勉強=免じる+力+強くする

ふと思ったのですが、「免じる」「力」を「強くする」

と書いて「勉強」となるのだなぁと、そんなことが思い浮かんだんですよ。

「免じる」というのは「制限を解かれる」と考えるといいですな。

知識や経験を強化していくことで、いろいろなことを免じられるということです。

例えば運転免許証ってあるじゃないですか。

基本的に自動車を運転するというのは、誰にでもできることではなくですよね。

勝手に運転しちゃダメですよと法律で禁止されているわけです。

ですから、交通ルールを知っているとか、運転技術を持っているとか、何らかの知識や技術を会得することで、「運転禁止」を免除されるわけですよ。

そのために自動車学校にいって勉強するわけです。

そして試験を受けて、一定の技量があると認められると、めでたく運転免許証がもらえて、道路で運転できるようになるわけです。

世の中で生きていく上では「あれをしてはいけない」「これをやってはいけない」「それはできない」「入ってはいけません」「出入り禁止」というようにいろいろな制限があるわけですよ。

明文化されていなくても、やってみたら必ず失敗したり大怪我をおったりすることが結構多くて、むしろ、文章として禁じられていないけれども、実行するのはホボムリということが多かったりします。

でもその制限は資格を持っていたりとか、その知識や経験を持つことで「制限が免じられる」わけです。

誰もが生きていく上で決まり事やルール、制限など制限されているわけです。

で、そういう「制限」を「免じる」「力」を「強化する」ことがすなわち「勉強」するということになるのですな。

エアコンが故障

事務所のエアコンが故障してしまった。

室外機が動いていないようで冷たい空気がでてきません。

ダイキンさんのホームページで依頼すると2時間ぐらいで来てくれました。

すげぇ!

とりあえず、部品を取り寄せて週明けの月曜日にもう一回来てもらって修理してもらう予定になりました。

今日は一日エアコンなしでしたが、最高気温が28度ぐらいで湿度も66%とそれほど暑くありませんでしたので助かりました。

扇風機でなんとかなるものです。

弊社のエアコンを取り付けたのが2007年のことでした。

そろそろ13年なので、耐用年数的にも取替時なのかもしれませんが、事務所を引っ越したいと考えているので、とりあえず部品交換や修理で乗り切るつもりです。

去年からずっと「どっかいい物件ないですか?」とさがしてはいるのですが、なかなか見つかりません。

見つかって引っ越していれば、こうして修理が発生することもなかったのだなぁと考えると、ちょっと損した気分になります。

パソコンも買い換える予定だったので、なにかとお金がかかるなと思ったり、というか電化製品というのは買い換える時というのはなんかいろいろ重複しがちだなとも思ったりするのですが、まぁ気のせいか。

 

 

JBL GO2 Bluetoothスピーカー

Bluetoothのスピーカーです。音もきれいだし、軽トラに置いて使っています。

3日に一度充電すれば大丈夫な感じです。

カタログだと連続再生時間は約5時間なので、ドライブ前に充電する、またはドロイブが終わったら充電する、という感じで使えば電池切れを意識する必要はないと思います。

このスピーカーを買う前は↓VTIN Q1というとにかく安いスピーカーを使っていたのですが、オーディブル聞いていると、しょっちゅう音飛びして聞き取りにくかったんですよ。

多分メモリとかが少ないのかな。

音楽を聞く分にはそんなに不満がないのですが、オーディブルには向かないと思いました。

そんなわけでオーディブル利用するなら、JBLの方がいいです。

読書メモ





先月読んだ本とか聞いたオーディブルとかです。

30代の頃は松下幸之助さんの本を読んだり戦後のいろいろな成功譚を聞くたびに「そういうなにもない時代と違って平成はなにもかもあるからなぁ」なんて斜に構えていたりしていました。

けれどもそうではないのだな、コロナショックや株価の暴落や社会のいろいろな変化に立ち会うにつれて、チャンスはいつの時代にも転がっているのだと思えるようになってきました。

とはいえ逆風といえば逆風ですが、無風状態よりもおもしろいのではないかと思ったりもしています。

戦後の混乱期に生まれた企業が大きく育ったように、今この時期だからこそ変われる気がするのです。

ジュラ紀の哺乳類のように弱々しく小さな動物がその後の環境変化を生き残ることができたように、大きな環境の変化が起きるときは身体が小さいというのはやはりメリットだと思います。

85歳まで現役でいようと考えるなら、残り30年以上もあります。

20代でビジネスを初めて50代で一山当てる、そういうふうに考えるとなんとなくワクワクしてくるのですよ。

もう一度いろいろなことにチャレンジすることができる、そんなことを考える週末の土曜日なのでした。

 

 

 

 

これから先のことを思いつくままに書き出してみる。

6日目の更新です。

今日は仕事休みの日なので朝の時間に書いています。

さて昨日のブログではバーチャルトライブなんていうことを書いてみましたけど、じゃあこれから先80年後くらい、つまり自分の孫が親になることはどんな感じに社会が変わっているのか、自分なりに感じていることを書き出してみようと思います。

人々の国家間の移動はさらに簡単になっている。

 

家族のカタチが変わる

お父さんが二人いるとかお母さんが三人いるとか。

6歳まで育ててくれたジョンとケンシロウ、13まではユリコ、サチ、18まではミナとジョンが育ててくれた。みんな私の両親。

地域やトライブ単位での子育てが標準になる。

だからといって血縁にこだわる人もいなくなるわけではない。

古い考えというわけではないが男系主義による家族関係も存続している。

感染症の検疫や隔離政策は街や都市単位で行われるようになってる。

ウェラブルな健康管理アイテムによって町や都市単位で病理データが蓄積され医療に関する情報共有がされるようになってる。

罹患情報の異常値があればすぐに明確になる。

健康データが地域単位でデータ化されて、例えばアウトブレイクが起こったき素早く地域単位で対応できるようになってる。

人々の知識水準が上がっているので数理的に物事を合理的に判断できるようになってる(もちろんすべての地域がそうだとはいえないが、いわゆる先進国と呼ばれるレベルにある地域に属する人はそうなっていてほしい)

感染症は人類にとっての脅威ではあるが、「国家単位」での対応では誤謬におちいりがちなので新しい政治形態に変わっている。

ナショナリズムからパトリオッティズム(郷土主義)あるいはトライビズム(部族主義)の時代に

国家というコミュニティの重要性はさほど高くなくなって、郷土愛や地域コミュニティーの重要性が高くなる。

地域スポーツが盛り上がる。地域ごとのチームが盛り上がりの中心になる。

一方でグローバリズムも人々の心の大部分をしめる。

一つの主義に固執するのではなく、個人個人の趣向や住んでいる場所、経験によって多くの主義を複合的に使い分けるようになる。

バーチャルなコミュニティーが国家化する

コミュニティーの母体になるのはアカウント単位でまとまるwebサービスが担うようになる。

かといってナショナリズムが消えてなくなるわけではなく個人的にそれが更に強まる傾向になる個人も少数派ではあるが存在する。

会社は短期的なグループとしてのつながりになる

経営理念、つまりどういうことで貢献できるかがそれぞれの企業でより明確になる。

貢献のレベルや規模によって大きくなったり小さくなったりする。

複数の会社に所属するのが多数派になる

 

20世紀に始まった「近代国家」という仕組みは21世紀半ばには情報化社会では単に足かせとなり郡部・地域に根ざした扶助公助が充実するようになる。

またバーチャルなコミュニティでの公助も更に充実するようになる。

 

旅をしたい、もっといろいろな場所にいってみたい、たくさんの人と交わりたい、好奇心をおさえこむことは不可能だと思う。

小さなコミュニティーでは独裁者は生まれにくい。もしかしたら宗教における教祖のような独裁者は生まれるかもしれないが、何百万人もが無条件に従うようなコミュニティーは少なくなっていく、あるいは存在できなくなるのではないだろうか?

2050年にはたぶん今の社会保障とは全く違った相互依存の仕組みができてる。

そんなふうなことを考えている。

 

ゴールは?

21世紀は感染症とどうつきあっていくのが正しいのだろうか?ってなことを考えてみる。

天然痘を撲滅したように、インフルエンザウイルスやコロナウイルス、あるいはアデノウイルスやライノウイルスなどいわゆる”季節性感冒”、”カゼ”を撲滅できるのか。

ウイルス系の風邪はどうも撲滅したり100%防ぐというのは無理筋のようで、難しいみたいだ。

そういうことだから、パンデミックは起きるときは起きる、それは受け入れないといけない。

ただ各国で「医療崩壊」が起きてしまわないようにする公衆衛生や病気に対する知識武装であるとか予防習慣なんかをしっかりと行う必要があるのだろうなとは思う。

今回のコロナウイルスは、どうもそれほど恐ろしいウイルスではないように個人的には思う。
インフルエンザに比べると症状も軽そうだし、毎年、けっこうな人数が肺炎でお亡くなりになっているのはいろいろなデータを見ればわかることだ。

それにも関わらず、ニュースなどを見るといろいろな国でパニックになっている。

この分だと世界恐慌のスイッチが入っちゃたんだろうなとしか言いようがない。

いろいろな書物で書かれてる。

スペイン風邪と世界恐慌など、技術革新と疫病は世界史のなかで切ってもきれない事柄というのは有名な話。

これからの5年間でかなりいろいろなことが変わると思います。

とりあえず個人的に気になるキーワードとして

Virtual Tribe(事実上の俺ら)というのを思いつきました。

Tribeは「部族」「民族」「エスニック集団」「同族」と日本語では言われるのですけれども、日本語ではピンとくる訳がないような気がします。

「郷のモノ」「同郷者」とか、そういう意味合いも含まれています。

Virtualは「仮の」とか「仮想の」という訳語をあてては絶対いけません。

「事実上の」「実際の」という意味ですね。

「バーチャルトライブ」については、明日以降書いていこうと思います。

 

三日目の更新でした。

「学校で学ぶこと」と「ショートカットキー」

学校で学ぶことは、ショートカットキーみたいなものなのかもしれない。

ショートカットキーそのものは価値をつくりだすものではないかもしれない。

覚えていなくたってパソコンの操作には支障はない。

一生のうち一度しか使わないような操作もあるし、毎日常に使うものもある。

人によってよく使うものは違う。

業種ややっている作業によって同じショートカットが違う操作になることもある。

「ショートカットを覚えていなくてもググればわかるのだからショートカットを覚える必要はない!」ということと「学校の勉強は覚えていなくてもググればわかるのだから勉強しなくてもいい!」ということと同じくらい愚かなことだ。

情報源: ショートカットキー一覧[完全版]- パソコン仕事が爆速になるWindows、Office、Googleのキー操作 286選 | できるネット

どうしてドラッグは禁止なのか。

昨日の続きです。

一日考えてみました。

自分はドラッグは一度もやったことがありませんので、小説や映画の中での知識なのですが、

どうもドラッグというのは一回目からけっこうな躁状態になって効き目がつよいのでないのかということです。

初めてお酒を飲んだときは、あまり美味しいものではありませんし、飲みすぎるとけっこうな確率で二日酔いになります。

たぼこも、あまり美味しいものではありませんし、最初に吸ったときは煙たいだけで、どこがいいのかわかんない。

習慣化するまでのハードルが結構高い気がするのです。

一方ドラッグは簡単にハマるみたいです。

あんまり品質が良くないものだとバッドトリップとかいうただ単に気持ち悪いだけという場合もあるようですが、

ほとんどの場合、一発目からそうとう気持ちよくなるのではないでしょうか?

習慣化するまでの期間が短いのだと思います。

この「習慣化するまでが短い」というのは大抵の快楽ごとであるとか、ギャンブルであるとか、法律で規制されるものの大半が当てはまるように思います。

「習慣がかわれば人生がかわる」と言います。

いい習慣を身に着けたいと思います。

お酒の飲み過ぎはよくないですよね。

作り直したら116日だった。

会社の休日カレンダーを作り直したら年間休日日数が116日だった。

完全週休二日制で祝日がお休みの企業だと120日なのである。

そういう会社は大企業でものすごく儲かっているか、残業がものすごく多かったりするのかもしれない。

うちは会社の休日は116日だけど、有給休暇消化率を100%にしたらあと10日プラスされるので、最大年間休日日数は126日ということになる。

まぁそんなに給料がいい方の会社ではないし、もともと労働生産性の高い業種ではないので、せめて休日を増やすことで相対的に収入が増えるといいなぁという感じである。

うちは、6時にはだいたいみんな帰ってる。7時過ぎることはまずないのではなかろうか?

まぁ有給休暇を5日くらい使ってもらって、年間休日121日というのを達成できるといいなぁなんて思うのである。

 

ところで、今日は午前中、事務スタッフが気分が悪くなって早退しました。

まぁなんとか業務は回っております。

零細企業ですから人数はわりとギリギリで余裕がないかもしれないですけれども、人間生きていれば交通事故や病気も患うことがありますし、一月二月はなんとか回るもんですよ。

あと、人を少なくして業務の効率アップをするというのも大事だし、三人でしていた仕事を二人でできるようにして、残った一人は新しい仕事を作るとういうことも大切だと思うのです。

まぁアレだ、発注とか未だにFAX使っているので、アレをなんとかしたいなぁ。

 

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