ミッキー17

「ミッキー17」見ました。
途中ちょっと寝てしまったのでもう一回みたいかも。

ブラック企業なんかで
「お前の代わりなんかいくらでもいるんだからな!」
というようなことを言われて心を病んでしまう方もけっこう多いみたいで、エクスペンダブルズ(使い捨て)扱いされる人間というのは少なくはない。

なんというか代わりが効くとか、あなたでなくても問題ない、というような働き方だったりすると、なかなかお金もたまらないし貧乏から抜け出すのも大変ですよということなのだろう。

とはいえ人はオンリーワンににあこがれてしまうのですが、ほとんどの人(自分を含む)はその他大勢というか、モブキャラであり、実際は変わりなんていくらでもいる、お前がいなくなっても世の中は変わらず動き変化していくし、社会の仕組みは問題なく動いてしまうのが現実なのだ。

そんな自分が「オンリーワン」であるためには何が必要なのかなぁと考えたときにミッキーが見つけた「事柄」あるいは「理由」は何だったのだろうか?

ミッキー17が見つけたそれと、ミッキー18が見つけたそれは違うのだろうか?あるいはミッキー17と18はそれぞれ見つけたのだろうか?見つかったのだろうか?

そこらへんの本当のところは映画の中では語られていない。

なぜならミッキー17は映画のエンディングではまだ生きている途中だし、これから先の人生、年老いたり、子どもが生まれったり、孫に囲まれて葬式を迎えたりはしていないからだ。

人生の途中では答えなんてわからないし、人生が終わったあとも本当の評価というのが、死後何十年もたってから高くなるというのもよくある話だ。

結論を出すのに人生という時間の流れはあまりに短いのだ。

いろいろな物事にあれは成功だった、あれは失敗だよとか、あれこれ文句をつけたり批評したりしたくなる気持ちはわかる、今現在行われているイベントなんかに「失敗」みたいな評価をするのはなんとなくカッコいい感じがしているんだろう?

人がやったことを批評したりケチをつけたりするのは簡単だもんな、努力もいらんし、なんの責任も取る必要がない。

ミッキーは結局、行動したのだ、自分で自分の人生と向き合って、かわいい彼女にも声をかけて、そして、彼女の前ではちゃんと強がってカッコつけて、そうして自分の人生をなんとか取り戻した。

それと、対話することの大切さっていうのが、やっぱり必要なのかもしれない、相手が未知の存在でも、自分自身だとしても。

Demon City 鬼ゴロシ

生田斗真主演の映画「Demon City-鬼ゴロシ」を見た。
あらすじはすごくストレート、

主人公の坂田は奥さんと子どものために殺し屋を引退したのだが、引退したその日に、鬼の面を被った男たちに奥さんと2歳の娘を殺されてしまう。

「おまえら全員ぶっ殺す!」と言った坂田の頭にも銃弾が打ち込まれ暗転。

そして12年後、奇跡的に目覚めた坂田の復讐が始まる。

というまさしく復讐劇なわけで、見ていて息が止まるというか、体に力が入るというか、いい意味で疲れる映画だと思った。

復讐とか仕返しというのは、自分が死ぬことを厭わないというか、自分の命はどうでもいい、とにかくブッ殺すというのが、本質なのだろうなと思う。

実際、愛する人がいたり、誰かのために生きなければ、というような気持ちがあったりすると復讐劇というのはなりたたないのではないだろうか。

この映画にしても、途中で死んだと思っていた娘が生きていることがわかるのだけれども、それは途中でわかったからであって、もしかしたら娘が生きていて、悪い奴らに囲われていなくて、目が覚めたときに、真っ先に
「お父さん、生きていてくれてよかった」
みたいに不自由な体の世話をしてくれていたりしたら、坂田はたぶん復讐はしなかっただろうなと思う。

娘も妻も殺されていないければ、坂田の復讐劇はなりたたないのだな。

あと、この映画はけっこう残酷な描写が多いので、そういう血がドバっと出る系の作品が苦手な人は見ないほうがいいかもしれません。

AIに絵を書いてもらったけど、まぁそんな感じです。
あと血とか殺し屋とかの絵はプロンプトが弾かれたりするのでけっこうムズい。

神は見返りをもとめる

アマプラで映画「神は見返りをもとめる」という映画を見ました。

飲み会で知り合った、泡沫Youtuberの女の子。
広告屋につとめる中年男性が「ぼくは見返りとかいらないから」みたいな感じで、動画の作成とか手伝ったりするんですよ。しかも無料で、下心とか全然ないから!みたいな体で。

しばらく楽しいけれども、再生数があんまし伸びない時期が続いたあと、彼女は
売れっ子Youtuberとのコラボ企画で激バズ。アカウントの登録者数が伸びていくにつれてオジサンとのアクセスは減って行くわけです。

次第にアンチ&ストーカーになっていくオジサン。

もはや二人の間には憎しみしかないのか、というようなお話。

下心とか見返りとか忖度とか、本心を隠して関係性を続けてしまうと、いつか関係に綻びが生まれてしまう。

無償の愛というのは幻想ですよね。

建築現場における下請けと元請けの関係も似たようなものです。

建築業界では「重層下請構造」と呼ばれる階層的な請負関係が一般的なんだけれども、この構造で役割と分担と責任が分担され、同時に複雑な関係も生まれる。

経済環境や市場環境が変化したりすると、これまでの信頼関係の基礎のような部分が崩れて、関係性の維持ができなくなったりします。

売上が半分になったとか、町の人口が毎年5%減ってるとか、市長が変わったとか、懇意にしていた市議会議員が落選したとか、付き合いのあった元請が倒産してしまったとか、政権が変わったりとか、与党が選挙で大負けしたりとか、大統領が変わったりとか、けっこう、そういう環境変化は突然来るわけですよ。

ほぼ前触れもなしに

信頼関係とか信用というのはあんがい薄っぺらなものなんだと気がつくときです。

まぁ、経営者としての覚悟としては、取引先が吹っ飛んだり、連絡がとれなくなったり、手形に付箋がついて帰ってきたりしても、

まぁこういうときのために倒産防止共済とかはいっているからなんとかなる

くらいのスタンスで、相手を恨むことなく自分の商売を淡々と続けていくだけなのだ。

 

 

今年もう一回みたいなと思った「寄生獣 ザ・グレイ」

年末も近づき今年の出来事だとか、見たドラマとか、映画の中でなにが一番良かったか、人に勧めるとしたらなにかなーと考えた。
結論から言うと「寄生獣 :ザ・グレイ」である。

まだ見ていない人は、おすすめです。自分はもう一回見ようと思っています。年内に。できれば子どもと一緒にみたいかな。

ネトフリでは、アニメ版の「寄生獣:セイの格率」もやっていて、こちらは見ていなかったのですが、今回、このブログにあたって、そちらも見てしまいました。
25分くらいのが全部で16話ですな。約400分くらい、6時間ちょっとでしょうか。1日3-4本なら1週間くらいで見終えることができます。

このアニメ版は2014年公開の作品なので、舞台設定が少しアレンジされていて、登場人物はネットで寄生獣について調べたり、スマホを持っていたり、不良が昭和のツッパリハイスクールではなく、今風の不良少年風だったりしていますが、基本的な筋は全く同じで、楽しめました。

台詞回しやメッセージも同じ。

その上でネットドラマの「ザ・グレイ」は、舞台設定も主人公の性別も、展開もまったく原作とは違うのですが、それでも「寄生獣の世界観」というのにそっていて、リメイクというよりもスピンオフというかトリビュートマンガの「ネオ寄生獣」というのがあるのですが、それに近い面白さを感じました。

「人間を食うための生き物が人間に寄生し、社会に紛れ込んだとしたらどうなるのか」ということをテーマにしていろいろな話の展開が、それこそ、作家の数だけ登場してもおかしくない、むしろ、アメリカ版とかフランス版とかイタリア版とかメキシコ版とか見てみたい気がします。

やりようによっては、ゾンビとか貞子みたいに、シリーズ化してもいいのではないかと思ったり。

 

あと、マンガの「寄生獣リバーシ」も面白かったです。

 

あと、同人誌のやつで、田村玲子のがあるのですが、それも良かったです。これは18禁なので、自分で探してください。

イツカ ミライハ

ネトフリのオムニバスSFドラマ「イツカ ミライハ」全部で四話あるうちの第一話「厄介者」と第二話「ゆがんだ楽園」を見ました。

タイ版ブラック・ミラーなんていう人もいるみたいで、性産業を扱っていたりして家族みんなで見るタイプの作品ではないです。
恋人と一緒に見るというよりは、一人でじっくり見て、深く考えるのがよいのだろうなと思いました。

タイといえば映画「ミッドナイトスワン」で草彅剛さん演じる凪沙が性転換手術を受けたりするように、けっこうジャンダーとかLGBT-Qについては日本よりも進んでいるような気がします。とはいえ、自分はタイには一度も行ったことがないので、実際のところはわかりません。

「タイ+セックスワーカー」で検索することで手に入る情報でしか知らないです。「ゆがんだ楽園」の中では「我が国には売春はない」みたいなセリフがあったりするのですが、それが皮肉にあふれているのは見ていて伝わってきます。

全部で四話ということなので、一話一話が独立した話なんだろうけれど(舞台が違うし、設定されている時代も微妙に違うっぽい)四話通してみることで、考え方や捉え方が変わってくるのかもしれません。

第一話の日本語タイトルは「厄介者」ですけれど、これの原題名は「Black Sheep」になってます。

このBlack Sheepという慣用句、自分は知らなかったので調べてみました。

Black Sheep:

英語において、黒い羊(くろいひつじ、black sheep)は、例えば家族内で浮いている人のように、集団内での「身勝手で」異質な成員について説明するために使用される慣用句である。

この言葉は、毛が一般的な白色では無く、黒く変色した羊に由来する。黒く色づいた羊は、群れの中で目立つ存在であり、加えて、黒い羊毛は染色できなかったため、旧来より価値の低いものだと考えられていた。

一般的には「身勝手によって要望や期待から逸脱していること」を暗喩する、否定的な意味合いを持っている。

心理学では、集団の成員が、好感を持つ特定の身内(英語版)の成員をひいき目に見る一方で、そこから逸脱した身内の成員を、外部者よりも低く見るようになる傾向のことを指して、黒い羊効果 (black sheep effect) と呼称する。

このBlack Sheepという存在が、誰のことなのか考えてみると、物語が進んでいくにしたがって、変わってくるのですよ。

あと心理学用語としての「黒い羊効果」というのも、このドラマを見て初めて知りました。

グループへの帰属意識が強くなると異質なものを排除したり、それに対して攻撃的になったりするということらしいです。

学校やアットホームな職場環境で「黒い羊効果」が強化されるといじめがエスカレートしたりして事件になるということなんですな。

「自分の中にもそういう傾向や思考要素が存在している可能性がある」と意識することで「黒い羊効果」を制御できそうです。

 

自分が知らない人や、接したことのないコミュニティーに属している人について抱いている印象は、実際にあって、面と向かって会話すると、たいてい覆されるものです。
「◯◯人はみんな✕✕だ」とか「◯◯国の人間は✕✕だから信用できない」みたいなことを言う人はだいたい、その国に一度も行ったことがない人だったり、行ったとしてもごく短い期間だったり、狭い地域だったりするので、そういう人の意見というのも「黒い羊効果」によるブーストが掛かっていると思うのです。