世界は案外 結びついてる?

「世界は分断されている」ってなことをよく言われるのを聞く。
確かにいろいろなところで格差とか距離とか違いが存在しているのだけれども。
それでも人々がどこかで繋がっていたり、大切にしたい気持ちとか、守りたい関係性とか、誰かのために祈りたいという気持ちが、
確かに存在しているのだ。

そういう予感めいたものを感じているのも、あったりするのだ。

本当にいろいろなものが変わっていくのが、目に見えてきている気がする。

たとえば、ウクライナ国籍のお父さんと、ロシア国籍のお母さんがいる、男の子とか女の子もいるだろう、その個は今回の事象をどんなふうに受け止めているのだろうか?とか考えてみる。

ロシアで今回の侵攻を批判しているロシア市民の人もいるみたいだし、どうも戦争を抑止する力が武力以外というか、世界の人のいろいろなつながりのちからが待ちてきているような気がする。

世界は案外結びつきがつよくて、案外脳天気な平和主義が世界を救うのかもしれないとか、考えて、そして期待してしまうのだ。

日常を積み重ねていく

湾岸戦争とかノストラダムスの大予言とか、いろいろな驚異とか出来事だとか事件だったり、911のようなテロだったり、阪神淡路大震災や東日本震災だったり、いろいろな出来事が起きていて、その都度自分になにができるだろうか、なんてことを考えたり、

「こんなことをしている場合なのか?」
とか
「もっと他に大事なこと、やるべきことがあるんじゃないのか?」

みたいな違う日常や変化への対応みたいなことを、当事者ではない自分が感じたり考えたりするのだけれども、自分の体験で言えば、当事者でない限り(被災地に住んでいたり、戦地になってしまったりしない限り)は、普段どおり、日常的なこと、それから習慣を大切に地味に続けていくのが結局は正解なような気がする。

世界が終わるだの、中国が攻めてくるだの、核の灰が降り注いで日本には住めなくなるだの、当事者じゃない人が、心配事を煽ったりするのだけれども、慌てず騒がず、毎日の習慣を続けていくことも正しいのではないかなぁと考えるのだ。

ある人はそれを正常性バイアスだとか生存者バイアスだとか言って、焦ってしまったりするのだけれども、
感情的になってたり、声を荒らげていたりする場所には、なんとなく正解はなかったなぁというのがこれまでの経験だったりする。

もちろん愚者は経験に学ぶとか、賢者は歴史に学ぶとか、そういういろいろな事象もあるけれども、そういうものの多くは、様々な要素が出揃って初めて言えることであり、頂きの見えない登山者にとって、今の上りが、今の下りが、本当のものなのかどうかはわからないのだ。五里霧中だし。

ちょっとした晴れ間に頂きが見えたり見えなかったりするわけですし。

とにかく、不安な気持ちもあるのだけれども、学生は勉強するべきだし、大人であれば仕事をきちんとこなして、やってきたことをキッチリやるのが正解だと思うし、結局、それをやることしかできないのだ。

彗星の衝突についてのメモ

衝突のエネルギーは衝突天体のもつ運動エネルギーで与えられ、速度質量で特徴づけられる。ニュートン力学では、等速直線運動をする物体の運動エネルギー E は、質量 m、速さ vとして

{\displaystyle E={1 \over 2}mv^{2}}

である。よって、質量 m と速さ v の2乗に比例する。つまり、速さが2倍になればエネルギーは4倍になる。

衝突天体が球体であれば、質量 m は衝突天体のサイズから見積もることができる。ρを天体の密度、Rを半径とすれば、

{\displaystyle m=\rho {4 \over 3}\pi R^{3}}

である。よって質量 m は半径 R の3乗に比例する。つまり、サイズが2倍になれば、質量及びエネルギーは8倍になる。

 

1天文単位(1Au) = 地球から太陽までの距離 = 約1億5000万キロ

直径が数キロのものは、太陽から離れているときは見えない。
オールトの雲(理論上の存在)1万~10万天文単位の宇宙空間。
パンスターズ彗星、アイソン彗星などの長周期彗星という種類のものは、未知のものをあるかもしれない。

短周期彗星は公転周期が200年未満、軌道が変わることもある。有名なものはハレー彗星。

地球近傍天体のためにスペースガードという捜索プロジェクトがある。日本スペースガード協会

インパクト・アース 地球にどのくらいの大きさの隕石が影響をあたえるのかのシミュレーション。

遠くの国の自分に似た人

SNSで世界中のいろいろな人と繋がることのハードルが下がってる。

FBとかTwitterとか微博とか、あと最近知ったのがVK

自分はやはり戦争とか争い事は好きにはなれないのだけれども、戦争を止める力もないし、いろいろな紛争とかをどうにかしたくてもなにもできない。

でもまぁ友達とか知り合いであればそんなにこじれてしまうようなこともないのだろうなという気楽かつ能天気な考えでいろいろな国にいる親しい業界のアカウントを見つけてはフォローしたりされたりするのがいいのではないかなーと思いっているので、ちまちまと検索したりしてます。

以下検索ワード
水道 水道屋 管材 建築工事 水漏れ修理 住宅建築 ガンダム ドラゴンボール
Plumbing, plumbers, plumbing materials, building work, leak repairs, house building, Gundam, Dragonball.
Idraulici, idraulici, materiali idraulici, lavori di costruzione, riparazioni di perdite, costruzione di case, Gundam, Dragonball.
Fontanería, fontaneros, materiales de fontanería, trabajos de construcción, reparación de fugas, construcción de casas, Gundam, Dragonball.
水管、水管工、水管材料、建筑工程、漏水维修、房屋建筑、高达、龙珠。
Klempnerarbeiten, Klempner, Klempnermaterial, Bauarbeiten, Leckreparaturen, Hausbau, Gundam, Dragonball.
Сантехники, сантехники, сантехнические материалы, строительные работы, устранение протечек, строительство домов, Gundam, Dragonball.

日頃から日常的につながって定点観測というか、そういう日常を俯瞰するみたいな感じで煽られても動じないようにタイムラインとかコントロールしていきたいものです。

とりあえず、ロシア語件の情報はサッパリのなのでVKで”устранение протечек”(読み方わからんけど)とかで検索しながらフォロアーを増やしていこうと思ってます。

地球外少年少女が良かったのでもう一度いろいろなSFを復習しておきたいと思ったので書き出しておく

新スター・トレック ベストエピソード 浮遊機械都市ボーグ
アバター
電脳コイル
オルタード・カーボン
カルロ・ロベッリの量子論
重力波について
ハイデガー「存在と時間」

21世紀のSFの素養としては量子論とか「時間が存在しない」こととか
あるいは「未来と過去と現在は同時に存在している」とか、「光よりも早い『現象』がある」とか「共有される意識」とか「言語以外のコミュニケーション」とかそのあたりを面白く興味深く伝えると面白いのではないか。

命題として人は自分の感情を伝えるために「言葉」に抽象化して伝えているわけなんだけれども、気持ちが伝わるかどうかちうのは実際のところはよくわからない。
「私はとても悲しい」というその人が感じている気持ちは、文章や言葉にして伝えるほかないのだけれども、

例えば「私はとても悲しい」というのを色彩の変化や光の明滅によって伝えることがVRの世界なんかでは可能になるのかもしれない。

言語という音声信号で世界を認知するのでなく、光や色の違いをそのまま認識する記憶する伝達することができると、世界の認知の仕方だって変わっていくのかもしれない。

わしら人類は哲学するときは「言語=音」を利用するほかないのだけれども、この広い宇宙には「言語=光」で世界を認識・認知することのできる、認識・認知している存在があったりするのではないかと考えると面白い。

 

中国のオリンピック放送はどうだったのか

けっこうVRとかAIアナウンサー?みたいなのとか、いろいろあったっぽいのだが、中国語で検索しないとほとんど出てこないみたいだし、積極的に拾いにいかないとわからないけれど、いろいろ新技術が投入されているっぽい気がする。

その国のニュースとか報道番組も見ることができるし、なんというか、英語とか中国語とかわかるようになってると世界はもっと面白いのであろうなぁ。

2ヶ月くらいしたら中国住みの方々がいろいろまとめてくれることを期待している(他力本願)

 

メタバースとかレディープレイヤーワン的な未来ではないバーチャルななんか

バーチャルってなんなのかなってことを考えたノートの記事を書いたりしていたのですけれども、どうも冬季北京オリンピックの中継ではVR的要素ってのはほぼないっぽい。
そこにニーズというかユーザーが少ないのかもしれない。

「VRでスポーツを観戦する」というコンテンツにそれほどの魅力を感じないというか「没入感の必要性」がないのかもしれない。

人間の視野角以上の画面面積というのはいらないのかもしれない。

「見たいのは望遠レンズで映し出される、視野角でいうと2度くらいの場面」さえあればそれで十分なのかもしれない。

スポーツ観戦に必要なのはカメラ切り替えとかの手段であって、360度とか没入感とかは、大きなお世話なのかもしれん。

むしろ接写とか、そっちがメイン。

自動車のレーシングカメラとかも、実はそんなにニーズはないのかもしれない。

ドローン、いい感じのアングルで選手を見てみたいとか、そういう要求はあるような気がする。

ザッカーバーグさんのメタバースとかは、映像体験というよりはコミュニケーションに全振りしているのかもしれない。

こどもの社会性と戦艦大和とタンカー

こどもはどうやって社会性を身につけるのかとかそういういうことを考える。

集団行動とか集団生活を営むことって将来的にあるのだろうか?

つまり巨大戦艦風な会社組織に所属して一つの目的のために生活するみたいな。

戦艦大和は3332人の乗組員がいたそうなんだけれども、ものすごく端折った考え方で行くと、今の義務教育というのは、この戦艦大和を運用するために必要な知識や技術を教えるために必要は考え方とか教養を育てることにフォーカスしていたんだと考えるとわかりやすいのではないだろうか?

自動化されている部分が少なく、マンパワーありきで、その巨体をコントロールするためにもっとも効率良い人材育成、人材配置が行われていたんだろうなと思うわけです。

一方、出光の石油タンカーは何人で運行しているのか、っていうと

調べたらたったの23人だった。

もちろんバトルシップとタンカーだから業務内容というか作業は違うだろうけれどもともに「国民の生活を守る」ということを目的とされているのだから、そこはまぁよしとする。

でもって、ではその23人であるための教育制度として今やっていることは効率的なのかどうかっていうのをよく考えないといかんのだろうなと思う。

国家とか船舶とかあるいは会社組織であるとか、その集団っていうのは、結局何人のグループなのかという観点をちゃんともって考えているかどうか。

金子商会みたいな10人前後の会社、その会社に入っている人材。
上場企業みたいな社員数が1万人以上いる会社、その会社に入っている人材。

求められる能力とかスキルとか違うのかもしれない。

で、問題は、今あるでかい会社、日本のナショナルとかソニーも含めて、グーグルもアップルもアマゾンも、なんというか大きく育っていく会社というのは、なんだかんだ言っても、はじめのうちは社員数が、創業者とあと3人くらいみたいな話が多い。

本当に社会変革をするところは学校教育から生まれなかったりするのかしないのか。
このような問を立てるとどうしたってバイアスがかかってしまうし、結論ありきの思考をなぞってしまう確率がたかくなってしまうような気がする。

こどもたちは、わしみたいな大人よりもたぶんもっと柔軟に、社会性を身に着けていくのかもしれない。
デジタルツールやSNSをうまいこと使って、悩んだり失敗しながら、新しい社会性を身に着けていくのかもしれない。

なんかねー、13歳とか17歳とかで事業を起こしてガンガン稼ぐ起業家が増えていくのかもしれない。

もしかしたら10歳くらいで、ビジネスを8つ立ち上げて、昨年の売上は287億くらいでした、みたいな小学生が、どこの学校にも二・三人いるような世の中に鳴っているときに、学校の教師の仕事っていうのは何なんだろう?学校で教えるべき内容は何なんだろう?とかそういうことになるのではないだろうか?

そういうときに学校を再定義するとすればそれはやっぱり「遊び場」なのかもしれない。砂箱というか、お試し空間というか失敗を受け入れてくれる場所や関係性というものを結びつける、そういう空間。リアルでもバーチャルでもいい。

つかメタバースに本気で学校をつくろうとする法人とか個人とかいないのか?

いやいるだろう、いてると思う。

あとでググってみよう。

ちなみにひゅうがは350人だそうです。

TAU

映画「TAU」をネトフリで見た。

投資家に追い込まれたAI開発者アレックスが、人口知能プログラム「TAU」を完成させるために人間の脳にチップを埋め込みそこから直接アルゴリズムみたいなものを抜き出すことにする。で、チップを埋め込まれて吸い出された人は死んでしまうけどまぁしょうがないよねっていうことだ。

それって人道的に倫理的にどうなんだよ、犯罪じゃないの?ということなんだけれでも、アレックスは追い込まれているわけですよ。

「期限までに何らかの成果を出さなければ君は一文無しだ。何もかもなくしてしまうことになるんだよ」

ってなことを投資家らしき人から指摘されるわけです。

そこでアレックスは考えた。
行方不明になっても誰も気にしない身寄りのない人間を利用することでリスクが減らせるはずだと。

でアレックスに狙われて拉致られたのが娼婦をしながら客のお金を盗んだりしている底辺人生を送っているジュリア。

ジュリアはAIのTAUとコミュニケーションをとりながら、なんとか脱出しようとするわけだよ。

「この状況を打破するためにTAUを説得するしかない」

さて、どうやって説得する、アレックスをどうする?

人間とAIをはわかりあえるのか?

みたいな感じでストーリーは進んでいくわけです。

うむ、けっこう面白そうな映画ではあるよな、全体のスジとしては面白そうだし、原作の小説があるのであればぜひ読んでみたいなと思った。

多分、追い込まれたアレックスの葛藤とか、ジュリアとアレックスの会話の駆け引きとか、TAUの恋心とかジュリアの母性本能とか友情みたいなことが織り込まれたいたりして面白いのではなかろうかと思う。

いかんせん予算の問題なのか尺も短く、アレックスがどんな人間なのか掘り下げられていないので物足りない部分もある。というかそのあたりの描写がもっとあったら面白かったんじゃないかなと思う。

「敵の手下が自分の味方になる」という設定はけっこうありがちなんだけれども、アレックスがTAUにやってるお仕置き?とかなんだろう、言うことを聞かないプログラムに痛みを与えるとか、
天才プログラマーだったら、そんなロジカルに破綻した設計はしないだろう、とか違うツッコミを入れてしまうのですよ。

AIのアルゴリズムとかディープラーニングとか、そういうことを専門にやっている人から見るとツッコミどころ満載なんだろうなと思ったり。

たぶんもともとは連続ドラマの脚本だったのかもしれない。

全8話くらいだと、けっこうバランスよく楽しめたのではないだろうか。

第一話の後半で誘拐されて、
話の中盤までは、なんで誘拐されたのかわかんない状況で、牢屋から逃げ出すためにどうするか、
アレックスとのからみ、そしてTAUを説得するためにどうする?というような合計8時間ぐらいのドラマだったらもう一回見たい。

マナーやエチケットや対応策の上書き

NHKのニュースは2021年4月13日のものなんだけれども、一年近く過ぎているのに未だに「ハンドドライヤーはウイルス拡散防止のため使用できません」という店舗が多い。

多いというか、使えるお店ほぼ見たことがありません。

「ハンドドライヤーからの感染リスクへの懸念は払拭できた」としているものの現状使えないままのところが多いのはなぜなんでしょうか?

実際のところハンドドライヤーの使用の停止をしたのは、
「なんとなく感染対策してますよ感」を出せるからなのであろうなーと思います。

リスクがなくても「禁止しているお店」と「禁止していないお店」だと「禁止しているお店」の方がなんとなく安全そうなイメージがする。

田舎のコンビニというか下関市の郡部のコンビニのトイレなんかだと、ハンドドライヤーはほぼ100%使用停止しているのだな。

それにしても、「ハンドドライヤー使っても大丈夫ですよ」が認知されていないのは、やはりそういう報道がほとんどないからなんだろうな。

そして、この「ハンドドライヤーを使っても問題がない」ということを認知しているお店や経営者の数が、メッチャ少ないのかもしれない。

個人的には、「ハンドドライヤーを使えるようにしているお店」の方が情報リテラシーがあって、常に新しい対応策や情報に俊敏って言うことだろうから、信頼性が高くなるように、自分は感じるのだけれども。

なんというか情報感度が低かったりすると、真逆の対応になるのかもしれない。

つまり、お店の側としては、使用しても問題ないと考えてはいるが

「ウイルスが飛散したらどうするんじゃー!」みたいな情弱なお客さんからのクレームがめんどっちいので、依然使用中止しているみたいな、

なんというか、コロナ社会政策の縮図みたいなヤリトリがあったりするのかもしれない。

つまり、店側としてはハンドドライヤーの使用再開を行っても問題がないということを十分に理解してはいるものの、それを世間が許してくれないという空気が漂っているのかもしれない。

「なんかよくわかんないけどやめとこう」

そういう後ろ向きな積極性が発揮されて、なんだか閉塞感ばかりが強まっていくとしたら、それはなんとかしなくてはと思ったりもする。

太陽光発電と原子力発電と火力発電
下水道と浄化槽どっちがいいのか問題
レジ袋使う使わない
割り箸とマイ箸
エレベーター右側を開ける開けない
江戸しぐさ
目上の人に「了解しましたは失礼」

へんな上書きのされかたをしたマナーとか常識とか思いやりが、間違った対応として認知定着してしまうと、あとあと修正が大変になるかもしれない。

どうしたらいいのかっていうと、結局は個人個人がその理由を考えたり、疑問に思わなくてもちょっと検索してみたり調べてみたりする習慣が大事なんではないだろうかと考えたりもする。

ちょっと立ち止まって考える、調べる、そういう習慣を身につけて私は歩いていきたい。

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