短期的評価と長期的評価

下関では年に一度くらい雪が積もって市内の交通が麻痺します。

安全第一ですから、雪の中無理してくる必要はありませんので、例えば、遅刻したり、出社できない場合はペナルティはないです。

けれども、そういう雪の中でも、冬季はスタッドレスタイヤを通勤に使うマイカーに装備していたり、マイカーが使えないので、代替法として列車で通勤したりする社員もいます。

「なんとかして出社する社員を評価する」という意識はあるのですが、たとえば特別警報が出た台風が近づいている場合、その社員をひょうかするとなると、忖度が発生して、なんとかして会社へ出勤するのが正義みたいになるので、そこは評価にはカウントしません。
というような決まりになります。

決まりはそうなんですけれども、感情的というわけではなく、工夫して出社してくる社員に対しては評価は高まると思うのです。

すごい台風が来ていても、それを予想していろいろな手段で対処して、時間通りに仕事ができるようにしている

すごい台風が来たので、おくれて出社する。

そういう二人の社員がいるとして、どう評価するのが正しいのか。

短期的には評価に影響しない。
つまり、台風が原因で欠席や遅刻をしたとしても給与に差をつけない。

長期的には評価するようにする。
例えば年次の昇給で差をつける。Aさんは5000円の昇給でBさんは1万円。

働く姿勢によって評価に違いをつけたほうがいいのか、単純に行動や、するしないに対して差をつける。

評価基準をすごくこまめに設定して見えるようにするとか、

緊急事態下に出社する人と用心のために出社しない人の差をどうすればいいのか?

 

経営理念とか社員教育の結果として
社員全員が「緊急自体下でも出社する」という
「会社組織」を経営者が目指すかどうか、

経営者としては「緊急事態や警報がでていても俺は工夫して出社するようにしている」

「だが、社員にはそこまで要求しない」

「でもそういう社員がいれば、褒めないし評価もしないけれども、俺は素直に嬉しいと思うのだ!」

それもまた忖度になっちゃうなー。

こういうときは正直な気持ちを文字にするのが正解なのではないかとも思う。

「こんな雪の日でもなんとか工夫して遅刻せずに出社する君を自分は嬉しく思うし評価する。月給や有給休暇には影響はないけれども、引き続きそういう姿勢で業務に努めていただけると嬉しい。」

ということかな。

ハウス・ジャック・ビルト(R18+)

ジャックという連続殺人鬼が自分がやってきた人殺しを告白するという体で話が進行していくのだが、これがもう、殺人鬼の認知のゆがみがすごいのですよ。

で、このジャックという男は、それなりに社会的には成功しているように見えます。

自称建築家で建築用の土地を持っていたり、自宅を建築したりしているのでそれなりの資産も持っていそうです。

死体を隠すための大きな冷蔵庫も持ってますし。

一時的にも家族ぐるみで交際するような女性(再婚しているのか、それとも拾の親子関係なのかはわかりません、なんとなく女性の連れ子のような演出ですがそのあたりははっきりとし描写はないかな)や別に恋人のような女性が犠牲者というか被害者として描かれるので、女性から見るともしかすると魅力的に見える側面があるのかもしれません。

魅力的に見える部分は映画のストーリーとしては語られていないのですが、人間としてどこかが壊れているキャラクターはいやだなぁと思います。

 

世の中にはサイコパスと分類される人がいて、その割合は結構高いそうです。

いわゆる反社会性人格障害者の割合は100人に一人くらいと言われています。

つまり案外、珍しくはないということです。

仕事をしていくうちに
「このお客さん、ちょっと妙だ」
「この取引先は、いつも無茶振りばかりだなぁ」
というときは、案外サイコパスな人なのかもしれません。

世の中にはお金を払わなくても平気な人もいますし、平気で嘘を付く人も案外多いのです。
あなたの想像を絶するようなことを平気ですることのできる、もしかしたらそれを喜んでやっている人間が近いところにいる、そう思って世の中を眺めているとけっこう警戒心が強くなってくるのです。

そして、ネットの時代だとツイッターアカウントの向こう側にいる人間が、案外そんなサイコパスだったりするのかもしれません。

自分と違う意見や考え方を表現しているそのアカウントが、もしかしたらスゲコワなサイコパスで逆恨み野郎だったらめっちゃ怖いじゃぁないですか。

そういうふうに考えているので、炎上していたり、ものすごい行きおいで正義を振り回し怒りをばらまいている人を見ると

「なんでこの人は自分だけが安全だって信じられるのだろう?」

と羨ましく思うのです。

 

ちゃんと勉強したいのでまずはメソポタミア文明

大学入試は世界史を選択していたのだけれども、その時以来ほぼ勉強していなかったので、世界史を少しずつ復習していこうと思っています。

まずは古代四大文明のうちの一つメソポタミア文明あたりから始めていこう。

ギルガメッシュ叙事詩とかハンムラビ法典とか聞いたことはあるけれども内容はほぼ把握できてません。

中東問題とか今のイランとかイラクとかパレスチナ問題とか考えると、このくらい昔までさかのぼらないとあんまり理解できないのだろうなと思います。

バビロンとかはこの時代のことらしいくらいしか自分はわかってないのです。

バビル二世は関係あるのかな?とか(たぶん関係ない)

つくづく勉強していなかった自分がなさけないです。

とりあえずアンリミテッドで読んでみます。

コロナ禍でゲーム業界はどう変化した?巣ごもり需要で売上アップってほんと?

アマゾンオーディブルで『「コロナ禍でゲーム業界はどう変化した?巣ごもり需要で売上アップってほんと?」ゲーム会社の社長3人に聞いてみた。』を聞き終わりました。

実際にゲームを制作している会社の社長さん三人のお話。

サイバーコネクトツーの松山洋さん
トレディアの松田崇志さん
ビサイドの南治一徳さん

それぞれの会社で実際リモートになったりして、どうだったのか、こんなことがあった、こんなことがあった、というようなことを話されています。

なんとなく、たまたまこの三人が、ファミレスで隣の席に座っていて、

「実際にどんな感じ?」

というような会話が漏れ聞こえてくるようなお話でした。

収録は2020年の10月ですから、約3ヶ月前の情報ということになります。

松山さんと南治さんは、今流行りのCLUBHOUSEのアカウントがあったのでフォローしてみました。

あと、松山さんのチェイサーゲームという漫画がアマゾンの読み放題だったので、読む予定です。

実際にリモートでできる部分、ここはできなっていう部分があるのと、

あと外注というか委託したりできない部分が自社にとって大事なんだろうなとか、人材を入れていくときに実際に会うのがいいのかどうかとか、思うところがあった。

ウチの会社は、基本的に画面を挟んでやるような仕事ではない部分もあり、店頭でお客さん相手にいろいろ質問したりやりとりしたりするのと、電話越しだったりするのではまた違うかもと思ったり。

画面越しなら平気だけど面と向かってやり取りするのは苦手だったり、またはその逆だったりとか。

人によってコミュニケーションの得手不得手があるのでそれに合わせて仕事を組み立てて行く必要があるなと思った。

あとボーナスの評価計算の方法は面白いと思ったので、ウチでも取り入れていきたい。

たとえ明日、世界の終わりが来ようとも、私は今日りんごの木を植えよう

感染症対策や危機管理というのは、このりんごの木である。植えたりんごの木に水を与え続けて初めて実りが期待できるものである。
今すぐに、りんごの実がなるわけではない。良い木を育て、良い実をならせるためには、長い展望を持ち、不断の努力が求められる。
しかも、努力した人自らは、おそらくりんごの実を味わえることはまれである。
万一、それを味わえた人は極めて幸運である。感染症のアウトブレークや危機管理が問題になるようなことが起きなければ、その努力は世に知られることはない。それでも、難しい状況、悲観論を乗り越えて、今日りんごの木を植えよう。

加藤茂孝さんの「人類と感染症の歴史」の締めの文章です。

今現在、一番安全なのはじっとして動かず、なにもやらないことなんでしょう。

でも「なにもしない」というのは死人テストで引っかかるので行動ではありません。リーダーがやるべきことではないのですな。

同じように「オリンピックを開催しない」ということも死人テストに引っかかるので、それは行動ではないです。

リーダーシップというのは、どう行動すればいいのか、自らを持ってそれを示す旗印となることだと思います。

具体的に何をどうすればいいのか、成果にむかってやることを取捨選択して優先順位をつけて、行動に落とし込んで行くわけです。

 

老害だとかいろいろ誹謗中傷がひどいですけれども、森喜朗さんは頑張ってるのだと思います。

実際にそばにいる人とか、知っている人は、森さんのやってることを信じて頑張っているのではないかなと思う。

自分は「本当はどうなのか」を知ることはできませんが、噂話や憶測や又聞きであれやこれや言わないように心がけたいです。

僕自身は、東京オリンピックは開催すべきかすべきでないか、その二択で質問されれば、「開催すべきではない」と思うのですが。
実際にオリンピックを目指して頑張ってきているアスリートの方や携わってきたスタッフのみなさんの気持ちを考えると「やめたほうがいい」とは面と向かって言うことはできません。

 

ネットで文章を書くときは、

相手が目の前にいたら、自分は同じことを相手の目を見ながら言えるだろうか?

そう考えながら書いているかどうか、よく確かめないといけないなぁ、そういう気持ちが強くなってきています。

森喜朗さんは、暗い水の流れにうたれながら身を削ってなんとかのぼっていこうとしてるんだと思います。
闘わない奴らが、笑いながら、消えてしまえばいいのにと喜んでいる姿を見ると、なんだかとても残念な気持ちになります。

本当はトランプさんみたいにツイッターのアカウントがあったり、せめて公式のwebsiteとかブログがあるといいのにと思います。

ここは10年以上放置されているし政治家の人がみな河野太郎さんなみの情報発信力というかPR力を持っていればいいのになと思います。

あと今回のゴタゴタについてコメントを聞きたい人のリストだけ書いておきます。

御手洗冨士夫さん
遠藤利明さん
山下泰裕さん
室伏広治さん
荒木田裕子さん
田中理恵さん
成田真由美さん
蜷川実花さん

とりあえず、このあたりの人以外の話は聞くに値しないくらいの気持ちで、この話題は閉めようと思います。

 

 

 

 

ブレット・キングの拡張の世紀

攻殻機動隊みたいに生体と直接ガジェットが結びつくような世界にはまだしばらく時間がかかりそうではあるものの、スマートウォッチで血圧や脈拍、血中酸素濃度も把握できるようになってきている。

で、この本を読んでみるとそういうウェラブルな端末というのが欲しくなってくるから不思議だ。

自分も今年で55歳になるので、四捨五入すると60歳になるわけで、まぁジジイですよ。体の節々はすぐ痛くなるし、なにかっていうと腰にくるし、ストレッチしても全然伸びないし曲がらないので、健康管理は大事だよなと思うことばっかりなわけです。

 

あとPHUD(パーソナルヘッドアップディスプレイ)のいいのが出てくるまではARやVRはまだまだ普及しそうにない気もします。

実際、Oculus Questは持ってはいますけれども、やっぱり大きいし、あれを装着したまま外に出るのは抵抗があります。

 

CD管

家建てたあと後悔したのは、コンセントLANとかでなく、CD管で有線LANを構築できるようにしたらよかったなということです。

無線LANとか配線がなくてもそこそこのスピードが出る今日このごろなのですが、やはり有線の安定性というのはありがたいと思います。

LANケーブルもそのうち規格が変わっていくことを考えると、やはりCD管で各部屋をつなぐのがいいのではないかと思います。

2050年 世界人口大減少

国連の予測よりも早く、世界規模で人口増加は頭打ちして減っていくのではないか、という内容ですよ。

出生率が減っていくのは先進国では標準的なことで、アフリカ諸国においても、想定しているよりも早く人口増加に歯止めが掛かるということですな。

 

以下、個人的に思うこと。

 

ドーキンスの「利己的な遺伝子」にもあったけれども、人類という種全体にとっての生存戦略として個人の遺伝子を残すよりも種全体の遺伝子を残すようにするようになったのかなと考えたりする。

例えば漫画の世界で
「手塚治虫の子どもたち」というと、手塚作品の影響を受けた漫画家のことであって、そこに血脈的な遺伝子はもはや必要でないわけです。

他にも建築家の世界でも、スポーツの世界でも、実際の血脈的な関係ではなく、そこにある思想であったり技術の蓄積であったりする部分で「受け継ぐ」という関係があるような気がする。弟子は血縁関係が必ずしも必要ではなく、一子相伝と言っても実際は他人であったりする場合も是としたり。
そしてそのような関係において種やあるいは系統そのものを強化・増殖させていくほうがその集団の生存戦略としては正しい一面があるのではないかということなんではないかと思ったりするのです。

そういう視点からLGBTを含めた世の中の潮流を考えると、親子関係に置いて血というのは、あまり関係なく、自分の両親がどちらもが男であったり、女であったり、実際には血がつながっていなくても「親子関係である」と認めていくような世の中になっていく下地が固まってきたのかなぁと思うのです。

 

お客さんが広告してくれる

ツイッターで#家系ブログを盛り上げる会というタグがありまして、ほぼ実名で「◯◯ハウスで家を立てることにしました」とか、「◯◯工務店の見積もり打ち合わせから契約に至るまで」とか、「◯◯ホームでこんな問題がはぁ!」というような、ポジティブなブログもあればネガティブなブログもあります。

お施主さんと施工店の相性がよくてお互いに誠実であれば、

そうアレですよ。マリアージュって言うんでしたっけ?

お互いの相乗効果によって、ものすごいPR効果が生まれるのが散見されるのですよ。

ここ最近だと@Czubrowkaさんのヘーベルハウス建築記と現在進行系@guuui91122259和モダン住宅を一条工務店グランセゾンで建てるというブログです。

どちらも、とんでもないことが起きていて、建築業界の一端にいるものとしては、胃に来るのですが、もう読んでいるだけで、

もし自分が家を建てるとしたらどうするか、めっちゃ参考になります。

なんと言っても高い買い物ですし、ほとんどの人は一生に一回あるかないかだと思います。

人生で何回も引っ越しする人はいますが、5回も6回も家を建てる人はほぼいません。

実家に住んでいるときに1回、家を出て結婚をするときに1回、そして子どもが結婚して同居するために3回、孫が結婚して同居するために4回、という人も世の中にはいるかも知れませんが、その度、全て新築で、しかも自分自身が中心になって家を建てるというのはありえないでしょう。

だいたい、子どもとか孫の家についてアレヤコレヤ口を出すのはどうかと思います。

話がそれました。

家を立ててみようかなーとお考えの方は、やはり実際に家を立てた人の話を聞く(読む)のも一手だと思います。

あと工務店さんの方も、お客さんにはガンガンブログに書いてもらうようにして、現場の写真とかもじゃんじゃんアップしてもらうようにしたらいいと思います。

2022年の採用募集

2022年の採用募集のサイトをそろそろ作らないといけない。

この夏くらいに社員さんが出産+育児休暇に入るので、中途採用をして来年の採用は見直したほうがいいのか、それとも中途採用しつつも来年の採用もしたほうがいいのか、ちょっと悩んでいる、悩んでいるというか考えてる。

なんだかんだ言っても先行きが見えないし、なんとなく、建築業界にも不況の波というのはやってくるのだろうなと思う。

休暇中人数は少ないけれども、現場自体が少なくなっていれば、なんとか仕事を回せるのではないかと思ったり。

いや、それではイカンですよ!こういうときこそ先行投資!新しい人材を取り入れてなんか新しい企画を立ち上げるのですよ!

なんて感じで、オフェンシブになったりディフェンシブな志向になったりと、朝と晩、昼と夜、外と内で、コロコロと考え方が変わっていくのです。

半年先とか育休が終わる来年の今頃には、世間の状況もまたかわっているだろうし。

これが社員が100人も200人もいる会社であれば、ひとり増やすも二人増やすもほとんど誤差みたいなものだと思うのですが、いかんせん今の所全社員8人の零細企業にとっては人を一人増やすというのは、やっぱり考えちゃったり悩んだりしますよね。

とりあえず、配送とか倉庫の整理整頓といって雑務的なことに集中してもらって、電話応対とか問い合わせ業務的なことはいっさいなしの職務分掌をめっちゃ絞って、アルバイト的に短期雇用というのもあるかもしれんけれども、どうもそういう雇用のありかたというのは個人的には好きではないし経営者としてはやりたくなかったりもするのである。

なんというか、会社というのは人に育ってもらってなんぼというか、その人なりの生み出す価値というのをそれなりに拡張していくというか拡大していく仕組みじゃないといけないのではないか、面白くないのではないかと考えている。

例えば、金子商会に入ったことで、水道資材の問い合わせに答えることができるようになった、最適な市内の配送コースを想定できるようになった、ブラインドタッチでPCを扱えるようになった、というような、今までできなかったことができるようになりましたよ=成長しましたよ、ということを実感してもらえるような、そういう仕組が会社組織の役割でもあると思うのだ。

もちろんその上でキッチリと利益も出してしっかり儲けなければならんのでしょうけれども。

というかダラダラと採用サイトを更新しつつ情報をツイッターやらフェイスブックに流して中途採用というか、「中途」という言葉がなんか嫌な感じがするので、新しいカタチの縁故採用につながるといいかもしれんなーとか考えたりしています。

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