アジア映画初のアカデミー賞を取った映画パラサイトを見に行きました。
監督はポン・ジュノさん。
ポン・ジュノさんの作品で見たことがあるのは
「殺人の追憶」「グエムル」「スノーピアサー」「オクジャ」の四本。
なので今回のパラサイトは5本目ということになる。
ポン・ジュノさんの「母なる証明」はウォッチリストには入っているのだけれどもまだ見ていません。けっこう面白そうなので順番が来たら見る予定です。
これまでに見た映画の共通点を無理やり結びつけてしまう形になってしまうかもしれませんが、
「底辺」「どん底」「低層」という言葉。
上と下があれば下、しかも最も低いところに流れる「よどみ」に思考の焦点が当たります。
用水路であったり、排水溝や、階層社会の縮図とも言える列車の下層車両、あるいは屠殺場などが描かれている。
重なっても交わることがない断絶があると、で、それはもうそういうものとして受け入れるしかないのだという、諦めに似た気持ちに気がついてしまうのです。
「お互いにわかり会えない」ということを受け入れるのは難しいです。
「同じ人間なのだから話せばわかるはず」と人は考えるからこそ、うまくやっていけると信じられるのだけれども、
本当のところはどうしたってわかり会えない人間関係だってあって、それが民族とか血縁とか人種ではなく、個人個人の違いや性質に収斂してしまう。
収斂した個人がひとかたまりの群となって、ますます分断されるような世の中になってしまうのかなと思ったり。
なにかもっといい人と人の繋がり方っていうものがあるのだろうなと思うのですが。
折り合いをつけるということが必要ではない世の中をはたして求めていいものなのか、そういうことを考えたりします。