言った言わない、誤解、齟齬、人と人とが何かを伝えたいときには言葉を使う限り100%正確に伝えるということはできない。
対面で表情や身振り手振り声の調子などいろいろなことを使ってもやはり100%正確には伝えることができない。
ましてや文章やテキスト、短いセンテンスだけだとほぼ伝わらないと考えておいたほうがいいのだろう。
さまざまなメディアがいろいろな立場から情報発信しているし、SNSが普及した今の世の中ではそれぞれ個人が情報を気持ちを意見を伝えようとしている。
けれども、自分が意図するように相手が受け取ってくれないことは結構多い。
「そういうこと言ってないだろう、ちゃんと読めよ」
といくら訴えても、まぁ誤解はとけることはない。
そういうものなんだろうなと諦観するほかないのかもしれない。
なにか誤解が生じたときに自分の受け止め方としては2つの考え方をするようにしている。
1つ目は「自分の伝え方が下手だったからだ。」
そして、2つ目は「自分の聞き方が下手だったからだ。」
ということだ。
つねに自分に責任があるという考え方。
でも、これってとても疲れる、常に「自分が改めなければならない」というプレッシャーはけっこうなストレスに繋がる。
いろいろやっても結局言いたいことを伝えたいことを相手が理解してくれない、とりつく島もない状態だと、諦めてしまう。
もうめんどくさいだけになってしまうのだ。
「おまえになにがわかる」
そういう感じ。
それでも一国のリーダーであるとか、それなりの立場の人間は「おまえになにがわかる」なんてことは言ってはいけないわけで。
家に帰って奥さんとかに愚痴をこぼすくらいのことしかできないのだ。
文句を言うことは簡単だし、責任も負わなくていい。ある意味とても気楽だ。
だからこそ気をつけたい、誰かを否定したり責めたり批判したりしそうになったときは「なにかわけがあるに違いない」と、そう考えてあげたい。
だからこそ、日頃のコミュニケーションが大事なんだろうなと思う。
常日頃から自分の気持とか意見とか考えなんかを、いろいろな形で伝えておくことが大事なんだろうなと思う。
まずは子供とか、恋人とか、友達とか、同僚とか、半径2メートル以内の人といろいろなことを話すとか伝えるとか大事なのだろうな。
そう考えると、自分はあまり伝えていないと思う。
ちゃんと伝えよう。