自己責任と責任転嫁のバランス

何かミスをしてしまったときに、自己責任という定義があいまいだと、人生うまくいかなくなってしまいような気がする。

例えば遅刻してしまいがち、朝起きれないとか、準備に手間取ってしまう、定期券が見つからない、戸締まりが心配で確認しに家に戻ってしまう。

そういう原因に対して

「自分がもっとしっかりしなくては…」

と反省して、つまりは、
「遅刻してしまうのは、そんな私の生活が原因なんです」というのは「自己責任」という言葉で片付けてしまうのは違うねということだ。

例えば
「目覚まし時計が止まっていたから」
「親が起こしてくれない(学生さんの場合」
「いつも予定時間よりも3分くらい遅れて出発するバスが、今日は定時に出発した」
なんていう感じに「私は悪くない、悪いのは『目覚まし時計』であり『起こしてくれない親』であり『いつもどおりに来ないバス』のせいだ」というような考え方ではだめですよ。ということで他責にするのは筋違いだということでの、自責をちゃんと設定しろとか、そういう話なんだろう。

時計が止まらないように、電池を毎年正月に交換する
とか
親に起こされる必要がないようによる11時までに就寝する
とか
定時に出ても大丈夫なように3分前にはバス停で待機しておくとか

そのために環境を整えるのが正しい努力であり、そのために行動の順序であるとか種類を変えるのが大事で、
なんというか正しい責任転嫁というのはたぶん自分の周りの環境を変えるということに対して行わなければならないのだろうと思う。

「わたしがもっとしっかりしなければ」
とか
「俺がきちんとやっとけばいいのだ」
という思考になっているときは、

「そもそもこういうミスを生んでしまう業務の進め方がよくないのでは?」
とか
「ちょっとまてよ、この仕事って俺以外がした方が間違いないんじゃないか?」
というような、なんというか有意義な責任転嫁的思想というか志向もあっていいんじゃないかと思うんですよ。

責任感をもって業務を行う、仕事をするというのは、もちろん大事なんだけれども、
そもそも「人の責任感」におんぶ抱っこというか、重きを置くような業務の仕組みというか仕事の進捗というかそういうのは経営者としては、仕事の組み立て方としてはちゃうんやないかなという気がする。

うまくいえないのだが、じょうずな責任転嫁の仕方というか正しい責任転嫁というのも必要なんだなと思う。

 

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