たとえ明日、世界の終わりが来ようとも、私は今日りんごの木を植えよう

感染症対策や危機管理というのは、このりんごの木である。植えたりんごの木に水を与え続けて初めて実りが期待できるものである。
今すぐに、りんごの実がなるわけではない。良い木を育て、良い実をならせるためには、長い展望を持ち、不断の努力が求められる。
しかも、努力した人自らは、おそらくりんごの実を味わえることはまれである。
万一、それを味わえた人は極めて幸運である。感染症のアウトブレークや危機管理が問題になるようなことが起きなければ、その努力は世に知られることはない。それでも、難しい状況、悲観論を乗り越えて、今日りんごの木を植えよう。

加藤茂孝さんの「人類と感染症の歴史」の締めの文章です。

今現在、一番安全なのはじっとして動かず、なにもやらないことなんでしょう。

でも「なにもしない」というのは死人テストで引っかかるので行動ではありません。リーダーがやるべきことではないのですな。

同じように「オリンピックを開催しない」ということも死人テストに引っかかるので、それは行動ではないです。

リーダーシップというのは、どう行動すればいいのか、自らを持ってそれを示す旗印となることだと思います。

具体的に何をどうすればいいのか、成果にむかってやることを取捨選択して優先順位をつけて、行動に落とし込んで行くわけです。

 

老害だとかいろいろ誹謗中傷がひどいですけれども、森喜朗さんは頑張ってるのだと思います。

実際にそばにいる人とか、知っている人は、森さんのやってることを信じて頑張っているのではないかなと思う。

自分は「本当はどうなのか」を知ることはできませんが、噂話や憶測や又聞きであれやこれや言わないように心がけたいです。

僕自身は、東京オリンピックは開催すべきかすべきでないか、その二択で質問されれば、「開催すべきではない」と思うのですが。
実際にオリンピックを目指して頑張ってきているアスリートの方や携わってきたスタッフのみなさんの気持ちを考えると「やめたほうがいい」とは面と向かって言うことはできません。

 

ネットで文章を書くときは、

相手が目の前にいたら、自分は同じことを相手の目を見ながら言えるだろうか?

そう考えながら書いているかどうか、よく確かめないといけないなぁ、そういう気持ちが強くなってきています。

森喜朗さんは、暗い水の流れにうたれながら身を削ってなんとかのぼっていこうとしてるんだと思います。
闘わない奴らが、笑いながら、消えてしまえばいいのにと喜んでいる姿を見ると、なんだかとても残念な気持ちになります。

本当はトランプさんみたいにツイッターのアカウントがあったり、せめて公式のwebsiteとかブログがあるといいのにと思います。

ここは10年以上放置されているし政治家の人がみな河野太郎さんなみの情報発信力というかPR力を持っていればいいのになと思います。

あと今回のゴタゴタについてコメントを聞きたい人のリストだけ書いておきます。

御手洗冨士夫さん
遠藤利明さん
山下泰裕さん
室伏広治さん
荒木田裕子さん
田中理恵さん
成田真由美さん
蜷川実花さん

とりあえず、このあたりの人以外の話は聞くに値しないくらいの気持ちで、この話題は閉めようと思います。

 

 

 

 

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