今年もう一回みたいなと思った「寄生獣 ザ・グレイ」

年末も近づき今年の出来事だとか、見たドラマとか、映画の中でなにが一番良かったか、人に勧めるとしたらなにかなーと考えた。
結論から言うと「寄生獣 :ザ・グレイ」である。

まだ見ていない人は、おすすめです。自分はもう一回見ようと思っています。年内に。できれば子どもと一緒にみたいかな。

ネトフリでは、アニメ版の「寄生獣:セイの格率」もやっていて、こちらは見ていなかったのですが、今回、このブログにあたって、そちらも見てしまいました。
25分くらいのが全部で16話ですな。約400分くらい、6時間ちょっとでしょうか。1日3-4本なら1週間くらいで見終えることができます。

このアニメ版は2014年公開の作品なので、舞台設定が少しアレンジされていて、登場人物はネットで寄生獣について調べたり、スマホを持っていたり、不良が昭和のツッパリハイスクールではなく、今風の不良少年風だったりしていますが、基本的な筋は全く同じで、楽しめました。

台詞回しやメッセージも同じ。

その上でネットドラマの「ザ・グレイ」は、舞台設定も主人公の性別も、展開もまったく原作とは違うのですが、それでも「寄生獣の世界観」というのにそっていて、リメイクというよりもスピンオフというかトリビュートマンガの「ネオ寄生獣」というのがあるのですが、それに近い面白さを感じました。

「人間を食うための生き物が人間に寄生し、社会に紛れ込んだとしたらどうなるのか」ということをテーマにしていろいろな話の展開が、それこそ、作家の数だけ登場してもおかしくない、むしろ、アメリカ版とかフランス版とかイタリア版とかメキシコ版とか見てみたい気がします。

やりようによっては、ゾンビとか貞子みたいに、シリーズ化してもいいのではないかと思ったり。

 

あと、マンガの「寄生獣リバーシ」も面白かったです。

 

あと、同人誌のやつで、田村玲子のがあるのですが、それも良かったです。これは18禁なので、自分で探してください。

イツカ ミライハ

ネトフリのオムニバスSFドラマ「イツカ ミライハ」全部で四話あるうちの第一話「厄介者」と第二話「ゆがんだ楽園」を見ました。

タイ版ブラック・ミラーなんていう人もいるみたいで、性産業を扱っていたりして家族みんなで見るタイプの作品ではないです。
恋人と一緒に見るというよりは、一人でじっくり見て、深く考えるのがよいのだろうなと思いました。

タイといえば映画「ミッドナイトスワン」で草彅剛さん演じる凪沙が性転換手術を受けたりするように、けっこうジャンダーとかLGBT-Qについては日本よりも進んでいるような気がします。とはいえ、自分はタイには一度も行ったことがないので、実際のところはわかりません。

「タイ+セックスワーカー」で検索することで手に入る情報でしか知らないです。「ゆがんだ楽園」の中では「我が国には売春はない」みたいなセリフがあったりするのですが、それが皮肉にあふれているのは見ていて伝わってきます。

全部で四話ということなので、一話一話が独立した話なんだろうけれど(舞台が違うし、設定されている時代も微妙に違うっぽい)四話通してみることで、考え方や捉え方が変わってくるのかもしれません。

第一話の日本語タイトルは「厄介者」ですけれど、これの原題名は「Black Sheep」になってます。

このBlack Sheepという慣用句、自分は知らなかったので調べてみました。

Black Sheep:

英語において、黒い羊(くろいひつじ、black sheep)は、例えば家族内で浮いている人のように、集団内での「身勝手で」異質な成員について説明するために使用される慣用句である。

この言葉は、毛が一般的な白色では無く、黒く変色した羊に由来する。黒く色づいた羊は、群れの中で目立つ存在であり、加えて、黒い羊毛は染色できなかったため、旧来より価値の低いものだと考えられていた。

一般的には「身勝手によって要望や期待から逸脱していること」を暗喩する、否定的な意味合いを持っている。

心理学では、集団の成員が、好感を持つ特定の身内(英語版)の成員をひいき目に見る一方で、そこから逸脱した身内の成員を、外部者よりも低く見るようになる傾向のことを指して、黒い羊効果 (black sheep effect) と呼称する。

このBlack Sheepという存在が、誰のことなのか考えてみると、物語が進んでいくにしたがって、変わってくるのですよ。

あと心理学用語としての「黒い羊効果」というのも、このドラマを見て初めて知りました。

グループへの帰属意識が強くなると異質なものを排除したり、それに対して攻撃的になったりするということらしいです。

学校やアットホームな職場環境で「黒い羊効果」が強化されるといじめがエスカレートしたりして事件になるということなんですな。

「自分の中にもそういう傾向や思考要素が存在している可能性がある」と意識することで「黒い羊効果」を制御できそうです。

 

自分が知らない人や、接したことのないコミュニティーに属している人について抱いている印象は、実際にあって、面と向かって会話すると、たいてい覆されるものです。
「◯◯人はみんな✕✕だ」とか「◯◯国の人間は✕✕だから信用できない」みたいなことを言う人はだいたい、その国に一度も行ったことがない人だったり、行ったとしてもごく短い期間だったり、狭い地域だったりするので、そういう人の意見というのも「黒い羊効果」によるブーストが掛かっていると思うのです。

 

韓ドラにハマってしまった。

今年はネトフリやアマプラで韓国ドラマにハマってしまった。

「寄生獣 ザ・グレイ」「不可殺 プルガリ」「マイ・デーモン」「力の強い女 カン・ナムスン」「還魂」「隣のMr.パーフェクト」「元カレは天才詐欺師(38師機動隊)」「生まれ変わってもよろしく」

どれも面白かった。

女優さんでは、チョン・ソミンさんが一押しである。ツンデレなキャラクターもドツボなのだ。還魂のシーズン1で名前を初めて調べて、チョン・ソミンつながりで他の映画なんかも見た。韓国版「ゴールスランバー」とか。

「寄生獣」もよかった。アメリカ版とかメキシコ版とかそういうトリビュートっぽい短編モノもあれば見てみたいです。

Youtubeとかで勝手動画みたいなのがあれば見るかも。

現在進行系のドラマもあるのですが、ネトフリもアマプラもドラマがちゃんと最終回まで描かれないことがけっこう多いので、完結したのを確認してから見たいと思っています。(ミストとかミストとかミストとか)

連続ドラマを見るときは、50分みたら途中で見るのをやめるのが寝不足にならないコツですね。一話の最後まで見るのではなく、話の途中でやめて続きは明日見よう、みたいな感じにするといいのでは。

 

「シビル・ウォー」と「デッド デッド デッド デーモンズ デデデデ デストラクション」

永遠に続くと思っていた日常が終わることを望むことは、それが失われて気がつくのかもしれない。
変化のない日常や毎日繰り返されるちょっとした不快感や満足が失われていく感覚。不満が積み重なっていくこと、思い通りにならないこと。希望が失われること
失敗したり嫌な出来事ばかりが続いていくこと
続いていくと予想されること。
「どうしてこうなってしまったんだろう」という後悔の念
溜まっていく不安な気持ち。

そしてやってくる世界の終わり。

一方、アメリカでは大統領が憲法で禁じられているはずの三期目大統領となり、内戦状態に突入していた。

無政府状態になったアメリカをカメラマンが仲間と大統領にインタビューするためにニューヨークからワシントンまで旅をする。
アメリカの言う正義についていろいろな視点があることがわかる。誰にでも共通するような正解はない。

 

この二つの作品には、「今ある世界が終わってしまったあとに続く日常」が綴られていて、それはとても残酷な世界だったりする。

この世の中を良くするっていうのは、一人ひとりにとっては、結局は日常の積み重ねの先にしかなくて、その変化の量はとてもわずかなものでしかないのだけれど、例えば友達を守りたい気持ちだとか、親子のちょっとした会話だったりするのかもしれない。

シフトマシン(意識の並行次元移行装置)は、きっと世界を変えることはできないけれども、一人の人生をよりよくしていくのかもしれない。

そして思うのです。

自分ももしかしたら違う世界で起きた記憶をなくした状態で、この世界で目が覚めたのかもかもしれない。

これまで話したことのない友達に話しかけるだけで世界が変わるのかもしれない。

例えば、娘に朝、ちょっと話を振ってみるとか。そういうことでも、いまよりもっと良い世界になるのかもしれない、そんな気持ちになったりもするのだ。

ずんだッチの時間軸で小比類巻くんはどんな人生を送っているのだろう、最後に出てくるこの男性は小比類巻くんなんだろうか?

『女子高生に殺されたい』

河合優実さんつながりでいろいろ作品を見たいと思い検索してアマプラで何本か見れるみたいなのでその中の「女子高生に殺されたい」を見ました。

漫画の原作とは、細かいところであらすじが違うのですが、どちらも面白かったです。

性癖というのは、他人に迷惑をかけなければどのようなものでも良いと考えています。マッチングアプリなんかの場合、もしかしたら自分の性癖を隠さずにあけっぴろげにしたほうがもしかしたら出会えるのかもしれないなんて考えたり。

世の中には「おっさんを殺したい女子高生」っていうのももしかしたらいるのではないか?なんてことを考えたりしています。

映画の中で初めて聞いた言葉「オートアサシノフィリア」
いわゆる特殊性癖っていうものですね。あるいは異常性癖って呼ばれているもの。
調べてみるとこの特殊性癖っていうのはものすごくたくさんあり、どこからが異常なのかっていうのは、キリスト教的な倫理観から特殊とか異常とか区分けしているっぽい。

性的指向で話題になった昔の映画で「ネクロマンティック」というのがあったなぁと。

河合優実さんといえばドラマ「不適切にもほどがある」でも女子高生を演じていましたが、それとも全く違うキャラクターで、演技に幅があるなぁと思いました。
でこちらのドラマでも「不適切」というのが時代で変わっていることに焦点を当てていて、特殊性癖とか常識とかどこから不適切でなにがそれを区別しているのかっていうのは、その時代・地域の多数決で決まったりしているのだなぁ、なんてことを思ったりしたのです。

価値観が多様化しているっていうことは、自分の性癖をオープンにするか、あるいは全くの秘密の扉にしまっておくしかないどちらかしか選べないという現実に気がついていないといろいろ厳しいのかもしれないです。
好きなように生きる、性癖をオープンにするというのは、実は人それぞれ違うのだから告白することが難しいのかもしれません。

ゾンビとか食べることとか、食べることというのはつまりは生きることなんだな、みたいなことを考えつついろいろと考えている人が世の中にはいるんですよ、ということをメモしておきます。

 

情報源: キャスト&スタッフ|映画『女子高生に殺されたい』公式サイト

ルック・バック サユリ

映画を見ましたよ。

殺されることの不条理はどうすればいいのだろうかなんてことを考えます。

死ぬことは避けられないし、人は必ず死んでしまうし、死から逃れられる人はいないわけだよね。

それでも、自分の思うように生きたり、自分ではどうしようもない困難とか環境で生きることができなくなりそうな時に、どう抗うべきなのかを考えたりするのだけれど、結局は死は受け入れるしかないし、どうせいつか死ぬのだけれども、どうせなら生きていこうという意志でしか、今を生きることはできない。

いろいろと理由を付けて死を受け入れようとするのだけれども、たぶんどんな理由であっても、同じで、受け入れることはできたりできなかったりするのが現実だろう。

ある人にとっては救いになるのかもしれないけれど、誰かにとってはそれはただの呪いなのかもしれん。

悪霊とか怨霊というのは、実際のところは物理的には存在しない。
毛虫とかゴキブリと同じように悪霊や幽霊が存在するのかっていうと、同じようには存在していないっていうのが現実なのだろう。

さてこの映画、両方とも原作も読んでいて、どちらも微妙に演出が原作と映画では違っているのだけれども、どちらも良いのだ。
補完しているというか、原作もよいし、映画もよい、追加したり違っている部分もあるが、それがまた良いのだ。

漫画と映画では、そのメディアの性質上、それぞれに合った脚本の違いはあるのだと思う。時間的制約だってあるのだろう。

できるだけのことをそこで行うっていうのが、実際はけっこう大変で凡人の自分には「それだけをやる」というのは徹底できていないのだ。

 

ちなみにヘッダーのポスターはAIに描いてもらった

生まれ変わってもよろしく

この連休は大雨警報も出たしということで家にこもってネトフリのドラマ「生まれ変わってもよろしく(全12話)」を一気見しました。

この前見た「プルガサリ」とか「マイ・デーモン」とプロットは同じでジャンルとしては輪廻転生物ですね。

こういうあらすじは自分も嫌いではないです。

「前世が◯◯だったので、今の自分はこうなっている」というような人生観というか死生観というか運命論ですね。

同じようなプロットのお話が多いのは、なんだかんだで視聴率が取れるのかもしれません。

日本のアニメも異世界転生とかチートスキルものとか、基本プロットは同じで、アレンジを加えているのが多いですよね。

プロットが同じだと安心して見られるし、大きく外れることはないですし、物語としては十分に面白いのだ。

プロットが大きくずれてしまうと物語として破綻してしまったり「そうはならんだろう」というツッコミのもとに駄作になってしまうことも多い。

 

昔の映画で「晴れた日に永遠が見える」というのがあって、まぁ古くから生まれ変わりというのは、よくあるテーマだったのだ。

 

生まれ変わったらとか輪廻転生というのは、「今の世の中では結ばれなかった二人が、遠い未来に結ばれる」ということである。

 

社会の規範とか常識とかモラルなんていうのは、時代によって変化するものだから、昔は許されなかった恋でも、今の世の中では全然問題ない、というようなことのメタファーなのかもしれない。

一方、昔は許されていたけど、現代の日本じゃだめっていう物語もある。

源氏物語なんて舞台が現代だったらコンプライアンス違反だらけなのだ。

昔の舞台だからOKなのであって、現代人が光源氏と同じような行動を取れば炎上間違いなしなのだ。

 

モラルとか社会的な常識とか、人生観、恋愛観は30年に一回くらい見直したほうがよいのだろうなーと思う。

好きとかきらいとか、恋愛行動とか、人を愛することのセリフとか、そういうのは時代によって変わってきているのだ。

自分が中学生・高校生だったころと、三十年たってしまった現在では恋愛観とかは多分違うのだと思うのだよ。

 

60近いおっさんとしては、令和の恋愛観とか死生観についてアンラーンしていかんといけないので、そういうことが学べるドラマとか映画とかあったら勉強していきたいのだ(自分がだれかと恋愛するためとか、そういうのではない。

ハイ・フォン (Hai Phượng)

「ハイ・フォン (Hai Phượng)」はベトナムとアメリカの合作映画で公開は2019年。ネトフリで見られます。

日本にいながら、ベトナムとかインドネシア、タイやイラン、イスラエルなどいろんな地域の映画やテレビドラマを見ることができます。
いい時代になりましたね。

ネトフリはプロフィールの「言語設定」を英語にしておくと見られる映画が増えるということなので、やってみようと思います(ただし、それだと日本語字幕で見られなかったりするらしい)

基本的には英語のリスニング能力が極めて低いというか、ほぼないのでどうなんだろうか。
でもあらすじが単純だったらついていけるかもしれないです。

下関でもいろいろな国から来られた人が増えております。

自分はそういう国々の人のことをぜんぜん知らないので、まずは映画とかテレビドラマとか見てちょっとでも知りたいなと思うのです。

仲良くなりたいなぁと思うので、

趣味は、兄弟は何人か、おじいちゃんとかおばあちゃんとか親戚づきあいはどうだとか、どんな料理が好きだ、好きな飲物はとか、旅行に行くとしたらどこかとか、結婚観とか死生観とか、とにかくいろんなことを聞いてみたい、

日本人が当然とか常識とか「聞かなくてもわかる」という部分も、国が違えば違うと思うので、そういうことも教えてもらえるといいなと思います。

まずは知ることから始めたいものです。

混ぜるな危険

本文にはなにも関係ないAIに書いてもらったイラスト

 

小川さやかさん『「その日暮らし」の人類学』を読んだ。
今日はその感想を書こうと思う。

その前に最近見た映画だったり、小説やオーディブル・漫画について書こう。
昨年の暮から見た映画や小説で今回の記事に関連するというか発想につながった作品は以下の4つ。それぞれ関連するXへのリンクをおいておきます。

杉咲花さん主演の「市子」

のんさんが朗読する湊かなえの『未来』

 

川上未映子さんの『黄色い家』

usagiさんの漫画『地元最高』

『市子』『未来』『黄色い家』『地元最高』これらの作品について共通に言えるのはどれも

  • ロクな大人がいない
  • 登場人物の多くが貧困層
  • なんらかな犯罪行為が日常的になっている
  • 教養がない、あるいは低学歴
  • 感情のコントロールができない
  • 短絡的で考えが浅い
  • 思考能力が低い
  • 努力をすることができない人間が多い

これらの作品を読んで頭の中に浮かんだこととかモヤモヤすることとかを書き出して整理してまいます。

わかりやすい文章にはまとまっていませんし後日加筆修正もすると思いますのでごめんなさい。先に謝っておきます。

以下、思ったことや感じたこと、考えたことを思いつくままに書き出します。

日本は文化的にもレベルが下がっているのかどうかよくわからない。下がってきているように思うけれども、最近の中学校の教育課程とか見ると、むしろ自分が子供の頃の1970年代よりはかなりレベルが上っているように思う。
例えば素因数分解は昔は中学校3年で習っていたのに今は中学校一年で習うようになっているし。
多分、今の中学生は自分のころの中学生よりもかなりレベルが高い勉強をしていると思う。

時間の使い方が上手い人もいるけど、下手な人もたくさんいる。計画を立てたり実施したり、良い習慣を身につけるために生活を工夫したりすることができないというか、「そういうことをするのは無駄だ」どいう認識を持っている人は結構多い。あまりよくない言い方だけれども「努力についてあまり価値を感じていない」「世の中は所詮運だ」という人はいる。

労働に対する価値観については民族とか人種とかによって違いがあるとかではなくて、それはあくまで個人の性格やその人の置かれた環境によるものだ。
生まれた環境によって(もちろん環境が100%ではない)性質や感情の指向性によって考え方が自責ではなく他責になってしまう人はいる。

他責思考であることが、正しい(あるいは合理的な)生存戦略であるという環境というか状況はけっこうあるのかもしれない。

どうしても努力したり、計画を立てたり、良い習慣を身につけるために何らかの行動を制限したり行ったりすることが苦手だったりできない人が確かにいる。
それは日本だけでなくて世界的に広く分布している。

時間の使い方が下手というよりも、むしろ時間という概念をもっていないまま毎日を生きているような人もいるのではないか。

ものごとを中断したり、なにか目的のために途中で辞めるなどの選択肢をとることができない人もいる。

環境的に集中できない状況に置かれている(常に何らかの脅迫的な状況にあったり、あるいは貧困のために選択肢が極めて少なかったりする)

そういうような不安とか、マスメディアが煽るような日本の貧困化を体現するようなセンセーショナルな事件もあったりする。

で、そういうことを感じているところに、この「その日暮らしの人類学」を読んだのです。

人類ってもともといろんな考え方や行動様式とか習慣とか哲学とかあるいは信仰とかもっていて、

多分、日本で一般に正しいと言われる生存戦略というのは、その戦略が生存戦略として有効であるとされています。

ここで言う生存戦略というのは、例えばアマゾンの「自己啓発のランキング」なんかに登場するようなやつです。

曰く「夢を持つ」「PDCAを回す」みたいなやつですね。

けれども、多くの人は「PDCA、なにそれおいしいの?」っていう状態ですし、目標管理なんてしていません。その日その日をまぁなんとかやりくりして生きているわけですよ。

そこに小川さやかさんの『「その日暮らし」の人類学』が飛び込んできたわけです。

もしかしたら「黄色い家」に出てくる黄美子や花の母親やトロスケ、「未来」の章子、そして「地元最高」のシャネルちゃんや紅麗亜グループの面々の生き方が正解の世界線というのも確かにあるのかもしれない。

なんてことを考えたわけですよ。

その日暮らしの人類学の中で、アフリカで勃興しているサファリコムのM-Pesaについて書かれているのだけれども、このサービスが世界中で使われるようになる未来とか(そう遠くない未来20年とか30年とか)想像すると

想像すると、想像がつかないわけですよ。

ここにAIとかが入ってくるわけですよ。同時通訳とかそういうことが可能になってきて少額決済も普通になって、海外送金とかものすごくお手軽にできるようになったりとか、
とにかくものすごいスピードでいろいろなことが変化していくのは間違いないと、
で、その時、自分はどういう生き方をするのが正解なのかとか、そういうことがわからないのですよ。

 

でもわからないながらも結局は、「今を生きる」しかないわけで、まさしく
Living for today(その日暮らし)な生き方を是とする人が増えていくのかもしれない日本でもとか、思っているところです。

 

マイデーモン

高校生の次女に勧められて昨年の年末からネトフリで見ているドラマがある。
全16話で1月12日現在第13話まで配信中。最終話となる第16話は1月20日に配信予定。

悪魔であるチョン・グオンを演じるのはソン・ガン。ヒロインとなる女社長ト・ドヒを演じるのはキム・ユジョン。

美男美女ですな。この二人を見るだけでも眼福な感じ。

物語も中盤を過ぎ、二人の前世であるとか、チョン・グオンがなぜ悪魔になったのかとか、だんだんと謎が溶けていきつつある。

基本的にはコメディータッチなので怖がりのうちの次女も安心して見ている。
(ソン・ガンが出ているSweet Homeの方はスプラッタなので見てない)

ちなみにこの絵はDELL-Eが描いた「マイデーモン」どっちかっていうと、女の方がデーモンっぽくなってしまった。


何枚か描いてもらったのだけれども、これとかけっこうそれっぽいイメージのような感じですね。

あと、こういう高校生っぽいイラストも出てきたけれども、ドラマの方ではこういうシーンはないです。

 

とはいえ、こういうストーリーはやっぱり作り事なので、実際にやったりデーモンがブサメンだったりするという現実の世界ではいろいろありえないのだろうなと思う。

 

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