2022年3月

21世紀の四分の一が終わろうとしている。
この25年で変わったものは何なのか。
帝国の終焉と新しい帝国の発生

バーチャルな帝国としてのSNSのプラットフォームやワールドワイドのwebサービス。

帝国の終焉として、過去歴史上に現れた「帝国」がどんな歴史を辿っていったのかを学ぶこと。
オスマン帝国、ローマ帝国、ペルシャ帝国、ワッハーブ朝とか、古今東西、様々な帝国が勃興した。
気候の変動や技術革新によって変わってきた帝国の形

土器の発明や、印刷技術、もちろんITも技術革新、過去の様々な技術革新が新しい「帝国」を生み出してきた。産業革命がイギリスとかアメリカを帝国化してる。
ネット革命によって、これまでの帝国が分解されるのだけれど、それは帝国という仕組みそのものがなくなるわけではなくて、あたらしい帝国的なものが誕生するという。

そういう意味ではアップルも帝国だし、グーグルも帝国。アカウントは国民番号でありパスポートでありソーシャルナンバーなのだな。

あと地域ごとの独立とかもありかもしれん、

関西独立、大阪首都化計画とか、九州独立連邦とか、北海道樺太共和国とか、そいうククリの国家も出てくることがありうるかもしれないなぁとか、

国連加盟国数の変化とか、1990年以降にドカンと増えているけれども、そのときと同じような変化が、今後の10年で起きるかもしれない。

使っている言葉や文字、習慣や信仰が違っていると国家として一つにまとまっていると言えるのかどうかよくわかんないし。

そもそも国家に属するっていうのは、本質的にはどういうことなのかわかっているのか理解しているのかとか。

貧乏でなくて、少なくとも明日は今日よりマシか、今日と同じくらいの日常が続くんですよ。10年後の計画を立てて、その見通しが、まぁ間違いなくて、そこそこ幸せなんじゃないのかなっていう、共同幻想を持つことができないと、国家の維持というのは難しいのかもしれない。

英語のEMPIREは
「統治する(impero)こと(-ium)、統治するもの」がこの単語のコアの語源。

empire(帝国)⇒  empire(帝国)⇒  imperium(帝国、指揮権、司令部、軍事的権威、統治権)⇒  impero(指揮する、統治する、命令する)+-ium(名詞)⇒ im-(~の中に)+paro(準備する、配置する、備え付ける)⇒  pere-(もたらす)が語源。

emperor(皇帝)と同じ語源をもつ。

そもそも「統治」っていうのはどういう意味なのか、「統治される」というのはどういうことよ?っていう話もある。

あなたも私も誰かによって「統治されている」わけですよ。

統治されている自覚をもっているのかどうか?

「社会に属している」とか「統治されている」とか「支配されている」とかそういうことも文字化して考えることが大事。

 

 

これから先のことを思いつくままに書き出してみる。

6日目の更新です。

今日は仕事休みの日なので朝の時間に書いています。

さて昨日のブログではバーチャルトライブなんていうことを書いてみましたけど、じゃあこれから先80年後くらい、つまり自分の孫が親になることはどんな感じに社会が変わっているのか、自分なりに感じていることを書き出してみようと思います。

人々の国家間の移動はさらに簡単になっている。

 

家族のカタチが変わる

お父さんが二人いるとかお母さんが三人いるとか。

6歳まで育ててくれたジョンとケンシロウ、13まではユリコ、サチ、18まではミナとジョンが育ててくれた。みんな私の両親。

地域やトライブ単位での子育てが標準になる。

だからといって血縁にこだわる人もいなくなるわけではない。

古い考えというわけではないが男系主義による家族関係も存続している。

感染症の検疫や隔離政策は街や都市単位で行われるようになってる。

ウェラブルな健康管理アイテムによって町や都市単位で病理データが蓄積され医療に関する情報共有がされるようになってる。

罹患情報の異常値があればすぐに明確になる。

健康データが地域単位でデータ化されて、例えばアウトブレイクが起こったき素早く地域単位で対応できるようになってる。

人々の知識水準が上がっているので数理的に物事を合理的に判断できるようになってる(もちろんすべての地域がそうだとはいえないが、いわゆる先進国と呼ばれるレベルにある地域に属する人はそうなっていてほしい)

感染症は人類にとっての脅威ではあるが、「国家単位」での対応では誤謬におちいりがちなので新しい政治形態に変わっている。

ナショナリズムからパトリオッティズム(郷土主義)あるいはトライビズム(部族主義)の時代に

国家というコミュニティの重要性はさほど高くなくなって、郷土愛や地域コミュニティーの重要性が高くなる。

地域スポーツが盛り上がる。地域ごとのチームが盛り上がりの中心になる。

一方でグローバリズムも人々の心の大部分をしめる。

一つの主義に固執するのではなく、個人個人の趣向や住んでいる場所、経験によって多くの主義を複合的に使い分けるようになる。

バーチャルなコミュニティーが国家化する

コミュニティーの母体になるのはアカウント単位でまとまるwebサービスが担うようになる。

かといってナショナリズムが消えてなくなるわけではなく個人的にそれが更に強まる傾向になる個人も少数派ではあるが存在する。

会社は短期的なグループとしてのつながりになる

経営理念、つまりどういうことで貢献できるかがそれぞれの企業でより明確になる。

貢献のレベルや規模によって大きくなったり小さくなったりする。

複数の会社に所属するのが多数派になる

 

20世紀に始まった「近代国家」という仕組みは21世紀半ばには情報化社会では単に足かせとなり郡部・地域に根ざした扶助公助が充実するようになる。

またバーチャルなコミュニティでの公助も更に充実するようになる。

 

旅をしたい、もっといろいろな場所にいってみたい、たくさんの人と交わりたい、好奇心をおさえこむことは不可能だと思う。

小さなコミュニティーでは独裁者は生まれにくい。もしかしたら宗教における教祖のような独裁者は生まれるかもしれないが、何百万人もが無条件に従うようなコミュニティーは少なくなっていく、あるいは存在できなくなるのではないだろうか?

2050年にはたぶん今の社会保障とは全く違った相互依存の仕組みができてる。

そんなふうなことを考えている。

 

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