電子書籍

個人的には今のとこキンドル一択なんですよね。
市場が3473億円ということですよ。

年間に電子書籍を3万円くらい使う人が1150万人くらいいるという感じでしょうか?国内の読書人口が3000万人くらいで計算すると3割位の人は電子書籍を利用していて、その8割くらいがキンドルのユーザーだろうかと考えると、3000億円位がキンドル書籍の売上なんだろうか。

ちなみに、最後まで読み終えないとキンドルの表示は「既読」にはならないのだ。あとがきを読んでないと「未読」のままなので、読み終わったら最後のページまで送らないといけないのだな、とこのエントリーを書くときに気が付きました。

情報源: 電子書籍市場、2019年度は3,473億円に Kindleの後を追うサービスは?/インプレス総研調べ:MarkeZine(マーケジン)

福岡と北海道と鹿児島

今日は取引先の営業マンさんが福岡からやってきた。
「緊急事態宣言下なんですけれども訪問していいでしょうか?」というような電話があったんだけれども「うちの会社はそういうのはほぼ気にしないのでおいで」ということでちょこっと商談。
内容は値上げの話しとか近況報告とかそういうの。二人共マスクして1時間弱くらいのおしゃべりをしたわけですよ。
デルタ株とかだったら、このくらいでも感染するかもしれませんが、お互い熱もないですし、それなりに距離を置いているならOKなのかな、どうなのかなと思ったり。
とりあえず、心配性の人はやはり断ったりするのかもと考えたりしました。

福岡と下関だと、商売上のお付き合いというのはけっこう濃厚だったりするので物流的な側面から言うと日々の交流と言うのは避けられないような気がします。

ものを持ってきたり持って帰ったりするのは物理を省くことができないので最低限というのは必要だなと思ったり。

それはそれとして、今日来た営業マンの彼は北海道出身で今年めでたく結婚するそうですよ。婚約者さんは鹿児島の方だそうです。
いいですね、福岡の地で北海道生まれの彼と鹿児島生まれの彼女が出会って、結婚しようかどうしようかと考えてえいるところにコロナウイルス感染症が発生で世界はたいへんなことに!
実家へ挨拶に行くとか挨拶に来るとか緊急事態宣言で思うようにならないなか
二人は愛を育むわけですよ。
この9月の連休に彼は北海道の自宅まで彼女を連れて行く予定なんだそうですが、緊急事態宣言下いけるかどうか微妙なところです。
なんかドラマみたいですね。テレビ西日本さんあたりなら密着取材するとけっこうオモシロコンテンツになりそうだから営業所名義でプレスリリースとか出すと面白いんじゃない?なんて笑い話を無責任にしたりしたのでした。

それにしても、こういう先の見えない、予定の立てづらい時期に結婚すると、しかも北海道と鹿児島出身の二人が福岡の地で結婚する。

うーん、映画が一本撮れそうなシチュエーションですよね。

感染予防に気をつけて早いところ幸せになってほしいものです。

toggltrackアプリが落ちてる

toggletrackのiOSアプリがバグっていて、今朝起きたときからエラーになってしまうという状況になっていて、日本時間午後5時現在もまだ復旧していません。

一応、webサイトとアンドロイドアプリからは問題なく更新できるので、そちらを利用して更新しています。

実際よく使うツールとか「これがないと困る」というようなツールはアクセス手段を複数持っておくというのもリスク回避の一つになるのかなと、改めて思ったのです。

スマホオンリーというのはありえないなぁというふうに個人的には感じております。

考えてみるの複数のアクセス手段を持っておくというのは大事。

交通手段にしても仕事の手法にしてもプランBは常に用意だけはしておいたほうがいい。

そんでもって平時もたまに利用したりしつつ、いざというときでも慌てないで対応するだけの心の準備があると、もうそれだけで安心できるわけですよ。

コストが掛かるとか、日頃使わないのだから経費がもったいないとか、そいういうセコいことを言うのは野暮ってもんです。

なんだよ!続きはないのかよ!許せない!

ネットフリックスのドラマ版「ザ・ミスト(シーズン1)」のことですよ。
2017年で1シーズンものだから完結しているのだろうと思って見始めたら、なんだよこの終わり方は!続編ないのかかよ!

中途半端な打ち切りしやがって、なんじゃこりゃー!

時間を返せと言いたい。

ハラタツから勝手に続編とか考えて二次創作小説を書いてやろうかとか思った。

とりあえずこの怒りをどこかにぶつけたかったので原作本を買って読むことにした。

打ち切りはほんとに良くないと思う。

打ち切りのリスト作っておこう。

あと終わりそうにないドラマのリストとか、

 

例えば、アベンジャーズシリーズで、「数字が悪かったからエンドゲーム作るのやめました」とかなったら納得できんでしょう。(自分は納得できないよ)

なんというか、5話くらいで、ちょっとムリかもってなったら、せめてそれなりに伏線は回収して終わらせましょうよ。

第10話の終わり方は投げやりすぎだろ。

せめて初期設定の脚本とかイメージボードとかないのかな。

あいさつ

挨拶したときに挨拶を返してこない人がいる。
お店とかに入ってくときに何も言わないままスッと入ってくる。
店員さんが「いらっしゃいませ」と対応してもムスッとして返事がない。
店員さんが「なにかご利用ですか?」と言い重ねてもなんだか無視しているみたいだ。
「感じ悪いなぁ」って店員さんは思ったりするわけですよ。

挨拶して返事をされなかったりすると、いろいろと考えてしまいます。
「なんか嫌われているのかな?」
「緊張しているのかな?」
「困惑してる?」
「集中してる?」
「日本語が通じていない?」
「耳が聞こえないのかな?」
「無視しているのかな?」
「緘黙症?」

なんでも場面緘黙の人というのは最近の研究によるとけっこうな人数があって、日常生活でも交わることが多いのだろう。

緘黙症の人も「私は緘黙症です」というような印を見に付けているわけではないので、いろんな場面で苦労されているのだろうなと思う。

でも挨拶できないだけで、緘黙症でもなんでもなくて、単にめんどくさがりなだけなのかもしれないけれども、
実際は緘黙症なのに、「自分はめんどくさがりなだけなのだ」とあと付けで自分の心に言い聞かせている場合だってあるかもしれない。
場面緘黙症というんは、時と場合によっては普通に話せるのに、ある状況になると話せなくなってしまうという、症状らしい。

例えば、採用面接するときは普通に話せるしコミュニケーションも問題ないのに、入社してみるとお客さまと会話することが極めて困難だったり、電話で話すことがまったくできないとか、そいういうことだってあるのだ。

そういうときはやっぱりお医者さんに見てもらって診断を受けて対応策を考えるのが正解なんだろうなと思う。

挨拶ができるというのは、本当は結構なスキルが必要なんだと思う。好印象を与えるというのは、けっこう難しいのかもしれない。

挨拶なんて簡単だろう。笑顔で相手の目を見て元気よく大きな声で「おはようございます」って言えばいいだけじゃんかって言う人もいるだろうし、そう考えるのが大多数なのもわかる。

それでも、笑顔で、相手の目をみて、元気よく、大きな声でという4つのハードルを超えるのに難易度が高すぎてできない、ムリ、という人は少なからずいて、しかも社会人一年生で、社会に出て初めて自分がそういうタイプだと気がつく人だっているのだと思う。
で、自信を失って鬱になって心を病んでしまうみたいな。

上司が緘黙症についてまったく知識がなかったりすると、
「あいさつもできない駄目なやつだ、つかえねぇ」みたいな感じで毎日ダメ出しをしてしまうのである。

だから自分はそういう上司というか雇用者にならないように気をつけないといけない。

目の前の相手に大していろいろな興味だとか可能性だとかを信じて、相手をよくみるようにしよう。
で、できれば会話をしつつ、その間評価を挟まないように練習しないといかんなぁと思ったりするのだ。

誤解を解く近道はまずは相手に興味を持つことなんだろうと思う。

修学旅行

昨年に続いて今年も修学旅行が延期や中止になる学校もあるというニュースがちらほら。
自分は修学旅行の思い出っていうのは、あまりなくてどちらかと言うと集団行動が苦手だったような気がする。
中学校の京都へ行った思い出は、自由行動かなにかで一人で京都国立博物館に行って時間を潰したことくらいしか思い出せないし、高校生のときの思い出はディズニーランドで、これまた一人でアトラクションに並んだ思い出しかなく、集団で行ってる意味というのはほぼなかったという感想しか抱くことができない。
このあたり修学旅行が楽しみな人とそうでもない人の温度差なのかもしれない。
修学旅行が中止になってしまうのは残念だろうなーと思わなくもないのだけれども、人学年全員で移動したり宿泊したりすることの意味を大して見いだせないのだ。
だから中止になった学生さんたちには、中のいい友達とか、あるいは一人で卒業旅行とかすればいいじゃんと、無責任にオススメしたい。
高校を卒業したときは青春18きっぷというのがあり、それを利用して1週間ほど北陸まで一人旅をした。
山陰線を鈍行列車でえっちらおっちら旅行して岩手県の浄土が浜までいった。
ホテルや旅館も別に予約せず降りた駅の案内所で「部屋あいてますか?」みたいなかたちで宿泊するという、いきあたりばったりな旅路だった。

個人的には何十人もが同じ場所同じ時期に一緒に移動するタイプの旅行というのはもうそろそろなしでいいのではないかと思う。

修学旅行ももっと小型化してクラス範囲でも多いくらいなので、3~5人とか、ありは一人旅をするようなかたちで旅行するほうがよほど勉強になるのではないかと思う。

基本的に駅から駅までの移動であれば危険性も低いと思う。

今だったらインターネットで遠くの学校とも姉妹関係を結びやすいと思うので、例えばお互いの生徒を交換留学っぽくするとか、そういうのをしてもいいのではいか。

例えば東京の高校と下関の高校の生徒がZOOMで連絡を取り合ってお互いの家にあそびに行って、お互いの町を相互に案内したりするとか、一緒にいろいろな場所に見学するとか、そういうのもありなのではないか。

チケットの手配からなにから個人個人が自分で手配するのも経験にはなるし、なにも日本国内の学校に限った話ではなく、例えばオーストラリアにある姉妹校とかインドの兄弟校みたいなところと直接連絡を取り合って交換留学をもっとゆるいというかハードルを低くして行うのもいいかもしれないのではと思う。

「全校生徒が全員揃って集団行動するのがいいのだ!」

という昭和な価値観は必要なのだろうか?

それよりも時期をずらしながら少人数でそれぞれが生きたいところに自らが計画を立案して、旅するほうが楽しいと思う。

例えば、50代以上の人間で、
「一人旅をしたことがない」って言う人は「自分で旅行する、旅行を企画して旅する」という経験をしたことがなかったからなかなかできないだけであって、高校生のときに一人旅を経験させるほうがよほど自立心とか計画性とかを高める経験になるのではないかしら。

そんなわけで、この際修学旅行を「一人旅ベースに」するのもいいんでないかと思った。

文章を書くこと

文章を書くことは嫌いではない。
むしろ好きなことの方だと思う。
なにかの表現をしたいのは、なにか伝えたいことがあるからなのかもしれない。
もしかしたら誰かに自分を知ってほしいとか理解してほしいとか。
それは単なる自己承認欲求の現れといいなくもない。
っていうか自己承認欲求の現れなんだろうな実際。

昨日はほぼ一日中PCの前に座って文章を書いていた。
書いていたと言うよりは組み立てていたという表現の方が正しいかもしれない。

書き出したいくつものを文節を、並べ替えたり切ったり貼ったりしながら、文章の形を変えていくのだ。

そういえば経営指針書の修正や書き換えを最近していないなと思う。
指針書の修正は定期的にやろうと思ってはいるのだが、何週間に一回とかの頻度ではなく、毎日数分でもチェックする癖というか習慣づけをしたいなと思ってTodoリストに予定を書き出したりするのだ。

あと先週末は土日と連休だったので、ついつい夜ふかしをしてしまった。おかげで睡眠不足である。とにかく眠たくてたまらない。

母親の呪いの言葉は子供を不幸にするのだなぁ 「キャリー(2013)」

子どもがやっていることや考えていることは、けっこう親には理解できない。
毎日毎日、スマホを何時間も見ているとか、なんでもかんでも略して呼んだりされたりすると意味がわからなかったりしてイライラするなんてことも親にはあったりするのだ。

親である自分に理解できないことだったり、知らないことを子どもがやったり、やろうとしたりすると、頭から否定したり非難したりしてしまうのは、よくある話。
子どもになにか特別な才能があったとしても、それを親が認めていなかったり頭ごなしに否定していて、
「それは悪魔のしわざだ」
「お前は何を言っているんだ」
「お前はなんにもわかっていない!」
「お前は間違っている」
というような言葉を子どもに投げかけてばかりいると、なんというかその子の人生というのは、歪んでしまうのだろうなぁ、なんてことを思った。

マーガレットももしかしたら若い頃は超能力を持っていて
「お前は悪魔の子だ」みたいなことを言われていたのかもしれない。自宅で一人で出産をし、生まれたばかりの自分の赤ちゃんを刺し殺そうとするなんていうのはなんというか、あまりにも周りに愛のある大人の存在がなさすぎて、ものすごく悲しく思うのだ。
そしてその存在がなさすぎるからこそ、結局は赤ちゃんを殺すことをやめて、一緒に生きていこうとしたのかもしれないのだけれど。

けれども結局はマーガレットは精神的に問題を抱えたまま自傷行為を繰り返すちょっと問題のある親としてキャリーとの二人暮らしを選択せざるを得ないのだ。

けれども劇中には出てこないけれども、多分地域のソーシャルワーカー(日本で言うところの民生委員とか福祉士とかの力添えもあったりして、キャリーは高校に通うこともできるようになっている。

学校の教師の言動からもキャリーの家庭に問題があることも把握しているようだし、なによりもいじめに対して、明らかに「いじめるほうが悪い」「いじめたほうがペナルティーを受けるのは当然」というところがよいなぁとは思う。

とにかく「いじめたほうが絶対に悪い」というのは作品に置いては救いになっているような気がする。まぁそれでも逆恨みする人間は逆恨みするので、ペナルティーを与えればいいのか?っていうとそれはちょっと違うのではとも思う。

それは1976年版でも同じだったので(逆恨みしてもっとひどいことになるという部分も含めて)アメリカという国は「いじめ許さん」というのが徹底しているような気がした。

ただお母さんが能天気で娘の超能力に対しても
「キャリー素晴らしいわ!さすが私の愛する娘!
最高に才能があるし、あなたは何でもできるに決まってる!
その服も最高に似合ってる!プロムの女王に必ず選ばれるに違いない!」
みたいなポジティブかつ楽天的な性格だったら、ハッピーエンドになるのではないかしらとも思った。

あと、空っぽのバケツが頭にぶつかったて死ぬのはどうなんだろうと思った。
(オリジナル版は気を失うだけ)

 

金子商会ニュースがんばれ設備店さん8月号 原稿下書きメモ

今回は少し未来の話。
建設キャリアアップシステム(以下CCUS)建設系外国人を管理するだけの代物になりそうな気がします。
専門工事企業の施工能力等の見える化評価制度が始まる。
ギットハブが開始されたのは2008年4月のことでした。2010年に会社組織になり2018年にはマイクロソフトが買収しています。

2030年ごろから加速して2040年くらいには働くとか就職するとか、なんというか「サラリーマンしてます」っていう人が周りからいなくなってる。幕末になって武士が消えていったのと同じなんじゃないかなと思います。
スケッチファブの上場とかユーザー数が500万人を超す、アップロードされたアイテム数が1億を超えるあたりが峠というか分水嶺とかいわゆるキャズムになると思います。

ブロックチェーン、デジタルデータの資産的価値を保証する。高まる価格が付くものはますます効果になっていくが、その一方で無料の3Dデータの配布が進むのではないかと考えている。

デジタルツイン、設計図や各種図面、配管図や施工図面などがオープン化されるデータベースの共有化

オープンBMI=Githubのような新たなサービスプラットフォーム(SNS化するプラットフォームという考え方もできる

民主化する建築

いくつもの技術革新が重なって社会が一気に変化する・
常時接続 スマホの普及 インフラGoogleの登場コストが下がって今の時代

そして5Gによって高速大容量のデータ通信がどこでもできるようになる。

10分かかっていたダウンロードが30秒くらいになると変わるし、それがさらに3秒位になると「あたりまえ」の基準が変わっていく・

 

同時多発的に変化が起きる。

高校生にギガスクールでタブレットが配布された、下関市でも今年から高校生にタブレットパソコンが配布されています。効果はすぐには出ないと思いますが、彼らが卒業して第一期の人たちが卒業してすぐに変化するというわけではないでしょうが、そのあとの五年間くらいで、変化が表れてくるんではないだろうかと考えています。つまりは2030年くらいから徐々に変わっていく。
そこから10年ぐらいであっという間に変わる。
令和の散髪脱刀令文明開化とちょんまげ
散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする。1871年同じ年に廃藩置県が行われた。明治維新ですな。ちなみに内閣制度の八足が1885年、立憲体制の確立が1889年だから政府の仕組みとかが変わるのは、そういう変化が起きた後に起こるのだと思います。

令和の五箇条の御誓文1871年のこと

1877年頃から洋釘が日本に入ってきた、国産化は1897年頃から完全国産化があ実現したのは明治40年ん1907年

明治維新のころと建築業界のイノベーション

鉄筋コンクリートとトマスエジソン1907年、コンクリート住宅量産システムを考えた(あまり普及しなかったというかBusinessとしては失敗・早すぎたんだね)

SDGsとDigitalリテラシー リブランディング、建築業界のリブランド
カッコイ建築業界

OPPAPI(おっぱっぴー)
Open
Platform
Architect
Protocol
Interface

 

計図や構造データや見積データの共有化 オープン化が進む。中小企業や小規模企業小規模な現場総工費1億円以下の市場が始まる。

今は建築BIMはコストが高い、これが100から200分の1になるとちうのが目安だと思う。、トップダウンではなくボトムアップしていく始まり方。

アフリカや中国ではじまるかもしれない。

知的情報の共有化が進む。

それでもやはり人の手は必要なのだ。
松村秀一 「ひらかれる建築」を読んだ。
松村秀一さんは建築BIM推進会議と建築確認におけるBIM活用推進協議会を取りまとめる東京大学特任教授

キーワードとして「民主化する建築」は松村さんの表現
建築業界が今ものすごく面白くて、そういうITリテラシーを活かせるに十分な可能性を持った業界なんだよってことをもっと情報発信していくのが、わしみたいなジジイがやっていかないといけないのではないだろうか。

BIM標準化には業界の未来がかかっているのだと思う。
面白いふうにするにはなんというか声のでかい体育会系の忖度とかそういうので可能な限り省いていかないといかんおではないだろうか。

というか、わからないオッサンはそもそも口を挟めないかもしれないけれども。

 

建築BIMのオープン化で、建築業界での人材募集や採用・転職にも同じようなことが起きるようになるかもしれない。

 

2030年頃の採用や「働く」ということ(雇用とかではなく)

働きたいときに働く
時間を自分でコントロールできるようになる
お互い様な時間の使い方をするようになる>

経営者というか親方はいざというときには自分がカバーすることもある
ヘルプを入れるかどうかの判断。
タイムシフトの概念をみんなが持っておく

昼休みや退社時刻が近いときにはそもそも仕事を依頼しない。
仕事を出す方と受ける方の立場が対等であるということ。

余裕のあるシフトで仕事を組み立てておく。
複数の勤務先、外注先としての働き方、組織ではなくギルドに属するような働き方。
手に職という考え方。

「家業」の復権

マニア的な人、楽しむ才能を持つ人

それぞれのポートフォリオとしてのURLを持つ。

職歴がひと目で分かるSNSのようなサービスが出てくるかも

https://www.polywork.com/
https://www.linkedin.com/feed/

togglのようなライフログサービスが一つにまとまっていく動き
toggl+salesforce
https://toggl.com/track/salesforce-time-tracking/

会社日報のサービスと一体化していったりするのではないだろうか。

若い人の情報発信のコントロールや可能性、ハードルが低くなっていること。

あるいは情報発信をほぼしていない人でも、こなすことができる難易度の低い仕事と、その人の経験値や知識量や偽日によってアウトプットの量が左右されるような職務に二極化していく。富めるものはますます富めるというのが、ちょっと違うベクトルで社会実装されていく。

情報発信している人としていない人では、採用の確率が変わってくるとか、就職の難易度が変わってくる。

早い人は、就職活動をする前にすでに就職先の人事の人から連絡されているような状態。企業との結びつき方。

ゆるい結びつき、

単年度だったりプロジェクトごとにチームを集めたり、解散したりするような働き方。1億総職人化みたいな感じ?

就業履歴のAPI化がオープンかつ無料化の方へ進んでいく。
https://www.auth.ccus.jp/p/certified

クソ高いサービスを使わなくても無料のサービスが出てくるような気がする。

一昔前にあった「前略プロフィール」のようなサービスがまた出てくるんではないだろうか?もしくはtiktokとかインスタがそういうサービスとして収斂していくような気がする。

前略プロフィールが死んで5年が過ぎたので、そのジャンルのサービスの芽がそろそろ出てきてもおかしくないような気がする。

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