夜明け前
今は夜明け前なのかもしれないな、というきょうに感じている。
たぶんそういう人は多いのではないだろうか、あたらしいぎじゅつによって、これから先の世の中がどうなるのか先の見えない時代なのだ。
AIが絵を描く新しい技術が先月にリリースされてその界隈ではラッダイト運動のような動きが見られる、
コンピューターやロボットが人間の仕事を奪うというのは、ろぼっとの概念が生まれたむかしからけっこうたくさん見た景色だと思う。
手塚治虫の鉄腕アトムの中でも扱われていた。
ロビタが溶鉱炉に集団自殺したのは西暦3030年のことだから、まだ1000年先の話だ。
火の鳥復活篇の主人公のレオナが人工頭脳の代替手術を受けたのが2482年。
人間にかなり違い、生命体に近い、人工のロボットが登場するには、まだそのくらいの期間が必要なのかもしれない。
2022年の現在人工知能というのは、人間の思考力にはまだまだ及ばない。
チャスや囲碁の世界では、人間に勝てるようにはなっているけれども、手加減するとかあいてによってわざと手を抜くとかそういうことはできない。
相手が人間なのかAIなのかを見分けることはそれほど難しいことではない。
チューリングテストやフォークト=カンプラ検査を突破できるような人工生命体はまだ登場していない。
ちなみに映画ブレードランナーの舞台は2019年のロサンゼルス、続編は2049年。
話がそれた。
今はたぶん、新しいテクノロジーが登場したので、それまでおミライズが描けていないのかもしれない。
たとえな、産業革命以前の人たちに産業革命以後の100年後はイメージできても、産業革命以後に生まれた人のものとは違うはずで、
新しい技術で常識とか価値観が書き換わっていくのだけれど、上書きされていくのだけれども、その上書き度というか共通項というかプロトコルがまだ平準化していないというか、共有されていないので、未来が描けないのだと思う。
自動車社会や航空機の存在が当たり前時代の人が想像する50年後100年後の未来図と、
自動車が発明されたばかり、飛行機が発明されたばかりの時代の人が想像する未来図では、それは違うと思うんですよ。
1903年頃の人はどういう生き方や人生計画を立てていたのか、そもそも人生計画ってあったのか、1903年の人の歴史とか風俗とか社会常識というのはどんなだったんだろうか。
そもそも出版文化そのものがあった時代となかった時代でも違うだろうと思います。
航空技術と言うよりはメディアの変化なので、ITが社会変革というのを作るとして、参考にするといいのは、やはり印刷技術が一般化する前の時代とあとの時代になるのだろうな。
国際カミングアウトデー
https://twitter.com/merit_jp/status/1580029599747952640
人は勘違いや誤解、ミスをするもので、真摯に謝罪すればちゃんと許しあえる、そういう世の中であればいいなと思います。
間違いは間違いとして、きちんと受け止める、ミスしてしまったら、ごまかしたり変な言い訳をしたりせず、誠意を込めて謝る。
ちゃんとした謝罪を行うということ
花王さんのケースはいい勉強になると思うので、今後の参考にしたい。