竜とそばかすの姫

昨日は映画竜とそばかすの姫を見に行きました。

物語は50億人が登録するインターネットサービスUが舞台ですな。
舞台は2025年くらいだとすると、そのころの世界人口は約79億人だから全世界の6割の人、ということはネットを利用できない子供以外は全員という感じになるのでしょうか?

ベルっていう名前からも竜が英語だとDragonではなくBeastになっているところからも、ディズニーの美女と野獣が少しベースになっている感じがします。

ネットは匿名という文化はそろそろなくしていきたいなというふうに思っています。
個人的には23年前からずっと実名でインターネットをやってたので、ネット=匿名というのは幻想にすぎないと考えています。

だからネットの世界で本当にどこの誰だかわからない、正体がわからない、という存在があるとすれは、それはバグだったり、なんらかの不正アクセスしたアカウントであるはずです。

映画の中のUを運営している企業?あるいは団体?あるいは組織?があるみたいです。アカウントの認証にスマホの電話番号が紐づけされているみたいなので、どこのだれかっていうのはすぐにわかるじゃんっていうふうに考えたり、まぁなんというかネットのごたごたというか炎上しているのに、いちいち運営が相手するのはどなんだろうか?とか
アンベイルっていうのは、つまりは実名をばらすっていうことで、それを一般ユーザーが権限として与えられるって仕様は、ユーザーサービスとしてありなのかね?みたいな突っ込みどころが頭の中をぐるぐる回って、今一つ入っていけなかったのが正直なところでした。

そりゃもちろん捨て垢だったり、飛ばしスマホを使ったりして、ちょっとした匿名になるっていうのはできなくもないのですけれど、そこまでの掘り下げはなかったりするので、ちょっと違ったアプローチが必要なのかもと思ったりもした。

でもエンタメとしては「ネット=匿名」という設定の方がまだまだ現役で正しいのかもしれない。レディープレーヤーワンでもネットは匿名空間だったし、わからなくもないのだけれども、その世界観はやっぱり80年代のものなので、一昔前のネットの概念のような気がする。

次の2025年以降はデジタルツインとか、現実世界と情報がいかに同一化していくかという方向へ向かうと思うので、例えばデジタルツインで情報が書き換えられることで、オリジナルとツインの優位性とか本質性がどっちにあるのかあやふやになるとか、そういう物語がふえていくのではないだろうかなんてことを考えたりした。

 

 

 

夏への扉

映画館で「夏への扉」を見ました。
ハイラインの原作の舞台を2025年の日本にしています。
ストーリーはほぼ原作通りに進行していきます。
ロボットのピートの扱いが原作にはない部分なんですけれども、藤木直人さんの演技と相まって、あと2025年を「未来」と設定しているのと合わせて考えると物語に面白さをプラスしているのだなと思いました。SFのタイムトラベルの古典ですのでやっぱり面白いですね。

ただ原作の主人公は山崎賢人さんみたいなイケメンではないような気がするのですが、まぁそれはそれでいいでしょう。ヒロインの清原果耶さんも眼福であります。それから猫もかわいい。猫最高。

あと劇団キャラメルボックスが舞台化していて、こっちは見ていないのだけれどもDVDちょっち高いというか転売屋価格な気がするので、食指が動かないのだ。

1950年代~70年代のSF小説を今風にリメイクするというのは面白いと思います。小説だけじゃなくて映画とかでもいいかも。

メトロポリス2065、ソイレント・グリーン2045とか作ってみると面白いかもしれない。

 

ラグナロク

今の所シーズン1と2があって、シーズン2の第2話まで見終わったところです。
ノルウェーのテレビドラマになります。

ノルウェーとか北欧の映画ってあまり見たことないです。

北欧の映画といえば「フィンランド式残酷ショッピングツアー」「レイキャビク・ホエール・ウォッチング・マサカー」くらいしか見たことがないので、あんまり参考にはならない感想ですが、やはり高校生にとっては、環境問題に対して正面切って主張するというのは、なんか違う感というか、「別に自分が主張しなくてもいいんでない?」もしくは「そういうのを熱く語るのって、イカスね、ヒューヒュー(すこし小馬鹿にした感じで)」というのは、どの国も共通なのかもしれない。
環境問題は自分にとっても大事なことなんだけれども、じゃあ実際になにが出来るんだよちっぽけな自分に、という子供の立場というか結局は何もできない自分。

そういう中で転校生であるところの主人公のただ一人の友だちになってくれた女性が「事故死」してしまうわけだけれども、彼女は町を牛耳っている企業の環境問題をYou Tubeで配信したりしていて、警察もまともに調べないしなんかおかしい、どうなってんだよ、という感じで話が導入されていくわけです。

環境問題とか、長年の積み重ねで大きくなった問題というのは、例えばその悪い状況になるまでに100年の年月が必要だと、それを元通りにしようと思ったら、その3倍の300年くらいの時間が必要だったりする。
いろいろな問題で時間を掛けて積み重なった変化というのは、なかなか元には戻らないわけで、何世代もの努力が必要だったりする。

そういうことを考えながら見るのだ。

 

「運び屋」

クリント・イーストウッドの「運び屋」を見た。
90歳の麻薬の運び屋の実話を元にした映画で2018年の作品。

実際は家族との絆を取り戻したくても、麻薬の運び屋をしてしまうと絆どころの騒ぎではなくなってしまうのではないかと思ったりもしたけれど、なんというか麻薬というのはそんなに儲かるものなんだろうか?と思ったりする。
すごく贅沢そうな暮らしをしている麻薬売買のボスみたいな人の家とか見るとお金持ちそうではあるのだけれど、そのぶん経費も掛かりそうだし、部下に裏切られて殺されたりしているので、精神的にはキツイのではないだろうか、そういう生き方は、と思った。

信用を積み重ねていると信用を得やすい。

映画の中でイーストウッドが演じる「アール」という老人は、無事故無違反の白人で犯罪歴もなく、それなりの商売をしてきて、いろいろな団体の役員のようなものも務めてきた真面目な男だ。
で、麻薬組織はそういう男だからこそ警察の目を欺くことができると考え、実際に多量の麻薬の密輸を成功させる。

途中、何度か警察と交わるのだが、彼は全く疑われないのだ。(もちろん演出なのでオーバーな部分はあるのかもしれないけれど)

この映画の時、イーストウッドは88歳。うーむ元気な爺さんである。
流石にこの歳になるとアクションシーンはほぼない、殴り返したりケリを入れたりとかそういうシーンはないし、けっこうよぼよぼではあるが、おねーちゃん二人相手にキャッキャウフフしたりするシーンが二度もあるので、なんというか下半身は元気そうな設定である。

最後に奥さんや娘さんは許してくれるっぽいシーンで終わるのだけれども、なんというか実際はこういう爺さんは救われないのだろうなとも想う。
映画としてはいい映画ですよ、なんというか、これを見た家庭を顧みないタイプの男性は安心するかもしれない。
でも、この映画みたいに許されることはまずないと想う。

ノマドランド


近所の映画館でやっていたので見に行った。
映画というよりもドキュメンタリーと言ったほうがいいような作品。

いろいろと考えるところがです、自分の中でも答えが一つに定まらないというか、選ぶのも幸せなのかどうかも結局は自分次第なんだろうなというような考え方に落ち着く。

ノマドとかワークキャンパーとか、一昔前で言うとフリーターとか、いわゆる定職につかず、自由気ままに暮らすというか、資本主義的な成功価値観とは少し違ったところで暮らしている人々の物語。
今回、アメリカでこういう暮らし方をしているという人について興味が出たので、原作本の「ノマド 漂流する高齢労働者たち」というのを買って読んでいるところです。
ホームレスじゃなくてハウスレスな生き方。
好きでやっている人
しかたなくやっている人
いつでもやめられる人
いつでもやめられると思っていたのにやめられなくなってしまった人
やめられなくなってしまう原因はいろいろある。社会環境の変化とか、生活様式の変化とか、単に年齢を重ねてしまったとか、怪我をしたり病気になってしまったりとか。

人は、いつでも違う生き方ができる、今とは違った生き方を選択することができる。そう考えられるうちは幸せを感じると想う。
そこには希望があるからだ。
「まぁ、今は大変だけれど、まだ終わりじゃない」
そういう未来が見えているなら人は幸せなんだと想う。

アルバイトではなくてフリーターっていっても本質的なものは一緒だったりするし、家事手伝いは無職だし、シャアハウスは貧乏長屋っていうことだし、呼び名は違っても、その本質は同じなんだろうと想う。
本質は同じであるからこそ観念に左右される。
同じ状態でも人によっては幸せこのうえない場合もあるし、不幸で不幸で辛抱たまらない状態の人だっている。
見る人によって違うのだろう。

amazonでワークキャンパーとして労働することは、好きでやっている人にとっては天国かもしれないが、しかたなくやっている人にとっては地獄なのかもしれない。

そこが天国なのか地獄なのか決めるのは、そこにいる人々の考え方という長い箸の寓話。

インターネットは遥か彼方のビットを取り寄せることができる長い長い箸みたいなもの。

アップグレード

なんらかのデジタルデバイスを利用して身体拡張を行うというのは、SFにはありがちな設定です。日本だとやはり有名所としては攻殻機動隊とかゴクウとかあります。
実際のところ、スマートコンタクトレンズとかは実現に向けて着々と準備をしているようです。
MRとかARとかにしても何らかのデバイス、スマホのモニターだったりVRディスプレイだったりスマートグラスのホロレンズとかそういうものを利用するみたいなんですけれども、脳に直接イメージを送信するみたいなものは、いまのところほぼ無理そうです。
なんでかっていうと、人間の脳がどうやって世界を認知して論理展開してアウトプットしているのかというのは、よくわかっていないからですな。
シナプスがピコポコと化学反応を起こしながらいろんなことを処理しているのはなんとなくは分かるのですが、「どういう仕組で脳が機能しているのか」っていうのは結局の所よくわかっていないようです。

結局、しばらくの間はこの手のインプラント系デバイスというのは、鼓膜を振動させたり網膜に直接映像を投射したりといった人体の認知システムを利用したものになるのだろうなと予想されます。

映画の中では、実際に言葉を発生しないとデバイスとの情報のヤリトリはできないわけで「言葉を思い浮かべるだけ、心の中で唱えるだけ」だと認識できないという設定になっています。

仏教の色とか空とかも考えながら、認知する、世界とつながる、そういうことの不思議を考えたりするのです。

映画の方は、わりとブラックな終わり方で好みが分かれるかもしれませんが、もしかしたら続編もあるかもしれないと期待できます。

グレイから自分自身を取り戻すために、ハッカーのジェイミーがなんか協力したりとか(だってハッキングしたりして興味を持っちゃったりするわけじゃん)
あと敵役のフィックスは実は死んでいなかったとか、ライバル会社のコボルトの陰謀とか協力とかもあるかもしれんし、女刑事のコルテスさんも頭を撃たれたわけではなさそうだったから実は生きていた的な展開もあっても良さそうだし。
なによりもあの終わり方は後味が悪いのでもっと明るい終わり方もあるのかもしれない。

とおもってググってみたら続編の企画があるみたいのなで楽しみです。

シン・エヴァンゲリオン劇場版の感想とか(ネタバレあるかもしれないので、嫌な人は閉じてね)

そういうわけでシン・エヴァンゲリオン劇場版を見てきました。

自分はテレビ放送があった当時はもう社会人になって地元に帰ってきておりましたので、なんといいますか、そろそろオタク的なコンテンツから若干距離を置きはじめてはいたころで、何回か本放送を見たのですがサハクィエルのあたりで脱落してしまったのです。

その後レンタルビデオで最終話まで見て正直「なんだこりゃ?」という記憶が残っていたのだな。
その後、劇場版を見たりしてエバンゲリオンというコンテンツを楽しんでました。

今回の新劇場版もまったく違うものになりそうで「あれでしょ、Qの予告編とかも本編では出ないんでしょう」と思ってたらそのとおりでした。お約束でよかったです。そういうの大事。

実際、エバンゲリオンにハマっていたのは、自分よりも一回り下くらいの年代で、同年代で見ているという人はいなかったような気がします。

さてそんなテレビ放送が終わって25年。

今回のシン・エヴァンゲリオン劇場版は当時碇シンジと同じ年齢だとすると現在39か40歳になっているんだと思うのですよ。

自分はもう今年54になるんですけれども。

まぁこの年齢になって確信するのは、大人とか子供とかって、結局相対的なものでしかないのかなってことですな。

年の離れた人間が二人いたら、若いほうが子供、年取った方が大人の役割をする。

それは相対的なもので文句を言っても仕方がないのだな。

先に生まれたほうが大人になってしまうし、そうなってしまっているからこと大人の方が大人の役割をしないといけないルールになってはいる。

 

あと冷凍睡眠とかオルタード・カーボンっぽい肉体の再生とか、記憶のバックアップとか、義体化が進むと、大人とか子供の概念や役割が変わっていきそうな気がする。

 

ある日、自分の前に現れた子供が曽祖父だったり、自分の娘の結婚相手が、自分の父親だったりする未来もあったりするのだ。

現実問題として、LGBTとかの標準化で、親子関係というものはこれから先あやふやな複雑な関係にほどけていくような気がする。

そんなわけでラストシーンで大人になったシンジくんといちゃつくのはカヲル君だろうかとか思ったら違った。

 

 

 

 

 

本好きの下剋上

オーディブル版が良かったので、アニメシリーズを一気に読みました。

この作品は「小説家になろう」という投稿サイトに2013年から連載投稿され2017年に完結。

その後小説が商業出版され漫画化、ドラマCD化、テレビアニメ化されている。

 

娘は今「約束のネバーランド(二期)」を楽しみに見ている。

ネトフリ、アマプラ、Huruなどサブスクな動画配信サービスは、従来の視聴の仕方を変えちゃってるなと本当に思う。

たぶん、一生かかっても見終えることのできないコンテンツが、目の前にあるのだ。しかもそのコンテンツは今後もどんどん増えていく。

新作ではなくても、まだ見ていない面白そうな物語はものすごくたくさんある。

全部見られる気がしない。たぶん、物理的にムリだ。

2倍速で見ても時間が足りそうにない。

あと予算が掛かっていれば面白いのっていうとそうでもないし、

最初の10分が面白かったりしても、途中からつまらなくなったり、

逆に最初の30分はものすごくつまらないのだが、途中から超絶面白くなったり、

◯◯さんが、「面白い」って言ってたから見てみたら面白かった。

◯◯さんが、「面白い」って言ってたから見たけどイマイチだった。

その両方のパターンがあって、結局「面白かった」「見てよかった」というのは、自分で終わりまで見ないとわからない。

もちろんレビューや評価の点数というのはある程度参考にはなるのかもしれないけれど、星が一つでもけっこう面白いものもあるし、星が4つでもイマイチなものも多い。

そういう当たり外れ含めて全てを楽しめるようにするしかないのである。

アメリカの連続ドラマとかは面白いかもしれないのだけど、シーズンが長すぎて脱落してしまいます。

Xファイルとか最後どうなったのかぜんぜん知らない。

監視者たち

アマプラで韓国映画の「監視者たち」を見ました。


2014年の作品だからけっこう前のモノなんですね。

ぜんぜん知りませんでした。

主役の子豚ちゃんを演じた女優さんが可愛かったです。

 

こういう監視者を善玉サイドから描く映画はけっこうありますが、実際に個人情報がどうのこうので行われているのかどうかよくわかりません。
何年か前にセキュリティー関係の展示会に行ったときに、顔識別の性能の凄さに驚きました。

人物の動きが不自然であったり、何百人もいる映像から一瞬で特定の人物を抽出したりする技術は、実際ここまでできているのだなぁと。
歩き方や体型から個人を判定したりする技術はすでに映画の中だけのものではないのです。

本当なら去年の東京オリンピック会場では、こういう監視技術の見本市になっていたんでしょうけれど、お流れになっているのが本当に残念。

とはいえ、そのような監視社会が本当にいいのかどうかはよくわかりません。

悪いことすると捕まるのは当たり前なんですけれど、悪いことをしてもいないのに監視されるというのは、気持ちがいいのもではないからです。

会社の仕事が今リモートが増えているらしいのですが、監視していないと働いていないみたいなことがあったり、仕事中はカメラをオンにしていなければならないとか、働いているかどうかを確認するために監視する必要がある。というのもなんだか違うような気がするのです。

 

ハウス・ジャック・ビルト(R18+)

ジャックという連続殺人鬼が自分がやってきた人殺しを告白するという体で話が進行していくのだが、これがもう、殺人鬼の認知のゆがみがすごいのですよ。

で、このジャックという男は、それなりに社会的には成功しているように見えます。

自称建築家で建築用の土地を持っていたり、自宅を建築したりしているのでそれなりの資産も持っていそうです。

死体を隠すための大きな冷蔵庫も持ってますし。

一時的にも家族ぐるみで交際するような女性(再婚しているのか、それとも拾の親子関係なのかはわかりません、なんとなく女性の連れ子のような演出ですがそのあたりははっきりとし描写はないかな)や別に恋人のような女性が犠牲者というか被害者として描かれるので、女性から見るともしかすると魅力的に見える側面があるのかもしれません。

魅力的に見える部分は映画のストーリーとしては語られていないのですが、人間としてどこかが壊れているキャラクターはいやだなぁと思います。

 

世の中にはサイコパスと分類される人がいて、その割合は結構高いそうです。

いわゆる反社会性人格障害者の割合は100人に一人くらいと言われています。

つまり案外、珍しくはないということです。

仕事をしていくうちに
「このお客さん、ちょっと妙だ」
「この取引先は、いつも無茶振りばかりだなぁ」
というときは、案外サイコパスな人なのかもしれません。

世の中にはお金を払わなくても平気な人もいますし、平気で嘘を付く人も案外多いのです。
あなたの想像を絶するようなことを平気ですることのできる、もしかしたらそれを喜んでやっている人間が近いところにいる、そう思って世の中を眺めているとけっこう警戒心が強くなってくるのです。

そして、ネットの時代だとツイッターアカウントの向こう側にいる人間が、案外そんなサイコパスだったりするのかもしれません。

自分と違う意見や考え方を表現しているそのアカウントが、もしかしたらスゲコワなサイコパスで逆恨み野郎だったらめっちゃ怖いじゃぁないですか。

そういうふうに考えているので、炎上していたり、ものすごい行きおいで正義を振り回し怒りをばらまいている人を見ると

「なんでこの人は自分だけが安全だって信じられるのだろう?」

と羨ましく思うのです。