SSLで「保護されていない通信」から「保護された通信」へ

会社で使っているヘテムルさんのレンタルサーバーのセキュリティー設定が変わったのですよ。

で、無料SSLというのもいつの間にか使えるようになたので、とりあえずこのブログと会社の設定ファイルを書き換えてSSL対応しました。

書き換えるといっても「http://xxx」を「https://xxx」に書き換えただけなんですけどね。

めでたく「保護されていない通信」というのが消えて鍵マークになりました。

でも一部、鍵マークに変わらないページもあったりするのですが、よくわからないので、調べて修正していこうと思います。

で、SSLとかTSLって、そもそもなんなのよ、ということで自分なりに理解しているのを説明してみます。

SSL(Secure Sockets Layer)とTLS(Transport Layer Security)というのはインターネットで情報を暗号化して受送信する決まりごと。

「入力フォーム」がないwebサイトだったらそんなに気にしなくてもいいのですが、最近はスマホなどでホームページにアクセスしたときに「安全ではありません」と警告が表示されてしまうのですな。

で、この「安全ではありません」という表示を消すためにはどうすればいいのかというと、ホームページのURLアドレスが

「http」ではなく「https」から始まるように設定すればいいわけです。

で、以前は、そういう設定をするためにはお金がかかって、年間5000円とか1万円とか支払わないといけなかったのですが、無料独自SSLの設定ができるようになっていたので設定したというわけです。

まぁこのSSLの設定料とかホームページの制作を外注にしているともれなく設定料とかなんだかんだでお金がかかるのですが、金子商会は自社でサイト運営しているので、安くすることができるのですよ。

月額1000円くらいなのでほとんどタダみたいなものです。

毎月ホームページの維持費に3万円とか(年間で36万円?)払うのがアホらしくなってきますな。

いっぱしの零細企業の企業家であればホームページくらい自分で維持管理できるようになるのがアフターコロナのニューノーマルですわよ(偉そう)

勉強=免じる+力+強くする

ふと思ったのですが、「免じる」「力」を「強くする」

と書いて「勉強」となるのだなぁと、そんなことが思い浮かんだんですよ。

「免じる」というのは「制限を解かれる」と考えるといいですな。

知識や経験を強化していくことで、いろいろなことを免じられるということです。

例えば運転免許証ってあるじゃないですか。

基本的に自動車を運転するというのは、誰にでもできることではなくですよね。

勝手に運転しちゃダメですよと法律で禁止されているわけです。

ですから、交通ルールを知っているとか、運転技術を持っているとか、何らかの知識や技術を会得することで、「運転禁止」を免除されるわけですよ。

そのために自動車学校にいって勉強するわけです。

そして試験を受けて、一定の技量があると認められると、めでたく運転免許証がもらえて、道路で運転できるようになるわけです。

世の中で生きていく上では「あれをしてはいけない」「これをやってはいけない」「それはできない」「入ってはいけません」「出入り禁止」というようにいろいろな制限があるわけですよ。

明文化されていなくても、やってみたら必ず失敗したり大怪我をおったりすることが結構多くて、むしろ、文章として禁じられていないけれども、実行するのはホボムリということが多かったりします。

でもその制限は資格を持っていたりとか、その知識や経験を持つことで「制限が免じられる」わけです。

誰もが生きていく上で決まり事やルール、制限など制限されているわけです。

で、そういう「制限」を「免じる」「力」を「強化する」ことがすなわち「勉強」するということになるのですな。

カット野菜は素晴らしい

結論から言う。

生野菜はけっこう腐るのである。

とくにキュウリね。油断するとすぐにシオシオになって、気がついたらヌルヌルしたカビが生えてしまうのだ。

あと、一人分の野菜炒めとか作ると玉ねぎ1個というのは大きすぎる。

半分でも少し多いくらいだ。

あとピーマンとかは種を取るのがけっこうめんどくさい。

それから人参はやはり皮むきがちとめんどいのだ。

昼休みに家に帰ってちょいちょいと野菜炒めをつくる。

そういうときに生野菜を切るところからやってると10分くらいは消化してしまうのだ。昼休みの10分はけっこう大きい。

これがカット野菜だとその10分が省略できる。それから野菜炒めセットみたいなのだと一揃いの野菜が揃っているし、ここに一袋9円のもやしなんかを投入するとけっこうなボリュームになるのだ。

小分けにしておいた豚肉を一緒に炒めて、塩コショウで味付けし、オイスターソースを絡ませてしまえば、美味しい野菜炒めの完成であす。

豚肉の代わりに魚肉ハンバーガーとかスパムを刻んで入れるのもよい。

この夏を乗り切るためにゴーヤなんかもたまに入れたりするのである。

味付けも中華風にしたり、コンソメを絡ませてトマトーソースを入れたりして洋風の味付けにするのも美味しい。

あと昆布だしをふりかけて醤油で味付けしても結構イケルのである。

なんで、こういうことを書くのかというと、腹回りがやばいのである。

人と久々に合うたびに「ふとったねー」と言われるのである。

体重計にのってみると、これまでにない数字がでているのだ。

これはやばい、ここのところお昼休みにココイチのかれーとか、とんこつラーメン・餃子定食とか、うどんといなり寿司セットとか、そういう炭水化物要素のでかい食事ばっかりとっていたのである。

来月の24日に健康診断を受けるのである。

昨年よりも今の所5キロくらい体重が増えているので、ダイエットをするのだ。

とりあえずお昼の糖質オフを一月頑張っていくのだ。

 

 

手を洗おう

「玄関 手洗い リフォーム」とかでググるとすでに提案している業者さんのホームページ等が表示されるので、この流れは止まらないのかもしれないなと思います。

ハウスメーカーさんなんかも、玄関に手洗いスペースを設けるみたいな形が普通になりそう。

水まわりの設備がふえるということは、それだけ水道工務店さんの仕事も増えていくわけでいいことだと思いますよ。

昔の家では、わりと屋外に野菜を洗ったりするような流しのようなスペースが合ったのですが、そういう洗い場がまだ復活するのかもしれません。

自分が小学生のころに住んでいた家は、屋外に洗面器というか手洗い器があったので、そこで手を洗ったりしていた記憶があります。

ちなみに金子商会では事務所の入り口の横に手洗い器が設置されています。

事務所に入る前に手を洗うことができるのだ。

そういう意味ではもう20年くらい前からすでにコロナ対策をしていたと言っても過言ではあるまい。

なんてことを思ったりしましたよ。

まぁ、普通が変わる、これからの新しい生活様式、ニューノーマルなんてなふうにいろいろな言い方がされています。

人々の生活様式が変わっていくのにはやっぱり1年2年では終わらないのだろうと思うのですよ。

文明開化維新の直後とか、大正時代とか、人々がちょんまげをやめたりとか、和装から様相に変わったりとか、外風呂が普通だったのが内風呂が当たり前になったりとか、そういう生活様式の変容というのは、何年かかけて、あとから思い出したときに、

「ああ、そういえば昔は誰もこんなことしてなかったなぁ」

なんて気がついたりするのだと思います。

たとえば、外出して家に帰る前にかならず手を洗うというような習慣はこれから定着するのだと思います。

うちの子どもたちとかみていても、最近は外出して帰ってきたらなにも言わなくても手を洗うようになってきたし、自分も家に帰ったら手を洗うのは習慣になってしまったような気がします。(でもマスクはあんまししてないです、人が多いところは別ですけど、普通に外を歩くだけのときはしてません)

だからマスクするのは今ひとつ習慣にはなっていない。

それにしてもこの状況はいつまで続くのかな、と自分なりに考えているのは、どんなに早くても来年の夏までは続くよね。

ものすごく条件がよくて、すごい効き目のワクチンとかが開発されたら、ワンチャンあるかもしれない。

でもそれは偶然に偶然がかさなって、かなり低い確率で相当お気楽に見積もった楽観的な予想だ。

たぶん、ほぼありえないと思う。来年の夏も今年の夏を対して変わっていない状況なんではないだろうか?

だから東京オリンピックは結局開催されないと思う。

残念だけれども、ものすごく好条件に見積もっても東京オリンピックは中止。

そのうえで、海外の渡航禁止がとかれて、WHOが収束宣言しても半年くらいは人々の自粛心理というのは亡くならないと思う。

で、WHOが終息宣言を出すのは、いつごろかなぁというとやっぱり2022年以降じゃないのかという気がする。

世界全体が相手だしね。一日あたりの感染者数という数字があまり意識されなくなって、死亡者数とかがもっと注目されるようになると、

そんでもってその人数が減少してきたなと判断されるようになって、いろいろなグラフが右下がりになっていくまでは、収束宣言を出したくても出せないと思うし。

そう考えて想像してみると、長くて2022年の春ぐらいにはいくらなんでも収束宣言が出て、自粛ムードも落ち着くんでなかろうかと思うわけですよ。

とりあえず、映画とかドラマで、家に帰ったら手を洗う描写が普通になったら、落ち着くんではないではないでしょうか?

エアコンは偉大だ

というわけでエアコンの修繕をしてもらいました。

いやー、やっぱり偉大ですねエアコン。

仕事をするときのモチベーションが全然違いますよ。

小中学校とかエアコンがなかったとか信じられませんな。

エアコンはどんどん使うべきですよ。電気代がどうとかいうのは愚の骨頂。エアコンの電気代も生み出せないようなコンテンツやお仕事はやっぱ見直すべきですよね。

そんなこんなでいろいろと状況が変わってきているのですが、変化に対応しきれていないことがだんだんと噴き出してきていますね。

娘の通う中学校では、結局修学旅行が中止になってしまいました。

行き先を変えるとかそういうのではなく「中止」ですよ。

まぁ一学年がそろって一斉に何百という人数で移動するという、その昭和チックなイベントそのものを見直す時期になっているのかもしれませんな。

せいぜいクラス単位であるとか、理想を言えば4・5人のグループでそれぞれが独立し時期をずらしながら旅行するのが正解のような気もします。

まぁ中学生・高校生だと全学年で京都とか東京に旅行するというのは、ものすごいウキウキモードのイベントの最高潮なやつになるであろうとは想像に難くないのです。

修学旅行で初めての告白だとか、そういう少女コミックとか別冊マーガレット的な展開というのは、「そういう場」そのものがなくなってしまうというのは、そりゃもうつらいだろうさ。

Gotoトラベルのイベントは「少人数で新しい形の旅行をしましょう」ってことだから昭和の団体旅行はもういいかげんやめようよってことなんだと思う。

 

あと、個人的には自分は中学校とか高校のときは、割と底辺のヒエラルキーに属していたので、修学旅行はそんなに楽しみではなかったし、楽しかった思い出はこれといってないので、もし自分が中学生だったら、

「修学旅行中止、ふーん、でも旅行代金がかえって来るんだったらゲーム買おう」

ぐらいの感じだったのではないかと思う。

 

エアコンが故障

事務所のエアコンが故障してしまった。

室外機が動いていないようで冷たい空気がでてきません。

ダイキンさんのホームページで依頼すると2時間ぐらいで来てくれました。

すげぇ!

とりあえず、部品を取り寄せて週明けの月曜日にもう一回来てもらって修理してもらう予定になりました。

今日は一日エアコンなしでしたが、最高気温が28度ぐらいで湿度も66%とそれほど暑くありませんでしたので助かりました。

扇風機でなんとかなるものです。

弊社のエアコンを取り付けたのが2007年のことでした。

そろそろ13年なので、耐用年数的にも取替時なのかもしれませんが、事務所を引っ越したいと考えているので、とりあえず部品交換や修理で乗り切るつもりです。

去年からずっと「どっかいい物件ないですか?」とさがしてはいるのですが、なかなか見つかりません。

見つかって引っ越していれば、こうして修理が発生することもなかったのだなぁと考えると、ちょっと損した気分になります。

パソコンも買い換える予定だったので、なにかとお金がかかるなと思ったり、というか電化製品というのは買い換える時というのはなんかいろいろ重複しがちだなとも思ったりするのですが、まぁ気のせいか。

 

 

種類

Oculus Rift Sも来たのでPCを買い換えようと思っていろいろ物色しているのですが、なかなかどれにすればいいのやら決められません。

メモリは16にするのか32にするのかなんですけれども、8でも動くみたいなのですが、調べてみると32くらいないとVRチャットとかで動かないっぽい。

じゃあいっそのこと64くらいにすればいいのかね?とはいえもしかしたらオーバースペックになっちまうような気がするんですよ。

だから32くらいで初めてあとからメモリの増設をするのがいいのかな、と思っているのですが、空きスロットがあるのかないのか、増設はどのくらいまで可能なのか、そういう情報がメーカーによって機種によって違うのですが、記載がないのが多い。

多分マザーボードの品番とか詳しかったりすれば、これは増設用のスロットに空きがあるなとかわかるのかもしれないのですが、そこまで自作マニアでもなく、沼にハマっているわけでもないし、そもそもIT系の仕事をしているわけでもないので、よくわからない、というか調べるのがめんどくさいわけですよ。

お金が湯水のように使えれば「とにかく一番いいやつにすればいいじゃん」とカスタマイズしまくると値段が234万円とかになって「なんだよそれ桁が違うんじゃね?」とビビったりするわけですよ。

大体200万オーバーとかそんなパソコン何十年前の話やねんとか思うのですが、なんというかたぶんそんな高いのはいらないなーと。

じゃあ予算はどのくらいなのかなーと考えてその予算内で一番良さそうなやつにするのが正解なんだろうなと思うというか、それしかないのであろう。

あとフロンティアは山口県の会社なのでフロンティアでもいいかもしんない。

今はヤマダ電機の子会社なのではあるけれども。

マウスもけっこう前からある会社だし乃木坂の女の子が可愛いのでいいかもしんない。というか名前ぜんぜん知らないのだけれども

 

オリンピックはないんだねぇ

明後日の7月24日は東京オリンピックの開会式が行われる予定で、関係者は今頃はドキドキしながら準備の真っ只中のはずだった。

来年、つまり2021年の7月23日金曜日に開会式が延期されているのだけれども、この一年というのはどんな気持ちなのだろうか?

「中止になるのかもしれない」という気持ちを抱えたまま、準備に取り組むのは、けっこうストレスが大きなのではないだろうか?

チャレンジしてその結果失敗というのは、まだあきらめが付くのだけれども、チャレンジそのものがなくなってしまう、というか、かなりな高確率で(多分80%以上)徒労に終わってしまいそうな場合、人は燃えることができるのであろうか?

準備をしたりなにややるたびに

「でも、中止になるかもしれないんでしょ?」って一年間ずーっと言われ続けるプレッシャーたるや、かなりきついのではないかしら。

選手の人にとってもモチベーションを維持し続けるというのは本当に大変なのだと思うし、一年という期間はけっこう長いと思うんですよ、アスリートの人にとって。

リーダーの人はたぶん「絶対に開催する」と背水の陣なのであるが、やはりそこは現場動く人々の気持ちをどれだけ引き寄せられるかだよね。

そう考えると、こういう国家的な事業ではやっぱりプランBというのは設定することができないよね。

こういう事業は「絶対にやる!」という狂気にも似た信念がなければ実行することができないと思うのですよ。

「もしかしたらやんないかも~」みたいな軽いノリでは、現場の人間は動かないし動けないと思うのですよ。

オリンピックとかでかいイベントというのは夢みたいなものであり、とてつもなく大きな共同幻想の上に成立しているのであって、「それは言わない約束」というのがそれはもうたくさんあるわけですよ。

じゃあ22年の北京オリンピックはどうなるの?と考えると、こっちだって冬ということもあるし中止や延期のリスクというのは当然あるわけですよ。

なんというか、世の中の流れとかにあわせてやっていく仕事というのは、パイはでかいしいろいろなところに影響がある代わりに、影響を受ける部分も大きくなるのだろうと思います。

そうはいっても、どんなリスクがあるのかよくわからないのと同じくらいに、どんなチャンスがあるかもわからないのが、今の世の中ですな。

リスクとチャンスは表裏一体。

いつでも動けるように自分自身を高レベルに維持し続けるという気持ちも大切なのだと思う。

世の中は考えようなので、どっちに転ぶかわからないことだらけだ。

それでも世界は動いていくし変わっていくわけで、その中で自分がやらないといけないことに取り組んでいくしかないのだなとも思う。

このままの状態がいつまで続くのかっていうと、そりゃ自分で決めるしかないよね。

少なくともほとんどの人が、「いつまで続くのかねぇ」って感じに「どこかのだれかが決めてくれる」と思ってる限りずっと続くと思うのだ。

「政府がしっかりと指針を決めてくれないとこまる」だの言ってる限りはずーっとこのままなのだ。

コロナだろうがインフルエンザだろうがデングでもラッサでもかまわんが感染症リスクはずっと昔からあったしこれからもあるのだから、自分ができることをやるだけだ、という覚悟だね。

 

135点と147点

昨日一昨日はゴルフに行きました。

それぞれ違うゴルフ場でした。

土曜日はアウト68イン67で135点

日曜日はアウト75イン72で147点

うーむ、我ながら酷いスコアですな。

ここしばらくは120点台だったんですけれども、日頃の練習不足と体重が増えたせいかもしれません。

まぁそれほど向上心があるわけでないので、そもそも練習していないです。

素振りもしていないので、そりゃ技術が向上するわけないですな。

 

でも、下手の横好きというか、けっこう楽しんでやれてると思います。

ドライバーとかバシッと打てるとやっぱり気持ちがいいですし、たまーにバーディとかとったりするとやっぱり嬉しかったりするのですよ。

ロングパットが入ったりとかね。

上達したらもっと面白くなるような気がします。

でも練習する時間があれば他のことするなぁという気持ちの方が強かったりする。要は優先順位がそれほど高くないんだよな。

でも、あんまり酷いスコアだと一同伴者に若干迷惑がかかるような気がしないでもない、というか申し訳ない気持ちというか、そういう思いも若干あります。

 

なんというか基本的な体力不足というか体幹のタフネスとか筋力不足な要素が強いかもしれない。

疲れてくるとショットが安定していない感じを覚えています。

二日目は筋肉痛とかも少しあり、なんというかスタミナ不足というか、打つときにふらついている感覚がずっとありました。

基礎体力が落ちてるのだなぁと感じます。

ショットの様子を動画に残すとあとから分析できそうな気もします。

打ちっぱなしにいって動画でいろいろ角度を変えて観察するのもやってみたほうがいいのかもしれない。

とりあえず明日は休暇日なのでちょっと練習しにいってみようかと思っています。

 

でも、仕事のために死ぬ人は、いつの世もいるのだろうなぁ

「過去に許されていた」のは、傷つけられたマイノリティが我慢をしていただけなのです。「昔は当たり前だったのに……」と考えるのは、世の中の変化についていけていない人だけでしょ。

お酒を無理にすすめる人は本当に少なくなったように感じる。自分がお酒を飲むようになったのはもう30年以上も前のことなのだが、そのころの飲み方とはずいぶん変わったなぁと思う。

でも大学の新歓コンパとかでたまに急性アルコール中毒で救急車で運ばれたとかニュースで見たりするのだが、あれは特殊というか変な勘違いOBがいたりとかそういう感じなのであろうか?

いずれにせよ「あぁーん、俺の酒が飲めんのかぁ!」とか言う人間は大したことがないというか、どちらかと言うとダメ人間の範疇に分類されるのだと思う。

 

飲み屋さんとか行っても

「あ、僕は烏龍茶で」とか言っても、そんなにシラケないようになってきた。ように思う。

平成が終わって昭和も遠くになったなぁという感じだ。

 

なんというか、昭和2年ごろの明治生まれのオッサンの気持ちも、こんな感じだったのかね。

大正というのは平成と違って14年しか続かなかったのだけれど、ここ最近のドッグイヤーとかネット社会とかの変革のスピードを考えると、世の中の変化は同じくらいだったのではないだろうか?

大正がおわって昭和に年号が変わって2年目。つまり昭和2年は1927年その頃、世界金融恐慌が勃発したりして1929年のアレに向かって、世の中は不景気な感じに流されちゃっていたみたいです。

この頃20歳だった人は今はもう世の中にはいないので、生の声というのは聞けませんが、書籍とか読むとなにかわかるかもしれません。

この1927年に亡くなられた作家さんがいます。

芥川龍之介さんですな。

「蜘蛛の糸」とか有名ですけれども「地獄変」とか読むと、当時の世相がなんか今よりもキツそうな感じが伝わってきそうですよ。

昔の作品を読むと価値観とかで変わっていることと変わっていないことがあったりして、そこの線をどこで引くのかっていうことを自分で分かっていると、けっこう生きるのが楽だったりしますな。

あと手塚治虫の「火の鳥・鳳凰編」も読むとブラックな職場っていうのはなくならないのかもしれないとか思ったりもします。

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