Incubation Period

ネトフリで「ディストピア-パンドラの少女-」を見ました。

人の脳が菌糸に感染して、人肉を食べるゾンビになってしまったという世界でなんかいろいろあるという映画だった。
ここではあらすじには触れないです。

ちなみに原題は「The girl with All the Gifts」なんか深い意味とか、伏線がありそうな感じがしたので少し調べてみたり、原作は2014年に出版されてるみたい。

メラニー役のセニア・ナニュアはイギリスのアクターで2002年生まれだから撮影したときは13歳。

とてもしっかりしたお嬢さんだなぁと見ていて思った。

DUNE見るならどこがいい?

映画館 家からの距離 定員 上映形態
シネマサンシャイン下関 8キロ 106
チャチャタウン小倉 28キロ 310
リバーウオーク(T-ジョイ) 29キロ 151
小倉コロナワールド 35キロ 4DX
イオンシネマ戸畑 42キロ THX 507
ユナイテッド・シネマなかま16 46キロ 休館中
TOHOシネマズ福津 80キロ 249
ユナイテッド・シネマ トリアス久山 82キロ 255
ユナイテッド・シネマ キャナルシティ13 97キロ IMAX上映・4DX

家からの距離と画面の大きさが反比例している。

IMAXで見たいのだが、いかんせん遠いんだよな~。

「ディストラクション・ベイビーズ」が「粘膜人間」と「天使の囀り」「イカゲーム」

あるバラエティー番組で、ある俳優さんの演技がすごかったということで、アマプラで「ディストラクション・ベイビーズ」を見ましたよ。

なんというか、よくわからない人間(あれを人間と表現して良いものかどうかわかりませんが)についていろいろ考えてしまうような演技だったです。

実際にいそうな感じというか、で、最近読んだ小説が「天使の囀り」と「粘膜人間」というホラー小説なんですけれども、どっちもめっちゃ怖いというかグロテスクというか残酷な描写がものすごくて、特に粘膜人間の中で女の子を拷問する薬品「髑髏」というのがあるのですが、もう、読んでいて目を背けたくなるような描写なんですよ。

そういう残酷なシーンに抵抗ある人は読まないほうがいいです。

で、残酷な表現といえば、今ちょっと話題になっているらしいネトフリの「イカゲーム」なんですけれども、そっちがもう全然残酷に感じられないくらい、そのくらい「粘膜人間」はゴアな小説なわけですよ。

映像よりも文学のほうが残酷な描写はすごいので、人というのはどこまで残酷な考えを思いつくことができるのだろうかとか、考えてしまうわけです。

以前読んだことのあるケッチャムの「隣の家の少女」という、それはもう残酷かつ可愛そうな小説があるのですが、もしかしたら人はどこまでも残虐になることができるとか知っていたほうがいいのかもしれない(自衛のためにも)と思ったりもするのでした。

普通に暮らしていれば、そうそう残虐なことには出会わないとはもうのですが、世の中にはサイコパスな人は実際にいて、事実ものすごくひどい事件も起きています。

いつ自分や自分の家族に、そういうひどい体験が襲いかかってくるかわかりません。

世の中には人外な存在というのは確かにいて、もし自分の周りにそういう存在がなければ、それは単に運が良かっただけなんではないか、そういうふうに考えておくほうが正解だと思うのです。

 

リトルモンスターズ

自分のTwitterタイムラインでよかったという感想がちらほら見れたので、アマプラでみました。

ホラー映画なんだけれども、そんなに怖くなかったです。でもゴアシーンはけっこう徹底していて内臓ベローンとかって、けっこうし生臭いのでやはりそういうのが苦手な人は見ないほうがいいかもしれません。

保育士さんはキレると怖い

ヒロインのキャロラインさんは保育士さん。「保育士」の仕事にすごいプロ意識を持っています。「絶対に子どもたちを守る」という、ちょっと怖いくらいの熱意に圧倒されます。
やはりプロというのははそのくらいの自意識をもって業務に当たらなければならないのだなと思います。

いい加減な気持ちのままだと多分生き残れないのかもしれません。

映画ではゾンビウイルスなんですけれども、今現在、現実の世の中ではウイルスの危機から、保育士さんは園児を守る義務があるわけで、同じように日々見えない敵と戦っていらっしゃるわけですよ。

頭が上がりませんな。

個人的にゾンビ映画はよく見る

パニックムービーやゾンビものホラー映画はけっこう見ています。見ることで、大抵の逆境は想定内に収まるようになりますし、なんか怖いことがあっても「あぁ、こういうのってあの映画であったなぁ」なんて言う感じでけっこう心が落ち着くというものです。このあたり、漫画家の荒木飛呂彦先生も著書で同じようなことを言われています。

優先順位と信念

想定外の状況や災害に巻き揉まれたときに、やはり強いのは信念のある人なのかもしれない。
一番良くない選択肢は「とりあえず今をなんとかしてやり過ごそう」というのかもしれない。
ヒロインの場合は「子どもたちを守るため」に自分はどう行動するべきなのがベストなのか、ということで、行動しているように見えます。
もちろん、映画だからご都合主義な演出もありますけれど、大事なのは信念にそってブレのない高田王をするというのが大事なんだろうなと思います。

Wilhelm scream

ネトフリの『ハリウッドを斬る。映画あるある大集合』を見た。
その中に「ウイルヘルムの叫び」についての話があって、そういうクリシェというか映画業界の内輪ネタがあるということを初めて知った。
けっこう映画通の間では有名な話なんだろうと思う。勉強になった。

ちなみに「クリシェ」というのはフランス語で常套句とか決まり言葉みたいな意味があるらしい。小ネタとかありふれたネタとかそういう感じだろうか。
クリシェをクリシェと理解するためには教養というかそれなりに深い知識が必要だったりするように思う。

わりと部品や資材の使い回しとか共有化というのは、建材業界でも多くて、一見ライバル会社だと考えられている商品が
実は同じ工場で生産されている。
なんてことも少なくないのだ。

会社は違うけれども、この部品は別のメーカーの商品にも使えるよ、ということはあんがい多かったりする。

そういうのは実際に現場で機械をいじっているとわかったりするので、そのあたりのノウハウをもってる職人さんは、やはり頼りになる。
そういう部分の蓄積が途切れないようにすることが大切だと思う。

GOD’S POCKET in 2025

ゴッズポケットに戻ったミッキーは84歳。

結局レオンが死んだあとすぐに、妻のジニーとは離婚した。

痴呆が進んだジニーは地域の保護施設でレオンが作家のリチャードとの間にできた子どもだったと作り話をしている。

ミッキーもすっかりボケてしまって、自分の名前すらおぼつかない。
ただ、この年まで長生きしているのは、なにかの罰かもしれないと思っている。

2025年のゴッズポケットは、相変わらず犯罪者が多いが、人口は1980年代の1/3まで減少していて、住民の平均年齢は58歳になっている。
若者はいるにはいるが、地元に残っているのは男はヤク中のろくでなし女は売春婦しかいない。

地域の知的水準は低いままで、ITリテラシーは低いままだ。
動画共有サイトやSNSをダラダラと消化するだけで、スマホじゃ生産性とは無縁のツールになっている。
使用料金が高すぎて結局は使わなくなってしまうのだ。

インターネットが社会問題を解決するというのは、この町で生きていく彼らにとっては幻想というよりむしろ戯言に近い。
「うまいことを言って俺らを利用しようと思っているんだろ?」

VRもXRもコストが高すぎる。毎月の使用量が30ドルならパブでビールを飲むほうがまし。

300ドルあるなら馬券を買う。

確実に言えるのは、ゴッズポケットは40年前よりも確実に悪くなっている。
それだけは間違いない。

ミッドサマー

ネトフリで配信が始まったので、早速鑑賞しました。
へレディタリーと並ぶ傑作らしく、自分のTwitterのタイムラインではなかなか評判がよく興味があったのです。
近所の映画館でも公開されていたので見に行くつもりだったのですが、あっという間に公開終了してしまったので残念に思っていたのです。

なんというか、トラウマを抱えたときに、思いもよらなかった価値観とか考え方によって救われたりすると人は案外簡単に洗脳状態になってしまうのかなと思います。
とはいえ、ほぼどのようなカルトであっても過去の思想の焼き直しだったりすると思っています。映画、特にホラー映画だと、とことん異常な考え方の人間が出てきたり不条理や悪意が表現されているので、なんというか耐性ができると思うのです。

「へレディタリー」「ミッドサマー」「マーターズ」「エンジェルダスト」「けものがれ、俺らの猿と」「ホステル」「フィンランド式残酷ショッピングツアー」「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」とかの映画あと漫画なんかで清水玲子さんの「秘密」とか「ジャック&エレナシリーズ」とか、あとは古典とか思想書や哲学書なんかも一通り読んでおくだけで宗教のありがたい話の殆どは「はぁそうですか」で終わってしまうので、なんというか本を読まないといかんなぁと、この年になっても思うのです。

 

 

ミスト

ネトフリのミストがあまりにも尻切れトンボだったので、口直しのために映画版のミストとその原作小説のミストを読みました。

映画版のミストは、短編小説の「霧」をすっごくいい感じに実写化しているなと、改めて思いました。

小説と映画ではエンディングが違うので、どちらがいいかという好みは分かれると思いますけれども、個人的には映画版の方が好きです。

ここ最近の世の中はこのミストの世界のように先が見えない。

コロナもいつになったら落ち着くのかわからないし、そもそも本当に落ち着くのかどうかもわからない、元通りにはならないのか、なるのか、だれも本当の答えはわからないです。

映画のようし霧が晴れてひとまずの踏ん切りがつくのかどうか。

現実の世の中では、特効薬ができて、入院患者数が少なくなって、海外旅行が普通にできるようになる、そういう世の中になるのかどうかってことですよ。

今の所海外旅行が2019年と同じ状態に戻る様子はちと見られません。
2024年の夏くらいには、渡航禁止が解除になるかどうかですし、解除になったからといって、すぐに旅行者が増えるか?と言われれば、すぐには増えないだろうなぁということは誰でも予想できると思います。

前のSARSとかMARSのときは、結局3年くらいかけて元の水準に戻ったんですけれども、今回は世界中に広がってしまっているので、もしかしたら、気軽に海外旅行ができるようになるまで下手すると10年ぐらい掛かってしまうかもしれません。

渡航制限が解かれたとしても例えば外国人に対する感染恐怖感があったり、人種の違いによる感染リスクヘイトがけっこう根強く残ってしまうような気がします。

そう考えてみるアジア系の自分がアフリカだとかヨーロッパに旅行するとなんとなく忌避されてしまうのだろうなと想定できるのです。

21世紀前半は、そういう忌避感を超えられない人間が世の中でまだ力を持っているのだとは思うのですが21世紀後半、つまりは2051年以降は、そういう忌避感を乗り越えて新しい旅人というか、コミュニケーション能力をもった、グローバルな活動をする人が、どんどん出てくるような気もします。

2051年っていうと、地盤は84歳ですよ。人生100年時代と言いますけれども85歳っていうたらやっぱり結構なお爺ちゃんなわけですな。

30年後がどういう感じの世界になっているのかっていわれたら、よくわかんないです、というのが本当の気持ちです。

ちなみにアメリカの同時多発テロ事件が起きたのは2001年。20年前のことですよ。54歳の自分にとって20年前というのは、けっこう最近の出来事のようにも感じられます。
「あっという間じゃんか!え?もう20年も?マジ?もうそんなになるの?」
みたいな気持ちです。このぶんだと30年というのは、今現在20代30代の人にとっては、世の中が変化したような変化していないような、長かったような短かったような、そんな感じなんかもしれません。
あの日テレビニュースに釘付けになって、
「これから先世界はどうなっちゃうんだ?」とものすごい不安というか、妙なワクワク感と「変わるに違いない」という信念のようなものが、世界のあちこちに溢れていたような気がします。
コロナ下にある今の世界も似たようなものかもしれません。

先が見えないからこそ、行動は早めにするのが、やっぱりいちばん正解なのかもしれませんね。

なんだよ!続きはないのかよ!許せない!

ネットフリックスのドラマ版「ザ・ミスト(シーズン1)」のことですよ。
2017年で1シーズンものだから完結しているのだろうと思って見始めたら、なんだよこの終わり方は!続編ないのかかよ!

中途半端な打ち切りしやがって、なんじゃこりゃー!

時間を返せと言いたい。

ハラタツから勝手に続編とか考えて二次創作小説を書いてやろうかとか思った。

とりあえずこの怒りをどこかにぶつけたかったので原作本を買って読むことにした。

打ち切りはほんとに良くないと思う。

打ち切りのリスト作っておこう。

あと終わりそうにないドラマのリストとか、

 

例えば、アベンジャーズシリーズで、「数字が悪かったからエンドゲーム作るのやめました」とかなったら納得できんでしょう。(自分は納得できないよ)

なんというか、5話くらいで、ちょっとムリかもってなったら、せめてそれなりに伏線は回収して終わらせましょうよ。

第10話の終わり方は投げやりすぎだろ。

せめて初期設定の脚本とかイメージボードとかないのかな。

母親の呪いの言葉は子供を不幸にするのだなぁ 「キャリー(2013)」

子どもがやっていることや考えていることは、けっこう親には理解できない。
毎日毎日、スマホを何時間も見ているとか、なんでもかんでも略して呼んだりされたりすると意味がわからなかったりしてイライラするなんてことも親にはあったりするのだ。

親である自分に理解できないことだったり、知らないことを子どもがやったり、やろうとしたりすると、頭から否定したり非難したりしてしまうのは、よくある話。
子どもになにか特別な才能があったとしても、それを親が認めていなかったり頭ごなしに否定していて、
「それは悪魔のしわざだ」
「お前は何を言っているんだ」
「お前はなんにもわかっていない!」
「お前は間違っている」
というような言葉を子どもに投げかけてばかりいると、なんというかその子の人生というのは、歪んでしまうのだろうなぁ、なんてことを思った。

マーガレットももしかしたら若い頃は超能力を持っていて
「お前は悪魔の子だ」みたいなことを言われていたのかもしれない。自宅で一人で出産をし、生まれたばかりの自分の赤ちゃんを刺し殺そうとするなんていうのはなんというか、あまりにも周りに愛のある大人の存在がなさすぎて、ものすごく悲しく思うのだ。
そしてその存在がなさすぎるからこそ、結局は赤ちゃんを殺すことをやめて、一緒に生きていこうとしたのかもしれないのだけれど。

けれども結局はマーガレットは精神的に問題を抱えたまま自傷行為を繰り返すちょっと問題のある親としてキャリーとの二人暮らしを選択せざるを得ないのだ。

けれども劇中には出てこないけれども、多分地域のソーシャルワーカー(日本で言うところの民生委員とか福祉士とかの力添えもあったりして、キャリーは高校に通うこともできるようになっている。

学校の教師の言動からもキャリーの家庭に問題があることも把握しているようだし、なによりもいじめに対して、明らかに「いじめるほうが悪い」「いじめたほうがペナルティーを受けるのは当然」というところがよいなぁとは思う。

とにかく「いじめたほうが絶対に悪い」というのは作品に置いては救いになっているような気がする。まぁそれでも逆恨みする人間は逆恨みするので、ペナルティーを与えればいいのか?っていうとそれはちょっと違うのではとも思う。

それは1976年版でも同じだったので(逆恨みしてもっとひどいことになるという部分も含めて)アメリカという国は「いじめ許さん」というのが徹底しているような気がした。

ただお母さんが能天気で娘の超能力に対しても
「キャリー素晴らしいわ!さすが私の愛する娘!
最高に才能があるし、あなたは何でもできるに決まってる!
その服も最高に似合ってる!プロムの女王に必ず選ばれるに違いない!」
みたいなポジティブかつ楽天的な性格だったら、ハッピーエンドになるのではないかしらとも思った。

あと、空っぽのバケツが頭にぶつかったて死ぬのはどうなんだろうと思った。
(オリジナル版は気を失うだけ)