6日目の更新です。
今日は仕事休みの日なので朝の時間に書いています。
さて昨日のブログではバーチャルトライブなんていうことを書いてみましたけど、じゃあこれから先80年後くらい、つまり自分の孫が親になることはどんな感じに社会が変わっているのか、自分なりに感じていることを書き出してみようと思います。
人々の国家間の移動はさらに簡単になっている。
家族のカタチが変わる
お父さんが二人いるとかお母さんが三人いるとか。
6歳まで育ててくれたジョンとケンシロウ、13まではユリコ、サチ、18まではミナとジョンが育ててくれた。みんな私の両親。
地域やトライブ単位での子育てが標準になる。
だからといって血縁にこだわる人もいなくなるわけではない。
古い考えというわけではないが男系主義による家族関係も存続している。
感染症の検疫や隔離政策は街や都市単位で行われるようになってる。
ウェラブルな健康管理アイテムによって町や都市単位で病理データが蓄積され医療に関する情報共有がされるようになってる。
罹患情報の異常値があればすぐに明確になる。
健康データが地域単位でデータ化されて、例えばアウトブレイクが起こったき素早く地域単位で対応できるようになってる。
人々の知識水準が上がっているので数理的に物事を合理的に判断できるようになってる(もちろんすべての地域がそうだとはいえないが、いわゆる先進国と呼ばれるレベルにある地域に属する人はそうなっていてほしい)
感染症は人類にとっての脅威ではあるが、「国家単位」での対応では誤謬におちいりがちなので新しい政治形態に変わっている。
ナショナリズムからパトリオッティズム(郷土主義)あるいはトライビズム(部族主義)の時代に
国家というコミュニティの重要性はさほど高くなくなって、郷土愛や地域コミュニティーの重要性が高くなる。
地域スポーツが盛り上がる。地域ごとのチームが盛り上がりの中心になる。
一方でグローバリズムも人々の心の大部分をしめる。
一つの主義に固執するのではなく、個人個人の趣向や住んでいる場所、経験によって多くの主義を複合的に使い分けるようになる。
バーチャルなコミュニティーが国家化する
コミュニティーの母体になるのはアカウント単位でまとまるwebサービスが担うようになる。
かといってナショナリズムが消えてなくなるわけではなく個人的にそれが更に強まる傾向になる個人も少数派ではあるが存在する。
会社は短期的なグループとしてのつながりになる
経営理念、つまりどういうことで貢献できるかがそれぞれの企業でより明確になる。
貢献のレベルや規模によって大きくなったり小さくなったりする。
複数の会社に所属するのが多数派になる
20世紀に始まった「近代国家」という仕組みは21世紀半ばには情報化社会では単に足かせとなり郡部・地域に根ざした扶助公助が充実するようになる。
またバーチャルなコミュニティでの公助も更に充実するようになる。
旅をしたい、もっといろいろな場所にいってみたい、たくさんの人と交わりたい、好奇心をおさえこむことは不可能だと思う。
小さなコミュニティーでは独裁者は生まれにくい。もしかしたら宗教における教祖のような独裁者は生まれるかもしれないが、何百万人もが無条件に従うようなコミュニティーは少なくなっていく、あるいは存在できなくなるのではないだろうか?
2050年にはたぶん今の社会保障とは全く違った相互依存の仕組みができてる。
そんなふうなことを考えている。