わかりやすく噛み砕くことはいいんだけれども、そのあと日本感染症学会のサイトを実際に読む人なんてほとんどいないのだ。
物事を二分してどちらか一方を叩くという手法はわかりやすいけれども、極端に走りがちだということは心にとめておきたい。
世の中にはいろいろな立場の人がいて、守るものがいろいろある。
自分にとって大事なものが、ある人にとってはそうでもなかったり、逆にある人にとって大切なものが自分にはピンとこなかったり、そういうことは本当に多い。
学校とかお役所仕事というのは、商売と違って「リスクを取る」という発想がとれない。
「リスクを避ける」が基本だ。
なんでかっていうと「リスクを避ける」ことで価値を維持することができるけれども「リスクを取る」ことで価値を高めることができないからだ。
営利が目的じゃないからです。
だから基本的に現場の戦略としては「リスク・ゼロ」に流れがち。
「なにか問題が起きたらどうするんだ」という声に対して反論できない。
お役所仕事というのは自らが責任を取るのが業務ではなく「責任を取る部署を明確にする」ということです。
普段の公共工事にしても仕様書だの承認図だの認証証明だのミルシートだのやたらと書類を提出させるのは「責任者は誰か」を明らかにするためで、役所が責任を取るためにしているわけではありません。
ある建物の設備でなにか問題が起きたときに、その原因になるのは、故障箇所の部品を作ったメーカーなのか施工業者なのか、はたまた設計事務所が間違っていたのかを明らかにして、なにかあったらそいつに責任をとってもらう。役所は自分では責任は一切とりません、そういうのが仕事です。
短く言うと
「責任の所在を明らかにする」というのお役人さんの仕事です。
ちなみにWHOをはじめさまざまな国際機関の仕事も「責任の所在を明らかにする」ことであって「自らが責任を負う」ということはないと考えておいて間違いないです。
だから「◯◯は責任を取れ!」とか怒ってもしかたがないと思っています。
今は不確定要素が多すぎて誰も責任を取れない状態です。
そういう状況にあるときに、お役所仕事の基本的戦略は
「積極的には動かない」ということになります。
そういう時のために市長さんとか政治家の人がいるのです。
いろいろ大変だと思います。個人的には頑張ってらしゃると思います。
いろいろ世の中変わっていくのだろうなと期待しております。
世の中の動きを予想するときは
「こうなればいいのに」とか「こうするべきだ」みたいなことを極力排除して考えるようにしています。
大きな流れみたいなものは自分でコントロールできることではないし、自分の行動によって流れが変わるなんてことはありえないわけです。(もちろん自分が総理大臣だったり大統領だったりすれば話は別ですが、一平民ですので)
世の中の動きは川の流れですよ。コントロールはできないけれども、どういうふうに流れていくのか川がどうなるのかは俯瞰して見るしかないです。
「こうしたほうがいい」ではなく
「こうなるかもしれんから、自分はアレをやっておこう」
「もしかしたら、ああなることも考えられるから、自分はこっちへ行こう」
という感じで、自分で決められないことは「全部状況」「前提条件」として受け入れる。
そのうえで、やれることをしっかりとやっていくしかできないようねぇと諦観することしかできないです。文句をたれたり怒ったりする暇があったら、自分が何をすることが一番いいのかを考えて、実行したほうがいいです。
それにしても、世の中のいろいろな流れを見ていると、なんか揺り戻しが気になります。
コロナ騒動が収まってから、
「ロックダウンはやりすぎだった」
「コロナウイルスなんてなんてことはなかったんだ。」
「ワクチンなんか必要ない」
みたいな世の中になったりしたらどうしようかなとか思う。
杞憂に終わればいいんですけどね。