母親の呪いの言葉は子供を不幸にするのだなぁ 「キャリー(2013)」

子どもがやっていることや考えていることは、けっこう親には理解できない。
毎日毎日、スマホを何時間も見ているとか、なんでもかんでも略して呼んだりされたりすると意味がわからなかったりしてイライラするなんてことも親にはあったりするのだ。

親である自分に理解できないことだったり、知らないことを子どもがやったり、やろうとしたりすると、頭から否定したり非難したりしてしまうのは、よくある話。
子どもになにか特別な才能があったとしても、それを親が認めていなかったり頭ごなしに否定していて、
「それは悪魔のしわざだ」
「お前は何を言っているんだ」
「お前はなんにもわかっていない!」
「お前は間違っている」
というような言葉を子どもに投げかけてばかりいると、なんというかその子の人生というのは、歪んでしまうのだろうなぁ、なんてことを思った。

マーガレットももしかしたら若い頃は超能力を持っていて
「お前は悪魔の子だ」みたいなことを言われていたのかもしれない。自宅で一人で出産をし、生まれたばかりの自分の赤ちゃんを刺し殺そうとするなんていうのはなんというか、あまりにも周りに愛のある大人の存在がなさすぎて、ものすごく悲しく思うのだ。
そしてその存在がなさすぎるからこそ、結局は赤ちゃんを殺すことをやめて、一緒に生きていこうとしたのかもしれないのだけれど。

けれども結局はマーガレットは精神的に問題を抱えたまま自傷行為を繰り返すちょっと問題のある親としてキャリーとの二人暮らしを選択せざるを得ないのだ。

けれども劇中には出てこないけれども、多分地域のソーシャルワーカー(日本で言うところの民生委員とか福祉士とかの力添えもあったりして、キャリーは高校に通うこともできるようになっている。

学校の教師の言動からもキャリーの家庭に問題があることも把握しているようだし、なによりもいじめに対して、明らかに「いじめるほうが悪い」「いじめたほうがペナルティーを受けるのは当然」というところがよいなぁとは思う。

とにかく「いじめたほうが絶対に悪い」というのは作品に置いては救いになっているような気がする。まぁそれでも逆恨みする人間は逆恨みするので、ペナルティーを与えればいいのか?っていうとそれはちょっと違うのではとも思う。

それは1976年版でも同じだったので(逆恨みしてもっとひどいことになるという部分も含めて)アメリカという国は「いじめ許さん」というのが徹底しているような気がした。

ただお母さんが能天気で娘の超能力に対しても
「キャリー素晴らしいわ!さすが私の愛する娘!
最高に才能があるし、あなたは何でもできるに決まってる!
その服も最高に似合ってる!プロムの女王に必ず選ばれるに違いない!」
みたいなポジティブかつ楽天的な性格だったら、ハッピーエンドになるのではないかしらとも思った。

あと、空っぽのバケツが頭にぶつかったて死ぬのはどうなんだろうと思った。
(オリジナル版は気を失うだけ)

 

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