36歳で結婚して子供二人授かって今53歳

確かに、この歳で子育てはちょっときついなと思ったこともありますがなんとかできているところもあったと思います。

まず両親が年食っている、というのはある。奥さんの親はお父さんが80すぎだしお母さんも80近い。自分の親父は死んでしまったし、おふくろはもうじき80歳だ。

認知症になっていないのは救いだし病気もない健康体なのでそのへんは安心だし、少しは面倒も見てもらえる。

とりあえず、実家が近いというのも、有利な点だったと思う。

人によってはおじいさんカードが使えなかったり、おばあさんカードが使用できない人もいるのだろうと思う。

なんだかんだ言っても子育てに置いて親類縁者のフォローというのはかなり大きな助けになるのは事実だと思う。

それから職場。

自営業なのでそれなりに時間の自由があるのはメリットだった。

奥さんも同じ職場なのでなんとかスケジュールを工夫しやすい。

それから職場のすぐ裏が保育園というのも助かった。

徒歩1分、というか、もはや隣である。会社から出て20歩くらいで保育園に迎えに行ける。預かってもらえるのは朝の7時から夕方の7時まで。

これは十分すぎる。

運が良かったなーと思う。

ちなみに26くらいのころは付き合っている人はいたのだが、その人とは結婚していなし。

今の奥さんはいわゆる紹介というか見合いみたいな感じで結婚した。

なにが言いたいのかというと、35くらいで結婚して40までに子供を持つという選択肢も、そう悪いもんでもないよ、ということである。

というか、自分も20代で結婚したいとか思っていたのだけれども、そう焦る必要もなかったなと今は思っている。

ネトフリの呪怨を一気観

今日はお仕事は休みだったので、ネトフリのオリジナルドラマ「呪怨 呪いの家」を一気観しました。

今回の配信されたシーズン1は全部で6話。

一つのお話が30分ないくらいなので、6話見ても180分かからないので、普通の映画を1本見るのと同じくらいの時間しかかかりません。

いやー、呪怨シリーズはずっと見てきたんですけれども、今回も怖いですな。

なんというか、中古の家とか売れなくなっちゃんでないかい?と思ってしまうような出来なわけですよ。

その昔映画「ジョーズ」が公開された年に、海水浴客が激減したという社会現象があったとか。

それと同じようにこの呪怨シリーズを見てしまうと、家は新築に限るなぁと思うわけです。

中古住宅の壁のシミとか見ちゃうとやっぱり怖いなぁと思うのではないでしょうか?

もちろん映画「残穢」のように土地そのものに怨念のようなものが染み付いていて建て替えてもおばけが出ちゃうようなお話も多いです。

自分が住む街でも、昔首切り場があった場所があり、自分が小学生のころは、そういう理由で建物が立っていなかったのですが、大人になったいつの間にかに、そこにアパートができていて、噂によるとやっぱり出るらしいという話があり、やっぱりそういういわくつきの物件には住まないほうがいいよね、と思うのでした。

事故物件といえば、大島てるが有名ですね。いつの間にか海外展開していて、やっぱり世界的にも事故物件というのは敬遠されるのかもしれませんね。

 

こういう映画が流行すると新築が売れるようになると思うので大手住宅会社がスポンサーになるといいかもしれないと思ったりしたけれど、それはないな、と反省しました。

フィクションなのかキャラを演じているだけなのか。

それは電車男であったり岸壁の母であったり一杯のかけそばであったり。虚構と現実の狭間の面白さというのが確かにあって、それを眺めている第三者には一種のエンターテイメントだったりする。

ある婚活アカウントのツイートがいわゆるフィクションだったことで、ちょっとがっかりしてしまった。(フォローやめました)

個人的には中の人が女性ではなくおっさんでないことだけは避けてもらいたいところである。

なりすましであるとかネカマであるとか、疑い始めたらきりがない。

今、こうしてこのブログを書いているのが下関在住の53歳のおっさんであるかどうかは、確かめようがないのだ。

もしかしたら16歳の女子高生かもしれませんのことよ♡

とりあえず世の中には実在しない人物がいる。

藤子不二雄先生とかゆでたまご先生のように二人で一人の人格を持っている方もいらっしゃるし、プリキュアの原作者であるとこの東堂いづみさんは、実はユニット名みたいないわゆる法人だったりするのも、初めて知ったときは驚いた。

じゃあなにかい?武内直子先生ももしかすると実存していないのか?なんてふうに思ってしまったりしたのである。

 

今回の騒動で、ある意味やりようによってはコンテンツのあり方も変わってくるのかもしれないな、と思った。

つまり、架空のキャラクターの体で、毎日投稿をすることで、小説の原作として成立する可能性が出てきた。

今までもツイッターの投稿をまとめた書籍がいくつも発売されているのだけれども、前提条件として最初から架空のキャラクターとしてツイートをコンテンツとして投稿しそれを書籍にするパターンが、出てくるかもしれない。ということが。

うーん、これだとちょっとわかりにくいか。

例えば、企業垢の中の人はおっさんでありながらも架空の女性キャラとしてツイッターで日々発信するわけですよ。

で、その発言が非常に女性の共感を得られつつ、非実在人物でありながらも、投稿が非常に文学的であり、ひとまとまりにしたものの品質が相当に高く、ファンがファンを生み一種のコミュニティーを作り出してしまうわけです。

そうなるともはや広告とコンテンツとPRとお知らせと、そういういわゆる文章の内容が受け手にとってどうだったのか?が分かれ目になるだけで、それらの区別はもはやつかない、というか、区別する意味が果たしてあるのか?というところまでいくのではないかしら。

情報発信するときに大切なことは「嘘をつかない」ということは当然ではあるのだけれども、それは信頼を毀損しないためということだ。

信頼するということは、人が世の中で関係をお互いが持つときに、一番コストのかからない方法だからなのだと思う。

みながコミュニティで関係性を保つために信頼関係を大切にしているときに、「嘘を付く人」が一人でもいると、コミュニティ全体がひどい影響を受けてしまう。

「嘘を付く」「隠し事をする」というのは信頼関係を毀損してしまうのだ。

けれども最初からバレている嘘は、そう悲劇にもならない。

ジョー・ブラッドレーはアーニャの素性を知っていて嘘に付き合っていたからこそ、そんな悲劇にはならなかった。

スクヒとジョンスの悲劇はお互いに隠し事をしていたから起こったのだということですよ。

グレーゾーンを楽しむためには、嘘を嘘として、フィクションをコンテンツとして楽しむことができるという、ある意味「信頼を毀損しない」ギリギリのラインを守ることで、よりコミュニティの繋がりが強くなるという、そういう「文学」として楽しめるのではないかと思うのです。

プロフィールであるとか出来事であるとか、そこに嘘があると、いつかは必ずバレてしまうのだなぁと思うのですよ。

でも、嘘をついたとしてもそれが嘘であることがちゃんと相手に伝わっているならば、それはかなり高度のコミュニケーションの裏付けであり、

「そういう嘘はアリ」

という、ロープに振られたらちゃんと技を受ける、あるいはカウント2.9でキッチリ起き上がるという「それは嘘ではなんだよ」という、つまりは

「プロレスは真剣勝負なんだ!」ということや

「笑点に台本はない!」という

そういう時代に情報発信がやっと追いついて来ているとうことなのかもしれない。

青色申告と親方

金子商会のお客さまはだいたい個人事業者で、青色申告をしている人が多いです。

これまで何社か倒産したり商売を畳んだりした社長さんとか見届けて思うのは

総売上と粗利と営業利益と経常利益、そして原価。どうもそれがわかっていないというか、把握していない人が多かったなぁということです。

売上、仕入れ、利益のことはなんとなくうっすらわかってるんだけれども、それを具体的に把握していないというか、売上が増えても仕入れが増えてしまうと、かえって利益がなくなってしまうというか、損して得取れという言葉の意味が、いまいちわかっていない方が多かった。

元請けに言われるままに価格設定していて、なんというかサービスの対する価格設定の仕方が間違っていたり。

「年間200棟だかしらんが、そっちの会社には便器が1セット5万円なんだから、自分の会社(年間5現場くらい)にも5万円で売らないとオカシイだろう。」

「配達運賃を距離によって変えるのはオカシイ」

「サービスはタダ(無料)っていう意味だろう」

というようなことを平気で言ったりする。

 

当然、経営理念とかはなくて、日銭を稼ぐためにやってるとか自信満々に言ったりする。

経営についての勉強も当然していなくて、中小企業家同友会とか、そういう勉強会にも一度も参加したことがない。

経費で自動車を購入するにしても手段と目的が逆転していたり、勘定もほんとうにどんぶり勘定というかいい加減だったりします。

これまでに、起業して、しばらく過ぎたあと、消費税の未納(ぶっちゃけ脱税)で差し押さえをくらって、支払いの滞った業者さんが3人位います。

 

こんど税理士さんとか会計士さんと一緒に、一人親方のための勉強会を開こうと思います。

タイトルは未定ですけれど

「消費税がくる!」

「年商1000万円の壁を超えたとき」

「年収1000万超えを目指す個人事業者のための財務戦略」

「働いても働いても現金が残らないのは何故なのか」

とかそういう感じでしょうか?

企画書を書く予定です。

レジ袋有料化

今日からレジ袋が有料化ということですね。

以前から近所のマックスバリュとか、ハローデイとかイズミはレジ袋は有料でした。

自分は毎回買ってました。

3円とか5円とかですね。

で買ってどう利用していたかと言うと、台所の生ゴミ入れに使っていました。

三角コーナー用のゴミ袋とか別になく、流しの隅に置いておいて、野菜の切り屑とか、萌えるゴミ的なものを入れて、歩いていど溜まったら燃えるゴミとして出しています。

レジ袋はホームセンターとかで100枚入り300円くらいで売っていて、一枚3円とか5円というのは、納得できる値段だと判断していますし、買い物が少なくて不必要なときは「いりません、シールでいいですよ」というような対応をとっています。

マイバッグは基本的には使っていませんし、多分今後も使わないような気がします。

 

で、個人的には有料化には賛成かな。

 

今回のレジ袋の有料化の理由は言ってみると「ポイ捨てをへらすため」なんだそうです。

個人的に思うのですが、ポイ捨てを平気にできるような人間は、その人が認識する「ゴミ」に対して対価を支払おうとはしない心理状態になっているはずだと思います。

例えばレジ袋を有効活用したり、家で燃えるゴミとして人まとめにする人は、そこらへんにポイ捨てしたりしないと思うのですよ。

たとえ無料でもらえたレジ袋であっても、使いみちと言うか使うための目的があるからそこいらの道端に捨てたりなんてできないんです。

 

一方、ポイ捨てするような人は、自分が捨てるものに対してはコストかけようとは考えないはずなので。コンビニでレジ袋の価格を請求されると支払わないわけです。

つまりは、「ポイ捨てするような人にはレジ袋を売らない」というちょっと遠回りな戦略としては正解なのではないかなと思ったりします。

レジ袋が1枚100円とかになるのだと、流石にちょっと買わないかなと思うのですが、2円とか5円くらい、もしくは20円くらいまでならまぁ支払ってもいいかなと思っています。

レジ袋買いたい人は買う。

不必要な人は袋を持っていく。エコバッグ使ってもいいと思いますけど、市販の500円くらいのビニール性の物って、中身あまり入らないし、使い勝手が悪いので、もっとでかくてしっかりした買い物カゴを使うのもいいかも。

選択肢があるのはいいことなのではないでしょうか?

それぞれ好きにするのが良いと思います。

 

うちの会社でもレジバックに商品入れて配達しているので、有料化した方がいいのでしょうかね?

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