アマゾンプライムとZ級ムービーの話

映画のカテゴリーで「作品の存在そのものを楽しむ」というふうに個人的には解釈している「Z級ムービー」というジャンルがある。

B級ホラーとかB級映画というレベルではなく、もうなんというかスタッフが作りたいから作っただけで、観客なんて不必要というか、作品を世に送り出すことそのものが目的で、作ったら跡は見てもらおうと、誰一人見なかろうといっさい関係ない!みたいな映画なのだ。

古くはアタック・ザ・キラー・トマトとか死霊の盆踊りとか、宇宙から来たツタンカーメンとか、劇場で見たら
「金返せ!」と叫ぶこと必須の映画なのだ。

そりゃ映画館だとA級もZ級も同じ料金ですから納得できませんよ。

しかしながら今はサブスクの時代ですよ。

何本見ても料金はいっしょなのだから、Z級を見てもまぁいいかっていう気持ちになるわけですよ。

もちろん鑑賞に費やした時間という貴重な資本は消え去ってしまうのですが、なんというかアイデアというか発想というか、独特で自分がまったく思いもよろなかった角度からの演出であるとか、創意工夫や創造のための熱意のようなものに触れることが出来たりするのです(気がするだけかもしれませんが)

で、この連休中に見た「必殺!恐竜神父」という映画がものすごくZ級で良かったです。

恐竜のきぐるみがあまりにもちゃちすぎたり、特撮がほぼなかったり、字幕がすごかったりするのですが、ところどころ画面の構成とか、音楽が案外良かったりなどするので、

なんとなく自分も作れるんじゃないかと勘違いさせてくれるので、クリエイターになりたい人のチャレンジのハードルを下げると思うし映画界の裾野を広げてくれると思うので、こういう映画を大事にしていきたいと思うのであった。

Z級の映画には珍しくヒロインの女優さんがなかなかの美人さんだったような気がします。

エアコン

家の自分の部屋にはエアコンがなかったのだ。

まぁ物置みたいなものだったし、その部屋で仕事をするということはほとんどなかったので、なくてもいいや、ということで設置していなかった。

しかしリモートワークの時代でありますよ。

やはりその部屋で仕事をする、ということもあったし、Oculus rift-sとか手に入れて、そんでもってPCも新調するのにあわせ、エアコンを設置しました。

この部屋で寝たりするというわけでなく、休日くらいしかこもらないと思うので、とにかく電気屋さんで一番シンプルかつ価格の安いものを選択しました。

ロボット掃除機とか、イオンなんたらとか、そういうのはいらないので、とにかくシンプルで十分な馬力があればOKだったのです。

省エネ基準をクリアしていればOKで、部屋の広さも四畳半くらいだったので、22キロで十分だし、アプリで操作もニーズを感じなかったのでなしでよかったのです。

日本の白物家電は機能が多すぎるように思います。

もっとシンプルかつ単機能でいいと思うのですが、それだとメーカーあまり儲からないのかもしれません。

それにしてもテレワークがどのくらい家でできるのかなんですけれども、こればかりは実際に家でやってみなければわからない。

業務内容によって違うだろうし職責や持っている技術のレベルによっても異なってくるのだろうと思ういます。

 

 

 

 

Oculus Questが来た

とりあえずビートセイバーとアマゾンプライムVR、それからネトフリのアプリは入れました。

映画を見るのは、Oculus Goの方が使い勝手はいい。

落ち着いてみることができるし、手軽く始めるのはGoの方が楽ちんである。

でもゲームの没入感はクエストの方が抜群にいい気がする。

ビートセイバーは汗が出てきてメガネが曇ってしまうが、それを差し引いても十分に楽しめる。

まだ一日目なのだが、いろいろ使いこなして楽しんでいこうと思う。

あとVRチャットとかもしてみたいですな。

ネトフリの呪怨を一気観

今日はお仕事は休みだったので、ネトフリのオリジナルドラマ「呪怨 呪いの家」を一気観しました。

今回の配信されたシーズン1は全部で6話。

一つのお話が30分ないくらいなので、6話見ても180分かからないので、普通の映画を1本見るのと同じくらいの時間しかかかりません。

いやー、呪怨シリーズはずっと見てきたんですけれども、今回も怖いですな。

なんというか、中古の家とか売れなくなっちゃんでないかい?と思ってしまうような出来なわけですよ。

その昔映画「ジョーズ」が公開された年に、海水浴客が激減したという社会現象があったとか。

それと同じようにこの呪怨シリーズを見てしまうと、家は新築に限るなぁと思うわけです。

中古住宅の壁のシミとか見ちゃうとやっぱり怖いなぁと思うのではないでしょうか?

もちろん映画「残穢」のように土地そのものに怨念のようなものが染み付いていて建て替えてもおばけが出ちゃうようなお話も多いです。

自分が住む街でも、昔首切り場があった場所があり、自分が小学生のころは、そういう理由で建物が立っていなかったのですが、大人になったいつの間にかに、そこにアパートができていて、噂によるとやっぱり出るらしいという話があり、やっぱりそういういわくつきの物件には住まないほうがいいよね、と思うのでした。

事故物件といえば、大島てるが有名ですね。いつの間にか海外展開していて、やっぱり世界的にも事故物件というのは敬遠されるのかもしれませんね。

 

こういう映画が流行すると新築が売れるようになると思うので大手住宅会社がスポンサーになるといいかもしれないと思ったりしたけれど、それはないな、と反省しました。

かくしごと

今日は休暇日だったのでアニメ「かくしごと」を一気観しました。

なんだか評判がよくて漫画業界の仕事についてもいろいろおもしろいところがありましたし、全12話できちんと物語が完結しているのもいいですね。

並行して今ネトフリの「Ash vs Evil Dead」も見ているのですがこちらはシーズン3まであってまだ完結していないみたいです。

アメリカのこの手のドラマというのは人気があれば続編を作成するみたいなんですが、なんかちゃんと最終回まで行かないのが多いです。

「かくしごと」でもありましたが、作品というのは終わらせるのが難しいというのは、ドラマの世界でも同じようになってるのだなと思います。

Xファイルとか、24とか、なんか途中で見るのをやめてしまうのですよ。

ウォーキング・デッドもシーズン9の3話で見るのが止まっています。

ちゃんと終わりまで描かれていないと思うと、連続ドラマ系はあまり見たくないのです。

休日の過ごし方はもっぱら映画を見るのが中心です。

映画館で見るのもいいですし、家でじっくり見るのも好き。

Oculus Goを持っているので、それで見ることが多いです。

バーチャルな画面は大きさが600インチくらいでしょうか?

映画館で見るような感じで楽しめます。

画面が大きすぎるのでたまに画面酔いしてしまうほどですよ。

Oculusはこの時期は熱を持ちすぎて、よく電源が落ちてしまいます。それがなかったらいいんですけどね。

 

業界のことを漫画や物語、小説とか映画にして描くというのは、その業界に入りたいという人を増やすいいきっかけになると思うのですよ。

弁護士と検察官では、どちらを目指す人が多いのかといえば、やっぱり弁護士のほうで、それはなぜかというと、弁護士のドラマや映画のほうが検察官よりも圧倒的多いからなんだと思います。

水道屋さんの映画はほぼありませんが建築家が主人公の映画はそりゃ多いわけですよ。

水道やさんの映画とか物語が増えれば、この業界に憧れる人も多くなると思うので、自分の業界の人を主役にした小説とか書くと、業界に入ってくる人が増えるのではないでしょうか?

今ならアマプラで見れます。

休暇をとったもののどうしよう?

昨年は休暇とってドイツとスペインへ行ったんですよ。

で、今年も旅行するつもりではあったんですけど、ほら、コロナのせいで海外旅行はしばらく無理っぽいじゃぁないですか。

うーん、どうしようかなー、と考えているうちに、もう再来週なわけです。

国内旅行とかいいかもしれないなーと思うのですが、泊まりたいホテルとかがなんかほぼ予約が満員であり、そんでもって二人じゃないと予約できないっぽいんですよ。

奥さんはふつーにお仕事なので、なんというか一人で旅行するんですけれども、なんか旅館というのは二人じゃないと予約できないみたいなんですよね。

じゃぁ奥さん以外と一緒にいけばいいんじゃね?

なんて考えもあるかもしれませんがそんな相手はいない😁

なんというか一人で旅行しようと考えるとやっぱりビジネスホテルっぽいところになってしまうのでしょうなぁ。

うーん、でも一人だけで旅行するとかって嫁ブロックがあって行けない感じがする。子供の世話をどうするんだとか、まぁそういうこともあるので、自分だけ旅行とか基本的に禁止なんだよね。(逆はオーケーなんだが)

とりあえず本を読んだり映画館へ行ったりはしようと思いますし、あと新しいpcとか購入していろいろイジったり設定したりするのもいいかもしれないなと思ってますよ。

つーか、コロナが怖いから県外に旅行とか行くなとか、言われるのですよ。自分としてはあんまし心配はしていないのですが、まぁ気持ちはわからないでもないです。

海外旅行はとりあえず今年だけでなく来年も厳しいと思うのですよ。

いわゆる渡航制限が完全に解除されるのは、ものすごく楽天的な展開があったとしても年明けになるでしょうし、2021年になってもしばらくはなんだかんだで海外旅行というのは厳しいのであろうなと思います。

そうなるとやはり2022年が海外旅行の予定としては確実なのかなという気がします。

ホントはアフリカとか行ってみたかったんですよ。

チュニジアとかモザンピークとか、あとジャカルタとかインドとか、中国も行ってみたかったんすよ。

そういうのがしばらく難しいっていうのはつまんないよね。

本当に速く旅行できるようになるといいなぁ。

新しい生活様式と3秒ルール

マスクが届きまして、同封されていたチラシに「新しい生活様式」の実践のお願いがありました。

とりあえず一番言いたいことはこれなんだろうと思います。

新しい生活様式っていうのは、一体何なんだろうということで、自分なりに考えてみると、

「熱があったり具合が悪い気分が悪いときは働かないで休む」

ということを徹底しろということなんだろうなと思います。

「熱が出たら事務所にくるな」と、そういうことがちゃんと徹底できる職場環境にしましょうということですよ。

具合が悪くなったり気分が悪くなったら、早めに早退するのが当たり前という空気を醸し出さなければなりませんよと、そういうことなんだろうと思います。

今どき「ちょっと熱があるからって仕事を休まれたら困る」みたいな経営しかできていないような企業はアカンですよと、そういうことであろうと思いますよ。

年間休日が120日以上、有給消化率が100%で当然というか、そういう会社になれないと商売続けていけなくなるよと、そういうことなんだと思います。

それから人海戦術的なセールスとかアポ取り手段をしている企業、あとやたら「集客」「集客」といって人数を集めることに血眼になっている企業は、これから先やっていけないのであろうなとそう思うのです。

それからこまめに手が洗える環境も大事なのかなと思います。

とにかく不潔だったり、環境を清潔に保ちにくい職場は敬遠されていくのだろうなと考えています。

マスクは「運動時のマスク着用による身体へのリスクを考慮して、学校の体育の授業におけるマスクの着用は必要ありません・・・」とか言ってるし、今ひとつ効果があるのかどうかわからないのでそこまで普及するものなのかどうかよくわかりません。

夜の飲食店、いわゆるバーとかクラブとかスナック、キャバレーという大人の社交場とかは、年内はちょっと行けそうにない気がします。

会合とかがあっても一次会で帰るとかそういう雰囲気なんですよ。

雰囲気というか同調圧力というか嫁ストップというか、人が密集するようなお店は行ったらアカンのだろうなぁと、そんなふうに思っています。

 

フェイスシールドとかは新しい生活様式の中には入って来ないような気がするんですけど、そうなんですかね?

それからソーシャルディスタンスって日本で表現すると「社会的な距離・隔たり」ってことなんだけど英語圏のsocialっていうのは社交界というか上流階級的な特別のっていう意味合いがあって、なんというか私のごとき下々の者には関係ないでゲスよ、みたいな感じを覚えるのです。

だいたい「社交界にデビューすのですよオホホ」みたいなことって自分にはほぼ関係なくて「そーしゃる」とか言われても関係ないがなというのが本当に感じるところなんですよ。

「社交界」なんていうのは自分にはほぼ関係ないと思っています。

そんなわけで、なんというか野太くウイルスとかバイキンとかに負けないようにというか、多少のことではお腹を壊したり、体調を崩したりしないように潔癖に走るのではなく自己免疫力を高めつつ、落ちたものでも3秒以内なら拾って食うというスタイルで、他人はどうであれ、生きていきたい。

あと、横文字が出てきたときは、英語辞典引いたり日本語に言い直してみたり、ちゃんと定義を深いとこまで考えて自分の行動に落とし込まないとバカを見るので、そこをしっかりと共通認識できているか確認して職場に取り入れましょう。

ロードマップとかガバナンスとかステップとかモニタリングとかガイドラインとか日本語で200文字以内で説明できるようにしておきたいものです。

 

フォートナイトが始められない

ステイホームだし、興味があってフォートナイトをダウンロードした。

でかいね、アプリのサイズがすごいでかい。

パソコンにインストールしてみようと思ったのですけど、容量が足りなかったのでPC版は断念して、仕方がないのでiPhone版をダウンロードしてインストールしました。

起動してアカウントを登録して、さてやってみるかなと、最初のチュートリアルを見るのですが、長い、うーむ長すぎる!

といってもまぁ3分くらいだとは思うのですが、なんか操作方法とかなれるまでに時間がかかりそう。

このあたりはスプラトゥーンに比べると親切ではないなぁなんて感じながら、しばらく見ていると襲いかかってくる「時間浪費感」

「あぁ、これは時間をそうとうかすめ盗る奴だ」という気持ちを抑えきれない。

ので、そっと画面を閉じてしまってからはや2週間が経過しております。

フォートナイトの世界ってどんな感じなのか見てみたいのですが、「最後の一人になるまで戦う」という(あってる?)そのゲームルールがそうも苦手、というかそういう全員で殺し合うというバトルロイヤルな世界観はなんかめんどくさそうで、敬遠してしまうのですよ。

実際の世界がバトルロイヤルなわけなので、ゲームの中でまでそういうことしたくないあなぁという気持ちです。

建築だけに集中するとかそういうウルティマオンライン的な楽しみ方はできたりしたらいいのだけれども、なんかできそうもない感じ、実際どうなのかね?

 

ゲームにしても趣味にしてもスポーツにしてもエントリーコストって低いに越したことはないぁと、そういうことを考えてしまいました。

低いのは大事だけれども、低いだけで全然おもしろくない、といういうのもあかんでしょうし、バランス大事ですよ。

 

 

 

 

次に同じことがおきたらどうする?

とりあえず自分のGWは今日で終わりです。

明日・明後日お仕事で土日はお休みいただく予定ですよ。

今年の連休はまぁどこに出かけるでもなく家でゆっくりというかダラダラと過ごしておりました。本もあまり読めなかったです。

そのかわり家の掃除とか進みましたな。

で、カレンダーというか暦。

古代エジプトで毎年ナイル川が氾濫するのにカレンダーが役立ったと言うことです。

人間は周期によっていろいろな予測や対策をすることができます。そういう意味では文明社会にとって暦というのは切っても切れない関係なのでしょう。

暦があるから、来年の今頃はこうしよう、とか、3年後にああしようなんて予定を立てられるわけです。

で、地震とか台風というのは、なかなか平準化できない。

毎年必ず起こるし世界全体での合計値を見れば、一定数で予測が可能なんですけれども、被害が局地的なので「それがどこで起きるのか」というのは予測できない。

予測できないから対応するコストがかかるということになります。

カレンダーにしても天気、その日が晴れであるかどうかまでは予測できませんが、平均を取ると、この月は雨が多い、とか、このあたりから雪が積もるなんてことを予測して対応をとることができる。

確率の問題です。

地震も台風も起きる確率はゼロではない、ただ自分の身にふるかかるような災害につながるかどうかはわからない。

住んでいる場所にもよるし、ただ、頻度を考えると耐震構造の家にするとか、暴風の工夫をするとか豪雨に備えるとか、リスクに見合ったコストを掛けて、実際にそれがおきたことに対処し、工夫するのが人という生き物だと思います。

 

感染症にしてもワクチンを作ったり、公衆衛生の知識を高めたり行動を変えることで、次に備えるということはできる。

 

肝心なのは「次に同じことがおきたときにどう対応するのが正解なのか?」

そのことがある程度わかるのに1年2年では短いということです。

最低でも10年、同じような感染症が何度かおきて、そのたびにいろいろな対応をとってどのやり方が正しかったのか、どのやり方が間違っていたのか、いろいろな答え合わせをしていかなければいけない。

今日は「正解だ」とされている手法が半年後には「間違いだった」ということになり、さらに5年後には「やはりあのやり方が正解だった」ということになることもたくさん見られると思います。

正解にたどり着くためには一世代分の知識や行動の更新が必要なのではないかと思います。だから25年から50年くらいかけて、次の正解を見つける時代になるのだろうと思っています。

「まぁなるようになる」

諦めに似ているかもしれませんが、けして諦めているわけではないです。

たぶん、孫の世代から「うちのじいちゃんはアホなことしてたな」と笑われるような失敗もたくさんするのでしょう。

でも「その失敗があったこらこそ今の自分達がいる。」そんなふうに孫たちが話している未来を想像するのは案外いいものです。

 

「そんな先のことよりも、今とにかくなんとかしないと」そういう困っている状況もある。

なんというか頭に銃を突きつけられて「AかBかどっちか選べ」みたいな状況もある。

もしくは「Bしか選べない」とか。

「とにかく選択肢がないんだ」と。

 

でも自戒を込めて言いたい

「選択肢がないのは自分の知識不足が原因」

知っておくべきこと、やるべきこと、やっておくべきだったこと、だからこそ自分を救うのは自分でしかないのだと、覚悟を決めること。

 

子供に「どうして勉強しないといけないの?」そういう質問をされたときに、

「人生の選択肢を増やすためだよ」という返しをしています。

「勉強しないと選択肢がどんどんなくなっていくんだ」それは確かに自分自身の実感であり反省でもあります。

「もっと勉強しておくんだった」と思うのは選択肢があまりないときです。

これから先の時代は「選択の機会」「決断の機会」がこれまでの時代よりも増えると思います。

選択や決断するときに役立つのは、知識と経験です。

今は知識と経験を増やす時期なんだくらいに考えて、あたらしい生き方のカレンダーや地図を作ってる最中なんだと考える。

新しいカレンダーが必要で、

それを作っていくのは自分であなたで他の人々で、

そのためにネットをうまいこと使って、知恵を合わせて、うまいことやっていくしかないと思いますよ。

変わったのは世界ではなく「自分の見方」と「自分の感じ方」なのだと思います。

春の陽気になか、家の中から窓の外を見るとき、ひばりの声が聞こえたり、風が入ってきたり、鼻がムズムズしたりするのを体感すると、世界はいつもどおりなんだなと思います。

人生は長い、変化を楽しもう、まずは何を始めよう?

そうやって新しい日常を楽しんでいこうと思います。

来年どうなってるか予想することはできません、状況がもっと悪化しているかもしれない。

けれども10年後20年後は、たぶん良くなっていると思います。

それは信念です。

未来を作るのは予想ではなく信念なのだから。

信念がありゃなんとかなります。

もちろんそれを突き通すために正しい知識や戦略が必要なんで、使えるものは全部使いましょう。

 

なんか図書館は使えるようになるみたいですし。

 

あと地上波TVは見なくていいと思います。とくにワイドショーとか。

昭和の日

ええ、以前は「天皇誕生日」っていう名前だったんですよ。

で、しばらくの間は「みどりの日」っていう名前で、ちょっと前に「昭和の日」っていう名前に変わりました。

今年は水曜日だったので連休にならず、中途半端な感じになってしまって申し訳ありません。

祝日として恥ずかしいです。

GWの一日目として、役割を果たしきれていないなと思われていると思ってました。

ところがなんとなく雰囲気が違うような。

全国のお子様たちは、なんだか随分と長い休日で「今日が祝日だっていうことを忘れていた」なんて声も聞こえてきます。

5月の2日3日も営業予定だったりする企業さんもいるんですよね。

ゴールデンウィーク、長い企業では4月25日から5月6日とか10日までやるところもあると聞きます。

4月の25日が初日だとすると、4月29日の立場がまた危うくなる気がしないでもありません。

そもそも「昭和の日」ってなんなんでしょうか?「明治の日」とか「大正の日」とか「平成の日」とかないのに「昭和の日」だけ残す意味がいまいちわかりません。

祝日法の定義だと「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」ための日だということです。

昭和がどういう時代だったのかしっかりと勉強して反省して、将来のことをしっかり考えましょうね、

そういう日にしなくてはいかんのです。

本とか読んでますか?まんが日本の歴史の近代史とか読むだけでもいいのではないでしょうか?

あと映画ですな。

やはり「この世界の片隅に」はいいのではないでしょうか?

そんでもって実写版の「夕凪の街 桜の国」も見るのはどうでしょう?

あとは大島渚の「少年」とかね。

大島渚さん、すごいっすよ。なんかもう難しいですけど。

いろいろと今見ると古いかもしれませんけど、昭和の日なので、そういうのもいいかなと思います。

 

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