理システムから仕入先の住所録をCSVで吐き出して別のアプリの住所データに移し替えをするんだけれども、どうもレイアウトがおかしい。

原因は氏名とか住所のデータに全角スペースが含まれていたからだったのです。

ぱっと見、スペースというのは見えないので結構悪さをしますよね。

置換機能を使ってスペースをすべて削除

事なきを得たのでした。

しかし、こういういつもやってる定形データーや雛形が使えないと元通りにするのに時間を食ってしまいますね。

バックアップしておくの大事ですね。

世の中の9割の仕事はワクワクもキラキラもないという現実

世の中には勝ち組になれる才能を持っている人がいる。
一方、勝ち組になれる才能がイマイチ弱い人もたくさんいる。
自分の考えだとそういうのはもうなんというか生まれ持ってきた気質というか性格や気性に決定されることがほとんどなんだろうなと考えています。

勝ち組になれる人は、

例えば、学校の運動会ではいつもリレーのアンカーで学年で一番足が早かった。
文化祭のときには学校始まって以来のイベントを企画してバンドのボーカルとしてステージを彩った。
都内でも指折りの進学校に入学したが面白くなかったので途中で転校した。
そういう学校でも目立つタイプだったり、集合写真を撮るときには常に中心に位置するタイプ、人好きで、根っからポジティブ、精神的にも肉体的にもマッチョなタイプ。
オリンピックに出場したり、甲子園で活躍したり、東大へ進学したり、いわゆる大手企業にサクサク内定が決まったり、海外へもガンガン出ていくタイプ。
逆に、ものすごく内向的で人付き合いも苦手だけれども、秀でた並外れた才能やこだわりを持っている人もいる。
身長も187センチ位あって、リーバイスのジーンズなんかもそのまま履ける。

一方、勝ち組になれる才能がイマイチな人は多い。

学校のマラソン大会があれば、順位は後ろから数えたほうが早い。
学校の通知表は3ばかりで、4が2つくらい。
部活は全国大会はおろか予選一回戦敗退がデフォルト、むしろ校内予選すら通過することなく、大会出場経験もない。
集合写真を撮るときは端っこが定位置。
家の近くの公立中学校へ通い、高校進学は地域で行われた実力テストの偏差値レベルに合わせて受験したものの、不合格だったので、第2希望の私立高校へ入学。
ものすごく内向的なんだけれども、秀でた才能もなく平凡で特技も趣味もこだわりもこれといってない人も多い。
身長は160センチくらいで、ジーパンの裾は15センチくらいカットする。

自分はこのタイプです。

勝ち組・負け組という表現はつかいたくないので、前者を「イケイケタイプ」、後者を「その他大勢タイプ」としよう。

で、いきなり結論なんだけれども、世の中の成功本とか成功譚というのは、「イケイケタイプ」の人のものがほとんどだ。そういうイケイケタイプの人の真似を「その他大勢タイプ」の人がやっても、大抵はうまく行かない。

立派なライオンになれるのはライオンの子どもだけなのだ。
ティモンとプンバァはどうあがいてもプライド・ランドの王にはなれないし、なる必要もない。そもそもプライド・ランドの住人ですらないし。

話がそれた。

世の中の9割の仕事はワクワクもキラキラもしていない。
建築やインフラ関係の末端の仕事は地味で達成感も少ない。
この意思決定に何百万の人の運命が乗っかっている!なんてことはない。
赤と青のリード、どちらかを切らなければならない!どうする俺?
というような緊迫した出来事があったとしても、正解をしても何事も起きず、間違ったとしても、せいぜい停電が長引いてビルのオーナーに小言を言われるくらいだったりする。
毎日の仕事は代わり映えもなく、ただ繰り返される。
それでもたまに返されるお客さんの笑顔や「たすかったよ」「ありがとう」というような言葉に嬉しさを感じたりする。
ちょっとキラキラした感じもするが、イケイケタイプの上場企業やグローバル企業に比べれば蛍火と太陽光くらいの差があるのだ。

自分が生きている世界はプライド・ランドではないのだ。

使命感をもった者を必要とせず、ただ淡々と暮らしを積み重ねていく。

そこそこ幸せだったり、毎日ではないにしても、月に一度、二三ヶ月に一回くらいは大笑いするいっときがふいに訪れたりするのだ。

PDCAを鬼速で回して、クレイジーで、7つの習慣を身につけてライフハックしまくり人生に革命を起こし、思考を現実化するのだ!っていう生き方もそれはそれでいいとは思うのだけれど、
あぁ、そういう生き方もいいですよね、がんばってくださいとは思うのだけれども、
そうじゃない生き方も間違いではなくて、「その他大勢タイプ」のプライド・ランド以外の住人にとっての幸せはちょっと違う場所の案外近いところにあるのだと思ってます。

ワクワクもキラキラもないですけれども、けっこう楽しいもんですよ。

間違ったとき

人は間違いとかミスをしてしまう。
失敗するということですね。
そういう失敗をしてしまったときにどう対応するのかっていうのはいろいろある。

相手が失敗したときに自分はどんな態度を取るのだろうか
見ないふりをする
指摘する
ここぞとばかりに責め立てる
嫌味を言う
慰める
イライラをぶつける
バカにする

自分が失敗したときに自分はどんあ態度を取るのだろうか
ごまかす
いいわけをする
素直に認める
改善策や代替案を提示する
人のせいにする
自分のミスを認めない
イライラをぶつけて発散する

ミスの規模や実害、影響の範囲、相手の立場、人間関係によって態度に変化があるかもしれない。

失敗をしたときの態度とか所作というのは一本筋を通して置きたいと思う。
失敗の大きさや相手との関係性の違いで、自分が取る態度に変化がないようにしたいと思います。

相手が間違っていたときは、指摘せず、責めない。
自分が間違っていたときは、素直に認める。

難しいですね。

記録すること

日誌をつけることはもう10年ぐらい続けているのです。
なんとなくレベルアップしていないあぁといか停滞している感があって、そんなときKindle unlimited で『佐々木さん、記録って何の役に立つんですか?』を読んだので、これかもしれないということで、何種類かアプリをダウンロードして、これが一番使いやすいかもと思ったのが。

タイムスタンプログ というものです。

でも広告が消せないのがちょっと鬱陶しい。

タスクマがいいかもしれない。

でも自分には過剰かもしれない。

他にもいろいろあるので、試してみる。

「もったいない」と感じたら捨てる

「もったいない」という言葉は”Mottainai”という毎日新聞社の登録商標なんだそうですよ。なんだか日本の美徳のような誇りを感じなれるような言葉になっております。
ものを大事に使うっていうのはそれはそれで大切なことです。感謝の気持を持ってキチンと使うと気持ちがいいものです。
それでも最近思うのですがこの「もったいない」という感情が出たときに、それは同時に「現状を変えたくない」という欲求も同時にあるように思うのです。

で、最近は「もったいない」と感じたら躊躇なく捨てるという方向で生活やら仕事を変えていくのがいいのではないかなと考えるようにしています。
PCがまだ動くからWindows Vistaのままでいい、
20年前に買ったエアコンで十分、
一回しか着てないけどいないオシャレなワンピース、
そういうものを持ち続けるとき「だってもったいないから」っていう理由が一番にくるようなら、「捨てる」というのが正解のような気がするんです。

「捨てる」というのに抵抗があるなら「なくしてしまう」と言いかえるといいでしょう。

食べ物の場合は「もったいないなぁ」と感じたら「なくしてしまう=食べてしまう」ということでもOKです。

なんとなくですが日本経済の閉塞感を生み出している原因の一つとしてこの「もったいないという美徳」があるのではないかな、なんて感じております。
自分も、口癖みたいについ「もったいない」と言ってしまうのですが、そう言ってしまったときは「なくても別に困らないのでは?」と考え直すチャンスなんではないだろうか?
「もったいない」もののほとんどは「なくてもいいもの」だと思うのです。

三体

長い、めっちゃ長いのだ。
三体、三体Ⅱ上、三体Ⅱ下をオーディブルで全部聞くと45時間もかかるのである。おかげで配達の時間が有意義に使えるのですごくコスパがいい。
SF小説なんですけれども、スケールがでかいし、宇宙空間での戦闘とか、もの宇宙天文学的なスケールで思考することの面白さ。
遠くのものが小さく見えるのは錯覚に過ぎない
宇宙空間で原子爆弾が爆発してもダメージがあまりない
そういう日本のアニメや映画スターウォーズなどの宇宙戦争の描写が実際とは違うことに気が付いたりする。
映画的な演出を差し引いた演出で宇宙戦争のシーンが言葉で紡がれるのだけれども、それでもなお興味深い状況が思い浮かぶのです。

あとナレーションの祐仙 勇 さんがすごくいいです。



脱・アットホーム企業

昨日は久々の中小企業家同友会例会に出席。
グループ討論とかしたわけです。
討論の柱は「社員が生きがいや働きがいを感じる会社とは?」というテーマだったんですよ。
で、一番最初に「金子さんの会社ではどう考えますか?」と降られたのですが。

「へそ曲がりかもしれないのだけれど、最近はこう考えてます。
社員は『生きがい』とか『やりがい』とかを会社に求めるな、と。
『やりがい搾取』という言葉もあるんだけれども、会社に依存しないようにするのが大事なのではないか。」
「会社と依存関係にならないようにしてほしいな」とか
「大事なのは会社を使って自分自身が成長することで、5年か10年くらいしたらもっと大きな会社に転職するとか、例えば金子商会の仕入先やメーカー、あるいはもしかしたら、売上高が何倍もある同業他社に引き抜かれるとか、そういうふうにしつつ、金子商会の仕組みを少しずつ成長させるというか、変化させるとか、刺激を与えるとかそういう関係性でありたい。」
「たとえば暖簾分けのようか形で独立してもらうというのもアリかもしんない。」

「いわゆるアットホームな会社ではありたくない。バーベキュー大会をするとか、しょっちゅう飲み会があるとか、就業時間外の委員会活動とかクラブ活動とかで夜遅くまで勉強会をするとか、そういうのはいっさいない会社でありたいな」

とまぁそういうことを発言するくらい、空気が読めていないのですけれども、フェイスブックとかで、いろんな会社が情報発信しているのですが、
「社員の誕生日にサプライズでプレゼントwww」
「節分で恵方巻きをスタッフみんなで食べましたwwww」
「スタッフは人財です、まさしく宝物www一番大事ですぅwww」
というようなピースサインで笑顔の写真を見るたびに思うんですよ。
職務分掌に上がってこない、労働条件通知書に記載されていない業務というか、そういう仕事が多そう。
ジョブ・ディスクリプション?なにそれおいしいの?という空気が蔓延している職場にしか見えないんですよ。

そういうアットホームな企業経営というのは、アリかもしれないしアプローチとしては有効な部分もあるのかもしれないのですが、なんか、
「私も我慢しているのだから、あんたも耐えるのが当然」だとか「有給休暇を使うと使っていない人が大変だから使わない」とか
そういう我慢の連鎖というか辛抱の螺旋を受け入れざるをえないような職場だと結局は長続きしないような気がするんですよ。

だから「おたがいさま」とか「自分が休みたいときは休みますよ」とか「有給休暇を申請するのに理由とかいらんですよ。ゲームの発売日だから休みます、でも問題なし」

そんなわけで

「社員自身の中に自らの『生きがい』や『やりがい』を持った上で、それを補完するような会社経営をしたい」なんつーことを考えるわけです。

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