最末端DXの現状とかいろいろ

LINEで「会社を休みます」とか連絡したらOKというように
「電話じゃないと失礼」
「実際に対面して挨拶するのがマナー」
というような、そういう習慣というか固定観念が変わるということがDXの本質なんではないだろうか?

つまりどういうデジタル機器を使うとか、クラウドサービスを利用するとか、最新アプリをインストールするとかではなく。
「こういうときは手書きで書いたものを郵送するべき」みたいな、理由を言語化できない(あえてゆうならマナーとか商習慣とかそういう理由)行為を
「まぁ、それでなくてもいいんじゃね?」
というような軽い気持ちで代替手法でこなしていくことが、中小零細企業にとってのDXなのかもしれない。

請求書には印鑑が必要だ → なくてもいい
有給の申請は書面で押印する → LINEのグループにメッセージ入れればOK
メールには冒頭に挨拶文 → いきなり用件でPK
@メンションは役員にはつかわない → @メンションはお気楽に
ビデオチャットのときも身なりをシャンと → ぬいぐるみ置いておけばOK

使い手の意識そのものを変えることが、すなわちDXの本質なんではないだろうか?

 

 

 

DXで生産性最大化、少数精鋭で高収益! 地域№1工務店の「圧倒的に実践する」経営

何故か手元に3冊同じ本があるのですが、この本、中小企業向けのDXの手引書としては唯一と言ってもいいのではないでしょうか?

1998年にドラッカーは書籍「ネクスト・ソサエティ」でこう語りました。

コンピューター・リテラシーを持たないならば、社員からの敬意を期待してはならない。
彼らにとっては日常のことである。
上司がコンピューター・リテラシーをもつことを当然とする。
私の五歳の孫娘は、もし私が、おじいちゃんは電話が怖いんだよと言ったならば尊敬などしてくれないだろ。信頼もしてくれない。

時代の変化とともに、われわれ自身が変化しなければならない。
読み書きと掛け算に毛の生えた程度の最低限のコンピューター・リテラシーから、情報を使ってものごとをなしとげるという情報リテラシーの域に達しなければならない。それは面白く価値のある挑戦である。

われわれはそのような時代の流れの中にいる。
その流れは早い。

このネクスト・ソサエティーを自分が読んだのは2002年のことだ。

20年くらい前なのである。

トフラーの第三の波とか富の未来と合わせて、ドラッカーのネクスト・ソサエティーは年に一回は読み返したい本なのです。

で、最近の若い経営者さんというのは、なんというか情報リテラシーを身に着けている人が多い印象です。

今三十代の経営者の方は、ほんとうにすごい人が多いので、自分も頑張ろうと思うのです。

会議っていう会議を実はしていない

金子商会は社員数が8人の小さな会社だ。
社長であるところの自分
常務であるところの弟
経理をしている社長の奥さん
事務やお客様の電話応対、たまに配送するスタッフが3人
配送メインのスタッフが2人
の合計8人なのだ。

週休二日制にするために平日にローテーションを組んで、日常的には7人で業務を回している。
つまり8人の内一名は常に会社に出てきていないということですな。

で、月に2日ほど、8人全員が出社する日があって、そのときに合わせて会議というかミーティングをしている。
今月の売上金はいくら、グラフにするとこう、今後はこんな感じになりそうなので、こういうことをしていくよ。連絡事項はこれこれこうです。
みたいな感じで夕方の5時から20分くらいを毎月1回行うわけですよ。

で、売上を知るためだけなら、その数字を書かれた紙を回覧なりすればそれでいいんじゃないか?ってことで、一時期月の会議を行っていなかったときが3ヶ月くらい合ったんだけれども、なんか、これはよくないな、ということで、今は月に一回ミーティングを行っています。

会議の目的はなんなのかっていうときに、
経営理念の浸透とか、経営状況を俯瞰してみたりとか、この先の戦略をどうしていこうと思っているのかとか、こうやっていこうと思うとか、そのために誰々にこういうことをしてほしいなんてことを伝えたりするわけで、日頃の雑談だけだと不確かなところを補完するという感じでやっている。

明確に数値化できる高価があるわけではないけれども、月商とか数字で単に発表するのではなくて、経営者が直接説明するのは、やっぱり大事だと思ったりするのだ。

うーんでも、一人ひとりに動画を送ったりとか、ブログとかツイッターとかTeamsとかで絡んだりするのもありかもしれない。

銀河鉄道の夜 

銀河鉄道の夜には【初期型】というのがあって、ブルカニロ博士が登場するタイプがある。

ブルカニロ博士は、主人公のカンパネルラに伝える言葉がいいのだ。

「おまえは化学をならったろう
水は酸素と水素からできているということを知っている。いまはたれだってそれを疑いやしない。実験してみるとほんとうにそうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできているといったり、水銀と硫黄でできていると言ったり、いろいろ議論したのだ。
みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
けれどももしおまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえ決まれば、もう信仰も

化学とおなじようになる。」

いやーいいっすね。

 

スペースを消せ

販売管理システムから仕入先の住所録をCSVで吐き出して別のアプリの住所データに移し替えをするんだけれども、どうもレイアウトがおかしい。

原因は氏名とか住所のデータに全角スペースが含まれていたからだったのです。

ぱっと見、スペースというのは見えないので結構悪さをしますよね。

置換機能を使ってスペースをすべて削除

事なきを得たのでした。

しかし、こういういつもやってる定形データーや雛形が使えないと元通りにするのに時間を食ってしまいますね。

バックアップしておくの大事ですね。

間違ったとき

人は間違いとかミスをしてしまう。
失敗するということですね。
そういう失敗をしてしまったときにどう対応するのかっていうのはいろいろある。

相手が失敗したときに自分はどんな態度を取るのだろうか
見ないふりをする
指摘する
ここぞとばかりに責め立てる
嫌味を言う
慰める
イライラをぶつける
バカにする

自分が失敗したときに自分はどんあ態度を取るのだろうか
ごまかす
いいわけをする
素直に認める
改善策や代替案を提示する
人のせいにする
自分のミスを認めない
イライラをぶつけて発散する

ミスの規模や実害、影響の範囲、相手の立場、人間関係によって態度に変化があるかもしれない。

失敗をしたときの態度とか所作というのは一本筋を通して置きたいと思う。
失敗の大きさや相手との関係性の違いで、自分が取る態度に変化がないようにしたいと思います。

相手が間違っていたときは、指摘せず、責めない。
自分が間違っていたときは、素直に認める。

難しいですね。

記録すること

日誌をつけることはもう10年ぐらい続けているのです。
なんとなくレベルアップしていないあぁといか停滞している感があって、そんなときKindle unlimited で『佐々木さん、記録って何の役に立つんですか?』を読んだので、これかもしれないということで、何種類かアプリをダウンロードして、これが一番使いやすいかもと思ったのが。

タイムスタンプログ というものです。

でも広告が消せないのがちょっと鬱陶しい。

タスクマがいいかもしれない。

でも自分には過剰かもしれない。

他にもいろいろあるので、試してみる。

三体

長い、めっちゃ長いのだ。
三体、三体Ⅱ上、三体Ⅱ下をオーディブルで全部聞くと45時間もかかるのである。おかげで配達の時間が有意義に使えるのですごくコスパがいい。
SF小説なんですけれども、スケールがでかいし、宇宙空間での戦闘とか、もの宇宙天文学的なスケールで思考することの面白さ。
遠くのものが小さく見えるのは錯覚に過ぎない
宇宙空間で原子爆弾が爆発してもダメージがあまりない
そういう日本のアニメや映画スターウォーズなどの宇宙戦争の描写が実際とは違うことに気が付いたりする。
映画的な演出を差し引いた演出で宇宙戦争のシーンが言葉で紡がれるのだけれども、それでもなお興味深い状況が思い浮かぶのです。

あとナレーションの祐仙 勇 さんがすごくいいです。



ショック・ウェーブ

アマプラでドキュメンタリーの「ショック・ウェーブ」を見た。

グーグルマップでその現場を見ることもできます。

下関でも2009年に爆発事故がありました。

内閣府発表の令和2年版防災白書ではコロナウイルス感染症にも少し触れていたりする。

ざっと一通り目を通しておくだけでも、心構えとか覚悟とか上書きされるのでなんかあっても、知らない人よりももんのちょっとかもしれないが余裕が生まれる。

人が、不必要に恐れを抱くのは、やっぱ、なんだかんだ言っても情報不足だからだ。

平時にできるだけ多くの情報に触れていろいろ知っておくだけでも、いざというときに冷静にたいしょできるのだろうと思う。

景気が悪くなると、老朽化の補修とか修繕とかが後回しになってしまうのは世の常なので、これから先爆発事故が多くなっていくのだろうなと予想できる。

 

ウチも倉庫がいい加減古いので引っ越すなり建て代えるなりしたいのだけど、いい物件がないのよね。

本好きの下剋上

オーディブル版が良かったので、アニメシリーズを一気に読みました。

この作品は「小説家になろう」という投稿サイトに2013年から連載投稿され2017年に完結。

その後小説が商業出版され漫画化、ドラマCD化、テレビアニメ化されている。

 

娘は今「約束のネバーランド(二期)」を楽しみに見ている。

ネトフリ、アマプラ、Huruなどサブスクな動画配信サービスは、従来の視聴の仕方を変えちゃってるなと本当に思う。

たぶん、一生かかっても見終えることのできないコンテンツが、目の前にあるのだ。しかもそのコンテンツは今後もどんどん増えていく。

新作ではなくても、まだ見ていない面白そうな物語はものすごくたくさんある。

全部見られる気がしない。たぶん、物理的にムリだ。

2倍速で見ても時間が足りそうにない。

あと予算が掛かっていれば面白いのっていうとそうでもないし、

最初の10分が面白かったりしても、途中からつまらなくなったり、

逆に最初の30分はものすごくつまらないのだが、途中から超絶面白くなったり、

◯◯さんが、「面白い」って言ってたから見てみたら面白かった。

◯◯さんが、「面白い」って言ってたから見たけどイマイチだった。

その両方のパターンがあって、結局「面白かった」「見てよかった」というのは、自分で終わりまで見ないとわからない。

もちろんレビューや評価の点数というのはある程度参考にはなるのかもしれないけれど、星が一つでもけっこう面白いものもあるし、星が4つでもイマイチなものも多い。

そういう当たり外れ含めて全てを楽しめるようにするしかないのである。

アメリカの連続ドラマとかは面白いかもしれないのだけど、シーズンが長すぎて脱落してしまいます。

Xファイルとか最後どうなったのかぜんぜん知らない。

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