「暇だったら手伝って」と言ってはいけない理由

週末に積雪がかさなり、道路や水道が凍結したりで、この連休明けはけっこう忙しくバタバタしておりました。

自分の仕事が立て込んだり、依頼ごとが次々に持ち込まれたり、やっている先から次の打ち合わせメールが届いたりと、忙しくて焦っているとき、人の手助けがあれば助かるってことがあるかと思います。

自分が忙しくてバタバタしているのに、対面にいる同僚や後輩はなんだか時間がありそうに見えます。

そんなときに、

「暇だったら手伝ってほしい」みたいなことを言うことがあります。

この「暇だったら」というのはイコール

「忙しかったら手伝わなくていいですよ」というようなニュアンスで言ったつもりになりがちなのが日本語の特性なんですけれども、それは同時に「僕には今君はヒマそうに見えるんだ」というメッセージを伝えてしまうのですな。

そういうときは「暇そうだから」というのはくっつけなくて良くて、ただ単に

「手伝って」と相手に伝えればそれでOKなのだと思いますよ。

同じように

「何もしていないなら手伝って」

「時間があるならやってよ」

「することないなら片付けてよ」

「しごとしてないならコレやっておいて」

「遊んでるなら掃除して」

なども全部同じ。それぞれ「手伝って」「やってよ」「コレやっておいて」「掃除して」だけでOKなのだな。

「何もしていないなら」「時間があるなら」「することないなら」「しごとしてないなら」「遊んでいるなら」と条件付けしたあとで依頼や頼み事をしてしまうと、言われた方はペナルティーを受けているような気分になるのです。

「君は何もしていない」→だから「手伝わなければならない」

「君は遊んでる」→だから「掃除をしなければならない」

「◯◯ならば✕✕しなさい」というのは受け手に対して罰を与えているような印象を植え付けてしまうわけだな。

 

こういう言い方って子どもに対してもついついやりがち

曰く

「遊んでいるなら勉強しなさい」

「暇なら勉強しなさい」

「YouTube見ていないで宿題をしろ」

こういう言い方をされると、子どもの脳は無意識のうちに勉強することや宿題をすることを「罰を受けている」と認識してしまうので、ますます勉強嫌いになってしまうわけですな。

 

依頼や提言、アドバイスを相手に伝えるときには、その文章が「条件付き」になっていないように気をつけないといけないと思うのです。

そうは言っても難しいですし、自分もつい言ってしまいます。

それでも

「◯◯なら◯◯せよ」「◯◯だから◯◯しろ」というように「だから」「なら」「であるなら」という言葉を使わないようにしたいものです。

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