結婚するかしないかは、個人の自由であるし社員が独身だろうが同棲していようが同性愛者だろうが、働く上ではあまり関係ないです。
ただ子育てっていうと違う。
やはり働くこととの優先順位をどちらに重きを置くのかということです。
昭和の時代は男が会社で働いて女性が子育てと家事を担当するというモデルが一般的だったように思います。
お互いに依存しているという関係で、どうもここ最近はそのような働き方がうまくいってないような印象があります。
結果としての少子化であり原因としても少子化であると、どんどん人口が減っていくし、平均年齢は高くなっていくし、賃金は安くなっていくし、どうするんだよ?というところでしょうな。
働き方改革で働くというのが時給換算ではなく、生み出す価値とか、付加価値そのものの質や量が大事であって、時間を拘束されるから賃金をもらうという、ったっだそれだけのことではあまり稼げない時代になってきたということのようです。
子育ては結果を評価するとか、そういうものではないのかもしれない。
どれだけ時間を投入できるのか、その投入先が育児なのかそれとも仕事なのかということですが、通勤時間であるとか会議であるとか、どう考えても生産性の高くなさそうな事柄に時間を投入するのははばかられるように思います。
なんだかんだで幼少期から中学校を卒業するまでは親である自分は、優先順位の高いのはどちらかといえば育児の方だったような気がします。
思い出して見るに、
自分の今はなき父親(昭和10年生まれ)は、本当に家事をしていなかったような気がします。
洗濯や洗濯物を干したり畳んだり、トイレ掃除をしたりお風呂の浴槽掃除したり、布団を干したり、料理を作ったり、食後の食器を片付けたりは、全くしてませんでした。
うちの母はよく文句をいわなかったなと思うのですが、まぁそういうことが社会的に許されていたところもあったのかなと思います。
もし今、そのころの父と同じようなことをする人がいたらちょっと引かれるのではないかと思います。
とりあえず家事は一通りできるようにしておいたほうがいいですね。