元旦に地震、二日に航空機事故、3日に商店街の火災。
2024年が始まってまだ3日しかたっていないのにいろいろなことが起こり過ぎで、この調子で行くと本当になにが起きて不思議ではないと思います。
一日一日を大切に過ごしていきたいし、できるだけにこやかに心穏やかに過ごしていきたいと思う今日このごろです。
そんな折、今日はユナイテッド・シネマなかま16まで映画を見に行きました。
長女がバイトをしているので、黒崎のお店まで送って、バイト終わりに迎えに行くまでのあいだ、時間をつぶすのにちょうどよかったわけです。
久々に黒崎まで行くので自動車のナビが不可欠だったのですが、なぜか行橋の方に場所設定を間違えてしまっていたらしく、さらにナビの地図データの更新が2018年でストップっしており、北九州高速を3回も降りたり上がったりしてしまったので、映画館に到着するのが予定より遅れてしまいました。
ちなみに見た映画は杉咲花さんの「市子」です。
冒頭の20分くらいを見ることができなかったので非常に残念でしたが、その20分がなくても十分に堪能することができました。
とにかく杉咲さんの演技がものすごいです。
市子の存在感がすごい。劇中の市子は存在していない人間なのですが、だからこその存在感があるのです。
人が存在すること、そこにいるということ、社会的に存在しているとか「いることを許されている」とか、普通に生活している上では気が付かないあたりまえの前提がない人がいるということを考えてしまします。
ちょっとしらべると
世界中で400万人以上の人が無国籍状態にあったり、日本国内でもいろいろな問題が起きているということだった。
今後も日本でいろいろな災害が起きるとして、その現場に国籍のない人がいるということもあるだろう。
映画「市子」のエンディングは
「え、結局、どうなるの?」というような終わり方で(たぶんハッピーエンドではなく)「どうしようもない現実」を突きつける形で幕を閉じる。
たぶん幸せになるための、幸せであるための最低条件を満たしていない人というのは、たしかに存在していて、それを「当たり前のこと」であると感じることするない側にいる人間にとっては「関係を断つ」ことでしか、お互いの存在を補完できないのかもしれない。
いろいろなことが世の中にはあって、それは本当に自分が知らないことで、その情報に気がつくことすらないということだってたくさんあるのだと思う。
このことについては、自分の中では答えとか、こうすべきだというような考えは今の時点ではなくて、どうすりゃいいのだろうか、自分はどうしていきたいのだろうか、というようなことを考えて、忘れないで行きたい。
それからもう一本映画を見た。
「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」である。
こちらは鬼太郎のお父さんの話。
舞台へ昭和31年の日本
ちなみに鬼太郎のお父さんは「幽霊族」であり、いわゆる妖怪なんだけれども、日本人として結婚していたというようなシーンがある。
でも妖怪なのだから当然国籍はないのだな。だからこその物語になっているのだが、国籍がないというのは、それだけで弱者なのだろうなと思う。
昭和30年代は国籍がない人というのはどのくらいたのだろうか、
戦後の混乱の中で無国籍の状態になってしまった人は少なからずいる。
もしかしたら幽霊族というのは、こういった無国籍の人の寓話であるのかもしれないと考えたりもしました。