セキュリティソフトの更新

ESETのバージョンアップ対応ということで、今日の夕方と明日の午後からと、二日かけてバージョンアップしてもらうのだ。

サーバーPCが1台とクライアントPCが8台なんだけれど、なんというか自分ですると4万円くらい安くなるみたいなんだけど、けっこうめんどくさそうなのでシステム屋さんに設定作業丸投げすることにしました。

たぶん、二人出向してもらって作業の延べ時間が10時間くらいだと思うのですよ。

そりゃ自分でやってもいいかもしれませんが、丸一日自分が拘束されるとして、4万円もらえるならまだしも単に浮くだけっていうのは有意義なお金の使い方の気がしません。

まぁ価格的には妥当なのかなという気がしますが、高いっちゃあ高いですよね。

でもなんか起きたら大変なので必要経費なのかなとも思っています。

とりあえずこちらのアプリは5年位付き合っていますが、とりあえず問題ない感じです。

自然災害はすべて人災

今年の2月の頭に翠嵐楼さんに訪問したときは、こういうことになるとは思っていなかった人がほとんどだったのではないでしょうか?

とりあえず自分が住んでいる地域のハザードマップは何度も見直したほうがいいです。

「自分の住んでいる地域名」+「ハザード(防災)マップ」

で検索すれば、各自治体のハザードマップの資料ページを見つけることができるはずです。

自分が住んでいる場所、通勤通学している場所、その経路など、がけ崩れや浸水のリスクが高い場所はどこなのかを知っておくだけでも防げる被害が数多くあります。

球磨川下りもしたんですけど、川側から見ると堤防からも家が建っているのが見えたので、その被害が目に浮かびました。

こちらの会社の球磨川下りをそのときは楽しんだのですが、そのときの事務所が全部水で流されてしまったということで、被害が本当にひどかったことが伝わってきます。

あと経営者としてはデータのクラウド化や災害保険など二重三重のバックアップをする必要があるのです。

災害はどこにでもあるリスクですから現状を正確に把握して備えていきたいと思います。

 

自然災害は防ぐことができませんが、災害は「人がいる場所」でしか起きないということです。

人がいない場所でめちゃくちゃ大きな土砂崩れが起きても実害がなければ、それは災害として認知されません。

人がいる場所でしか災害は起きない、

ということはすべての自然災害は人災の一部分だと考えておいたほうが良さそうです。

「自然災害だからしかたがない」というのは一種の思考停止に陥る罠があります。

Unityで建築

Unityはわかった!

大砲の玉を撃ったり、階段を登ったり箱を押したりするのはできるようになった(と思う)

とりあえずgithubアカウントとかレポジトリとかなんとなくわかったような気がする。(ほんとはよくわかっていない)

のでとりあえず次の段階へ進もうと思う。

とりあえず本を買った。

あとOculus Rift Sもやってきた。

なんか自分のノートパソコンだとスペック的にダメなので、使えるPCを手に入れなければならない。

インストールしたりとか設定とかもしないといかんのだが、まぁぼちぼちやっていこう。

 

LINEはお仕事には向かない

LINE使ってますか?

うちの会社では使っています。

お客さまからの問い合わせや注文、スタッフ間の連絡に使ってはいるのですが、何年か使ってみて思うのは、確認が必要な受発注・打ち合わせには向かないなということです。

その一番の原因は「読んでいないのに既読がついてしまう問題」

あなたが相手に対してメッセージを送ります。

あなた「この価格で良ければご注文の返事をください」

送信アイコンをクリックします。

あなた(よし!あとは返事を待つだけだ、コーヒーでも飲もう)

 

あなたは、お客さまとのトーク画面を開いたままスマホを机に置いて、コーヒーを入れに給湯室へいきます。

トーク画面は開いたままです。

そのときお客さまから返事が来ます。

お客さま「この価格でOKで、すぐ注文してください!大至急でお願いします!」

トーク画面を開いたままですので、「既読」が付きます。(あなたは読んでいないのに)

5分後、コーヒーを飲み終えたあなたは、机に置いたスマホを見ますが、ロックモードになっていたので、お客さまからのメッセージには気がつきません。

そして別のお客さまからの電話があったりメールのやり取りをしたりして、その日が終わります。

二日後、(お客さまからの返事が来ないなぁ)と思ったあなたは、初めてLINEをチェックして、

血の気が引くだけですよ。

 

これを防ぐためには、「LINE」送ったんですが見ましたか?みたいなローテクな方法しかないです。

 

そういうわけで、LINEで打ち合わせするときは、そういうリスクを頭に置いておかないといけないのです。

そうすると、一時間に何回も画面をチェックするとか、かえって無駄な仕事が増えてしまうのですよ。

確認したり二度手間をかけたりする必要があるので、「基本的にはラインでの注文はしない」くらいのスタンスでいたほうがいいです。

もちろんお客さまは便利だから使うのですが、「漏れを誘発しやすい」という特性を自分で責任が取れる程度に把握しておかないといけません。

 

鬼滅の刃

明日まで休暇ということで、「鬼滅の刃・全26話」見終わりました。

なんというか、努力をしてきたんだから俺は挫けないという気持ちを常に持っている主人公の炭治郎くんが熱いですね。

なんというか「もうダメかもわからんね」とか「あーこれもう死ぬ」とういとき根性とか気合でなんとかなる!というためにはそれを裏打ちするような死ぬほどの鍛錬があってこそなのだなと、そういうことを教わりますよ。

炭治郎くんはもともと剣術の才能のようなものがあり、アニメを見た感じではお父さんも鬼滅隊にゆかりのあるお人のようなのです。(原作は読んでません)

アニメは原作のどのくらいの分量なのかよくわからないのですが、先日原作漫画の方は無事に最終回を迎えたらしく、こりゃ全巻買って読みたいなという気持ちになっているのですが、近所のCoCo壱番屋に全巻揃っていたので、昼食時に読みすすめてみようと考えています。

ちなみにお気に入りのキャラは我妻善逸くんと、甘露寺蜜璃さん。

あと、ちょっと話題になった「鬼詰のオ刃」というパロディAVが秀逸だなと思いました。

Oculus Questが来た

とりあえずビートセイバーとアマゾンプライムVR、それからネトフリのアプリは入れました。

映画を見るのは、Oculus Goの方が使い勝手はいい。

落ち着いてみることができるし、手軽く始めるのはGoの方が楽ちんである。

でもゲームの没入感はクエストの方が抜群にいい気がする。

ビートセイバーは汗が出てきてメガネが曇ってしまうが、それを差し引いても十分に楽しめる。

まだ一日目なのだが、いろいろ使いこなして楽しんでいこうと思う。

あとVRチャットとかもしてみたいですな。

豪雨災害と地震と

この時期、日本のどこかで豪雨災害が起きるのは当たり前な事象になってきましたね。

日本のどこで起きるかはわかりませんが、確実にどこかの地域で洪水が起きるのは間違いないです。

とりあえずは、どこで洪水が起きる確率が高いのかは100%近く把握できているのだと思います。

行政的には。

ハザードマップをみてみると、がけ崩れがあったり洪水で流されるようなところは、危険な場所として注意されています。

もし家を建てるのであればそういう場所は避けたほうが無難ですし、リフォームするなら、安全な場所にある住宅なのかどうかは確認しておきたいところです。

住宅を建て替える前に、自分が住んでいる場所がハザードマップで危険地域に指定されていないか確認して、安全確認しましょう。

また老人ホームなどを利用する際も危険な場所に建築されていないか確認したいところです。

ハザードマップは「各地域名 防災マップ」で検索すれば出てきますので、自分の地域はどうなのか知っておくだけでも自分の行動が変わってきます。

「土砂災害警戒区域」の中や近くに建っている住宅はけっこう多いです。

今の所被害にあっていない、という人も単に運が良かっただけかもしれません。

今年は大丈夫でも来年、再来年、もしかしたら5年後に、同じような災害に見舞われるかもしれません。

用心用心。

用心といえば、食料関係の備蓄ですね。

やはり缶詰とか乾麺あるいはお米やレトルト食品の備蓄はやっぱりしておいたほうが正解だと思います。

古くなったら食べる、ローリングストックがやはりいいのではないでしょうか。

毎日食事を作るのはめんどくさいのですが、たまに非常食を紐解いて食べると、いい感じで手抜きもできますし、ちょっと小腹が空いたときとかにもおすすめです。

毎日少しずつ買い足していくのもけっこういいと思います。

台風もありますし、南海トラフ巨大地震とかも、リスクとして見積もっておく必要があると思います。

心持ちに余裕があると間違った判断もしにくくなります。余裕を持っていることでイライラすることも減りますし、精神的にも平安が保てるのではないでしょうか?

 

36歳で結婚して子供二人授かって今53歳

確かに、この歳で子育てはちょっときついなと思ったこともありますがなんとかできているところもあったと思います。

まず両親が年食っている、というのはある。奥さんの親はお父さんが80すぎだしお母さんも80近い。自分の親父は死んでしまったし、おふくろはもうじき80歳だ。

認知症になっていないのは救いだし病気もない健康体なのでそのへんは安心だし、少しは面倒も見てもらえる。

とりあえず、実家が近いというのも、有利な点だったと思う。

人によってはおじいさんカードが使えなかったり、おばあさんカードが使用できない人もいるのだろうと思う。

なんだかんだ言っても子育てに置いて親類縁者のフォローというのはかなり大きな助けになるのは事実だと思う。

それから職場。

自営業なのでそれなりに時間の自由があるのはメリットだった。

奥さんも同じ職場なのでなんとかスケジュールを工夫しやすい。

それから職場のすぐ裏が保育園というのも助かった。

徒歩1分、というか、もはや隣である。会社から出て20歩くらいで保育園に迎えに行ける。預かってもらえるのは朝の7時から夕方の7時まで。

これは十分すぎる。

運が良かったなーと思う。

ちなみに26くらいのころは付き合っている人はいたのだが、その人とは結婚していなし。

今の奥さんはいわゆる紹介というか見合いみたいな感じで結婚した。

なにが言いたいのかというと、35くらいで結婚して40までに子供を持つという選択肢も、そう悪いもんでもないよ、ということである。

というか、自分も20代で結婚したいとか思っていたのだけれども、そう焦る必要もなかったなと今は思っている。

ネトフリの呪怨を一気観

今日はお仕事は休みだったので、ネトフリのオリジナルドラマ「呪怨 呪いの家」を一気観しました。

今回の配信されたシーズン1は全部で6話。

一つのお話が30分ないくらいなので、6話見ても180分かからないので、普通の映画を1本見るのと同じくらいの時間しかかかりません。

いやー、呪怨シリーズはずっと見てきたんですけれども、今回も怖いですな。

なんというか、中古の家とか売れなくなっちゃんでないかい?と思ってしまうような出来なわけですよ。

その昔映画「ジョーズ」が公開された年に、海水浴客が激減したという社会現象があったとか。

それと同じようにこの呪怨シリーズを見てしまうと、家は新築に限るなぁと思うわけです。

中古住宅の壁のシミとか見ちゃうとやっぱり怖いなぁと思うのではないでしょうか?

もちろん映画「残穢」のように土地そのものに怨念のようなものが染み付いていて建て替えてもおばけが出ちゃうようなお話も多いです。

自分が住む街でも、昔首切り場があった場所があり、自分が小学生のころは、そういう理由で建物が立っていなかったのですが、大人になったいつの間にかに、そこにアパートができていて、噂によるとやっぱり出るらしいという話があり、やっぱりそういういわくつきの物件には住まないほうがいいよね、と思うのでした。

事故物件といえば、大島てるが有名ですね。いつの間にか海外展開していて、やっぱり世界的にも事故物件というのは敬遠されるのかもしれませんね。

 

こういう映画が流行すると新築が売れるようになると思うので大手住宅会社がスポンサーになるといいかもしれないと思ったりしたけれど、それはないな、と反省しました。

フィクションなのかキャラを演じているだけなのか。

それは電車男であったり岸壁の母であったり一杯のかけそばであったり。虚構と現実の狭間の面白さというのが確かにあって、それを眺めている第三者には一種のエンターテイメントだったりする。

ある婚活アカウントのツイートがいわゆるフィクションだったことで、ちょっとがっかりしてしまった。(フォローやめました)

個人的には中の人が女性ではなくおっさんでないことだけは避けてもらいたいところである。

なりすましであるとかネカマであるとか、疑い始めたらきりがない。

今、こうしてこのブログを書いているのが下関在住の53歳のおっさんであるかどうかは、確かめようがないのだ。

もしかしたら16歳の女子高生かもしれませんのことよ♡

とりあえず世の中には実在しない人物がいる。

藤子不二雄先生とかゆでたまご先生のように二人で一人の人格を持っている方もいらっしゃるし、プリキュアの原作者であるとこの東堂いづみさんは、実はユニット名みたいないわゆる法人だったりするのも、初めて知ったときは驚いた。

じゃあなにかい?武内直子先生ももしかすると実存していないのか?なんてふうに思ってしまったりしたのである。

 

今回の騒動で、ある意味やりようによってはコンテンツのあり方も変わってくるのかもしれないな、と思った。

つまり、架空のキャラクターの体で、毎日投稿をすることで、小説の原作として成立する可能性が出てきた。

今までもツイッターの投稿をまとめた書籍がいくつも発売されているのだけれども、前提条件として最初から架空のキャラクターとしてツイートをコンテンツとして投稿しそれを書籍にするパターンが、出てくるかもしれない。ということが。

うーん、これだとちょっとわかりにくいか。

例えば、企業垢の中の人はおっさんでありながらも架空の女性キャラとしてツイッターで日々発信するわけですよ。

で、その発言が非常に女性の共感を得られつつ、非実在人物でありながらも、投稿が非常に文学的であり、ひとまとまりにしたものの品質が相当に高く、ファンがファンを生み一種のコミュニティーを作り出してしまうわけです。

そうなるともはや広告とコンテンツとPRとお知らせと、そういういわゆる文章の内容が受け手にとってどうだったのか?が分かれ目になるだけで、それらの区別はもはやつかない、というか、区別する意味が果たしてあるのか?というところまでいくのではないかしら。

情報発信するときに大切なことは「嘘をつかない」ということは当然ではあるのだけれども、それは信頼を毀損しないためということだ。

信頼するということは、人が世の中で関係をお互いが持つときに、一番コストのかからない方法だからなのだと思う。

みながコミュニティで関係性を保つために信頼関係を大切にしているときに、「嘘を付く人」が一人でもいると、コミュニティ全体がひどい影響を受けてしまう。

「嘘を付く」「隠し事をする」というのは信頼関係を毀損してしまうのだ。

けれども最初からバレている嘘は、そう悲劇にもならない。

ジョー・ブラッドレーはアーニャの素性を知っていて嘘に付き合っていたからこそ、そんな悲劇にはならなかった。

スクヒとジョンスの悲劇はお互いに隠し事をしていたから起こったのだということですよ。

グレーゾーンを楽しむためには、嘘を嘘として、フィクションをコンテンツとして楽しむことができるという、ある意味「信頼を毀損しない」ギリギリのラインを守ることで、よりコミュニティの繋がりが強くなるという、そういう「文学」として楽しめるのではないかと思うのです。

プロフィールであるとか出来事であるとか、そこに嘘があると、いつかは必ずバレてしまうのだなぁと思うのですよ。

でも、嘘をついたとしてもそれが嘘であることがちゃんと相手に伝わっているならば、それはかなり高度のコミュニケーションの裏付けであり、

「そういう嘘はアリ」

という、ロープに振られたらちゃんと技を受ける、あるいはカウント2.9でキッチリ起き上がるという「それは嘘ではなんだよ」という、つまりは

「プロレスは真剣勝負なんだ!」ということや

「笑点に台本はない!」という

そういう時代に情報発信がやっと追いついて来ているとうことなのかもしれない。

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