マイデーモン

高校生の次女に勧められて昨年の年末からネトフリで見ているドラマがある。
全16話で1月12日現在第13話まで配信中。最終話となる第16話は1月20日に配信予定。

悪魔であるチョン・グオンを演じるのはソン・ガン。ヒロインとなる女社長ト・ドヒを演じるのはキム・ユジョン。

美男美女ですな。この二人を見るだけでも眼福な感じ。

物語も中盤を過ぎ、二人の前世であるとか、チョン・グオンがなぜ悪魔になったのかとか、だんだんと謎が溶けていきつつある。

基本的にはコメディータッチなので怖がりのうちの次女も安心して見ている。
(ソン・ガンが出ているSweet Homeの方はスプラッタなので見てない)

ちなみにこの絵はDELL-Eが描いた「マイデーモン」どっちかっていうと、女の方がデーモンっぽくなってしまった。


何枚か描いてもらったのだけれども、これとかけっこうそれっぽいイメージのような感じですね。

あと、こういう高校生っぽいイラストも出てきたけれども、ドラマの方ではこういうシーンはないです。

 

とはいえ、こういうストーリーはやっぱり作り事なので、実際にやったりデーモンがブサメンだったりするという現実の世界ではいろいろありえないのだろうなと思う。

 

地方の男女比率

今日は、某信用金庫の新宴会がありました。
下関市内の中小零細企業の経営者が一同に会して新年をむかえるというやつです。

思ったのは「女性がいない」ということです。
99%男性ばかりという状態で、まぁこれが地方都市の経営者の現状なのかなぁということですよ。

ご冥福を祈ります

今日聞いてショックだったことがありました。
会社の税理士さんが年末に亡くなられたという話でした。

なんでもお風呂上がりに倒れたということで、脳内出血だったそうです。

以前から「透析を受けなくてはいけない」とか「いつ死んでもおかしくないんですよ」みたいな笑いながらそんなことを言ったりしていたのですが、まさか本当にお亡くなりになるとは驚くと同時にとても悲しく残念に思いました。

ご冥福を祈ります。

健康が一番と言っても遺伝的な要素とかで、苦労することがある人もいるとは思いますが、自分の歳(56歳)くらいだと生活習慣病というのが、やはり大敵になると思います。
仕事をする上でもデスクワークが中心となるので、意識して体を動かすようにしないとどうしても運動不足になりがちです。
一応、この前の健康診断では数値的な問題はほぼ何もなかったのですが、若干肥満気味ということで、体重を減らさないといけません。

 

 

風邪を引いて三日目

今日も熱が引かない。朝は大丈夫そうだったので仕事に出たのが良くなかったのかなぁ。

ブログも書く気になれなかったりします。

健康第一ですね。

あとChatGPTにDALL-E3というプラグインを入れてみたんですけれども日本語だとこんなイラストになるのに。

 

 

英語にするとこうなる。

 

 

 

 

 

なぜなのだろうか

ちなみにそれぞれのプロンプトは

日本語「ベッドで横になって寝ているアジア人の女の子のイラスト。彼女はきつそうな表情で、毛布にくるまっている。このイラストは非常にシンプルなスタイルで描かれていて、女の子の感情や状態が中心となっている。周囲のディテールは最小限に抑えられ、女の子の表情やポーズに焦点が当てられている。」

英語「A simple illustration of an Asian girl sleeping in bed, lying down. She is wrapped in a blanket with a tight expression on her face, suggesting discomfort or unease. The focus of the illustration is on capturing her expression and the way she is curled up in the blanket. The background and other details are minimal to keep the emphasis on her and her state of being.」

今は成人式とは言わないのですね

そんなわけで、昨日は長女の二十歳を祝う会(今は成人式とは言わないのですね)があったので、盛大に祝いたいところだったのだが、風邪をひいて寝込んでいた。今日もほぼ一日寝ていた。申し訳ない。
どこで感染したのかはよくわかりません。
お正月の疲れが出たのかもしれない。何よりも今年は57歳になるので風邪になりやすいというか体力が落ちているのかもしれないので、もっと鍛えなくてはいかんなと反省しております。

風邪をひいたようだ

ちょっと熱っぽい。
体温計は36.9度。まぁこんなのは熱のうちには入らないのかもしれないが、鼻詰まりがひどい。

今日は長女の成人式だったので、車で送ったりしていたのだが、なんだかすごく疲れてしまったので早く寝ます。

ネズミ捕り(スピード違反の取り締まり)をしていた。

今日現場に配達に行った時のことです。
対向車がパッシングしてくるんですよ。
なにかなーと思って走ってると、建物の陰に四角い箱があって、おまわりさんが三人くらいいらっしゃいました。

スピード違反の取り締まりをしていました。

ここ最近は制限速度で走るようにしているのでなんでもなかったのですが、
「もしかして何キロかオーバーしているか?」と多少なりとも不安にはなります。

制限速度が40キロの直線道路で45キロくらいのスピードを出してしまうことはないとは言えません。
5キロオーバーくらいだと捕まらないという話ですが、なんとなく緊張しますし、制限速度が40キロの道で35キロくらいのスピードで走ると、それはそれで渋滞の原因になったりします。(後続車の人はたぶんイライラするかも)

南海トラフ巨大地震

ここに来てちょっとナーバスになっている。
道路が寸断されたりして救助や支援が被災地にたどり着けないのをみていると、近々起きるだろうと予想されている東海地震や南海トラフ巨大地震が起こったときにどうなっちゃうのだろうか、と。

少なくとも一週間分の備蓄が必要っていうことはわかる、まずは生き延びること、死なないことが第一の目的だっていうのもわかる。
それでも、実際に災害が起きたときにどうなっちゃうのだろうか。

自分の年齢を考えると、たぶん生きているうちに経験するのは間違いない。
もしかしたら明日起きるかもしれないし、30年後に起きるのかもしれない。
幸い山口県の下関、自分が住んでいるあたりは、それほどの災害はないのかもしれないけれども、内閣府の防災チャンネルで説明されているようなことは、起きるのだろうし、もしかしたらその想定以上のことだって起きるかもしれない。

再び立ち上がることはできるのだと信じたい。

信じたいのだ

教養としてのプログラミング

今年は教養としてのプログラミングスキルを高めていきたい。
高めるというかプログラミングができるようになるというのはどういうことかっていうところから始めなくちゃならないのだけれど。
そもそも「プログラミングができる」というのはどういうことなんだろうか?

変数、データ型(文字とか数とか日時とか)、制御構造、関数などの基本的な概念をマスターすること。
コードを記述できるように、ロジックを組み立てて効率的にかけるようになること
テキストエディタやGitのようなバージョン管理システムを使いこなせるようになること
アルゴリズムやデータ構造を効率的に選択し適用する能力をもつこと
常に新しい技術や手法を学び適応する柔軟性を持つこと

単にコードを書くことができるということ以上に、問題を解析し、効率的かつ創造的な方法で解決策を実装する。問題を定義しそれをハックするという能力を高めていくことなんだと思います。

いろいろな状況や現実の世界の変化についていけるようになるためには、今まで以上に色々な分野に興味を持って知るための行動を多くする必要があると思います。

「別にこまっていないしこのままでいいや」というような「現状維持バイアス」に飲み込まれることはよくなさそうです。

これまでに想定しなかったような災害や事件に巻き込まれることもあり得る時代になっています。

情報テクノロジーやコミュニケーション技術の変化、OpenAIによる知的創作活動のコスト変化など、これから先10年ほどの間に起こる社会変化は大きなものになるでしょう。

印刷技術、蒸気機関、内燃機関、電信電話、電波通信、発電、コンピューター、時代時代に誕生した技術はそのつど社会を作り替えていています。
人の生き方はそれぞれの時代に合わせて最適化され変化していきました。

自分自身の目標や価値観は自ら欲するから変わるというわけではなく、環境によって、(言い方を変えれば)、押し付けられるようにして、変化していくのだと思います。
自分が快適でなかったり、なにか違和感を感じているとしたら、それは、環境が自分に対して「お前は変化しなければならない」と言っているのかもしれない。

猫のように変化しないことも、それはそれで幸せかもしれないけれど、それは「飼い猫」であることあるいは「街の猫」であることが必要なのかもしれません。

いわゆる「野生の猫」日本で言えば「イリオモテヤマネコ」も「ツシマヤマネコ」も絶滅危惧種であり、庇護下にない状態では、生きていくのは非常に困難だったりする。

ではそのようなヤマネコは家猫に比べると不幸なのか、なんらかの保護下に置かれることで

死なない

という幸福を得ることができることは、間違いないといえる。

ただ、そのような庇護の傘が、ある日突然なくなってしまうことだってあるかもしれない。
それは災害だったり、経済的な不況だったり、もしかしたら戦争だったりするのかもしれない。

家猫が野生に帰れないように、人もなんらかの保護がなければ生きていくことはできない。

お互いを保護することのルールが少しづつ変わったとしても、なんらかの保護下でなければ人は生きていけないというのも、僕は事実だと受け止めている。

教養としてプログラミングスキルを高めていくというのは、その保護の手順やプロトコルを書き換えていくために必要なのではないだろうかと思っているのだ。

2024年 三日目

元旦に地震、二日に航空機事故、3日に商店街の火災。
2024年が始まってまだ3日しかたっていないのにいろいろなことが起こり過ぎで、この調子で行くと本当になにが起きて不思議ではないと思います。
一日一日を大切に過ごしていきたいし、できるだけにこやかに心穏やかに過ごしていきたいと思う今日このごろです。

そんな折、今日はユナイテッド・シネマなかま16まで映画を見に行きました。
長女がバイトをしているので、黒崎のお店まで送って、バイト終わりに迎えに行くまでのあいだ、時間をつぶすのにちょうどよかったわけです。
久々に黒崎まで行くので自動車のナビが不可欠だったのですが、なぜか行橋の方に場所設定を間違えてしまっていたらしく、さらにナビの地図データの更新が2018年でストップっしており、北九州高速を3回も降りたり上がったりしてしまったので、映画館に到着するのが予定より遅れてしまいました。

ちなみに見た映画は杉咲花さんの「市子」です。

冒頭の20分くらいを見ることができなかったので非常に残念でしたが、その20分がなくても十分に堪能することができました。
とにかく杉咲さんの演技がものすごいです。

市子の存在感がすごい。劇中の市子は存在していない人間なのですが、だからこその存在感があるのです。

人が存在すること、そこにいるということ、社会的に存在しているとか「いることを許されている」とか、普通に生活している上では気が付かないあたりまえの前提がない人がいるということを考えてしまします。

ちょっとしらべると

世界中で400万人以上の人が無国籍状態にあったり、日本国内でもいろいろな問題が起きているということだった。

今後も日本でいろいろな災害が起きるとして、その現場に国籍のない人がいるということもあるだろう。

映画「市子」のエンディングは
「え、結局、どうなるの?」というような終わり方で(たぶんハッピーエンドではなく)「どうしようもない現実」を突きつける形で幕を閉じる。

たぶん幸せになるための、幸せであるための最低条件を満たしていない人というのは、たしかに存在していて、それを「当たり前のこと」であると感じることするない側にいる人間にとっては「関係を断つ」ことでしか、お互いの存在を補完できないのかもしれない。

いろいろなことが世の中にはあって、それは本当に自分が知らないことで、その情報に気がつくことすらないということだってたくさんあるのだと思う。

このことについては、自分の中では答えとか、こうすべきだというような考えは今の時点ではなくて、どうすりゃいいのだろうか、自分はどうしていきたいのだろうか、というようなことを考えて、忘れないで行きたい。

それからもう一本映画を見た。
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」である。

こちらは鬼太郎のお父さんの話。
舞台へ昭和31年の日本
ちなみに鬼太郎のお父さんは「幽霊族」であり、いわゆる妖怪なんだけれども、日本人として結婚していたというようなシーンがある。

でも妖怪なのだから当然国籍はないのだな。だからこその物語になっているのだが、国籍がないというのは、それだけで弱者なのだろうなと思う。

昭和30年代は国籍がない人というのはどのくらいたのだろうか、
戦後の混乱の中で無国籍の状態になってしまった人は少なからずいる。

もしかしたら幽霊族というのは、こういった無国籍の人の寓話であるのかもしれないと考えたりもしました。

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