「和顔愛語」という言葉がある。
仏教の教えで「和やかな表情で、思いやりのある優しい言葉遣い」という意味。
いつもイライラして、自分の不機嫌を周りにばらまくよりも、にこやかにやさ引く周りに接したほうがいいんですよ、という意味だ。
人生、うまく行かなかったり面白くなかったりするようなことがあると、つい周りに八つ当たりしてしまうことがある。
それは、自分を慰めてほしかったり、いたわってほしかったりすることの、欲求表現の一つなんだろう。
けれども、自分が苛つくことで周りに対処してもらおうとするのは、精神的にはあまり成長していないといえる。
「自分はこんなにつらいのだからおもんばかれ!」
といったところで、それは鬱陶しいだけであり、不機嫌をばらまくのは公害と一緒でいいことなんてないのだ。
不機嫌をばらまいたところで、最終的には軽蔑されるのがオチである。